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第三百七十二話『破綻済みの誠意』

「マルク、レイチェルを連れて下がりなさい‼」


 空から叩きつけられる鉄の柱を目の当たりにして、リリスは咄嗟にマルクへと指示を飛ばす。ウーシェライトという魔術師の底が見えていない以上、それがリリスに考えうる最善の策だった。


 その声に反応し、マルクはレイチェルの手を取って後ろへと下がっていく。一切の迷いがない対応に感謝しつつ、リリスは鎖の軌道に合わせて氷の剣を全力で振り上げた。


「く……あ、ああッ‼」


 甲高い音が響くとともに、リリスの腕に鈍い衝撃が走る。影魔術による筋力支援もあってどうにか柱をはじき返すことには成功したが、重力も味方につけた一撃に真っ向から立ち向かうことの代償は決して軽くなかった。


「いい反応速度です。……では、こちらなどいかがでしょう?」


 そんなリリスの反応を楽しそうに観察しながら、ウーシェライトは右手を前に突き出す。……直後、魔力が手のひらに凝集していくのをリリスは確かに感じ取った。


 とっさに剣を手放して右手を振り抜き、その軌道をなぞるように氷の盾を作り出す。打ち放たれた鋼鉄の弾丸はガリガリと嫌な音を立てながら氷を削り取ったが、貫通することなくその動きを止めた。


 それに安堵しながら二、三歩と飛び退き、言われるまでもなく距離をとって支援に徹していたツバキと合流する。足を止めた瞬間額を伝い始めた汗が、この戦況の余裕のなさを物語っていた。


「――リリス、もっと影を回そうか?」


 外行きの服であることも構わずに汗を袖で拭うリリスに、ツバキは言葉少なに問いかける。……その視線の先には、疲れ一つ見せずけろっとした様子で立っているウーシェライトが居た。


 ウーシェライトはただ二度手を動かしただけなのに、それを受けるリリスは体全体を躍動させなくてはならない。いくら基礎的な身体能力に自信があっても、これだけ消費体力に差があれば待っているのはジリ貧の展開だけだ。


「そうね……想像していた以上に手のかかる奴だってのは、間違いないわ」


 その一挙手一投足を見落とさないようによう注視しながら、リリスは深く息を吐く。あまり認めたくはないが、正面から圧倒するには骨の折れる相手だと言わざるを得なかった。


 今までに相対してきた手合いとの記憶を探っても、ウーシェライトと類似するものは出てこない。金属の生成を主とする戦闘スタイルも、『死』を前にむしろ愉しそうに振る舞う精神性も。……あまりにも、特異が過ぎる。


 命の取り合いを満喫しているという意味ではアグニと似通った部分がないでもないが、アレは大人のそれだった。戦いを通じて自分が憎い全てを蹂躙することを、自らの思想を証明することを、アレは楽しんでいたのだと思う。


 ただ、ウーシェライトはそうではない。命が軽々しく吹き飛ぶ光景を、戦場という環境そのものを、ただ無邪気に余すところなく楽しんでいる。――まるで、おもちゃを買い与えられたばかりの子供のように。


「……ガリウスのこと、悪者にしすぎてたかもしれないわね」


 結果論でしかなかったが、ガリウスの推測は正しかった。レイチェルの持つ精霊の依り代を狙う存在は予想していたよりも遥かに早く距離を詰め、そして今まさに襲い掛かっている。……その口ぶりから察するに、ウーシェライトの襲来だけがこの事件の全貌ではないはずだ。


 つまり、ここで眼前の女を退けたところで根本の解決になる確率は著しく低い。……何とかして約定を果たしてもらう事だけが、唯一現実的なリリスたちの勝利条件だ。


「いいえ、影は今のままでいいわ。切り札は本当に追い込まれた時までとっておくものだから」


 迅速にその結論を下して、リリスは不敵な笑みを浮かべて見せる。……それをツバキはしばらく見つめていたが、やがて真剣な瞳のまま頷いた。


「……分かった。君の判断を信じるよ、リリス」


「ええ、思いっきり信じて頂戴。だって私、貴女の相棒だもの」


 ツバキの言葉に柔らかな笑みを返すと、強張っていたツバキの表情が少しだけほぐれる。いつもの大人びたものとはまた違う、年相応にあどけない表情だった。


「……作戦会議は終わりましたか?」


「あら、律儀に待っててくれたのかしら?」


 その表情に背中を押されて再び前に出ると、待ちくたびれたと言いたげな様子でウーシェライトが問いかけてくる。それに皮肉を交えて返すと、ウーシェライトはすんなりと首を縦に振った。


「ええ、不意を突いても面白くありませんから。あなたが無粋な真似をしない限りは、私もまっすぐあなたに向かい合うと誓いましょう」


 朗らかな笑みでそう言うと、ウーシェライトはおもむろにリリスの背後を指さす。……それが指し示す先を見て、リリスはその言葉の真意をすぐに悟った。


「……不思議ね。あなたのその言葉、私には脅しのようにしか聞こえないわ」


 誓約と言う形こそ取っているが、ウーシェライトが突き付けたのは『決してレイチェルを逃がそうとするな』という要求だ。それを破った時にどんな制裁がこちらに突きつけられるかは、リリスにも読み切ることは難しかった。


 さっき多くの人間を細切れにしたあの剣のようなことをまたやってくるのか、それとも違う方法で逃亡を阻止してくるのか。……なんにせよ、ロクなことにならないのは間違いない。


「脅しだなんて、そんな物騒なことは致しませんよ。むしろこれは私から皆様への誠意、強者へと払うべき当然の礼儀のようなものです」


 しかし、当のウーシェライトは心外だと言わんばかりに首を振って言葉を返す。これが演技ならば大したものだが、大方素で言っているのだろうという確信がリリスにはあった。


「誠意に礼儀……ね。街をいきなり襲撃した人間にそんなことを語られる日が来るとは、流石に私も予想外だったわ」


「この街は愚物の集まりですから。魔道具に生活を侵食され、自らの手で明日を切り開くことを忘れている。……私の試練を誰一人として生き延びられなかったことが、その最たる証拠でしょうに」


 リリスの糾弾にも怯むことなく、むしろ教えを説くかのようにウーシェライトは滔々と己の信条を語る。一周回って無垢にも思えるその姿を見て、リリスの背筋を冷たいものが走った。


「此度の目当ては『精霊の心臓』ですが、それがなくてもここはいずれ浄化するべき場所でした。『あの方』の理想に、この街はあまりにも反しすぎている」


「たくさんの人の血でこの街を真っ赤に染めるのが、あなたの言う『浄化』って奴の本懐だとでも?」


 理解できないことを悟りつつも、リリスはウーシェライトの演説に茶々を入れ続ける。然しそれが皮肉だとも気づいていないのか、彼女は赤茶けた瞳を爛々と輝かせて頷いた。


「そうですとも。世界をやり直すには、もはや先のない人々を浄化するほか道はない。……それが出来て初めて、世界は正しい形に戻ることが出来るのです」


「なるほど、よーく分かったわ。……私が想像している以上に、あなたはもう手遅れってことが」


 全身を駆け巡る悪寒を押し殺しながら、リリスは氷の剣を再度構える。何か『襲撃者』とやらの全貌を掴むための情報が得られないかと思って突っ込んでみたが、得られたのは不快感だけだ。――これ以上話を聞いたところで、ウーシェライトに対する評価は何一つ覆らない。


「あら、ご理解いただけませんか。私たちの主が授けてくださった至高かつ最優のお考え、私にとっての揺るぎない真理なのですが」


「知らないわよ。その主とかいう奴もどうせ後で叩っ切るのは変わらないし」


 こんな女を従える『主』とやらに良識を期待するべきではない。何よりレイチェルに、そして『夜明けの灯』を害そうとするのならば、それがどれだけ崇高な考えで在ろうと分かり合うことは不可能だった。


 敵に情けをかける余地はないし、『主』の存在を抜きにしてもただ生きているだけで何かをしでかしそうな危うさがウーシェライトにはある。……ここで排除する以外の選択肢を取るのは、ただリリスたちの今後にリスクを付きまとわせるだけだ。


「……風よ」


 目を瞑り、足元に小さな風の渦を作り出す。正面からの力押しで貧乏くじを引かされるのならば、まともじゃないやり方で圧倒してやればいいだけの話だ。


「あら、お話はここまでですか。貴女は聡明ですから、今後のためにももう少しお話をしておきたかったのですが――」


 リリスの全身からあふれ出る戦意に反応して、ウーシェライトも両手を軽く持ち上げる。それはまるで、音楽を奏でだす直前の指揮者のような姿勢だった。


 一見無防備な姿勢だが、それに伴って膨れ上がる魔力の気配をリリスは見逃さない。それが後ろにいるマルクとレイチェルに届いていないことだけが、現状唯一のプラス要素だ。


 リリスが剣を振るうのは、大切な存在をもう二度と取り落とさないためだ。愛おしい仲間たちとの明日をつかみ取るためだ。今ここで敗北すれば、リリスは今度こそ致命的な喪失を味わうことになる。……それだけは、絶対に避けたいから――


「全身全霊で、切り抜ける――‼」


 自らに課した誓いを再確認し手から、硬い石畳を蹴り飛ばす。その背中を押すかのように風の球体は炸裂し、常人には眼で追う事すら難しい領域までリリスは一瞬にして加速した。


 圧倒的な速度、しかしそれに驕ることなく左右への小刻みなステップは忘れない。魔力の気配は大体掴めていると言っても、その魔力がどう変換されて利用されるかは相手が動かなければ分からないのだから。


 影を纏いながらウーシェライトに向かって行くリリスの姿は、その速度も相まって黒い弾丸のようにも映る。それは常人はおろか、腕利きの冒険者でさえもなすすべなく貫かれかねない圧倒的な練度の塊であったが――


「ええ、ええ……。それでこそ、私が見込んだナイトに相応しいというものですよッ‼」


 歯をむき出しにして獰猛に笑いながら、ウーシェライトは両腕を千切れんばかりの勢いで振り下ろす。――瞬間、虚空から伸びた黒い二本槍がリリスを貫かんと襲い掛かった。

 突如街中で始まった攻防戦、果たして一体どんな展開を見せていくのか! ついに大きく動き出したベルメウの状況、皆様もぜひお楽しみいただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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