第三百六十七話『貫かれる想い』
レイチェルの心に今でもしこりを残しているのは、『自分は本当に価値のある存在なのか』という問いかけだ。両親と精霊に守られて育てられた今までの日々が、皮肉なことにその疑問へさらに拍車をかけている。――守られるだけの価値が自分にはあるのだろうかと、レイチェルは絶えず問いかけ続けている。
「ねえツバキ、こっちのピアスなんかどう?」
「いいね、君の印象によく似合ってる。ペンダントの邪魔もしないし、いいチョイスだと思うよ」
――きっと、それはこういう何気ない日々の一コマでだって同じことだ。ある程度切り替えが効くようになっただけで、レイチェルの中にある根本的な問題には一つもメスを入れられていない。……その疑問に終止符を打てるのは、究極的にはレイチェル一人しかいないんだからな。
俺たちができることと言ったら、『レイチェルには大切にされるだけの価値があるんだ』と示し続けていくことしかない。家とか宿命とか関係ないただのレイチェルを俺たちは必要としているんだと、そんなメッセージを少しでも俺たちはレイチェルに伝えたいのだが――
「ねえマルク、こういう服も貴方には似合うんじゃない?」
――しばらくのドライブの末に訪れたブティックで、俺たちは二手に分かれて行動していた。
一着の服を持って戻ってきたリリスが、サイズを確かめるかのように俺の身体に服をぴたりと当てる。そうしてみた感じ大きさは大丈夫なようだが、それは今問題じゃないのだ。
「……リリス、俺たちもツバキの所に合流しなくていいのか……?」
「いいのよ、あの子にはあの子なりの考えがあってのことだし。なにも無策で買い物してるわけじゃないわ」
服と俺とを見つめて首を傾げつつ、リリスは何でもないことのように俺の疑問へと答える。結果的に持ってきた服はレイチェルの好みには合わなかったのか、近くの棚へとたたんで戻されていた。
「……そうか。それなら俺が無理に止める理由もねえな」
「分かってくれて何よりだわ。……ま、ツバキならうまくやってくれるでしょ」
私よりいろんな人と接してきてるからね――なんて言いながら、リリスは次なる服を見繕いにかかる。服装にも気を遣おうと決心してから数時間、まさかこんなに早くそれを実践する機会になるとは思わなかった。
「それに、レイチェルが居たら出来ない話ってのも色々あるしね。さっきの話の時に貴方が変な顔してたの、気づいてないと思った?」
「変な顔って、お前なあ……」
「それ以外の表現が思いつかなかったんだもの、仕方のないことよ。悩んでるような迷ってるような、何かを躊躇してるみたいな――とりあえず、そこらへんが色々混ざった末に変な顔になってたの」
戸惑う俺にダメ押しを入れるかのように、リリスは俺の表情をそんな風に評する。それがレイチェルの独白を聞いた時の俺を現わしていることを、そこまで聞いて俺はようやく確信できた。
結局のところ、俺は精霊の声の話をレイチェルにはしなかった。それが要らない負担をかけてしまうのは避けたかったし、根拠もろくになかったしな。謎の声も精霊の魔力の気配も、一人しか感じ取れる奴がいないんじゃ証拠として不十分過ぎる。
それに、声が聞こえたところでレイチェルの疑問に答えることはできなかったしな。『精霊が誰を守ろうとしてるか』なんて、それこそ精霊じゃなきゃ答えを知らないような話だ。
「単に血筋を愛しているのか、それとも子孫一人一人をそれぞれ区別して愛しているのか……まあ、難しい話だよな」
「人間と精霊とじゃ時間のスケール感が違うし無理もないことね。……まあ、それで言うなら私も貴方やツバキとは時間の感覚が違うわけだけど」
次の服を見繕いながら、俺の独り言にリリスはそんな言葉を返す。それを聞いて、『精霊もエルフもそう変わらない』なんて言っていたいつかのことを思いだした。
生まれてからの年数で言えば確かに俺たち三人は同世代だが、そこからの寿命の残りは確かに全然違うのだ。エルフが長命種であることぐらい、エルフに疎い奴でも知ってることだからな。
「同族と一緒に居た記憶はほとんどないからエルフの常識なんて分からないし、まして精霊の考えなんて推測するのも難しいけどね。……けれどなぜか、自分の寿命が人に比べて長い自覚だけははっきりとあるのよ」
「……リリス」
その語りに、俺はただ名前を呼ぶことしか出来ない。姿はほとんど俺たちと変わらなくても、その根本はやっぱり違うのだ。……それは、どう足掻いても絶対に変えることのできない摂理のようなもので。
「ああ、勘違いしないで頂戴ね。私は貴方たちより寿命が長いことを不幸だと思ってないし、寿命が短いからって人間を軽蔑してるわけでもない。生涯全体の長さが違っても、私たちが今同じ時間を過ごしていることには変わりないしね」
満足そうな表情で服を今度は何着も持ってくると、立ち止まっている俺にかわるがわる当てて感触を吟味する。そうしているリリスはとても楽しそうで、俺はその表情に思わず見とれた。
やがてお気に入りの一着が見つかったのか、リリスはコクリと頷いて他の服を片付ける。それを完全に終わらせた後、リリスは俺の持つカゴに服を入れながらさらに付け加えた。
「ただ、それでも少し気になっただけよ。……長い時間の中で、精霊は意識だけだとは言え多くの子孫たちと関わってきたはず。同じ血筋とはいえ性格とか好みとか話し方とかがいろいろ変わってく中で、それでもその一人一人を最初に愛した人間と同じぐらいの思いを注げたんだとして」
そこで言葉を切り、リリスは少し離れた棚の方へと視線を投げる。そこには、さっきまでレイチェルが俺に着せる候補として挙げていた服たちが綺麗にたたんで積み上げられていて。……かなりの数の服を試されていたのだと、俺は今更気が付く。
「愛情を込めた一人一人の最期を見送ることに、精霊は耐えなくちゃいけないのよね。……それは、とても辛いことなんじゃないのかしら」
「それは……そう、なのかもな」
精霊は意識だけならばほぼ永遠に存在できると、ロアルグがそんな風に説明していたのを思い出す。受肉したらその器の劣化に伴って意識も劣化していって、器が最期を迎えると同時に意識も終わる。約定が果たされる瞬間というのはつまり、精霊の寿命が決定づけられる瞬間でもあるという事だ。
それを幸福だと言えるかは分からないが、必ずしも不幸なことだとも思えない。……精霊は、どのような思いで約定が動き出す時を今まで待っていたのだろうか。
「研究院で修業してるとき、ノアと話をする機会が結構あったの。……その中で、『妖精と精霊とエルフの違いとは何か』っていう話をあの子がしてくれたことがあってね」
そこで一度言葉を切り、「聞きたい?」と言わんばかりにリリスは俺の方へと視線を向けてくる。すぐに頷きを返すと、リリスも小さく頷きながら言葉を続けた。
「さっき言った三つの種族とも、特徴はさして変わらないのよ。魔術に長けていて、人間とは比べるべくもないぐらいの寿命を持っている。それもそのはず、もともとそれらは一つの種族だったんだもの」
「……もともと一つだった種族が、どこかのタイミングでわざわざ三つに呼び分けられるようになったってことか?」
「調査によれば、ね。どこまでそれが的を射ているかは分からないけど、現状一番有力な説がそれらしいわ。……その学説では、三つの区別ができた理由は人間の存在にあるという事になるらしいのよ」
少しだけ首を捻りながら、リリスは伝え聞いた知識を俺にも教えてくれる。その首の傾きが学説への戸惑いなのか服がしっくりこない故のものなのかは分からないが、その話はどこか現実離れしているようにも思えた。
「人間が作り上げた秩序に従おうと決めたのがエルフで、逆に人間と関わらないことを選んだのが妖精。そんな堅苦しい縛りに囚われずに自由に生きることを望んだものが精霊なんですって。この学説が正しいのなら、精霊は自由に生きていく中で人間と出会ったことになるわね」
「だな。……精霊もまた、自分の意志でグリンノート家の傍にいることを決めたってことか」
いつかロアルグから聞いた御伽話の断片が、リリスと話している中でふらふらと浮かび上がってくる。物語に描かれた精霊の最期は、愛した人間の平穏な生活を守るために力を使い果たしたという事になっていたっけ。
「ええ、そうなんでしょうね。……そして今も、その意志は変わることなく貫かれ続けている。その動機がどんなものであろうとも、レイチェルを守ろうとしてることだけは間違いないしね」
おぼろげな記憶をもとにした俺の推測にリリスは頷き、そして遠くにいるレイチェルへと視線を投げる。アクセサリー選びにいそしんでいる二人は、遠目から見るとどう見たってただの友人同士で。
「一度守りると決めたものを、どんな代償を支払うことになろうとも守り続ける。――その在り方は、私も見習いたいところではあるわ」
「……大丈夫だよ。もう十分すぎるぐらい、俺たちはリリスに守られてる」
俺が自分の役割に徹することが出来るのは、リリスがいつでも前に立ってくれてるからだ。俺が経ったら二秒と保たずに消し飛びかねない様な戦場の最前線に立って、いつでも活路を切り開くべく剣を振るってくれる。その後ろ姿に、俺は今まで何度救われてきたか分からない。
そんな思いも載せつつ言葉を返すと、リリスは少し呆れた様な苦笑とともに肩を竦める。しかしその頬は僅かに赤く染まっていて、俺も思わず笑みがこぼれた。
レイチェルの問題に向き合っていく中で、リリス達もそれぞれの想いと直面することになります。果たしてそれ等の思いはどんな形で繋がるのか、ぜひご注目いただければ幸いです!




