第二十八話『正しさを信じて』
「……それで、これからどうするの?」
「どうするもこうするも、次の作戦を考えるんだよ。一日でも早く、俺たちはアイツらを越えなくちゃならねえ」
ギルドを出るなりリリスが投げかけて来た問いに、俺はそう即答する。右手に握られた報酬入りの麻袋は、六割天引きされてもなおしっかりとした重みを主張していた。
「これだけあれば、昨日泊った宿に暫く連泊できるだろうからな。あそこを仮拠点にしながら、いずれは俺たちの家が買えるところまで稼げれば上出来だろ」
「まあ、当面の目標はそれになりそうだね。誰の目から見ても分かりやすい成果だし、ボクたちの生活の質も向上するとなっちゃあ妥協するわけにもいかないけど」
俺の方針にツバキも軽く頷き、軽い足取りで俺の一歩前に出る。俺の方を振り返ったツバキの表情は、今までにないくらい楽しそうなものだった。
「……随分ご機嫌だな、ツバキ?」
「そりゃそうだよ、こっからが本当の始まりなんだから。誰もがその実力を疑わないトップクラスのパーティを、突然現れた新星がその玉座から叩き落とす――これほどまでに心躍ることがあるかい?」
「同感ね。あのクラウスとかいう冒険者、最初から最後まで気に入らなかったもの。あれを成敗して皆から褒め称えてもらえるってなれば、私たちとしても躊躇する理由がないわ」
「それでギルドを出るなりあんなことを聞いてきたわけか……。やる気があるのは嬉しいことだし、それぐらいの気持ちで行かなきゃ一ギルドを叩き落とすなんて難しいんだろうけどな」
クラウスという人物を直接知ったのもあり、リリスは前よりも気合が入っているようだ。魔術を使う事への遠慮もなくなっているみたいだし、次はもっと熾烈な戦いになるだろうな。……まあ、それもクラウスがリリスの本気についてこられるならの話だが。
それにしても、早いうちにクラウスと再会できたのはかなりラッキーなことだ。クラウスに同情の余地はなく、アイツの性根はよっぽどのことがない限り変わらない。それが変わらない限り、彼率いる『双頭の獅子』がこの王都でトップに立ち続ける現実も変わらないだろう。『時間が解決してくれる』なんて生温い期待は、クラウスに向けるべきものでは絶対にない。
だからこそ、俺たちは一日でも早く『よっぽどのこと』を起こせるようにならなくてはならないのだ。誰も予想できない成果を持ち帰れるような、そんな強い集団に。
「アイツをあのままのさばらせてもいい事はねぇしな。早いとこ引き摺り下ろして、今のおかしな力関係を変えないと」
「その通りだね。うちの商会が十年生き残ってたのもあり得ないことだけど、彼もかなりの時間この街のトップなんだろう? その話を聞くと、業界の自浄作用なんてものはまやかしなんじゃないかと思えてしまうよ」
「その用語の意味を正しく理解している業界なんてありはしないわよ。……認めたくない話だけど、暴力ってのはその単純さ以上に強い縛りを作れるし」
呆れたようなツバキの物言いに、リリスが皮肉を付け加えるような形で肯定する。商人の護衛として色々な場所を巡って来た経験からなのか、力を持つ人間への二人の評価はかなり冷たいものであることが多かった。
「……だけど、今日でその絶対はなくなった。ここから俺たちに続いてくれるような勢力が現れてくれればいいんだけど、その期待を不特定多数に求めるのも酷な話か」
「ええ、しばらくは出てこないでしょうね。強い存在に従うことに慣れてしまった人間はそこから抜け出すのに時間がかかるっていうし」
「……それは、確かにそうだな」
どこか投げやりにも聞こえるリリスの言葉を聞いて思い出すのは、リリスと出会ったあの奴隷市場での光景だ。あそこにいるほとんどの人が、奴隷としてより良い商品になることを受け入れていた。……あの光景は、忘れたくてもしばらく忘れられないだろう。
そんな状況を引き起こしていたあの商人にも、いずれやり返してやらないといけないしな。大損させられた上に泣き寝入り、なんてお利口さんなことは決してしてやるものか。
「誰に対しても負けっぱなしじゃいられねぇ。……作った借りは、全部倍にして返してやる」
拳を強く握りしめてそう決意する俺を、ツバキは一歩前から見つめている。その口元には楽しそうな笑みが浮かんでいたが、俺を見つめる瞳にはそれ以外の感情が浮かんでいるような気がした。
「……ツバキ、どうかしたか?」
「……いいや、何でも。ただ、ボクたちはそこそこの数の人をを敵に回すことになるんだろうなあ、って思ってさ」
「そうね、もしかしたら護衛時代よりも多くの人間を敵に回すことになるかも。それは確かに覚悟しておかなくちゃいけないことかもしれないわ」
かなりぼんやりとした展望だったが、リリスも神妙な表情を浮かべてそれに同調する。今ひとつ話が掴めない俺が首を傾げると、ツバキはゆっくりとした口調で続けた。
「……ボクたちがこれから活動していけば、この街の勢力図は嫌でも変わっていく。目の前の理不尽に対して頭を低くしてやり過ごすことを選ぶような人たちからしたら、それは余計なことでしかないんだよ。その変わってしまった環境で、今までと同じやり過ごし方が使えるかなんてわからないんだから」
何かを思い出すかのように目を瞑り、やけに感慨深げな声でツバキはしみじみと呟く。過去にそういう経験をしたことがあるんじゃないかなんて推測が、それを聞いた俺の中でふと浮かび上がった。
そのルーツがどこにあるかは、二人と出会って一日しか経っていない俺には分からない。仮に答えがあるんだとしても、それを今聞くのは野暮ってものだろう。それよりも今はその話をここで持ち出してきた意図を汲むことが最優先だ。
「確かに、そういう奴らもいるかもしれねえ。……だからと言って、俺たちが歩みを止める理由にはこれっぽっちもならないけどさ」
空いた方の手の親指と人差し指をぴったりくっつけて、俺はツバキと視線を合わせる。その仕草が気に入ったのか、俺をまねるようにしてツバキは続けた。
「そう、その通りだ。ボクたちがやることは誰かにとっては余計なことで、誰かからしたら恨まれても仕方がないようなこと。大事なのは、それをちゃんと理解しておくことさ」
「私たちにとっては正しい事をしたつもりでも、それで誰もが救われるわけじゃない。商売の世界では雨が降るよりもよくある事ね」
ツバキに追随して、リリスはどこか冷めたような口調でそうこぼす。諦めているというよりは割り切っているという方が近いようなその態度は、俺の背筋に微かな冷たさをもたらした。
リリスは確かに冷たいところもあるが、それで誤魔化しきれないぐらいの優しさも確かに持っているエルフだ。それを知っているからこそ、俺にはその考えがとても生まれつき備えていたものだとは思えない。きっと何度も傷つく様な事態に遭遇して、リリスは今の考え方に至っているのだろう。それが良いことなのか悪いことなのか、俺には断言できそうにもなかった。
「余計なお世話だったらごめんね。冒険者の世界ってのは、基本的に誰かを傷つけて利益を得るものじゃない。だからこそ予想外のところからくる反発に君は打たれ弱いんじゃないかなんて、そう思っちゃってさ。……君はきっと、不特定多数の誰かに期待することをやめてない人だと思うから」
「なるほどな……。ツバキの言う通り、そういうところはあるのかもしれねえや」
考えてみれば、商人に比べて冒険者というのは随分優しい環境にある。冒険者同士で傷つけあうことを無理強いされることはないし、いつだって向き合うのは魔物や地形といった自然たちだ。クラウスは憎いにしても、それは人間性の話で冒険者のシステムとはほとんど関係がない。冒険者として仕事を全うするとき、不特定多数の誰かを意識することはほとんどないと言って良かった。
だが、商売の世界は違う。どこまでも人対人で、言葉を交わし、策略を張り巡らせる。命の危険はないにしても、よりえげつなさが必要になる世界なのは間違いないだろう。言ってしまえば、育ってきた畑が違うのだ。
「不特定多数に期待するからこそ、君はそういう人たちにも優しい。それを間違っているとかやめろとかそういう風には決して言えないけれど、その優しさが望んだ反応をもたらさないこともあるってことだけはちゃんと覚悟を決めておいてね」
「優しすぎるというのは商売の世界では悪徳になりうるのよ。一人の善意がこの世界にいる全ての人間の心に染み入るなんてことがあるなら、世界はとっくに一つの国になってる。……貴方の掲げる正義が心無い誰かに否定されたって、それは傷つくべきことでも何でもないわ」
そんな俺の認識を後押しするかのように、ツバキたちはさらに言葉を重ねる。それが俺を案じるからこそのものだというのは、わざわざ二人に聞かなくても明らかだった。それが分かっているから、俺は意識的に大きな笑顔を作って――
「――大丈夫だよ。俺たちが今からやることが全部正しいだなんて、最初から思っちゃいねえから」
できる限り二人の不安を取り払えるように、堂々と宣言した。
「先陣切って悪いことしようってわけじゃないぜ? だけど、『双頭の獅子』を超えるまでの道筋全部が清廉潔白なものじゃなきゃいけないって道理もねえ。そもそも、俺は俺と深く関わってくれる奴らだけが幸せになってくれれば満足だしな」
俺たちの行動に感化されてついてきてくれる人たちには誠意をもって接したいが、そうでない傍観者にまで優しくする必要はないだろうしな。……俺たちは、正義の味方ってわけじゃない。
「そもそも、仲間を集めるのに奴隷市を使った時点で清廉潔白とは程遠いしな。その結果が期待以上になってくれたとはいえ、そこを使ったって事実が消えるわけでもねえよ」
「……ふふっ。確かに、それはそうだったわね」
「そういえばその事実は失念してたな……。ボク達、もしかして結成時点からグレーな存在だったのかい?」
「そういうことだ。スタート地点から微妙な立ち位置にいるなら、今更体裁なんて気にする必要もないだろ?」
周囲の奴らが今日みたいに遠巻きに噂するだけの傍観者で居続けることを選ぶなら、俺たちはその姿をこそ傍観しよう。必要以上にアイツらの評判に流されてやる必要もない。
俺の笑顔を前にして、二人もつられたかのような笑みをこぼす。俺がここまで堂々としていられるのは、他でもないこいつらのおかげだった。
「……ありがとうな。お前たちが隣にいてくれるから、俺は自分の中の正しさを信じられるよ」
二人にしか聞こえないくらいの声量で、俺はしみじみと呟く。二人が居なかったら、俺の中の正しさはただただ口だけのものになってしまいかねないからな。無力な俺の正しさを肯定したうえで一緒にいてくれるリリスとツバキがいるからこそ、俺も自分を疑わずにいられるんだ。
クラウスとあれだけ堂々とやりあえたのも、後ろに二人がいてくれるという信頼があったからだしな。力強く背中を押してくれる人の存在があれほどまでに力を与えてくれるだなんて、あくまでビジネスライクな繋がりしかなかった『双頭の獅子』では知りようもなかったことだ。
「リーダーにそう言ってもらえて光栄だよ。リリスもそう思わないかい?」
「ええ、そうね。リーダーの支えになれてるってのは嬉しい事だし」
そんな俺の礼に応えるかのようにツバキは小さく頭を下げ、リリスは満足げに鼻を鳴らす。俺の仲間たちが平常運転でいてくれることが、今の俺には何よりありがたい事だった。
「ところでマルク。今聞いた話によると私たちは貴方にとても貢献しているみたいだし、一つくらいは礼を要求してもいいと思うのだけど、どう思う?」
「そりゃまたいきなりな提言だな。まあ、俺にできるお礼なら一つと言わずいくらでもしたいところであるけどさ」
しんみりとした空気を破るかのようにずいっと身を寄せて来たリリスの問いかけに、俺は思わずのけぞりながらそう答える。どうやらほしかった答えは得られたのか、リリスは不敵な表情を浮かべると――
「それじゃあ、他の礼はおいおい頂くとして――リーダーに一つお願いしたいことがあるんだけど、構わないわよね?」
「……ああ、とりあえず聞くだけ聞かせてくれ」
と言っても、リリスの中ではもう決定事項になっていそうだが。軽く息をついてから俺がそう答えると、リリスの瞳がキラキラと輝いた。
「ありがとう、そう言ってくれると信じてたわ。リーダーからの言質もとったことだし、遠慮なく要求させてもらうとしましょうか」
そこで軽く息をつき、リリスは俺の眼をしっかりと見やる。綺麗な青い瞳が、俺の姿を映し出していた。
軽い気持ちで受けたはいいが、どんな要求をしてくるかに関しては全く予想がつかない。できるだけ早く叶えてやれそうな物だったら良いのだが――
「……アクセサリー」
「……え?」
唐突に飛んできた単語に、俺は思わず目を丸くする。そんな俺に大きな頷きを返すと、リリスは一歩こちらに歩み寄って続けた。
「あの首輪の代わりのアクセサリー、買ってくれるって話だったでしょ? ちょうど報酬もたっぷりもらえたし、ちょうどいい機会じゃない。拠点に戻るのもいいけど、先にそっちを見繕って欲しいわ」
「……確かに、これくらいあればアクセサリーに回す資金はありそうだな……。ツバキ、お前は大丈夫か?」
「うん、特に異論はないよ。ボクたちの絆の証を作るみたいでなんだかロマンチックだし」
クスリと笑みを浮かべて、ツバキは期待するような視線をこちらに向けてくる。二人の意見が一致しているなら、俺としてもその提案を拒否する理由はなかった。
「……分かった。しばらく歩くとアクセサリーの店が並んでる場所があるはずだから、そこで見繕うことにするよ」
「ええ、そこはマルクのセンスに任せるわ。あの黒い首輪よりもおしゃれなやつ、期待してるわよ?」
「……まぁ、程々の期待で頼む」
ギルドから西の方向を指さしながら歩き始める俺の後ろを、二人は軽い足取りで付いてくる。アクセサリーのセンスには自信がないが、ちゃんと心を込めて選ばないとな。
――そんなことを考えながら、俺たちは王都をすたすたと歩いていく。ちょうど昨日一人でとぼとぼと歩いた道のりを、今度は三人で軽やかに。新たな仲間たちと行くその道のりはやけに明るく、そして色彩豊かに思えた。
駆け抜けました、第一章これにて決着です! イメージ的にはライトノベルの一巻が終わったって感じですね、なので当然これからも連載は続いていきます。ここから本格的に三人が王都最強を目指して駆け上がっていくことになりますので、次回からの新展開、第二章もぜひお楽しみにしていただければ幸いです! もし気に入って頂けましたらブックマークや高評価、いいねとうぜひよろしくお願いいたします!
――では、また次回お会いしましょう!




