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第二百五十四話『かけないフィルター』

「……ふう、やっぱり落ち着くのはこっちだよな……」


 いつもの寝間着を身にまといながら、水浴びを終えた俺は背中から柔らかいベッドへと倒れ込む。普段あまり経験しない長い買い物や、妙な雰囲気を纏うアグニとの遭遇もあってか、拠点となるホテルに戻ったとたん今まで無視されてきた疲れがドバっと噴き出してきたような感覚に襲われた。


 アグニとショッピングを同列に並べるのもなかなか妙な話な気がするが、そもそも買い物がアグニ達の対策の一環を兼ねてるわけだから実質根源は同じようなものだ。ショッピングはただ疲れるだけじゃなかったにしろ、知らない世界を経験してきたことには間違いないしな。


「ふう、やっとあの締め付けから解放されたわ……。てっきり着付けなんかは男の人の方が楽かと思ってたけど、そんなこともないみたいね」


 そんな俺と同じようにベッドへ寝転んで、体をグーッと伸ばしながらリリスは大きなため息を一つ。その髪の毛を優しく撫でながら、ツバキは苦笑しながら返した。


「ボクたちと男の人の体つきってのはいろいろと違いがあるからね、そこを調整しようとすれば窮屈になるのも仕方がない話さ。さらしを巻いたり髪をごまかしたり、色々する必要があっただろう?」


「……ああ、そういえばそうだったわね。胸は押さえつけられるし髪の毛はめちゃくちゃ膨れるし、服を着るよりその準備の方が大変だったかも」


 ツバキの回答に相槌を打ちながら、ゆっくりとリリスは寝返りを一つ。うつぶせになって足をばたつかせるその様子からは、リリスが完全に休息モードに入っていることがよく分かった。


 環境が違いすぎるとはいえ、不老不死を巡る事件の時はこんなにリラックスしてるところは見られなかったからな……。アグニやらパーティやら面倒なことは多々あるが、それでもこうして脱力できる場所があることが今回の救いだと言ってもいいだろう。いつ何時でもスイッチを入れて警戒していなければいけないってのは厳しすぎるだろうからな。


「まあまあ、変装をするってのはそういう事ですわよ。その格好をすることに慣れているならともかく、慣れない装いをするときに身体が強張るのは必然的なことですわ」


 のんびりとした調子で言葉を交わすリリスとツバキを見つめていると、四つのカップをお盆にのせたバルエリスがキッチンの奥から笑みを浮かべながら歩いてくる。ベッドサイドに配置された小さなテーブルにカップを乗せて回るその姿を見ていると、どっちが高貴な立場なんだか一瞬分からなくなってしまった。


「……悪いな、俺たちに気を使ってもらっちゃってさ」


「いいえ、今日を経て一番疲れていないのはわたくしだって分かってますもの。それを理解しているなら、わたくしが率先してやらなくては礼に欠けるというものですわ」


 盆の上に残った最後のカップを取り上げ、優雅にすすりながらバルエリスは俺の言葉に応える。その動作につられて俺も一口頂くと、柔らかいホットミルクの風味が口の中に広がった。


「……うん、美味しい。これを飲むと一日の疲れが溶けていくようだよ」


「そうね。……体に染みわたるような味って、こういうことを言うのかしら」


 リリスたちもホットミルクに好意的な感想を残し、それを聞いたバルエリスの表情がどんどんと満足げなものに変わっていく。残すところあと三口ほどのところで俺は一旦カップを机に戻して、ニマニマとほおを緩めているバルエリスに水を向けた。


「……そういえば、あの守衛と話してるときも『身分だけを見るのは好まない』みたいなことを言ってたよな。あれはお前の家――アルフォリア家に徹底されてる考え方なのか?」


「……いえ、残念ながら全員がそう考えているという事はありませんわね。わたくしに長く連れ添ってくれる執事たちはもう馴染んでいますが、父さまにまでそれが浸透しているかと言われれば怪しいところですわ」


 少し悲しそうな表情を浮かべて、バルエリスは俺の質問にそう答える。カップを持っていない方の手は、いつの間にかぐっと閉じられているようだった。


 まあ、世の中の貴族やら高貴な人々が全員バルエリスのような考え方だったらそもそもパーティに嫌悪感を持つことはないだろうしな。もっと言えば奴隷市なんて悪趣味なものはなかっただろうし、あったとて顧客に恵まれないですぐに廃業することになっているだろう。……そうじゃないという事は、まあきっとそういう事なのだ。


「それじゃあ、アレは君自身が貫き通したい考え方ってことか。……となると、それもまた憧れの騎士の在り方ってことになるのかい?」


「ええ、もちろんですわ。わたくしが理想とした騎士は、守る対象に貴賤をつけませんでしたもの。背中に隠れるそれが王国に住まう命ならなんであろうと守る。……そんな彼に憧れているんですもの、平時から人の身分だけ見て考えていてはいけないでしょう?」


「へえ、なるほどね……。それは確かに、立派な考えだ。主と護衛の関係を演じてるからって高圧的に当たってくるよりは、こうやってフレンドリーに接してくれた方がボクたちもやりやすいからね」


「間違いないわね。というか、高圧的な主に従うのは少し前にさんざん経験したからもうたくさんだし」


 少し含みを持たせているようなツバキの答えにかぶせて、ただただ心からうんざりしているような口調でリリスは付け加える。大方商会勤めの時を思い出しているのだろうが、やはりどうやっても商会の主に関わる話題はネガティブな印象にしかならないらしい。……それが今回の護衛としての思い出で少しでも上書きできるなら、ふとした時に思い出してテンションが下がることもなくなるのかもな。


「ま、どうしても貴族や王族ってのは高圧的だーって印象が俺たちからするとあるからな。それをいい意味で覆してくれたって意味では、お前の存在はありがたいよ」


「過去の人間が残した悪しき印象、というものですわね……。当人たちにそれを改善する気がないどころか、その認識を逆手にとって横柄に振る舞っているのがなおさら悪趣味ですわ」


 嫌悪感を隠すこともなくため息をつき、バルエリスはやってられないと言わんばかりに首を横に振る。貴賤のフィルターを通すことなく人間を観察するバルエリスからすれば、交流がある貴族たちは揃いも揃って相当ろくでもないものに見えているのだろう。……そんな奴らが入り乱れる世界の一端に今から足を踏み入れなければならないと思うと、少しばかり緊張してくるな。


「……そういう奴らを相手取る以上、ボクたちも振る舞いには気を付けないといけないね。ただでさえアグニ達が敵として強大なのに、あんなところで新しく敵を作ってちゃやってられないし」


「そうね。味方にするでもなく敵にするでもなく、無難にあしらっていくぐらいがちょうどいいでしょ」


「ええ、妥当な対応方ですわ。……実は一つだけ面倒な展開になる可能性は思い当っているのですが、それはわたくしたちの側からすればどうにもならないことです。参加者の方々の虫の居所がこの部屋並みのものであるよう、皆様で祈るぐらいしか対策はありませんわね」


 リリスとツバキが示した方針に同調しつつ、バルエリスは軽く瞑目して祈るようなしぐさを見せる。その可能性とやらは気になるが、バルエリスが『どうにもならない』と言っている以上は俺たちにやりようはないのだろう。貴族がらみの問題だってことだけははっきりとわかったしな。


「……さて、今日はもう寝ると致しましょう。明日からの二日間は、ともすれば当日よりも消耗が激しくなるかもしれませんもの」


「ああ、だからホットミルクだったのか。安眠にもいいって話だしな」


 俺たちに倣って空いたベッドに倒れ込むバルエリスを見て、俺はカップの中のホットミルクを一気に飲み干す。会話を経てホットミルクは少しだけ冷め始めていたが、それがかえってちょうどいい温度感を演出していた。


「ええ、今日はもう寝るに限るわね。……皆、変なクマとか作らないでよ?」


「大丈夫だ、もう眠気がすぐそこまで迫ってるからな。……それじゃ、おやすみ」


 手元にあった照明のスイッチをオフに切り替えて、俺は枕に顔を押し付ける。……その瞬間、今日一日で蓄積した疲れが睡魔となって俺の意識を一瞬で途切れさせた。

 それぞれ英気を養いつつ、次回から準備への潜入へと物語は動いていきます。果たしてマルクたちはアグニ達の策略を超えられるのか、そして変装は通用するのか! 皆様ご注目いただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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