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第三百話『正論に背を向けて』

 まずは重たい衝撃が来て、その直後に焼けた鉄を押し付けられたかのような熱が来る。……それが明確な痛みとしてバルエリスの感覚を焼き尽くしたのは、その直後の事だった。


「が、あああああッ……‼」


 歯を食いしばってその痛みを癒そうとしても、今までに味わったことのない痛みに対して身体は強烈な苦痛を示している。必死に踏ん張っていた足からは力が抜けて、倒れ込まないように支えるのがせいぜいだった。


「悪いな、これが俺の戦い方だ。……卑怯だなんてなじられても、俺は何も言い返せねえよ」


 その姿を見つめながら、アグニは手の中で魔道具を二回転させる。その操作を通じて銃になっていた魔道具は再び剣へと変形し、体制の崩れたバルエリスへと狙いを定めた。……こ子までに一秒も費やしていない、実に鮮やかな動きだ。


(……何度、その動きを繰り返してきたのでしょう)


 痛みに焼かれる頭の中で、バルエリスはぼんやりとそんなことを考える。アグニは今までにどれだけの死地を潜り抜けて、何度殺し合いを勝ち抜いてきたのだろうと。……いくつ殺し合いを超えれば、その動きは身についてくれるのだろうと。


 それを今考えることに特段意味はない。ないが、しかし一度始まった考えを止めることもできない。……端的に言えば、今のアグニの動きにバルエリスは感服していたのだ。


 一切の無駄がなく、ただ敵を退けるためだけに洗練された無駄のない動き。騎士剣術とは全くルーツを異にする能動的なスタイルは、バルエリスからしたら異次元のものだった。……だからと言って、彼の剣術が育まれた環境や生涯までもを称賛してやるつもりはさらさらないが。


 しかし殺意と敬意が同時に成立するように、敵意と賞賛も同じタイミングで成り立ちうるものだ。……少なくとも、もはや芸術と呼べるほどに磨き抜かれたその戦い方には拍手を贈るのが相応の礼儀だろう。


 だが、生憎拍手をするための手は剣で埋まってしまっている。……バルエリスにとって命よりも大事な理想を貫き通すためにも、拍手をするために剣を手放すことは絶対にできなかった。


(まだ目は細かな動きを追える。……痛みも、少しはマシになってきてはいる)


 アグニの一挙手一投足に視線をやりながら、バルエリスはまだ戦えるだけの機能が死んでいないことを確信する。足を撃たれたのはとてつもない痛手だが、まだ戦いは終わってない。……まだ、バルエリスの眼は勝機を見失ったわけではない。


 言葉もなくゆらりとアグニのシルエットがブレて、傷を負ったバルエリスに対しての追撃が正面から飛んでくる。四度目ともなれば少しは慣れてくるころだが、それでもその動きを追いきるのは至難の業だ。未だに少し、反応が遅れる。


「はっ、まだまだ動けるか。……本当に、我慢強い嬢ちゃんだ!」


 だがしかし、それでもなお反撃の構えを作って見せるバルエリスにアグニはさらなる称賛を一つ。……直後、両者の剣が派手な音を立ててぶつかり合った。


「ぐ、ううううッ……‼」


 不完全な受けを咎めるかのような衝撃が腕を通して全身に走り、バルエリスの表情が大きく歪む。アグニの剣を受け止め続けていることの代償もまた、着実にバルエリスの体にダメージを蓄積させていた。


 痛いと言ってもそれは型に嵌めたように同じものではなくて、複数の痛みがそれぞれの個性を爆発させながらバルエリスの体の中を駆けまわっている。歯を食いしばって全身をこわばらせていなければ、さらなる絶叫が口からこぼれてしまいそうだった。


 この状況を打開する手を考えなければいけないのに、体中を蝕む痛みが思考の流れにノイズをかける。このまま拮抗しているだけでは状況は打開できないのに。何かバルエリスから動かなければ、この苦境を乗り越えることはできないのに――


――もういい、力を抜け。……そうすれば、少なくともこれ以上の苦痛に苛まれる必要はなくなる。


(……なん、ですの?)


 焦燥に駆られながら必死に剣を握り締めていたその最中、突如としてそんな言葉が脳内に響く。住んでのところで拮抗が続いていた中において、それは明らかに目立つ変化だった。


 ああ、確かに正論だ。体中どこを探しても辛くない部分がないし、衝撃を加えられたことで少し収まり始めてきたはずの足の傷がまた燃えるように痛んでいる。いっそ痛みのショックで気を失うことが出来れば楽になれるのになんて、そんな弱音も顔を覗かせていた。


 ……この弱音は、一体誰のものなのだろう。自分の物のような気がするし、だけどそうでないような気もするし。想像の中の産物でしかないのに、やけにそれは身近に感じられた。


 その声は、どこまで行ってもバルエリスの身のことを案じている。これ以上傷つく必要もないのだと、お前はよく頑張ったと、そうしきりに声をかけてくれる。……それはきっと嫌味でも何でもなく、バルエリスを想ったが故に出るものなのだろう。


 だから、それをバルエリスは感謝とともに受け取るべきなのだろう。自分の身を案じてくれている存在に辛く当たるなど、人としての道義にもとる行為だ。……そんなこと、騎士を目指す身として受け入れられない――


「……何度も何度も、うるさいんですのよ‼」


――今もっとも言われたくない言葉を、この声が繰り返してさえいなければ。


『諦めろ』と、脳内に響く声は何度も何度も繰り返してくる。届かないから、力が足りないから。……これ以上やっても勝ち目なんかなくて、ただ苦しむことになるだけだから。だからもう足を止めてしまえと、バルエリスに寄り添う声はまるで世の真理を解くかのように優しく助言を送ってくる。


「まったく、ふざけるんじゃありませんわ」


 ああ、確かに言っていることは正しい。これ以上やっても死しか待ち受けていないなら、さらなる苦しみを享受しようとするバルエリスの行動は理解しがたいものだ。傍目から見れば止めたくなるのも分かるし、色々と口出ししたくなる気持ちも咎められるべきものではない。


 だが、死ぬか生きるかなんて今のバルエリスにとってはどうでもいい話だ。今できることは『目指した騎士としての在り方を貫くこと』、ただそれだけ。それをやりきった先でバルエリスがどうなっているかなんて、今は考える余裕もない。


 痛みによって散らばっていた思考が、ふつふつと湧いてきた理解のない言葉に対する怒りと不快感によって再び焦点を取り戻し始める。バルエリスが今抗っているのは強大な死の気配ではなく、自分の決断によって長年抱えてきた理想を殺してしまうという可能性だ。……それすらも理解できていないような声に、分かったような助言をされてたまるか――


「……理想を捨てて楽に終わるわたくしなんて、わたくしじゃありませんわッ‼」


――怒りに任せて咆哮したその瞬間、体の中にあった何かがぶつりと切れるような気配をバルエリスは明確に感じ取る。今の状況を考えると明らかに不吉なサインだが、不思議と嫌な感覚はしなかった。


 それを示すかのように、今までずっと押し込まれていただけの剣が僅かながらアグニの方へと押し返される。その変化を感じ取るや否や、アグニの眼がかっと見開かれた。


「おいおいマジかよ、手加減なんてしてねえぞ……‼」


 ゆっくりと、しかし反撃に転じ始めている剣に、アグニはひきつった笑みを浮かべる。……だがしかし、その変化がアグニの恐れていた展開を生み出すことはなかった。


「……あ、れ?」


 突如バルエリスの足元から力が抜け、訳の分からないままに視界がずれていく。……押し返し始めていたはずの剣が、なぜだか頭上に見えていた。


 それを押し返さなければいけないはずなのに、上手く上半身に力が伝わっていかない。その感覚に恐る恐る視線を下にやってみれば、自分の膝が床にできた血の池に力なく浸っているのが見えた。


――つまるところ、体力の限界だ。もともと体中ダメージだらけだったところを強引に保っていたのが、あの瞬間にとうとうはちきれた。太ももを撃ち抜かれたことによって血は止まることなくだらだらと流れ続けているし、当然と言えば当然の帰結とも言える。……むしろ今までアグニと拮抗できたこと自体、バルエリスの凄まじい精神力の賜物でしかないのだから。


「……はは、なるほどな。しぶとく揺らめくろうそくの火は、消える間際に最も強く輝くってことか」


 バルエリスが目の当たりにした現実と同じ結論に至ったアグニが、拮抗していたはずの剣を軽々と振り抜く。全身の力を総動員してどうにか耐えていたものを上半身だけで耐えられるはずもなく、バルエリスは仰向けに倒される形になった。


 吹き抜けになっている城の天井が、今までで一番遠くにあるように見える。……手を伸ばしても、届く気は微塵もしなかった。


「……まあ、ここまでだな。できる限りさっさと終わらせるつもりだったが、思った以上に時間がかかっちまった」


 その分いいものが見られたからいいけどな――なんて言いながら、アグニは倒れ込むバルエリスに一歩一歩歩み寄る。……アグニの中では、もう戦いの大勢は決しているらしい。


 それは当然と言えば当然で、こんな身体の状態じゃ剣を振ることなんてできやしない。そんな状態でできる抵抗など、たとえできたところで決着を覆すことが出来ないのは目に見えていた。


(……だけど、だけど)


 そう分かっていながらも、バルエリスは必死に手の先を動かす。普段億劫だとも思わない動きを全霊で実行して、その手は魔剣の柄に触れた。


「……本当ならお前とまだまだ話したいことはあるんだが、俺たちにも俺たちの事情ってものがあるんでな。悪いな――とは、こればっかりは言ってやんねえけどよ」


 そのことに気づかず――あるいは気に掛けることもなく、アグニは剣を軽く振り上げる。……狙いすましたその刃がバルエリスの心臓に突き立てられるその直前、バルエリスは必死に息を吸い込んだ。


 息をするという当たり前の行為すら辛くて、それだけでもう諦めてしまいそうになる。だけど、だからと言って放り出すわけにはいかないのだ。……本当に、騎士として生きていきたいというのならば。


「……まけん、よ」


「…………あ?」


 かろうじて動く指先で魔剣の柄を握り締め、か細い声でバルエリスは愛剣に命じる。……まだ足掻こうとするその意志に応えて、吹き荒れた暴風が戦いの決着を少し先へと引き延ばした。

 覚悟を決めたバルエリスの足掻きはもう少し続きます! 少しずつ変化していく状況がどんな収束を迎えるのか、そして戦いの行方はいかに! ちりばめた伏線も回収していきますので、ぜひお楽しみにしていただければと思います!

――では、また次回お会いしましょう!

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