第三百五十五話『奇妙な出迎え』
『まもなく目的地に到着いたします。荷物等をまとめ、降車の準備をお願いします』
車が動き出してから十五分ほど、談笑していた俺たちに割って入ってまたしても声が響き渡る。それに従って俺たちが少し荷物をまとめている間に、キイイという軽い音を立てて車は完全に停止した。
「お、もう着いたのか。騎士団の支部ってもう少し町の奥まったところにあると思ってたけど」
「この車自体のスピードが相当速かったし、十五分でも随分移動したことになると思うよ。窓から見た感じ、多分この街は車に乗って移動することを前提に設計されてる気がするし」
左右の景色に視線をやりながら、ツバキはそんな考察を口にする。その言葉通り道を歩いている人の姿は少なく、その代わりとでも言いたげにたくさんの車が道を行き来していた。
「この町に住むともなると自分専用の車とか持つものなんでしょうね。ただ箱を入れて目的地を伝えるだけで何もせずに到着できるなんて、正直想像以上の贅沢っぷりだわ」
席を立つ準備を進めながら、リリスが感心しているのか呆れているのか分からないような表情を浮かべる。隣に座ったレイチェルもそれに頷いていると、車の前の方から何かが駆動する音が聞こえてきた。
『ご利用ありがとうございました。承認キューブを忘れずにお持ちください』
そんな丁寧な声が響いて、承認キューブが車の中から吐き出されるようにして俺の手元へと差し出される。明らかにパーツと同化していたものを再び切り離すなんて、一体どんな技術を使えばいいのやら――
「……づッ」
そんなことを思いながらキューブを受け取った瞬間、またしても俺に頭痛が襲い掛かる。今までのものと比べるとまだ耐えられる規模ではあったが、問題なのはそれが何をきっかけに起きたかが分からないことだった。
俺がしたことと言えばこのキューブに触れ、ちょっと考え事をしただけだ。里の事なんて思い出そうともしていないし、誰か特定の人物を思い浮かべたわけでもない。……なら、この痛みは俺に一体何を訴えようとしているんだ?
「……顔色悪いけど、大丈夫?」
痛みに耐えながら必死に考えをまとめていると、リリスが心配そうな表情を浮かべてこっちを見つめてくる。それに俺は首を横に振って、疑問を一旦横へと押しやった。
俺を襲っている頭痛の問題は、今俺たちが解決するべき問題とはまた違ったところを根源にするものだ。今伝えてもかえって思考を混乱させるだけだし、そのリスクを冒しただけの答えが見つかるわけでもない。俺自身がこの頭痛に明確な見解を出せるようになったとき、初めて俺は安心してこのことを伝えられるだろう。
「大丈夫だ、ちょっと揺れに酔ってただけだから。……それにしても、ちゃんとキューブも帰ってくるんだな」
「そりゃ帰ってくるわよ、これがなきゃいろんな設備が利用できなくなるんだから。……ほら、治癒上げるからシャキッと背筋を伸ばしなさい」
これから騎士団に行くんだからね――なんて言いながら、リリスは俺の肩口に触れる。その言葉自体は厳しいものだったが、俺の身体を癒そうとする治癒魔術はとても暖かい気配を纏っていた。
やはりその効果はてきめんで、変な寝方をしたせいで痛む背中や頭痛の残滓がすうっと消え去っていく。それに伴って顔色も良くなったのか、リリスの表情も満足げなものへと変わっていた。
「ありがとな、リリス」
「気にしなくていいわよ、そういう治療は私の領分だし。……ほら、早く二人を追いかけましょう」
微笑とともに俺の礼に応えると、リリスは目線で車の外を示す。その先では先に降りた二人が興味津々と知った様子で街の中を見回していて、その矛先がだんだんと一つの建物に収束しつつあるのが分かった。
それは他の建物と比べてもひときわ高い白い塔のような建物で。外から見えるような位置に上下する箱のようなものが配置されている。それは動くたびに何人かの人を乗せていて、利用者たちを目的地となる階に送り届けているようだった。
「これがこの町全体に普及してるんだったら、階段なんてものはもうなくなってそうだな……」
「あながちありえなくもない話なのが恐ろしいわね。……さ、それはそれとして早く行くわよ」
前に立つ二人と同じように視線を奪われた俺の手を引き、リリスは車の外へと降りる。それに続いて俺が下りた瞬間にゆっくりと車のドアが閉まって、次の利用者を待つ姿勢へと音もなく移行していた。
「あ、二人とも来たね。車の中で何してたんだい?」
「マルクが少し酔ったって言ってたから治癒魔術をかけてたのよ。変な寝方もしてたし、マルクの身体には負担がかかってたみたいね」
「ほんと、なんで俺はあんなところで寝てたんだろうな……あの壁で寝るならまだこの移動の間に寝る方がまだ心地よかっただろ」
車の椅子が革張りの背もたれ付きだったのに対し、馬車の壁はクッション性ゼロの硬いものだ。そんなところで寝たら何かしらの影響が出るなんて分かりきったことなのに、どうしてそんなことをやらかしたのか。原因不明の頭痛の事と言い、謎はただただ深まるばかりだ。
「そうだね、あたしもうっかり車の中で何回か寝ちゃいそうになっちゃったし……。小刻みに来る振動がなぜだか心地よく感じられちゃってさ」
「ええ、それに関しては私も同感ね。あんまり長く乗ってたわけじゃないし、もし寝てたら今頃中途半端な目覚めになってたでしょうけど」
レイチェルの感想にそんな言葉を返しながら、リリスは正面の建物に視線を戻す。事前にロアルグから受け取っていた情報が間違っていないのなら、ここが騎士団のベルメウ支部で間違いなかった。
やはりベルメウは王国の中でも価値が高い都市として見られているのか、他の都市に比べても大規模な支部を設置しているそうだ。なんでもここの支部長は、ロアルグと比較しても遜色ないほどの実力者でもあるらしい。
「色々と手続きを進めなきゃいけねえってのは面倒だけど、まあそれも仕方のない話だよな。いつ約定が果たされる日が来るかなんて誰にも分かってないだろうし」
「今日中に果たせたら奇跡、明日にでも準備が整ってくれるんなら超優秀って所だろうね。騎士団の連携に期待したいところだけど、過度に期待しすぎるのも酷ってものだ」
俺の言葉を引き継いでツバキがそんな見解を示し、リリスも頷いてそれに同意する。それを聞いたレイチェルは一瞬表情を曇らせたが、すぐにそれを振り払って勇ましい表情を浮かべた。
「うん、そうだよね。……守り手様の器まであと少しだからと言って、焦らないようにしなくちゃ」
「焦りは時として大きな失策を生むからね。冒険者としてその意識は大切だよ、レイチェル」
ペンダントをグッと握りしめるレイチェルの頭を、ツバキが優しい手つきでポンポンと撫でる。まるで妹の成長を喜ぶかのようなそれは、ツバキだからこそかけられる言葉だった。
「皆の意識も合致したことだし、そろそろ行きましょうか。……一応、心の準備はしておいてね」
その言葉に揃って頷きを返し、俺たちは支部の中へと踏み込む準備を整える。支部長がどんな人物なのかは分からないが、それでも俺たちができることは変わらない。俺たちの誠意を、出来得る限りの形で伝えるだけだ。
リリスを先頭にして支部の扉に近づくと、手をかけるまでもなく扉が左右に開いて俺たちを迎え入れる。その正面にあるカウンターでは、白と黒の制服を纏った受付らしき女性が背筋をピンと伸ばして歓迎の準備を整えていた。
「――いらっしゃいませ。ここは騎士団ベルメウ支部ですが、何か困ったことがおありでしょうか」
俺たちの姿を視界に移すと同時、女性ははきはきとした声とともに頭を下げる。それに俺たちも揃って礼を返した後、代表して俺が女性の前へ進み出た。
『要件を聞かれたらこう返せ』と言われて伝えられた言葉を脳内で反芻し、記憶に間違いがない事を確認する。そして一度間をおいて、俺は女性とまっすぐ目を合わせた。
「王国騎士団長ロアルグの取次により、ベルメウの支部長との面会に来た。『約定の事で話したい事がある』と言えば、支部長はその要件を――」
「――という事は、君がマルク・クライベットか! やあやあ、王国からよくぞはるばる来てくれたね!」
俺が伝えられた言葉を言い終わるより先に、左側から嬉しそうな男性の声が聞こえてくる。それはこの場に居る全員の度肝を抜き、視線を完全に奪い取った。
そしてそれは、今まで表情を変えなかった受付の女性にしても例外ではない。驚きに表情を染め、信じられないといった様子で声のした方を見つめている。
「街の中に入ったらともかく、この街まで馬車で来るのは苦労したろう。そこまでして僕たちの問題に協力してくれるその姿勢、ロアルグから聞いてた以上にありがたい人材だなあ」
しかしその視線にも動じることなく、声の主は楽しそうに俺たちへと語りかけ続ける。整えられた明るい茶髪から一本飛び出したアホ毛が、その上機嫌を象徴するようにピコピコと揺れていた。
その存在がいったい何者なのか、俺たちはとてもじゃないが理解することが出来ない。敵意がなくて俺たちを歓迎しているのは分かるが、それにしたってここに来た意味が分からない。受付の女性が浮かべている表情を見る限り、これは予定されていたことじゃないわけだし――
「……一体、何をしていらっしゃるんですか?」
そんなことを思った矢先、受付の女性が少し声を震わせながら男へと問いを投げかける。しかしそれに男は笑顔で頷くと、自分の姿を見ろと言わんばかりに両手を広げて見せた。
「何って、できる限りの歓迎さ。この子たちが僕の待ってた客人だって分かったんだから、できる限りの感謝と歓迎の意を伝えなくちゃと思ってね」
どういう原理かアホ毛をとんでもない速度で揺らしながら、ご機嫌そのものな様子で男はその問いに返す。……しかし、その答えは受付の女性が求めていたものではなかったらしい。
「どういう目的でやったか、は聞いておりません。歓迎と感謝の気持ちを伝えるのは正しいことですし、その誠意は美徳でしょう。……ですが、問題なのはそれを伝える場所です」
男の方をまっすぐ見つめたまま、受付の女性はまるで説教をするかのように言葉を並べる。そして、とどめだと言わんばかりにびしっと指を指してみせると――
「――ベルメウ支部長ともあろうお方が、どうして受付に姿を潜めてお客人を待っていたのですか!?」
「……は、あああッ⁉」
女性が発したその称号に、俺は思わず真っ先に叫び声をあげてしまう。……そんな俺を視界の中に入れながら、男はなおも朗らかな笑みを浮かべ続けていた。
という事で次回、他称支部長の詳しいことが分かることになるかと思います! 第五章もまだまだ賑やかになっていきますので、ぜひぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




