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第二百七十話『布石は豊富に、綿密に』

――チクリと肌を刺すような感覚が二回連続して、かすかにアグニは目を見開く。それはいつだか同朋と取り決めた、『行動開始』を示すサインだった。


「おーおー、やっと動き出せたか。銀髪の女のこともあっていろいろ面倒なのに、いい根性してやがる」


 椅子にだらりともたれかかったアグニは笑みを浮かべ、今頃仕掛けに奔走しているであろう部下のことを思う。我ながらかなり無茶なことを言ったとは思っているが、計画を完遂するための仕込みなどいくらあっても足りないぐらいなのだ。九十九の仕掛けがつぶれたとしても残りの一で勝ち筋をつかむ、それぐらいの気概がなければ理想に手を伸ばすなんてことができるはずもない。


「使えるものは何でも使う、踏み台にできるならそれが何でできてるかなんて気にしない。……たとえそれが誰かの死体だったとしても、俺はそれをためらわねえ」


 自分に交わした誓いを復唱して、アグニはふっと目を閉じる。正々堂々真っ向勝負なんて、才能と若さがある者だけができる無茶でしかない。……その器が自分にない事を、アグニはよく知っていた。


 自分が強いなんて一度も思ったことはない。ただ少しだけ悪運が強くて、ただ少しだけくぐってきた死線の量が多いだけ。アグニが戦いを有利に進められるのだとしたら、それは今までの経験が背中を押してくれているだけだ。


「……にしたって、寄る年波ってのは嫌になるもんだけどなあ」


 だんだんと衰えが来つつある自分の身体に悪態をつきながら、アグニはあらかじめ開いておいた『窓』にもう一度目を向ける。距離の断絶をたやすく乗り越えるその窓の先には、クラウス・アブソートと思わしき人物の宿を特定しにかかる同朋の姿があった。


 大方どの宿にいるかはもう把握しており、後はどの部屋に向かうかを特定しようかという段階だろうか。クラウスたちの少し後に続いて宿の受付と言葉を交わし、すんなりと鍵を受け取るその姿には何の違和感もありはしなかった。


「……というか、普通の宿なんだな。これはいよいよ貴族たちの後ろ盾もなさそうだ」


 アグニの知る貴族という生物は、とかく見栄と虚勢を張ることを生きがいとしている。故にこそ馬車も高価なものを取り、宿もできる限り高く、そして豪勢なところを選ぶものだ。……そしてそれは、主に付き従う従者にも同じことが言える。


 従者を同室に寝かせる主は稀だが、従者にも同格の部屋を与えることで見栄を保つ貴族は腐るほど存在する。馬車の選び方の時点でうすうす勘付いてはいたものの、クラウスたちが今のところパーティと何の関係もない事はこれで確定したようなものだった。


 そんなことを考えているうちに、クラウスたちは宿の個室へと入っていく。その少し後に現れた同朋が、『この部屋だ』と言わんばかりにドアを指さした。


「おう、お疲れさん。最高の仕事っぷりだぜ」


 丁寧かつ迅速なその対応に笑みを浮かべ、アグニは軽く首を鳴らす。馬車から降りた後の足取りを追えていなかったのはかなり痛手だったが、昼の間に特定まで行けたならば上出来だ。……これだけ時間があれば、交渉に使う手札もゆっくりと考えられる。


「……さて、こっからは俺の出番だな。ちいと面倒だが、これを惜しんでちゃ俺たちの野望が叶うことはねえ」


 同朋が宿の個室に入ったことを確認して、アグニはゆっくりと重い腰を上げる。部屋番号を特定するためではあったんだろうが、個室を取ってくれたのは相当なファインプレーだ。いずれ世界の誰もがアグニを知ることになるのだとしても、その時まではおとなしくしておくに越したことはないのだから。


「あらよ……っと」


 同朋とアグニを繋ぐ『窓』におもむろに指をつっこみ、空間に空いた穴を広げるようにぐりぐりと動かす。しばらくそれを繰り返しているうちに『窓』は『扉』へと変わり、アグニが通行するのに十分な大きさが確保されていた。


 足先には妙な痺れがまだ残っているが、この程度の運用で壊れないことはアグニが一番よく分かっている。むしろ隠蔽のためのひと手間を残さなくてよくなったことで、アグニの身体への負担は四割ほど軽減されていた。


 同朋の心遣いに感謝しながら『扉』をくぐり、クラウスは遠く離れた距離を一足で移動する。組織の動きをより神出鬼没にしている要因の一つを最大限に活用し、アグニはバラックへとまた足を踏み入れた。


「よう、お疲れさん。クッキー持ってきたんだけど喰うか?」


 恭しくひざまずいてアグニを出迎えた同朋に、アグニは気楽な様子で懐から袋詰めにされたクッキーを差し出す。それは『ぜひお食べください』ととある女から差し出されたものだったが、どうもこの年になると甘いものが胃にもたれてよくなかった。


「……いただけるというのならば、ありがたく。……しかし、あの方はアグニ様に向けてクッキーを焼かれたのでは?」


「いーんだよ、残すよりは食べられる方がクッキーも幸せだ。……まあ、バレたら面倒なことになるからごまかしはしておくけどな」


 おずおずと問いかけた同朋に対して豪快な笑いを返し、アグニはクッキーの袋を押し付ける。気性が荒いところはあるが、あの女はなんだかんだで組織のことを第一に考える性質だ。クッキーの一つや二つで組織の中に不和を起こすほど愚かではないと、アグニはそう信じている。


「……改めて、クラウス・アブソートはこの部屋から右に四つ進んだところの部屋に宿を取っているようです。男が一人と女が一人、あまり大所帯ではないように見えました」


 控えめにクッキーを口にしながら、同朋は改めて調査の結果を報告する。要求していた以上の情報までもがそこには付け加えられていて、アグニの頬は思わず緩んだ。


「そこまで見てたのか、そいつは助かる。……にしても、大所帯っていう割には少ない人数でこっちに乗り込んできてるんだな?」


 その人数で十分だと踏んだのか、あるいはそれ以上動かせない事情があったのか。事前に聞いていた情報と少し違うクラウスの現状に、アグニはわずかに首をひねる。馬車の席が取れなかった――なんてことは、流石にないと思うのだが。


「ええ、増員はないと見ていいかと。……ですが、三人ともがある程度の手練れであるのは間違いないように見えました」


「そいつは興味深い話だ。……もしかして、気づかれかけたか?」

 

 冗談交じりにそう問いかけると、同朋は神妙な表情で首を縦に振る。……その事実をゆっくり噛み締めて、アグニは「ふうん」と鼻を鳴らした。


「ま、最終的に撒かれてなければ俺たちの勝ちではあるんだけどな。お前の存在には気づけても、お前を通じて俺が遠くから見てるなんてことには気づきようもないし」


「はい、それは間違いないかと。……クラウス・アブソートとアグニ様は、間違いなく初対面です」


 恭しく頭を下げ、同朋はアグニの言葉を肯定する。その言葉を聞いたアグニはくるりと踵を返すと、簡素な作りのドアノブに手をかけた。


「おう、その言葉が聞ければ十分だ。……ちょっと待ってろ、話をつけてくる」


「了解いたしました。……我らの道に、祝福があらんことを」


 ドアを開けて通路へと出るアグニに、同朋はかしこまった様子で声をかける。アグニがそれに応えることはなかったが、ドアが閉まると同時にアグニは軽く息を吐いた。


「……さあて、もう何度目かの正念場だ。おっさんたちの執念、あの嬢ちゃんたちに見せつけてやらないとな?」


 教えられた情報を脳内で反復しながら、アグニは小さな声で決意を新たにする。今からアグニが手に入れるのは、計画を完遂するために重大な意味を持つ一つの弾丸だ。それが数百ある仕込みの内のたった一つなのだとしても、アグニはそれを侮らない、軽んじない。……でたらめに投げたナイフが一本でも命を穿てば、その時点でアグニ達の勝利なのだから。


 ドアの数を数え、四つ右に進んだ先のドアの前へとアグニは立つ。そこで軽く深呼吸をして、仕上げに笑顔を一つ。……大丈夫だ、変な緊張はない。


「……真昼間に悪いな、少しいいか?」


 ドアを軽くノックして、アグニは中にいるであろう人物へと声をかける。すると予想よりも早く部屋の中から足音が聞こえてきて、ドアがガチャリと音を立てた。


「……誰だお前」


 少しだけ開かれた扉の先から剣呑な目つきをした男が顔をのぞかせ、品定めでもするかのような視線をこちらに向けてくる。悪評が立つのもすんなり納得できるぐらいに傲慢で不愉快な態度だが、今はそれも妥協しよう。これはあくまで仕込みの一つ、クラウスと友諠を結ぶ必要なんてどこにもないのだから。


「初めまして、俺はアグニ・クラヴィティア。突然の話ですまねえが、お前さんたち『双頭の獅子』に頼みたいことがあってな」


 安心しろ、損はさせねえさ――と。


 獰猛に笑いながらそう付け加えるアグニに、細められていたクラウスの瞳が僅かに見開かれる。然しそれも一瞬の事、すぐさまクラウスの顔にも笑みが浮かぶ。……その表情を目にした途端、アグニはまるでいつかの自分自身を見ているかのような錯覚に襲われて――


「面白れえ。お前がなんだか知らねえが、とりあえず話だけは聞いてやろうじゃねえか」


 弾んだ声とともにドアが開け放たれ、宿の中だというのに豪奢な装備に身を包んだクラウスがアグニを出迎える。――その顔も声も立ち振る舞いも、アグニには眩しいぐらいに若々しく見えた。

 それぞれの運命は歩み寄りながら、絡み合って終着点へと向かって行きます。果たして最後に笑うのはいったい誰になるのか、ぜひご注目いただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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