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第二百六十三話『無二の癒し』

「結局のところ一日目の収穫はなし、か……。別に悪い気はしねえけど、このままだと俺たちはただの善良な集団だな」


「ま、別にそれでもいいんじゃないかな? イレギュラーな状況ではあるけど、全くもって楽しくないって言ったらそれは嘘になるしさ」


 少しだけ肌になじんできたベッドの感触を背中に感じながら、俺はぼんやりと今日一日を振り返る。結局のところガロンとソマリとやりあったあの瞬間がピークで、それ以降は特に大きな波乱が起こることもなく準備の一日目は終了していた。


 リリスの魔力探知にも妙な気配が引っかかっている様子はなかったし、きっと本当に動いていないのだろう。スパイの存在がどちらともいえない以上行き過ぎたことは中々言えないが、転移魔術が使われていなかったことだけは間違いないと見ていいだろう。


「二日間の戦闘であっちも流石に少し疲弊したのか、それとも戦略的な『溜め』の時間なのか。――アグニの存在を知ってしまっている以上、あっち側がどんな選択肢を取ったとしても意味深に見えるのが面倒なところだね」


「あの男、へらへらしてるようで絶対にこの城のことを諦めてないものね。少しでも油断を見せれば足元を掬われるのは間違いなく私達だわ」


 ツバキの背中にぴたりとくっつきながら、リリスは二度対峙したアグニという男をそう分析する。その考え自体はとても筋が通ったものに思えるのだが、姿勢が姿勢なのもあって傍から見た時の真面目さは皆無だった。


 普段から寝るときはくっつきがちな二人だが、今日はいつにも増して距離感が近い。二人はその姿勢でリラックスできてるみたいだし、それに関してはいいことなんだけどな。


 この宿で寝泊まりするようになってからつくづく思う事だが、『安全だと確信できる空間があること』は本当に重要だ。連日何かしらの目的を持って動いているという状況自体はあの村とそう変わらないのに、安心して熟睡できるこの場所があるだけで疲労の残り方の違いが半端じゃない。眼の前の出来事に余裕をもって考えられているのも、もしかしたらその恩恵なのかもしれなかった。


「……まあ、今のところは足止めすることができたって思っとこうぜ。その方が精神衛生上いいだろ」


「それは間違いないね。どうせ考えても相手の動きなんて理解できないし、しようと思うだけ頭が疲れるだけだ。それに、ボクが明日もいろんな人と会話することになることは十分考えられる話だからね」


 ぐるりと半回転してリリスの肩口に顔を埋めながら、面倒くさそうにツバキは呟く。途中から声がくぐもってはいたが、それでも分かるぐらいに声色には疲れが滲んでいた。


「せめて私だけでも喋れれば負担も軽くなるんでしょうけど、声を低くするのって難しいのよね……。マルクの真似をしてみようとあれこれ試してもちっともうまくいかないのよ」


「そればかりは声質の問題もあるからね、無理にしてくれとは言わないさ。……その代わり、たっぷり癒してもらうつもりだし?」


 申し訳なさそうなリリスに軽い調子で応えると、ツバキはさらに深くリリスの肩口に顔を埋める。さっきまではリリスがツバキに抱き着いていたはずなのに、一瞬にして関係性が逆転した形だ。そのままリリスの背中に両腕を回すと、ツバキは深い息をこぼした。


「ふう、こうしてると商会にいたころを思い出すね……。主人に同伴しての行動が多くてストレスがたまってた時、よくこうやってもらったっけ」


「やってもらったというか、何も言わないでも貴女の方からやってきたの方が正解だとは思うけど……まあ、それでツバキが休まるなら安いものだわ」


 半分ぐらいもごもごとした音を伴いながら過去を振り返るツバキに呆れた様子を見せつつも、リリスの手はツバキの黒髪を優しく撫でている。手で髪を梳いているようなその手付きは、まるで親が子にする仕草のようだ。


「というか、そうしたくもなるぐらい疲れる一日だったんだな……。ここまでツバキがべったりしてるのもなんだかんだ初めて見るし」


「そりゃ性別を偽ってコミュニケーションを取るだもん、疲れないはずはないさ。……いろんな役割を主の命で演じてきたボクだけど、それでも男装ってのは初めてだよ」


「私より器用なツバキがこんな感じなわけだし、もちろん私も経験なんて一つもないわよ。……まあ、喋るか喋らないかで負担は大きく変わると思うけど」


 今度は軽く背中をトントンと叩きながら、リリスはツバキの疲労感に理解を示す。それを受けてツバキはさらにリリスの方へとすり寄り、癒されモードをさらに加速させていた。


「どれだけ高級なブランドの寝具が完備されてたとしても、ボクにとって一番心休まるのはやっぱりここなんだよね……。羨ましいかもしれないけど、マルクにもしばらくここは譲らないからね?」


「取らねえよ、大丈夫だ。……間違いなく今日一番頑張ったのはお前だし、その分の回復はしっかりしなくちゃな」


 口調は冗談めかしてこそいるが、俺がどれだけ頼み込んだところで今夜のツバキはこのポジションを絶対に譲ることはないだろう。それもきっと付き合いが長くなってきた俺相手だからどうにか冗談めかせているだけで、見ず知らずの人がそんなことを言おうものならその瞬間に影魔術で強制的に寝かせていても何も不思議じゃないよな……。


 そんなことを思いながら俺が返答すると、安心したかのようにツバキはさらに深く顔を埋める。はじめは肩口にあった頭は少しずつずり落ちていて、いつの間にやらリリスの胸元へと移動していた。


 その体勢のままツバキはしばらくもごもごと何やら口にしていたが、そこから三分もしないうちにその言葉はすうすうという穏やかな寝息に変わりだす。気楽な口調で言葉を交わしていても、体の内から湧き上がってくる疲労には抗えない様だった。


「……それ、暑かったりしないか?」


 すっかり深い眠りについたツバキを指さして、俺は小声で抱き枕状態になっているリリスに問いかける。しかし、リリスはどこか悟っているかのような様子で首を横に振るだけだった。


「……仮に暑かったとして、私はツバキから離れられないわよ。……どういう原理か、こうなったツバキはどれだけ熟睡してても私が離れたことに気づいて身を寄せて来るもの――ほら」


 そう言ってリリスが小さく身を引くと、「ん、んう……」と唸り声を上げながら同じ分だけツバキもすり寄ってくる。現状維持どころか密着度が少し増したような気さえするそのやり取りを見て、俺は思わずうなりを上げるしかなかった。


「……まあ、こうなることは別に嫌じゃないからいいわ。ツバキの身体って少しひんやりしてるから、抱き枕にされてて寝苦しいってこともないし。……それに、商会時代は私がツバキを抱き枕にして寝ることもザラだったしね」


「なるほど、お互いさまってわけか。そういう事なら仕方ないな」


 そういえば、今までもよっぽどのことがなければツバキとリリスは一緒の寝床でいつも寝ていっけか。てっきりベッドの数が足りないからだと思っていたのだが、余裕で四つ以上ベッドがあるこの部屋でも自然と二人は同じベッドに入っているし、もう癖のようなものなのかもしれない。


 一つ過去のピースがはまるだけで、二人の行動があまりにもすんなり腑に落ちる。リリスとツバキが互いを支えあうコンビであるのは、昔からずっと変わっていないらしかった。


「それにしても、こんなにも早く寝ちゃうのは予想外だったけどね。バルエリスに言うべきこともあったのに、それも全部先送りにしないといけないじゃない」


 ただでさえ立て込む朝がさらに忙しくなってしまうわね――と。


 夢の中にいるツバキにそんな恨み言をいいつつ、リリスはツバキの髪を優しく撫でる。口からこぼれてくる言葉は厳しいはずなのに、愛おしげな柔らかい表情と態度がそれを全部中和してしまっているんだから不思議なものだ。


「ま、今日一番の功労者だからな。これぐらいの我儘は言っても罰は当たらないだろ」


「そうね。……というか、これぐらいのことで罰を当てようとしてくる器の小さな存在は私が直々に叩きのめしてやるわよ」


 空いた方の手を軽く握って、リリスは物騒な宣言を一つ。ツバキがリリスに甘いのはいつもだし分かりやすいことだが、リリスもリリスでツバキに対しては甘々なようだった。


「……お二人とも、さっきわたくしを呼びませんでしたか?」


 最大級の信頼を預けあった二人の様子をぼんやりと眺めていると、奥のキッチンから紅茶を手にしたバルエリスがひょいと顔を出してくる。結構小声で話していたはずなのだが、バルエリスの耳にはしっかりと入っていたようだ。


「……いえ、何でもないわ。後で少し話したいことがあるから、呼ばないといけないわねって話をしてただけで」


 二人して少し目を見合わせた後、代表してリリスがそんな答えを返す。その『話したいこと』が何であるかは、バルエリスただ一人を除いて明らかだった。


「……後、ですの? 明日の朝はまた忙しくなりますし、今のこの時間にでも――」


「いや、それじゃダメなんだ。俺たち三人が揃って起きてるときに、お前に伝えなくちゃいけないことがあるからさ」


 それを理解したうえで、こちらに歩み寄ってくるバルエリスの提案を俺はやんわりと断る。俺たちからバルエリスに贈るべきこの言葉は、三人揃って言わなければ全く意味がないものだ。俺たちにとっても大事な言葉になるからこそ、その場に誰も欠かすわけにはいかない。


「……あら、もう寝てしまったんですのね。それじゃあ、もうお二人も?」


「ええ、近いうちに寝るつもりよ。……これだけしっかりつかまれちゃ、もうどこにも行けないしね」


 少し照れたように笑いながらリリスが首を縦に振ると、バルエリスもそれにつられて笑みを返す。……それを合図としたかのように、リリスはわずかに上げていた顔をベッドへと預けた。


「……だから、明日まで待って頂戴。あなたにとっても、決して悪いことじゃないと思うから」


 目を閉じながら最後にそう告げて、リリスも規則的な息を立て始める。……ツバキの体を抱き返しながら眠るその表情は、さっきまでと違ってずいぶんあどけないものに見えて。


「不安かもしれないけど、どうか安心しててくれ。……お前が傷つくことはないって、俺も一緒に断言しとくからさ」


「ええ、その言葉を信じますわ。安心してくださいな、寝つきの良さには自信がありますの」


 俺とバルエリスが交わしたそんなやり取りを以て、俺たちのバラック滞在三日目は終わりを告げる。――この後に待ち受ける明日が俺たち四人にとって重要なものになるだろうと、どこか確信にも似た予感を抱きながら。

 パーティが始まるまであと一日になり、各陣営の動きもだんだんと激しくなっていきます。果たしてどのように絡み合いそして衝突するのか、ぜひご期待いただければ幸いです!

 ここからは宣伝なのですが、本日の午後六時より新連載の開始を予定しております。現代日本を舞台にした少し訳ありのラブコメとなっておりますので、よろしければそちらもご覧いただければなと思います!

――では、また次回お会いしましょう!

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