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第二百六十五話『その理想に敬意を表して』

「……まずはあの場に潜り込んでいるスパイを見つけ出すこと、それができなくても魔術的な仕掛けには確実に対応していくこと。いくら相手に後れを取っているとはいっても、これくらいはできないと苦しいですわね」


「ああ、それはボクも同意見だ。明日になったらあの古城には人があふれるし、その中で誰にも知られずに相手の仕掛けを無力化するなんて無理な話だ。あっちにとっての本番は明日でも、ボクたちにとっては今日からもうずっと勝負どころだと思った方がいい」


 正装に身を包んだバルエリスが打ち出した方針に頷いて、ツバキは小さく拳を握り締める。リリスに引っ付きながらぐっすりと寝たことが功を奏したのか、顔色は昨日よりもいいように見えた。


 窓の外からはさんさんと朝の光が降り注ぎ、照明を使わずとも十分なくらいの光量が確保されている。すっかり変装までして準備の会場に向かう準備を整えた俺たちは今、最後の方針確認の真っ最中だった。


 昨日実際に体験したことではあるが、いざ準備の場に到着してしまったら喋れるのはツバキとバルエリスだけになる。それも周りにたくさん人が居る中での話になるし、あんまり詳しいことを話すことはほぼ不可能だと言ってもいいだろう。昨日の準備が庭園を中心としたものだったこともあって、今日は城内を総出で整備することになるはずだしな。


 だからこそ、こうやって事前に前提条件や心構えを共有しておくことはとても大切なことだ。あんまり武力に頼った行動もできないからこそ、求められるのはより迅速で綿密な連携だった。


「基本的に転移魔術が行使されたらリリスの探知に引っかかるし、そうでなくても魔道具が設置されてたらリリスが確認できる。んでもって仮にそういうのが見つかったらリリスが俺の裾を引っ張る――で、いいんだよな?」


「ええ、それでいいわ。城門近くにいても古城の中を探れるのは昨日確認済みだし、実際中には入れれば多少なりの隠蔽魔術だったら突破できると思う。問題になってくるのはあのボウガンみたいな感じで物理的な罠を仕掛けられたときだけね」


 あれには気配もへったくれもないわ、とリリスが少し悔しそうにしながら懸念点を一つ上げる。と言っても魔術的な仕掛けを探り当てられるだけで俺たちのアドバンテージは大きいし、それがあるからアグニ達にぎりぎり対抗できていると言っても過言じゃないんだけどな。


「そういうのに関してはどうにかこうにか肉眼で確認するしかないだろうね。……ボクたち以外の人に見つかったらまず間違いなく騒ぎになるし、できれば秘密裏に回収しておきたいところだ」


「ええ、そればかりは運との戦いですわね……。暗器の一つや二つで焦らないような精神の強い方に見つけていただけるなら、わたくしたちにとっても純粋にありがたい話なのですが」


 ツバキの結論を受けて、バルエリスは両手を軽く合わせながらそんなことを話す。そうなってくれたなら確かにこれ以上ない話なのだが、申し訳ないがそれは希望的観測だと言うほかなかった。


「仮に普段メンタルが強い人だったとしても、実際に命を狙われてたっていうのは人の心を怯えさせたりくじけさせるには十分すぎる。……それを一番分かってるのはお前だろ、バルエリス?」


 初めて古城を訪れた時の一幕を思い出しながら、俺はあえて少し意地悪な答えを返す。間近にまで迫った死がどれほど焦りを生むものなのか、それを一番分かっているのはバルエリスのはずだからな。


 別にあそこで死に怯えたからバルエリスの志が低いなんてことにはならないし、それを責めるのはお門違いだと言ってもいい。死の恐怖を克服するのに多大な時間と経験の積み重ねが必要なのは、今までの俺が積み上げてきた時間によって証明されていた。


「……ええ、そうでしたわね。少し言葉が過ぎましたわ」


「ボクとリリスはあまりに身近過ぎて感覚が麻痺してる節があるけど、実際に死が間近に迫ることほど人の心をかき乱すものもないからね。……できることなら、ボクたち以外の誰も巻き込まないでこの事件を終わらせてしまいたいとも思っているよ」


 少しシュンとしてうつむくバルエリスを見つめて、バルエリスは世間話の一環であるかのようにそんなことを話す。迫りくる死を跳ねのけることを生業としていた人間の言葉は、そんな軽い口調の中にもしっかりと重みを伴っていた。


「現実的な話をするなら、アグニが居る以上完全に奇襲を阻止するなんてことはできないんだけどさ。……だけど、アグニの手足をできるだけもいだ状態で当日を迎えることはできる。そうなったら、誰も巻き込まずに、被害を出さずにこの問題を終わらせることだってできるかもしれないでしょ?」


 そのままの口調を保ったまま、恥ずかしそうにうつむくバルエリスの肩に手を置いてツバキはそう締めくくる。それを聞き終えたバルエリスが顔を上げると、ツバキはにっこりと笑みを返した。


「……そう、ですわね。どれだけ貴族の連中が気に入らなくても、だからといって死んでほしいわけじゃありませんもの。私の理想の騎士様も、全てを守ろうとすることを最後まで諦めていませんでしたわ」


「私たちは優先順位をつけて人のことを守るから、その生き方とは相容れないかもしれないけどね。……けれど、そんなことを言われてもあなたの中の価値観は揺らがないんでしょ?」


 自分の原点とも言っていいところに立ち返ったバルエリスに、リリスが少し笑みを浮かべながら問いかける。……その質問がどんな答えを期待して投げかけられたものかを読み取って、俺とツバキはにわかに姿勢を正した。


 朝のこの時間は方針確認としてとても重要なものだが、今日はそれと同じぐらい――いや、ともすればそれ以上にやらなくてはいけないことがある。最善の展開で事を進めることが簡単ではない今だからこそ、その確認を怠ってはいけないというのが俺の持論だった。


 だが、それをしっかりと行動に移すためにはバルエリスがそれ相応の姿を見せる必要がある。この先さらに複雑化していくかもしれない現状の中でも、それが揺らがない限りは大丈夫だと思えるだけの姿が――


「ええ、当然ですわ。その騎士様の姿こそが、譲れない『理想』ですもの。それを守ろうとして死に瀕するのだとしても、守るべき方々を前にして怖気づく自分の姿を想像する方がよっぽど恐ろしいですわ」


――だから、わたくしはこの理想を捨てられないないんですの。


 いろんなものが吹っ切れたかのように晴れやかな笑顔を浮かべて、バルエリスはリリスの問いに答える。仮面越しに赤い瞳が、その瞬間に一瞬だけまばゆい輝きを伴ったように見えた。


「……そう。私たちも、だんだんと人を見る目が育ってきたみたいね」


 期待通りの答えが返ってきたことを喜びながら、リリスは俺とツバキの方を見やる。無言でこちらに問いかけてくるその視線に対し、俺たちは即座に首を縦に振っていた。


 俺たちを踏み切らせる最後の一押しとして、今の答えはあまりに百点満点が過ぎる。バルエリスが掲げた理想は尊く、そして澱みのないものだ。……仮にそこにたどり着けなかったのだとしても、信じたことを後悔することはないと言い切れるぐらいには。


 だから、もう何も案ずることはない。百パーセントの確信をもって、俺たちはあの話題に踏み込むことができる。


「……私達ね、昨日妙な話を聞いたの。アルフォリア家には上流階級の場でよく見る後継者がいて、バルエリスのことは今日初めて見たって。……『相手が予想してる以上の知識を備えておくことは大事だ』とか、そいつは自慢げに言ってたけど」


「そいつの話を仮に信じるんだとすれば、バルエリスの経験豊富さと『初めて見た』って言葉が矛盾する。……だから、念のために確認しないといけないとは思ってたんだよな」


 リリスの言葉の後を継いで俺が切り出すと、その瞬間にバルエリスの背筋がびくりと跳ねる。……準備の場ではあれだけうまく振る舞えるのに、そうじゃない時のバルエリスはずいぶん正直なようだ。


「……あ、えと、それは……」


 視線をあちこちにさまよわせながら、バルエリスは不安そうに言葉を探す。さっきあんなにもよどみなく理想を言いきったのに、それと同一人物だとは思えないほどの焦りっぷりだ。……まあ、そっちの方が安心できるとも言えるが。


 その様子を三人して無言で見つめながら、俺はそんなことを考える。これで巧みに隠し事ができてしまう人間ならば、俺たちの決意はきっと揺らいでいただろう。焦りもするし死に怯えもするけれど、それでいいのだ。……だって、それが自然な事なんだから。


「……確かに、わたくしには皆様方に隠していることがありますわ。それはとても重大なことで、知った後に激怒されてもわたくしはなにも文句を言えません。……ですが、それを打ち明けるべき時は今ではありませんの」


 しばらくの沈黙の後、バルエリスは俺たちに向けてゆっくりとそう語りだす。不安げに言葉を詰まらせながら、しかし俺たちの方から目を背けることはなく。バルエリスは俺たちに踏み込んで、今まで隠されていた一部を紐解き始めた。


 それが気っと簡単な判断でなくて、バルエリスの中で重大な決意が必要なものだったことは想像に難くない。それが分かるから、俺の心は穏やかだった。


「ですが、いつか必ずお話しますわ。この問題が全て終わってパーティが無事に終わった時なら、わたくしは迷うことなく皆様方に正体を明かすことができる。……それまで疑問を残してしまうのは、本当に申し訳ないのですが――」


 そこでバルエリスは体を軽くこわばらせ、俺たちに向けて頭を下げようと身構える。……だがしかし、まっすぐに突き出されたリリスの手がそれを遮っていた。


「ええ、分かったわ。……それなら、この話はここでおしまいにしましょう」


「うん、それがいいね。聞きたいことは聞けたし、今の姿を見れば十分だ」


 唐突に話を打ち切るリリスに同調して、ツバキは柔らかい笑みを浮かべる。……その対応に、バルエリスはまたも目を丸くした。


「……本当に、いいんですの?」


「ええ、ここまで聞ければ問題ないわよ。というかむしろ止めるタイミングを見失ってたとまで言えるわね」


 バルエリスの問いにあっけらかんと答えて、リリスはまっすぐにバルエリスを見つめ返す。それを正面から受け止める深紅の瞳の中に、真剣な表情をしたリリスの姿が映っていた。


「昨日あの話を聞いた後、私たち三人で話し合ったのよ。仮にバルエリスがどんな秘密を抱えていようと、それがどれだけ大きなものであろうと、どれだけの数がそこにあったとしても。――仮に、あなたがバルエリスではない別の誰かだったのだとしても」


 そこでいったん言葉を切り、リリスはゆっくりと瞬きを一つ。まるで意志を確かめるかのように俺とツバキの方を一瞬だけ見つめてから、バルエリスの方へと向き直って――



「貴女がたとえなんであろうと、私たちは貴女を信じる。――気高い理想を貫き通そうとする貴女のことを、最後まで信じ抜くわ」



 もちろん三人ともね、と付け加えることも忘れず、リリスははっきりとそう断言する。それに俺たちも大きく首を縦に振って同調し、口元に手を当てているバルエリスを見つめた。


「……信じて、くださるんですの? わたくしの好奇心で皆様方を巻き込んでいた挙句、隠し事をしていることさえ言わなかったのに?」


「当たり前だろ。今更秘密の一つや二つで地に落とせないぐらいには、お前は俺たちの信頼を稼いでるんだから」


 まだ信じられないという心の声がにじみ出たような問いかけに、俺は即座に答えを返す。今更バルエリスを信じられなくなるようなことなんて、今すぐこちらに切りかかってくるぐらいの事でもなければ考えられない。それも絶対にリリスやツバキを傷つけることはできないし、実質どうやっても俺たちの信頼を崩すことはできないだろう。


「それに、お前はお前の理想を裏切れねえ。それ以外のところがどれだけ嘘と偽りで固められてたんだとしても、お前の中にある理想だけは絶対に嘘にはできねえ。……そんな理想を掲げたお前を、俺たちは信じたいと思ったんだよ」


 ダメ押しだと言わんばかりに、俺は信じると決めた一番の決め手を明かす。それが揺らぐことはないという確信が、俺たちをこうして踏み込ませていた。


 その理想はとても遠くて、しかしとても気高いものだ。半端な覚悟ではそれに至るまでに心が折れ、背を向けても何もおかしくない。……死の恐怖を前にしてそれを貫き通せる人間を信じない理由なんて、俺たちにはどこにも残されていなかった。


「……今の私たちは貴女の護衛、そして従者でもあるわ。だから、貴女の理想を貫き通すことを私たちは極限まで優先する。だから、貴女も私たちを信じてうまく使って頂戴」


 まっすぐに手を差し出して、リリスは改めてそう申し入れる。それを見つめるバルエリスの頬は赤らみ、目の端には涙の粒が浮かんでいて――


「……はいっ、よろしくお願いいたしますわ‼」


 リリスの手をがっしりと握り、バルエリスは涙をこぼしながら満面の笑みを浮かべる。……この瞬間、出来合いの主従関係は偽りなき信頼関係へと塗り替えられた。

 揺るぎない信頼が繋がれ、舞台は準備二日目の場へと向かって行きます! マルクたちとバルエリスの間に結ばれた信頼関係がいったいどんな変化をもたらしてくれるのか、ぜひご注目いただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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