第三百二十九話『それぞれの積み重ね』
右から左からはたまた上から、無数の剣撃が俺に向かって放たれる。それを一つ受け止める度に俺の体勢はだんだんと崩れていくのに、目の前に立つ男は一切動きを乱すことなく連撃を繰り出し続けていて。
「そらそらそら、そんなんじゃ後一分も保たせらんないっスよ!」
「んなこと、言ってもなあ……ッ‼」
それどころか男は涼しい表情を浮かべ、俺に向かって激励の言葉を飛ばしてくる。応えるようにして俺も手にした木剣を必死に動かすが、握りしめる手は痺れて感覚を失いつつあった。
「くっ、おおッ……!」
今まで学んできたことを頭の中で即座に確認して、俺は少しでも長くこの攻撃を耐えるべく体を動かす。そうして右方向から飛んできた剣戟を受け流した、その刹那の事だった。
「はい、隙ありっス」
「ふ、あ……⁉」
胴に鈍い衝撃が走ったと同時、俺の視界が天井に向かって九十度回転する。……突きを食らった衝撃で強引に上を向かされたのだと気づいたのは、その事実を認識してから数瞬遅れての事だった。
完全に意識外に置いていた攻撃によって、俺の必死の抵抗はあっけなく崩される。瞬時に有効な受け身を取って立て直すだけの技術は、俺にまだ備わっていなかった。
「これで一本、っスね。追い込んでる時が一番何でもできる時なんすから、切り払い以外の攻撃にも意識を向けとかないといけないっスよ?」
思いっきりしりもちをついた俺の方に歩み寄って、今まで俺に攻撃を仕掛けていた金髪の男がそんなアドバイスを贈ってくる。あまりに的確な指摘に、俺はポリポリと頭を掻くことしかできなかった。
「だな……。認めるよ、アレを受け止めるのが精一杯で突きなんかまったく想定してなかった」
「まあそうっスよね。実際切り払いを受ける動きは様になってたから、それ以外の攻撃を禁止されてたらう一本取るのに後三十秒は使ってたかもしれないっス」
「ああ、それでも保って三十秒なのな……」
何の悪意もなくそう言って笑う男に対して、俺はふっと苦笑を浮かべる。このところようやく成果が出てきたような手ごたえがあったが、それでもまだまだ俺は発展途上のようだった。
「私からしてみれば半年と少しでこれだけ伸びてくる方が凄いと思うけどね。クロアだって騎士団の中では相当な実力者だし、マルクが凹むことはないと思うわよ?」
「そうっスよマルクさん、あなたの才能には目を見張るものがあります。自分が勝てたのはあくまで経験値の差、長く剣に触れてきたものとしてのアドバンテージがあるかないかの差でしかないっスから」
少し離れていたところで一連の打ち合いを見守っていたリリスが、汗をぬぐう用のタオルを俺たちの方に持ってきてくれる。それと同時にかけられたねぎらいの言葉に、男――クロア・ツーウェルも同調して首を縦に振った。
「いやいや、クロアの教え方があってこそだろ。騎士剣術って受ける技術を軸にした動きだから、一つ一つの動きに対して正しい返し方を叩きこんでくれなきゃ伸びていかねえし。今はまだ教えられたことを必死になぞってる段階にすぎねえよ」
俺よりも明らかに強い褒められるのがなんだか照れくさくて、俺はそんな風に口にする。実際にクロアは相当優しく加減をして俺に剣を教えてくれているし、一切の手加減なしで立ち会われたら数合たりとも保たせることはできないだろう。
アグニたちによる古城襲撃事件からもう半年がたつが、それでも俺の現在地はこんなところだ。今までまともに戦うための技術を身に着けることから目を逸らしていたことが、まさかこんなところで災いしてくるとは思ってもみなかった。
ふとクロアの腕に視線をやってみれば、積み上げてきた年月の違いがありありと横たわっている。同じトレーニングメニューをこなしているとは到底思えないほどに太い腕周りを見れば、あれだけ重たい一撃が放たれるのも納得できる話だった。
俺も筋肉が付いていないというわけではないが、その量も質もクロアとは違いすぎる。修練用の木剣は俺にとってまだまだ重たいもので、クロアのように軽々と震えるようになるまではまだまだ時間がかかりそうだ。
「剣術に全くの慣れがないところから半年でこれなら十分すぎるぐらいだと思うんすけどねえ……。マルクさんが目指してるところを思えば、これで満足できないってのも納得できる話ではあるんスけど」
「ああ、まだまだ足りねえな。『夜明けの灯』のリーダーとして頼りがいのある背中を見せるには、まだまだ実力不足が過ぎる」
クロアの言葉に頷いて、俺は決意を新たにする。それはあの古城で居たいぐらいに実感したものであり、この半年間で起きた様々な出来事の中でも目の当たりにさせられ続けた事実だった。
とある冒険者の学校に臨時教師として派遣されたときも、今なお収まりきっていない『双頭の獅子』亡き後の王都を巡る勢力図の争いでも。そのどれでも、俺は最終的にリリスとツバキの実力に頼る形を取ってしまっていた。もとよりそれが俺たち『夜明けの灯』の形だとはいえ、それは俺たちの間だけで決まっている話なのだ。
修復術式のことを大っぴらに話せない以上、俺の姿は外から見れば『ただ後ろで仲間たちを見守っている奴』として受け取られる。クラウスのように力で押さえつけるやり方が間違っているのは当たり前としても、リーダーがあまりに無力な時に起こるリスクを俺たちは失念していた。
結果として面倒になった事態は数知れず、そして王都の勢力図は未だにはっきりと確定した状態にはない。『夜明けの灯』がトップを狙える位置にいるのはいいことだが、それと肩を並べかねない勢力が結構いるのがまたややこしかった。
そんなこともあって、当面の俺の目標は『魔術なしの立ち合いなら大抵の冒険者に勝てるようになること』だ。俺が無力だと周囲から思われないようになることは『夜明けの灯』が一つ上の領域に踏み込んでいくための必須条件と言っても過言じゃないからな。
「ほんと、この半年でがっちりした体になったわね……。知り合った時とは見違えるみたいだわ」
突きを食らった部分に治癒魔術をかけながら、リリスは俺の腕やら腹回りやらにぺたぺたと触れる。傷が癒えていく感覚とリリスの冷ややかな指先の感覚が混じって、なんだか妙にくすぐったかった。
「騎士団に行けない時でもできる筋トレ、たくさんクロアに教えてもらったからな。リリスたちにも逃げ方やら身のこなしやらは鍛えてもらってるし、ここまで体を動かせるようになったのは間違いなく周りにいてくれる皆のおかげだよ」
「いやー、筋トレが継続させられるのは間違いなくマルクさん本人に素質があるからっスよ。当然筋トレには合う合わないがありますし、騎士団を志す人の中にもそういう基礎的なトレーニングに耐えられなくて逃げ出すのとかザラにいますもん。つまりですね、今のマルクさんは既に騎士団志望の半分以上よりも上にいる状態なんスよ」
だから胸を張ってください、とクロアは爽やかな笑みを俺の方に向けてくる。それを聞いていると俺も少しだけ自分のことが凄いように思えてきて、つられて笑みがこぼれた。
「というか、騎士団志望と違ってそれを本職にするわけじゃないのにここまで食らいつけてるのが凄いのよ。トレーニング云々に限らず前々から思っていることだけど、もっと普段からマルクは自分を褒めるべきじゃないかしら」
「あー、それは今でも難しいな。俺の周りにはとんでもなく凄い奴が多すぎる」
リリスやツバキはもちろんの事、騎士団も研究院も凄い奴らばかりなのだ。そういう人との繋がりが今の俺を支えてくれていて、それらが欠けていたらどうやっても今の俺にはたどり着けていない。それを思うと、あんまり手放しで自画自賛する気にもなれなかった。
いつかクラウスに宣言した『人徳で王都を制する』は徐々に近づいてきてるし、俺のやってきたことが間違いじゃないってのは嬉しいことだけどな。そのスローガンを掲げているからには、助けてくれる周囲の人たちへのリスペクトはいつだって忘れたくないものだ。
「確かに、それは間違ってないのかもしれないけれど……。その『凄い奴』の中には貴方自身がいるってことだけはくれぐれも忘れたらいけないわよ?」
そう思って返した言葉に、しかしリリスは少し不満げな、どこか心配しているかのようなジト目を向けてくる。それになんて言おうかと俺が思っているとき、リリスの肩にクロアの手が軽く置かれた。
「リリスさん、多分それでいいんスよ。マルクさんが謙虚でいてくれるからこそ、自分たちがマルクさんのことを褒めて褒めて褒め殺しにするぐらいがやっとちょうどよくなるんス」
「……確かに、それはクロアの言うとおりね。私たちが褒める前にマルクが自分自身のことを褒めていたら、私たちの称賛が入り込む暇がなくなるわ」
続いたクロアの言葉を受けて、リリスは『それは盲点だった』と言わんばかりに首を縦に振る。……なんだか俺が考えて居たのと少しずれた場所に着地したような気がしないでもないが、二人がそれで納得できているならひとまずそれでいいか。
それにしても、この二人も見違えるぐらいに軽い調子で話すようになったな……。最初はお互いどこかぴりついた空気がいつも漂っていたものだが、今ではすっかり打ち解けた仲間同士のような関係に落ち着いている。他者への警戒心が強いリリスが心を許せる相手が増えたことは、この半年間で起きた嬉しい変化の一つだった。
決して平凡とも平穏とも言い難い半年間ではあったけれど、その中でそれぞれ前進できたことは確かにある。それは『夜明けの灯』にとって嬉しい変化であり、王都を制覇するための大きな一歩だ。ともすれば、それは俺よりもツバキとリリスに顕著かもしれなくて――
「……ああ、やっぱりここにいた。マルクが騎士団で特訓すると言ったらここだもんね」
修練場の入り口の方からツバキの声が聞こえてきて、俺たちは一斉に振り向く。こちらに向かって軽やかな足取りで駆けよってくるその右手には、小さな球体がいくつか握りしめられていた。
「ツバキじゃない、あっちでやることは終わったのね。……という事は、今から実戦投入するの?」
「ああ、あと必要なのは微調整だからね。皆に早く会いたくて置いてきちゃったけど、ラケルももう少ししたらこっちに来てくれると思うよ」
達成感溢れる表情で頷きながら、ツバキは手にしたそれを俺たちの方に向ける。そしてその後、満面の笑みを隣に腰掛けていたクロアへと向けると――
「――差しあたって、騎士団の修練用人形を使わせてもらいたいんだけど……。構わないよね、クロア?」
「……壊さないぐらいの使い方で留めてくれるなら、構わないっスよ?」
後で経理の爺さんにぼやかれるのは自分なんスから――と。
期待を胸に提案するツバキに、クロアはどこかひきつった笑みを浮かべる。その表情こそが、ツバキがこの半年間で積み上げてきた成果を雄弁に物語っていた。
という事で、アグニ達の起こした事件から半年後を舞台に第五章は展開していきます! その間にあった出来事もいずれは短編集としてまとめたい気持ちがあるので、そちらも楽しみにしていただきつつ半年を経たマルクたちの進歩を楽しんでいただければ幸いです!




