第二百七十三話『明日への気概を抱えて』
「ふう、どこに行っても貴族たちの陰湿さは変わりませんわね。どれだけ適当にあしらってもついてくるとか、ある種の才能を感じますわ」
宿までの道のりをのろのろと歩きながら、バルエリスはいかにもうんざりとした様子で今日一日を総括する。結局準備が終わるまで何人かの貴族に引っ付かれっぱなしだったし、その愚痴はさもありなんといった感じだった。
それもこれもレミーアとの接触を防ぐための者なんだろうが、それをしたところで妨害してる奴らの好感度が上がるわけじゃないのがこれまた意味不明なんだよな……。レミーアの力を借りたいと思うのならば自分の行動の積み重ねで信頼を稼いでいくしかないというのが俺の考えだが、貴族たちの見ている世界には別の手段が映っているのかもしれない。
「そんな中でも相手を逆なでするようなこともなかったんだ、役目としては十分すぎるよ。ああいう輩が大手を振ってボクたちの中に紛れ込まれると、やるべきこともやりにくくなっちゃうからさ」
疲れた表情を浮かべるバルエリスに、スーツの襟ボタンを外したツバキが称賛を贈る。おそらくツバキも相当疲れてはいるのだろうが、それを凌駕するぐらいの満足感が全身から漂っていた。
アグニが送り込んでいたのはどうやら紫髪の男一人だけだったようで、アイツが気絶した後は特に異変が起こることはなかった。影で包まれたこともあって男が倒れたことに気づく奴もいなかったし、懐にしまい込んでいた爆弾の数々もリリスとツバキによって全て破壊してある。事情を分かってくれている守衛さんに引き渡しておいたから、仮に勝機を保っていたんだとしても城に戻って細工を施すことは不可能だと言ってよかった。
ま、スパイを送り込むと言っても限界はあるもんな。俺たちですら反則スレスレのラインを通ってようやく四人で潜り込むことができたっていうのに、あっちはその気配すらなく自然に溶け込んでるんだから恐ろしいことこの上ない。
事が起こる数か月前から貴族の家に従者として潜り込んでいたのか、それとも元から仕えていた従者を殺し、変装か何かでその役割に成り代わったのか。……どちらにせよ、生半可な組織ができることじゃないことだけは間違いなさそうだった。
「ええ、バルエリスがいてくれたことは相当大きかったわ。一日目で従者たちの信頼は十分稼げてたから、今日の単独行動にあまり疑問を持つ人もいなかったしね」
ツバキの称賛に続き、リリスもバルエリスの功績をはっきりと明言する。実際に工作をしたのが俺たちでも、そこに至るまでの土台を作ってくれたのがバルエリスであるという事だけは忘れてはいけない共通認識だった。
「というか、バルエリスの信頼がなくちゃ俺たちは従者として潜り込むことができなかったわけだからな。……もしそうなってたらと思うとゾッとするよ」
馬車で出会ったときは『ややこしいことになった』とか思っていたものだが、アレがなければ俺たちの現状は大きく変わっていただろう。アグニ達の手先に二日間城を自由に動かれたらどうなるか、その結末は火を見るより明らかだった。
バルエリスという公的な信頼のある存在が俺たちのバックについたことでその悲劇は回避され、どうにかアグニ達と正面から事を構えられる段階にまでありつけている。この依頼の報酬は相当高かったと記憶しているが、その半分ぐらいはバルエリスが持って行っても何も文句が出てこないぐらいだ。
「いえいえ、感謝をするべきはわたくしの方ですわ。皆様と出会わなければ、わたくしはここまで堂々とはしていられなかった。……覚悟と理想の大切さを、わたくしは皆様から学ぶことができたんですの」
それができなきゃ最初の古城探索の時に死んでいましたわ、とバルエリスは俺たちの称賛に対して頭を下げ返す。その素直な態度は、とてもあの貴族たちと同じような位置にいる人間だとは思えなかった。
比較的温厚に見えているレミーアだって、少しばかり上から見下ろすような印象を受ける瞬間はあったのだ。だが、バルエリスにはそれがずっとない。周りへ合わせるようにして少し強い言葉を使うことはあっても、その聞こえ方はほかの貴族たちとは全く違っていた。
そんなバルエリスだから貴族社会に対してうんざりしているというのもあるのかもしれないが、上流階級において特異なのはどちらかと言えばバルエリスの方だ。バルエリスが『上流階級らしくない』人間なのは、客観的に見た時に揺るがない事実と言えるだろう。
バルエリスのその在り方を支えているのが何かと聞かれたら、俺は『騎士としての理想』があると即座に答えるだろう。……理想を貫こうという思いは、決して昨日今日で生えてきたものじゃないのだ。
「……んなことねえよ、お前はずっと理想を持ってたし覚悟を決めてた。だからずっとお前は理想の姿にたどり着くために努力してきてたし、実際その成果は出てた。俺が教えたことがあるんだとしたら、命のやり取りが起こりうる場でもいつも通りを保つためのやり方ぐらいだな」
いくら気高い理想と覚悟があっても、命が危機にさらされればそれはにわかに揺らぎ始める。そこをどうにか持ち直すには、少しだけ考え方を切り替えてやる必要があるからな。言うなれば、覚悟のうまい使い方を一つ新しく教えてやったって感じになるだろうか。
「ここに来るまで努力してきたこととか考えてきたこととか、そういうのを一番知ってるのはお前自身だ。だから、もっとお前はお前自身の覚悟の決まりようを評価したっていいと思うぞ?」
「そうだね、ボクから見てもバルエリスの思い切りは凄いと思うよ。……冒険者の中にだって、命を捨ててもいいと思えるぐらいの理想と覚悟なんて持ってない人はたくさんいるんだからね」
それが悪いというわけでもないんだけどさ、とツバキは笑いながら補足する。ツバキの眼から見ても、バルエリスの在り方は一本芯が通ったものに映っているようだった。
ツバキの言う通り、冒険者にもさまざまな種類がいる。夢を追いかける者もいれば、生きていく中で冒険者が一番都合がよかったからって冒険者を生業にしてる奴もいる。……後者の理由で俺たちが冒険者をやっていたのだとしたら、俺たちがバルエリスと理解しあうことは中々難しかっただろう。
バルエリスの道の先には『理想の騎士』というゴールがあり、それを目指してまっすぐに歩き続けているのが今の状況だ。たとえ道が舗装されていなかろうとゴールが遠かろうと、それをものともせずに歩き続けられるバルエリスのことを誰が馬鹿にできるだろうか。
「……そう、なのでしょうか。わたくし一人の手で成し遂げたことが少なすぎて、まだ実感がわいてきませんわ」
そんな風に思っているから俺たちはバルエリスを信じると決めたのだが、バルエリス本人はその賞賛がどこかしっくり来ていないらしい。その感情を体現するように少し戸惑ったように首をかしげていると、リリスが少し呆れた様なため息を吐いた。
「……あのね、何も功績は一人で勝ち取ればいいってものじゃないのよ。あの城への潜入も古城での探索も、貴女が居なくちゃ拾えなかったことがたくさんあるわ」
まるで諭すような柔らかい口調で、リリスは少し前を歩くバルエリスにそう語りかける。それでもバルエリスはどこか納得いかないと言いたげに口をもごもごさせていたが、それを見たリリスはさらに畳みかけた。
「……まあ、それでも納得がいかないって言うんなら仕方ないわ。……明日全部を終わらせてから、改めてバルエリスに自己評価を聞くことにしましょう」
――やるべきことから解放された後でなら、少しは満足しながら評価してくれるかもしれないしね。
微笑を浮かべながらそう言って、リリスはその話題を打ち切ることを決める。突然の決定にバルエリスは一瞬目を丸くしていたが、すぐに表情を緩めた。
きっと、これはリリスなりの激励なのだろう。明日を乗り切ってアグニ達の計画をへし折ることができたら、その先にはまた違う景色が待っているだろうから、と。『そこまで私たちも一緒について行くから』――なんて、そんな意味もこもってるのかもしれない。
「うん、そうだね。全部の勝負は明日からだ、反省会はその後にすることにしよう」
「ああ、それがいいな。全員そろって、無事に明日の夜を迎えるとしようぜ?」
リリスの言い回しに乗っかるようにして、ツバキは軽快な口調でそう提案する。さらに便乗して俺が笑いながらバルエリスに声をかけると、バルエリスからは笑顔が返ってきた。戸惑いに対する答えはきっとまだ出ていないだろうが、きっとそれでいい。ああだこうだと迷ってしまうぐらいなら、割り切って今は考えないようにしておく方がよっぽどいいだろうからな。
「……それじゃあ、明日はたっぷりご飯を用意しておかなければいけませんわね。皆様と晴れやかな気持ちで食卓を囲めること、楽しみにしておきますわ!」
俺たちの提案に弾んだ声で応え、バルエリスは宿へと向かう足取りを早める。その背中から離れないようにして、俺たちもすたすたと軽い足取りでバルエリスを追いかけた。
前哨戦の勝利を手土産にして、俺たちは前向きな心持でパーティ当日へと向かっていく。アグニ達の狙いを全部粉砕して勝ちぬけてみせると、そう大声で意気込めるだけの気概を俺たちは抱えていた。
――パーティの舞台となる古城を巡ってどれだけ多くの人間の思惑が交錯していたのかなんて、今はまだ知る由もないままで。
明日の古城に集結していく数々の思惑、その全てをマルクが知ることになるのはまだ先の話になります。皆様の前にも表れていない思惑もまだ少し残っていますので、そちらも楽しみにしていただければ幸いです!
――では。また次回お会いしましょう!




