第三百四話『胸を打つ衝動のままに』
自分から攻めに転じようなんて、今までのアネットならきっと考えもしなかった策だろう。アネットが規範とする騎士剣術はあくまで受け身よりであり、攻めに転じればその強みは半減とまではいかずとも大きく損なわれてしまうのだから。
そう頭では理解していながらも、アネットは一歩ごとにどんどんと加速していく。果たしてそれは打算的な計算に基づくものなのか、似た者同士のアグニに対する対抗心が自然とそうさせていくのか。……地面を蹴っているアネット自身、その答えは分かったものではないが――
「し……いいいいッ‼」
問いに対して答えること自体を放棄しながら体を鋭く捻りこみ、アネットはアグニに先んじて魔剣を思い切り振り抜く。それは凝視していても気づけるかどうかというレベルの僅かな時間差ではあったが、そのわずかな遅れを理由としてアグニは波に乗っているアネットに対して受けに回ることを強いられていた
だがしかし、受けに回ったからといって簡単に崩れるほどアグニもやわな戦士ではない。いつの間にか魔道具を変形させて生み出していた大楯は、アネットの全力と言ってもいい攻撃をあっさりと受け止めていた。
「おー、見た目より一撃は軽いか。……これなら、嬢ちゃんの氷の方がまだ厳しかったなあ⁉」
スムーズな受けから攻めの姿勢を作り、アグニはもう片方の手に握っていた剣を構える。鋭く切り込んで超近接戦に持ち込もうとするアグニを見て、アネットはすぐさま後退することを選択した。
いくら縛りが解けて魔力が自由に扱えるようになったとはいえ、基礎的な身体能力が爆発的に向上したわけではない。間違いなく人生で一番調子がいい状態ではあるけれど、その状態をもってしてもすべてのことがうまく行くわけではないことは直感的に理解していた。
それが一番顕著に出るのは、魔術を行使するタイミングだろう。どう使えば一番効率よく扱えるかは分かっているが、アネットの人生は魔術と縁遠いものだ。ぶっつけ本番で解き放つ魔術を最初から手札の一つとして数えられるほど、アネットは自分の才能が万能であるとは思えない。
(魔力の絶対量と魔術神経の強度には関係がない――マルクさんも、そう言ってましたもの)
絶えず湧き上がってくる全能感に溺れて無茶をすれば、アネットが手にしたチャンスはあっさりと指の隙間をすり抜けていくだろう。今の自分が浮足立っているって分かっているからこそ、その戒めだけははっきりと持って居なければならなかった。
『もっと、もっと』って求める声は、アネットの中で鳴りやまない。……だけど、それを実現するのはもう少し後だ。今は丁寧に慎重に、謙虚に……そう、謙虚に行かなければ。
「おいおい、ノッてるってのにつれねえな。……せっかくの殺し合いだ、バチバチに行こうぜ?」
冷えた思考で本能を必死に抑え込むアネットとは対照的に、一合ぶつかり合うたびにアグニの熱量は増していく。……それはまるで、狩りを娯楽とする強かな獣の様でもあった。
冷静さを欠いて単調な動きになってくれるのならばそれほどありがたい話もないが、おそらくアグニが繰り出す戦術は本能的なものだ。……今まで彼が遭遇してきた死地が、それを潜り抜けてきたという経験と自信が、アグニの戦闘本能に様々な引出しを持たせるに至っている。
それはアネットに間違いなく欠けているもので、持ちうる知識の全てを使っても追随できない部分だ。……アネットがその知識を手に入れるには、一体どれだけの困難を乗り越えればいいのだろうか。
今ここでアグニを正面から超えれば、アグニがくぐってきた死線をさらに超えた先にアネットはいるという事にならないだろうか。言い訳しようのない力比べで、アグニの経験を切り伏せられたなら――
「……ッ、らああああ‼」
「く……うっ⁉」
猛烈な速度で前進してきたアグニの姿を視界に捉えて、闘争心に引きずられかけたアネットの思考がとっさに引き戻される。振り抜かれた片手剣が慌てて後退したアネットの服を掠めて、わずかな裂け目が表面に生まれた。
そのシビアなタイミングに戦々恐々としながら、アネットはアグニの姿を見つめる。……あと一歩のところでアネットを仕留めそこなってもなお、アグニの表情には笑みが浮かんでいた。
その表情を見て、アネットは鋭く息を呑む。そしてそれと同時に気づく。……アネットが持つ本来の才覚と知識をもってしても、まだアグニの前では挑戦者でしかないのだと。勝利を目指すのであれば少しばかりの無茶をしなくてはいけない側に自分はいるのだと、そう直感した。
そして、今のアネットに勝利を目指す以外の選択肢はない。ここでアグニを超えられなければ、アネットがこの先につかめるかもしれないすべての可能性はあっけなく潰えてしまう。……騎士として死ぬことに後悔はないにしても、それらの可能性をすっぱり諦められるほど諦めがいい性格でもない。
やはり、なんだかんだと言いながらもアネットは勝ちたいのだ。最後まで勝ちを求めて、死ぬにしたって前のめりに倒れていきたい。……アネットの知る憧れの騎士は最期の一瞬までそうやって生き抜き、そして叙事詩となったのだから。
「……魔剣よ!」
決意を新たにしながら魔剣を握りこみ、アネットは風を体に纏わせる。魔術を使うことにリスクが伴う現状で、魔剣の持つ術式は唯一安心して繰り出せる魔術だ。その力があるからこそ、アネットは単純な打ち合い勝負から抜け出すことが出来る。
少し離れた位置に立つアグニ目がけ、アネットは剣を三度振るう。まるで舞い踊るかのようなその件筋に従って、身体に纏わせていた風が刃となってアグニを襲った。
「ちっ、面倒なことをしやがる……‼」
目を凝らさなければ見えないその刃に、アグニは少し遅れながらも盾を構えて対処する。どんな技術を使っているのか、どれだけ激しい攻撃を受けても盾が砕ける気配は見えなかった。
しかし、防御行動に入ることでアグニの踏み込みは一旦鈍る。それはアネットの策が格上であるアグニに通用したという一種の成功体験であり、それはアネットの中に深く浸透していった。
慎重策を唱えていた思考が、『仕掛けるなら今だ』という主張を始める。……冷えた思考で抑え込んで表に出てこないようにしてきた感情的な側面が、熱を帯びていく戦いの中でだんだんとその勢力を強め始めていた。
――勝ちたい、勝たなければならない。……この戦いが思いのぶつかり合いであるからこそ、負けるわけにはいかない。どれだけ冷静にあろうとしたって、この心の底にある闘争心を黙殺することなんてできるものか。……ここにたどり着くまでに、十年もかかってしまったのだから。
人生の半分以上の時間を経て、ようやくアネットは騎士に相応しい在り方を身に着けられたのだ。ようやく憧れを追うだけじゃなく、肩を並べるための道のりに足を踏み入れられたのだ。こんなに幸せな事、アネットの人生の中でそうあったものではない。
(……まだまだ、味わっていたいんですのよ)
まだ足りないと、アネットの本能が叫んでいる。「もっと騎士でいたい」と、十年間濃縮された欲望がアネットの身体を突き動かしている。……それはまるで、アグニの熱量が移ってしまったかのようにも思えるぐらいに強い衝動で。
冷えた思考は大事、確かに正論だ。……だが、正論だけでは成り立たないと切り捨てたのはどこの誰だ。アネットがあくまで挑戦者であるのならば、挑むプロセスをこそ楽しむものではないのか。勝利というのは、常に挑み続けた先にあるものだろう。
(……今仕掛けなければ、いつ仕掛けるんですの?)
飲まれていく。初めて命のやり取りの舞台に立っているという状況が、冷静さをだんだんと奪っていく。湧き上がる情熱が、勝機を冷静に見出そうとする理性を侵していく。戦場が持つ独特の熱が、アネットの身体を疼かせる。
――それは、この場に立っていたのがアネット・レーヴァテインだったからこそ起こったイレギュラーだった。リリスやツバキのように死を身近な隣人として過ごしてきた者にとって、戦場など何の感慨を与えるものでもない。……だが、アネットにとってここはある意味憧れの場だ。……騎士として敵の前に立ち、命を張って剣を振るうという初めての体験は、アネットを確実に昂ぶらせている。
結果として、アネットの足は前へと出た。防御姿勢を取ることで足を止めたアグニを切り伏せんと、わき目もふらずにすさまじい速度で迫っていく。……その剣戟は、今日アネットが振るったどの一撃よりも鋭く、そして凶暴だった。
「は……ああああッ‼」
「くっ……はは、いいねえ、戦いってのはそうでなくちゃいけねえや‼」
理性ではなく本能で打ち込んできたアネットの一撃に、アグニは押し込まれながらも獰猛な笑顔を浮かべる。……本能のぶつかり合いを、アグニはこの上なく堪能しているように見えた。
「魔剣よ、わたくしに応えなさい‼」
一撃目を盾で受け止められながらも攻めの姿勢を失うことはなく、アネットは魔剣に命じてさらに暴風を巻き起こす。風によってさらに速度と威力を増した一撃が、続けざまにアグニの身体を大きく押し込んだ。
(……いける、押し切れる!)
盾を構える腕は大きく折れ曲がり、相当無茶な姿勢で受けているのが少し見ただけでも分かる。……その様子を見て、アネットの思考はすぐさまゴーサインを出した。
このままの流れで押し込む、切り伏せる。そして勝利するのだ。――初めて立ったこの舞台で、見習いじゃない騎士としての第一歩を――
「……ああ、やっぱり若いのはそうじゃなきゃいけねえよ。悟ったふりして澄ましてみても、お前たちの中には瑞々しい衝動がまだ残ってる」
――おっさんには、もう残りカスぐらいしかないぐらいのヤツがな。
今までの獰猛な口調から打って変わって、飄々としたアグニの声がやけに冷たくアネットの耳朶を打つ。……それと同時、アグニを押し切るはずの剣の勢いが完全に止まった。
直後、腹部から背中を突き抜けるような激しい熱が体中を駆け抜ける。……それは、足を撃たれた時なんかよりよほど苛烈で、すさまじいものだ。
それに伴うようにして、腹の底から何かが口に向かって逆流してくる。激しい修練の中で何度も味わってきた鉄の味が、今までのいつよりも濃く口の中に充満していた。
――何が、何が起こってる。アネットの剣は確かにアグニを押し込んでいたはずで、次の一撃で完全に盾の構えを崩せていたはずで。……それなのに今、剣はぴったりと止まっている。
「あ……が、ふ」
「大人になるとな、感情を隠すのも装うのもうまくなっちまうんだ。……悪いな、嘘つきな大人でよ」
状況を呑み込み切れずただ口を開閉させるアネットに視線を向け、アグニはとても悲しそうにそう言ってのける。……盾を構えるのと逆の手に握られた剣が、アネットの腹を深々と貫いていた。
次回、アネット視点が一区切りになります! 果たして二人の戦いはどのような結末を迎えるのか、そしてマルクたちの物語とどうつながるのか、ぜひご期待いただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




