第二百六十一話『隠していること、信じること』
「……それじゃあ、次はこの人たちの仕事を少し受け持ってくれるかしら。申し訳ないねえ、あちこちを回らせることになってしまって……」
「いえ、それも誰かがやらなくてはいけないことですから。後から入ってきたボクたちこそ、こういう役割を果たすのには相応しいものですよ」
ツバキがガロンとソマリを相手に大立ち回りを見せてから大体二時間後、俺たちはかれこれ三度目の指令をレミーアから受け取る。少しずつ俺たちへの信頼は上がってきている様で、代表してやり取りをするツバキとの間には朗らかな雰囲気すら漂いつつあった。
今回言い渡されたのは、庭をぐるりと囲んでいる塀に傷や汚れがないか確認をしつつ、日よけ用のパラソルを設置する役割だ。俺たち三人が来る前は七人で設置を終わらせる腹積もりだったようだが、それでも負担が大きくなりすぎるぐらいにこの城の外周は長いらしい。それで困っているところに俺たちが来たというのだから、先に指示を受けていた七人が歓喜したのは言うまでもなかった。
「……はい、パラソルはこれを使って運んでくれればいいわ。四人で固まって動きたいって話だから量を少し多めにしてあるけど、許して頂戴ね?」
「はい、これぐらいだったら余裕をもって運べる範疇です。……それでは、ボクたちはあっちの方に向かいますね」
台車を手で示しながら出されたレミーアの指示に爽やかな笑顔で応じて、ツバキは誰よりも早くパラソルを設置しようと動き出す。その視線は、この準備会場の中でも群を抜いて静かな城門付近へと向けられていた。
迷いなく進行方向を定めたツバキに続いて、俺とリリスもパラソルが大量に入った台車の取っ手に手をかける。多くのパラソルが入っていることと結構な時間準備を続けてきたこともあってその手ごたえはなかなかのものだったが、二人はそれを特段気にしている様子もなかった。……やはり、基礎体力からして俺とツバキやリリスの間には大きな差があるのかもしれない。
車輪が転がる音が響くたびに、準備会場の喧騒が少しずつ離れて行く。他のパラソル設置班も俺たちに続いて出発していたが、その進行方向はまちまちだった。
「……さて、これでようやく話ができるね。もう少し穏やかに行けると思ったのに、この二時間で君たちと共有したいことが起こりすぎてるんだよ」
周囲から人の気配が消えたことを確認して、ツバキはため息をつきながらいつもの声色でそう話し出す。ここまでの準備現場でコミュニケーションを一手に担っていたこともあって、やはりその疲労はひとしおのようだ。
「ええ、流石にいろいろありすぎたわね。……特に、前半の方で」
ツバキに続いて久々にリリスが口を開き、ここまでの俺たちの準備をそうまとめる。……その視線は、ツバキとバルエリスを行ったり来たりしていた。
リリスの総括通り、ソマリとガロンから離れることになった二回目の仕事分けは終始平和なものだった。そこのまとめ役を務めた従者があまり話したがりの性格じゃなかったこともあって、特に会話が起こることもなく終了したのだ。アグニ達の尻尾もつかめていないという意味ではプラマイゼロとも言えるが、その時間を経てもなお噛み砕ききれないぐらいに二人の従者とツバキが交わした会話は濃すぎるものだった。
「あれがただの従者同士のやりあいだってのがまた厄介だよな……。三年も従者同士の間で因縁がある以上、アグニの手のものだって考え方はしにくいしさ」
この事態をさらにややこしている要因を俺が呟くと、両隣の二人からすぐに大きな頷きが返ってくる。この一時のために三年間もスパイを忍び込ませていたならそれはもう天を仰ぐしかないが、そんな壮大な可能性はもはや切り捨てて動くのが正解だ。……まあ、それはそれで従者同士の関係性の面倒さに天を仰ぐことになりかねないんだけどさ。
「……それにしてもツバキ、とんでもないことをかましてたわね。自分の口から発する言葉に影を纏わせて認識を阻害するとか、普通思いついてもやらないわよ」
だんだんと複雑化していく状況に俺がげんなりしていると、リリスがあの話し合いにおける唯一の光明と言ってもいい出来事に言及する。素人目から見てもとんでもない一手だったとは思うが、魔術に長けたリリスがうなりを上げることでその凄みはさらに増していた。
結局あの勝利宣言が決め手となって、ソマリはツバキから手を引かざるを得なくなってたからな。それを見たガロンも驚きを隠し切れない様子だったが、『アイツを一発で退けるなんて中々のもんだ』なんて称賛を最終的に送っていたことを覚えている。あわや俺たちに絡みつきかけた面倒な縁は、ツバキの手によって未然に断ち切られたというわけだ。
「ああ、あれはもうやるしかないって感じだったね。『一回しか言わない』って条件を意外にすんなりと飲んでもらえたからさ、それなら偽名を名乗るより効果的な策を取っちゃおうと思って」
後々名前を手掛かりに探りを入れられるようなことがあってもいろいろとめんどくさそうだし――と、リリスの賛辞にツバキは誇らしげな様子で答える。遠巻きで見ているだけでも困惑することだらけだったあの状況の中で最適解と言ってもいい一手を打てているあたり、ツバキの状況判断力は卓越しているなんてレベルではなさそうだった。
「……けれど、それはあくまでボクたちが退けた面倒事の一つでしかない。今のボクたちには、あの二人の事以外にも話さないといけないことがあるだろう?」
しかし、ツバキが誇らしげにしてたのも一瞬の事。すぐに真剣な表情に戻り、俺とリリスに同意を促してくる。それはとても抽象的な話題の振り方だったが、俺とリリスはすぐにうなずきを返していた。
「ああ、あれに関しては今すぐにでも結論を出さないといけねえな。仮でも何でもいいから、俺たちが三人で話せる今の内に」
俺たちから五メートルほど離れて歩き、周囲の状況を観察しているバルエリスを横目で見ながら、俺はツバキの問いに声を潜めて答える。明確にこの問題に関するスタンスを決めるまで、このやり取りをバルエリスに聞かれるわけにはいかなかった。
「……アルフォリア家にはバルエリス以外の後継者がいる、って話だったわよね。バルエリスのことは今日初めて見たと、そうも言っていたわ」
「ああ、そうだね。それを正しいんだと信じるならば、その瞬間に大きな矛盾が生じる。……なんでもバルエリスは、ここまでいろんな場数を踏んできたらしいからね」
上流階級の集まりがいかに面倒なものかを語る時も、俺たちに従者としての振る舞いを指導するときも、その根底には常にバルエリスが積んできた場数がある。それが間違っているとも思えないし、事実レミーアと相対したバルエリスの態度は実に堂々としたものだ。……とてもじゃないが、初めてこのような集まりに臨む人間だとは思えない。死が間近にある戦いという初めての経験に臆するバルエリスの姿を見ているからこそ、その思いは俺の中で強くなっていた。
「一番あり得るのは、初対面かつ乱入者の私たちを狙ってハッタリをかましたって可能性だけど――それをして、あの男に何の得があるというのかしら?」
「……考えうる限りは特にない、と言わざるを得ないだろうね。ボクたちを見下したくてそんなカマをかけてきたにしては、その前後の態度が少しフレンドリーすぎる。……あのガロンって男も随分場数を踏んできたみたいだし、すぐに結論を出すのは早計ではあるんだけどね」
じれったそうに歯噛みしながら、ツバキはあの時のガロンの態度をそう分析する。ツバキはきっと読み切れなかった自分の力不足を悔いているのだろうが、それでも十分すぎるぐらいにはガロンのことを読み取っているだろう。……それを分かったうえで、俺たちが決めるべきことは別にあった。
「二人とも、今大事なのはガロンの真意じゃない。アイツの動機なんてどうでもよくて、今話すべきは俺たちがそれをどう判断するか――つまり、その話を受けてバルエリスをどういう風に見るかってことだろ?」
究極的に言えば、あの話がでたらめでも真実でもどうだっていいんだよな。最終的に結論を定めるのは俺たちでしかないし、俺たちが『白』と信じれば黒いものだって白になるだろう。……それを、俺はノアとの関わりの中で学んだのだ。
疑いは増えた、考えなければいけないことも増えた。……その上で、ここまで俺たちとともに歩いたバルエリス・アルフォリアという人物をどう見るか――俺たちが問われているのは、きっとそういう事だった。
俺の提言を受け、しばらく二人は黙って台車を押す。……その沈黙が少しだけ重たく感じられ始めたその時、リリスがぽつりと言葉を漏らした。
「……聞かなきゃいけないことは、増えたと思うけれど」
珍しく自信なさげな声色でリリスは言葉を切り、俺たちの方に視線を向ける。……それからまたしばらくして、リリスは意を決したようにもう一度口を開いた。
「私は、あの子の理想を信じたい。まだまだそれに至るのは遠いかもしれないけど、それでも信じて居たい。……だってあの子は、マルクのことを守ってくれたんだもの」
俺とバルエリスを繰り返し見ながら、リリスはそうやって結論を出す。それでもまだ少し不安げなリリスに俺が声をかけようとすると、それよりも早くツバキが首を縦に振った。
「――うん、ボクも同じことを考えてたよ。もし仮にあの子に何か偽っていることがあったんだとして、『騎士になりたい』って夢まで偽れるほど狡猾な人間じゃないのは間違いないと思う。……それがぶれない限り、ボクたちはあの子の傍にいられると思うんだ」
リリスの分まで堂々と、不安なんて一つもないような口調で断言すると、リリスが小さく息を呑む声が隣から聞こえてくる。……確かに、バルエリスに対する感情を言語化するのにこれ以上の表現はないだろう。もし二人があのまま黙っていたら俺から同じようなことを言おうとしていたのだが、すっかりその役割を取られてしまった形だ。
「……ああ、俺もお前たちに同感だよ。アイツが何か隠し事をしてたんだとして、それがきっかけになってアイツが俺たちの敵にひっくり返ることはない。……まあそれにしたって、何か隠し事があるなら聞いておかなきゃいけないとは思うけどな?」
「それはそれこれはこれ、ってやつだね。……ああ、きっとそのぐらいでいいと思うよ」
「ええ、そうよね。――騙すとか謀るとかをするには、あの子って少しまっすぐすぎるもの」
仕方がないので少し茶化すように俺が取りまとめると、くすっと笑ってツバキがそれに同意を示す。リリスも吹っ切れたように大きく首を縦に振って、俺たちの意見の一致は改めて確認された。
たとえ隠し事があったとしても、お互いに信じあうことはできるもんな。それが分かっている限り、俺たちに不和が生まれることはないだろう。全部が終わった後に何か打ち明けられたのならば、その時に笑いあえればそれでいいわけだし。
改めてそう結論を出すと、今までずっしりと背中に乗っていたものが消えていったような気がする。少し遠くに見えてきた城門に向けて、俺の足取りは軽やかになりつつあった。
アゼル達の村でも同じような問題に直面していたマルクたちですが、あの事件を通じて三人の中にも思う所があったようです。彼らなりに考え抜いてでた『信じる』という結論がこの後にどんな物語を紡いでいくのか、ぜひお楽しみにしていただければなと思います!
――では、また次回お会いしましょう!




