第二百五十九話『その従者を突き動かすは』
「……ああ、ほかのところはまだ終わってなさそうだからな。指示が出るのは一通り区切りがついてからになるだろうし、休憩がてらの会話なら歓迎だ」
想定外の乱入者に対して男は歓迎の意を示すが、その表情からはツバキに見せていた余裕の表情が消えている。口元に浮かんでいた気さくな笑みもどこかぎこちないものになって、眉間にはいささかしわが寄っているような気がしないでもない。
簡単に言ってしまえば、男にとってこの女性は招かれざる客なのだろう。――あるいは、誰であれ会話に乱入されて空気を壊されてしまったことが痛恨だったのかもしれないが。
男から衝撃的な情報を投げ込まれるまで、俺たちは油断していたと言ってもいいだろう。ここは従者同士親睦を深めるための場で、ともすれば俺たちにとっていい方向に進むための第一歩ではないか、と。……だが、今はもうそんな楽観をすることはできそうになかった。
準備の場にこうして集った従者たちの中には、主人から立ち回りを叩きこまれたうえでここに来る者もいる。予想もしていない角度から不意打ちが飛んでくることの恐ろしさを早めに味わえたという意味では、これが準備序盤でまだよかったというべきなのだろうか。
だが、それだけが準備の場に潜む恐ろしさではないのもまた確か。……それは、レミーアに挨拶してきた時からわかっていたことだが――
「前にご一緒した時も思いましたが、ガロンさんは本当に指揮能力に長けていますね。それだけの才能、従者として使い尽くすには惜しいのではないですか?」
「おほめ頂き光栄だよ。これからもあの爺さんの従者として、少しでもいい暮らしを手に入れるために邁進していく所存だ」
甘ったるい声で称賛を贈る女性に対して、男――ガロンは苦笑しながら答える。ぱっと見棘がない返答には思えるが、そこにははっきりと女性の誘い文句に対する拒絶の意志が含まれていた。
「というか、そんなことを言ったらお前だってどうなんだ? 躊躇なく懐に飛び込んでは探りを入れられるその胆力、いかにもウチの主が密偵としてほしがる逸材だと思うんだが」
それだけにとどまらず、ガロンは女性に向かって少し棘のある誘いを返す。決して表には出てこないが、少し空気の変わりつつあったツバキとのやり取りを中断させられたことへの恨み節がひしひしと伝わってくるような気がした。
いくら気さくなガロンであろうと、誰でも和気あいあいと会話を続けられるというわけではないらしい。お互いにお互いの裏の意志を分かっていて、その上で平穏を装っているのがこれまた恐ろしかった。……まるでこのやり取りが、従者たちの間では日常茶飯事であるかのように見えてしまうから。
「いえ、お断りいたします。私が何を夢見るか、ガロンさんも知っているでしょう?」
「知ってるよ。知ったうえでそんなもん捨てて俺たちのもとに来ないかって言ってんだ」
丁重な断り文句に強引な誘いを重ね、ガロンと女性の会話はどんどんと火花を散らし始める。一瞬にして蚊帳の外になってしまったツバキが、どこか困惑したように首をかしげていた。
「あら、魅力的な誘い文句。……ですが、ガロン様は好みのタイプというわけではないんですよね。仕事仲間としてみるにはこれ以上の方はなかなかいないのですが」
「だから引き抜きの勧誘だけはしつこくしてくる、と。……その質問をお前がし始めてからもう三年になるわけだが、答えは少しでも変わったか?」
「変わってませんね、そういう一途なところも仕事人間としては高評価です。貴方に声をかけたのはダメ元、あくまでついでの目的ですよ」
それでうまくいけば儲けものってだけです、と女性はあっけらかんとした様子で告げる。甘い声質とは対照的にその言葉が妙に乾いているように聞こえて、俺の背筋に冷たいものが走った。
俺が思っている以上に、ガロンと女性の因縁は長く深いものらしい。だが、当の女性はそれに対して執着を見せることもなく、視線をガロンの方から外す。……そして、その視線は話に置いて行かれて困惑していたツバキの方へと向けられていて――
「……私の目的はこちらのお二方。先の挨拶で一目見てから、『ここで関係性を築いておかなければそれきりになってしまう』と女の勘がうるさく騒いで仕方がないんです」
「……ボクたち、ですか?」
いきなり水を向けられて、ツバキは戸惑っているような声を上げる。それが本心からかそれともそういう演技なのかは分からないが、その姿に対して女性は大きな頷きを返した。
「はい、貴方たちです。……ああ、自己紹介が遅れてしまいましたね。馴染んだせいで少しもときめかない顔とばかり言葉を交わしていたので忘れてしまいました」
ガロンの方にチクリと棘を刺しつつ、女性は背筋を伸ばして立つ。その姿に俺たち三人の視線が集中したのを確認すると、女性は優雅な所作で頭を下げた。
「……私の名はソマリ・フィーリス。来るパーティに参加するとある方の従者筆頭を務める者であり、そして――」
女性――ソマリは丁寧に名乗り、頭を上げるなりツバキの方へと一歩足を踏み出す。……そして、まだ戸惑っている様子のツバキの手を両手で握った。
「あ、え……?」
「――私の全てを愛してくれる殿方を探し、永遠の幸福で結ばれることを夢見る女です」
至近距離でツバキの眼を見つめ、ソマリははっきりと迷うことなく、そして澱みなく自分の内にある願望を告白する。……それを聞いた瞬間、こいつは俺の中でとても厄介な存在へと格上げされた。
もう少し控えめな接し方をしてくるのならばうまく立ち回ることも不可能ではなかったかもしれないが、ここまで踏み込まれてしまうとその難易度はグッと上がる。……ソマリの言葉をかみ砕くなら、こいつはいつだって結婚相手を探しているという事になるんだからな。
その候補に男装したツバキとリリスは選ばれたから、機会を見計らって接触してきたという事なのだろう。現象としては一目惚れという奴なのだろうが、それがここで発生するのは面倒極まりなかった。
「ずっとずっと同じことばっか言い続けてよくもまあ飽きないもんだよな……。そんなんだから『恋愛脳』とか『色ボケ』とか、不名誉なあだ名ばかりが量産されては流布されていくんだぜ?」
その一部始終を隣で見ていたガロンが、呆れきったような声色でその行動をそう評する。ガロンとソマリを取り巻く因縁の中で、こういった行動は何も珍しいことではないらしい。
「大丈夫ですよ、私欲で動く前に従者としてなすべきことはしていますし。『恋慕にうつつを抜かして従者の本分をおろそかにすることがあってはならない』と、主に言い含められていますから」
しかし、それに対してむしろ誇らしげにソマリは返す。自分が色ボケとか呼ばれていることに関しても、自分で認めて割り切っているようにさえ見えた。
「……それで、貴方の名前は何というのですか? ここで名前を知らなければ永遠にその名を記憶に刻み付けることはできないと、私の本能がうるさく急かして仕方がないのです」
「……そう、ですか。そこまで言っていただけることは確かに嬉しいことですね」
ぐいぐいと迫ってくるソマリにたじろぐようにのけぞりながら、ツバキは当たり障りのない答えを返す。それでごまかせるような相手ではないだろうが、それでもしないよりはマシと言ったところだった。
というか、しれっと俺たちの本質を見抜いているのもまた恐ろしい。俺たちが変装することなんてこの二日が終わればもうしばらくないだろうし、性別を偽ることに至っては二度とないと言い切ってもいい――いや、言い切りたいのが現状なわけで。
そういう意味では、ソマリは俺たちの正体に一番近づいた存在だと言っても過言ではない。『女の勘』というものの恐ろしさをまさかこんなところで味わうことになるとは思わなかった。
「諦めろ、こと恋愛に関してこいつはあまりにガチだ。……まあ、頑張れ?」
たじろぐツバキに同情するように、しかしどこまでも他人事のようにガロンは声援を送る。その言葉の通り、いくら後ずさってもソマリの前のめりなコミュニケーションがそれに勝っているようだった。
あるいはそれすらも従者としての立ち回りの一つなのか、ガロンの言う通り恋愛に対しての情熱が段違いなのか。その答えは暗闇の中にしかないが、いつまでもはぐらかして逃げているばかりではいられなさそうだ。言葉を交わす中で後ずさりを繰り返した結果、ツバキよりも少し後ろにいたはずの俺たちにだんだんと並びかけ始めてるからな。
「……分かりました。一度しか言わないからよく聞いてくださいよ?」
ついに観念したようにそう言い、ツバキはソマリから距離を取る。ついに熱意が伝わったと思ったのか、ソマリはそれを追うことはしない。……その代わりに、ただ大きく頷いた。
「ええ、私の耳は些細な音も逃しませんから。……一度きりでも、あなたの名前を捉えて見せます」
「はい、期待してます。……ん、んんっ」
ただ名前を聞くだけだとは思えない強い意気込みにツバキも小さく頷きを返して、それから口元を押さえて小さく咳払いをする。……その様子を見た瞬間、俺の眼はわずかに見開かれた。
口を押さえた手の平から、わずかに黒い靄のようなものがこぼれだしている。口と手の間にできたわずかな空間を揺らめくそれは、間違いなくツバキの得意とする影魔術の残滓だ。
それは横から見ている俺だから視界に入ってきたが、正面に立って意識を耳に集中しているソマリには到底見えるものではない。ましてやこんな場面で魔術を使って打開に動く人間がいるなんて可能性を想像するのは、影の揺らめきを目にすることより難しいわけで――
「ボクの名前は、『―――・――』ーザです。従者としては未熟者ですが、どうぞお見知りおきを」
「……何、ですか?」
――ツバキの名乗りを聞いた瞬間、ソマリは大きく首をかしげることになった。
今まで状況に振り回されっぱなしのツバキでしたが、しかし彼女もやられっぱなしではありません。最後の仕掛けが会話にどんな影響を与えていくのか、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




