第二十九話『その情報は突然に』
「……はい、依頼完了を確認しました。こちらが天引き分の報酬になりますね」
「おう、ありがとな」
レインから差し出された麻袋を手に取り、軽く上下にゆすってみる。やはり六割の報酬減は痛いが、これだけの量があればまあ生活には困らないだろう。長いこと借りるのにちょうどいい宿も見つかったし、うまく行けば貯金するのだって夢ではないはずだ。
「……あれからしばらく経ちましたが、皆さんパーティとしての生活には慣れてきましたか?」
そんなことをぼんやり考えていると、レインが唐突にそんな質問を投げかけてくる。少し心配するような視線が、俺たち三人に向けられていた。
「まあ、それなりにはな。六割天引きされてもくいっぱぐれることもないし、仕事に苦労するなんてこともねえ。結構頑張ってクエストを受けてるにしては周りの奴らからの評価は上がってねえし、腫れ物扱いも変わってないのが少し残念なところだけどさ」
「あの啖呵だけじゃ足りないってわけね。やっぱり怖いものは怖い、ってことなのかしら」
「まあ、一度刻み込まれた考え方は簡単に変わるものでもないしねえ。ボクたちがクエストに出向いている間に、あっちもあっちで妨害工作でもしてるんじゃないかな?」
レインの質問に肩を竦める俺に、リリスとツバキも続いて頷く。俺たちがパーティとして本格的に始動してから二週間ほどが経った今でも、俺たちを取り巻く環境はあまり変わり映えしないものだった。
意図的にずらされているのか、あれからクラウスはおろか他の『双頭の獅子』メンバーの姿も俺たちは目にすることができていない。やたらと絡まれたらそれはそれで面倒だから別にいいのだが、あっちの動きが分からないのも不気味ではあるんだよな……。一度派手にかましたとはいえ、それだけで『あの』クラウスが引き下がってくれるとも思えないし。
考えるだけで不気味なクラウスの動向に俺がため息を吐くと、レインはきょろきょろとあたりを見回してからこちらに身を乗り出すような姿勢を取る。それが内緒話のサインなのだと察して、俺たちもカウンターに身を張り付けるくらいに距離を縮めた。
「クラウスさんは今でもギルドにいらっしゃってはいるので、意図的に避けられていると考えた方が自然でしょうね。少なくとも私の眼がある場所では変わった動きはしていないように思えますが」
「……それ、冒険者の情報漏洩になったりしないか?」
「大丈夫です、これくらいただの世間話ですよ」
俺の質問に、姿勢を戻したレインはあっけらかんとした表情で笑って見せる。どう見てもそれを踏み越えたただならぬ雰囲気の話ではあったが、レインがそう断言するのならばそれは覆しようのない事実だった。ただでさえ味方が少ない今、その心遣いはとてもありがたいことだ。
「あの一件で心が折れてくれるならそれが一番だけど、案の定逆ギレか……。分かってたことだけど、敵に回すととことんめんどくせえメンタリティだな」
「味方にしたってめんどくさい事に変わりはないわよ。潰し甲斐があるって意味では、少しぐらい反発してくれる方がありがたいって話はあるかもしれないけれど」
俺の感想に、リリスはため息をつきながら訂正を入れる。その首元で、赤のチョーカーに着いたチャームが軽く音を立てて揺れた。
「ま、あの手の人間は反省ってものをしようとしないからね。否定してくる人間が居たらそいつらの口を塞ぐのが彼らなりの解決方法だ。ボクたち相手にもそれができると思ってるあたり、もう一回ぐらいは痛い目を見せてやらないといけないんだろうけど」
「ええ、その意気ですよ。……多分、あの人たちも準備をしていると思いますから」
「準備……俺たちを潰すための、か?」
少しだけ含みを持たせたレインの言い方が、俺の耳にひっかかる。普段は歯切れがいいその口調が淀んだことで、準備という言葉はことさらに印象深くなっていた。
「曲がりなりにも王都最強を名乗る以上、作戦を立てられるだけの知恵があるのは厄介なんだよね……。真正面から力比べをすればボクとリリスが負けることはないから、ボクたちとしてはそういう戦場に持ち込みたいんだけど」
「大丈夫よ、正面からの戦闘じゃなくたって私たちは十分強いもの。持久戦だけに持ち込まれたら苦しかったけど、マルクがいる今ならそれも問題はないでしょう?」
「おう、ケアは任せとけ。仮にクラウスがここの冒険者全部を俺たちに差し向けるんだとしても、お前たちを息切れはさせねえよ」
単純な事実として、魔術神経と集中力さえ保てればここにいる全ての冒険者を敵に回してもリリスたちは負けないだろうしな。二人の実力と安定感に全幅の信頼を置くためには、二週間どころか三日あれば十分すぎた。
「ええ、その気概に関しては素晴らしいものですが……。クラウスさんたちが準備しているのは、おそらく別の事かと思います。ギルドにいるほかの冒険者とも接触していない様子でしたし、恐れているような事態にはならないかと」
そんな架空の戦闘を思って戦意をたぎらせる俺たちを、レインは苦笑しながら見つめている。立場上は俺たちに肩入れしてくれているレインだが、そういうところの冷静さは流石と言ったところだった。
「そうか、それならよかった。……少しばかり、検証してみたかった気もするけどね」
「なんで少し残念そうにしてるんですか……?」
拍子抜けしたと言わんばかりに付け加えるツバキに、レインは小さくため息を吐く。同じ目的をもって進むパーティの一員として、二人もクラウスに対してはこの二週間で相当好戦的に変化していた。
「正面切って白黒つけに来る方が格付けとしては手っ取り早いしね。傲慢なくせして慎重なあっちのリーダーが負け戦に首を突っ込んでくるとは思えないのが問題だけど」
「ま、それができるからこそアイツはずっとトップなんだからな。自分の力に絶対的な自信はあるけど、それはそれとして不穏分子は絶対に見逃さねえ。的確に潰せるタイミングまで待って、相手が一番やられたくないことをやってくる」
クラウスがそんな奴だと思っていたのもあって、早めの仕掛けには少しばかり警戒していたんだけどな。俺たちにあれ以降絡んでこないことを思うと、直接勝負をリスクだと感じるぐらいにはリリスとツバキは高く評価されているらしい。
「ボク達への襲撃を企てていないんだとしたら、彼等はいったい何を計画しているんだろうね。それがよからぬことなら、横入りして潰してやるのもやぶさかではないけど――」
「いえいえ、そんな物騒な事ではないと思います。ただ、あなたたちにその情報を伝えていいものかという問題が私の中で渦巻いていまして」
どこまでも実力行使に出ようとするツバキをなだめながら、レインは自らの迷いを口にする。レインが俺たちへの情報提供を迷うということは、おそらく冒険者ギルドの責任にも関わる事なのだろう。
無理にまで聞きだしたいとは思わないが、クラウスに何かよくわからないことを企てられているのもそれはそれで気味が悪い。レインを説得できるならそれに越したことはないが、それもまたそれで難しいような気も――
「――ねえ、さっきから何をそんなに迷ってるの?」
どうしたものかと俺が考えを巡らせている内に、リリスが直球な質問を投げ込んでくる。結局のところそれしかやりようがないのも事実だが、その思い切りの良さは流石リリスといったところだ。
「……その情報は、ある程度の実績があるパーティに伝えよと言われているものでして。冒険者にもある程度の序列があるの、マルクさんならご存じでしょう?」
「ああ、明文化はされてないけど――ってやつか。どうせならわかりやすくすればいいのにって、内心ずっとめんどくさく思ってたもんだよ」
「それはいろんな事情があるので難しいのですが……。今回の情報は、その一定の序列以上の方に伝えるべきものでして。今あなたたちにその情報をお教えして何らかの危険に巻き込まれた場合、責任を取らなければいけないのはギルドの方なんですよ」
神妙な顔をして、レインは俺たちにそう告げる。いくら実力があっても、序列という点では俺たちはただの駆け出しパーティに過ぎない。……それだけは、変わりようのない事実だった。
「……だけど、君はボクたちの力量を見ているはずだ。それでもボクたちが危険に巻き込まれると思うのかい?」
「そうは、思いませんが……。何らかの被害を被った場合に私たちに付きまとう責任も、私は考えないといけない立場でして。ギルド職員という裏方の仕事であっても、長年勤めていれば背負うものはだんだんと増えていってしまうものなんですよ」
「身の丈に合わないクエストを受けようとする冒険者を止めるのもまたギルドの仕事、だもんな。その大切さは身に沁みてるよ」
ちょうどあの時、一人でクエストを受けに来た俺をレインがたしなめたように。その仕組み自体は、ギルドが信頼されるためになくてはならないものだろう。
「ええ、ご理解いただいて助かります。それでも情報が欲しいというなら、私人としてのレイン・ミュールにお伺いしていただければと。その場合起きてしまった事態へのフォローはできませんし、あなたたちの存在は見てみぬふりをしますが」
「……つまり、もしもの時の命綱は付けてくれないってことだね。もとから命綱も後ろ盾もない生活をしてた身だし、それに関して文句も不満もボクはないかな」
レインが示した抜け穴じみた手段に、ツバキは肯定の意を示す。本来ならあまり褒められた方法じゃないが、俺としてもその手段に頼りたいというのが本音だった。
「クラウス達が切り抜けられる状況すら切り抜けられないんじゃ、どうせクラウスを超えるなんて無理な話だしな。……リリスも、良いか?」
「断るわけないでしょう。大切そうな情報の存在だけちらつかせてお終いなんて、意地が悪いにもほどがあるもの」
リリスの同意をもって、俺たちの意向は一致する。それを目の当たりにしたレインは、諦めたようにため息をついた。
「……そこまで言うなら、仕方がありません。今一瞬だけ、私はただのレイン・ミュールになりましょう」
そう言って、レインはカウンターの隅に摘まれた書類に手を伸ばす。それをこちら側に引き寄せて、俺たちに見えるような形で差し出すと――
「……明日から、『ダンジョン開き』が始まるんですよ。それもこの近郊では最大級クラスのダンジョンで、ね」
――そう告げたのが、俺たちにとって二度目の波乱の幕開けだった。
ということで、第二章開幕です! レインからもたらされた情報がいったい何をもたらすのか、楽しみにしていただければ嬉しく思います!
――では、また次回お会いしましょう!




