第三十六話『もう一つの行き先』
「……今度は借金せずに済んでよかったわね」
店から出るなり、リリスの皮肉めいた声が飛んでくる。それと同時に呆れたような視線が飛んできて、俺は思わず肩を竦めた。
「軽率な言葉だったのは謝るよ……。でも、これがちゃんと必要な出費なのは間違い無いだろ?」
発言が軽率になりがちなのは反省しつつも、俺はしっかりとそう断言する。こいつらを守るため、ダンジョン開きを三人とも無事に切り抜けるためには、魔道具の存在はなくてはならないものだった。
そんな俺の表情に何を思ったのか、リリスはふっと表情を緩める。さっきまでの厳しさはどこへやら、一転して優しい視線が俺に送られていた。
「……冗談よ。私たちのことを思って買ってくれたものだし、私もそれが必要な投資だってのは分かってるわ」
「ボクも良い買い物だったと思うよ。これだけの出費で命綱を一つ増やせるっていうならむしろ安すぎるくらいだ」
「だろ? ……まあ、もう一つ金を使おうと思ってるところはあるんだけどさ」
これだけで出費を抑えられればいいのだが、安全のためを思えばもう一ついかなければならないところがある。どっちかと言えば、今から向かうところの方が重要度は高いような気がしていた。
しかし、その言葉にリリスはげんなりしたような表情を浮かべる。ラケルとの対面ややりとりは、どうやらリリスに結構な負担をかけてしまっていたらしい。
表情に出にくいだけで普段から感情は豊かな方なのだが、ここまで露骨にリアクションするのは珍しいからな。味方を得つつリラックスできればと思っていたのだが、メリットの両取りは流石に難しかったみたいだ。
「……私たち、まだ歩いたり誰かと話したりしなきゃいけないの?」
「しょうがないじゃないか、これも必要な準備だからね。……大丈夫、マルクだってダンジョン開きの後には多めに休養の時間を取ってくれるだろうさ」
「ああ、勿論そのつもりではあるんだけどな。……ごめん、次の目的地は俺一人で行かなくちゃいけないんだよ」
そう告げた俺に、二人は驚いてこちらに視線を投げてくる。これ以上歩き回りたくないリリスを慮ってのものだと思ったのか、ツバキは一歩こちらに進み出て来た。
「その心遣いは確かにありがたいけど、君一人で街を歩くのは少しでも短くした方がいいはずだ。それがどれだけリスクを伴うことか、君だって分かっているはずだろう?」
「いくら私でも貴方の身を守ることまで面倒だとは思ってないわよ。配慮してくれるのは嬉しいけど、理由がそれだけなら謹んで遠慮させてもらうわ」
「……そうだな、お前たちの言うこともごもっともだ」
二人の言う通り、俺が今一人で出歩くのはかなりよろしくない。まだクラウスの流した話を信じてる奴もそこそこいるし、何ならクラウスの息がかかった奴もどこにいるか分からない。そんな中で一人になるのは、確かに『襲ってください』と言っているようなものだ。
「……だけど、お前たちは連れてけねえよ。お前たちがいると、要求される代価がとんでもなく跳ね上がっちまいそうでな」
「代価……?」
それでも二人の意見を突っぱねる俺が発した言葉に、ツバキは首をかしげる。それに頷きを返して、俺はさらに付け加えた。
「今から俺が向かう奴に、お前たちの存在を知られたくないんだよ。どこでそれが裏目に出るか分からないからな」
「いまいち話がよく見えないわね。そんなことを言うなら、この喫茶にだって私たちのことは連れてこない方がよかったんじゃないの?」
俺の説明を聞いてもなお、リリスはよくわからないと言いたげに首をかしげている。だが、それも仕方のない話だ。俺は今、一番大事な要素を隠して話を進めてるからな。
なんでそんなことをするかと言えば、その存在を知ること自体がいろんなリスクに繋がりかねないからだ。俺が今から会う奴に興味を持ってはいけないし、必要以上の接触を取ってもいけない。あの奴隷商と比べればよっぽどマシなものの、アイツがやっていることもグレーなのには違いないのだから。
「……マルクのことだし、そこまで言うには何か明確な意図があるのだろう。君の無力を一番知ってるのは、間違いなく君自身だろうしね」
「そりゃもちろん、伊達に十八年この体で生きてねえからな。それを踏まえた上でも、今から向かう場所にお前達を連れてくことのリスクの方が高くなっちまうんだよ」
それによって発生するものが、場合によっては『ダンジョン開き』において俺たちの致命傷に繋がる可能性も否定できないからな。それを思うと俺一人の、それも短い時間だけのリスクを取る方がよっぽどマシな判断のように感じられた。
「アイツ……。名前も分かんないそいつが、今の貴方には必要なの?」
「アイツからしか買えないものが多すぎるからな。それなのに誰もアイツの名前を知らないってんだからとんでもねえ話だけど」
俺のカミングアウトに、リリスの眼が驚きに見開かれる。いかにも知り合いみたいに話してたし、まあそんなリアクションをしたくなるのも納得できる話ではあるんだけどな。
「アイツの名前は高いんだ。俺には到底手が出せねえよ」
「名前が高い……ね。なんというか、ロクでもない人物の気配がするわ」
「大丈夫だ、その考え方で合ってる。上手く使えれば心強い味方だけど、根っこはどこまで行ってもろくでなしだよ」
だからこそ信用できるという部分がないでも無いのだが、上手く扱えなければ身を亡ぼす劇毒になりかねないような人物でもあるのも事実なのだ。……だからこそ、その怖さをまだ知らない二人を対面させるのは気が引けた。
「……マルク一人でその人のところに向かえばそれをうまく活用できる。そこに関しては信じていいんだね?」
「おう、そこに関しては安心してくれ。お前達のことは必ず聞かれると思うけど、まあなんとか上手くやるさ」
俺とそいつが向き合うにあたって、二人の存在は切り札のようなものだ。早々に出すべきものじゃないし、使わずに済むならそれが一番いい。
「……頼む。色々と説明不足なのは分かるけど、二人は先に宿まで戻っててくれ。大丈夫だ、必ず無事に戻って来るから」
顔の前で手を合わせ、俺は二人に頼み込む。しばらくの沈黙を経た後、先に反応を示したのはツバキだった。
「……分かったよ。リリス、ボクたちは先に帰るとしよう」
「…………本当にそれでいいの、ツバキ?」
俺の要求を承諾するツバキに、リリスは驚いたような表情を浮かべている。その眼をしっかりとのぞき込んで、ツバキは小さな声で続けた。
「ボクたちがいない方がいいというのは、いてもいなくてもいいってことじゃない。……マルクの考える中では、ボクたちがいない状況こそがベストなんだよ」
「ああ、そうだな。……申し訳ねえけど、アイツを前にして二人のフォローに回ってる時間はないと思う」
軽く首を縦に振って、俺はツバキの推論を肯定する。それを見て、リリスの中でも踏ん切りがついたようだった。
「……分かったわ、私たちは先に宿に戻る。だけどその前に、一つだけ正直に教えて」
「ああ、いいぞ。事情だけ押し付けてそれじゃあよろしく、なんて申し訳が立たなすぎるからな」
リリスの要求を呑み、俺は次の言葉を待つ。青い瞳が俺を映し、その口がゆっくりと言葉を紡いだ。
「マルクは今から買い物に行ってくるのよね。……ただの買い物で私たちがフォローされなきゃいけないような状況に陥るかもしれない取引相手って、一体何者なの?」
それは、リリスが当然抱くであろう疑問だった。そこだけは確かに頑なにぼかしてきたし、出来るなら誤魔化せたままでいた方がよかったところではある。
だが、ここに来てもなお隠し通すのはそれこそ不誠実というものだろう。一瞬の逡巡の後そう決心して、俺はリリスの瞳をしっかりと見つめ返すと――
「……『情報屋』。名前はおろか男か女かも分からない王都で一番食えない奴が、今日の俺のお目当てだよ」
――いつか見た愉しげな笑みを脳裏に浮かべながら、その通り名を口にした。
次回、久々のマルク単独行動です! 彼はいったいどんな曲者と相対することになるのか、次回以降も楽しみにしていただければなと思います!
――では、また次回お会いしましょう!




