第二百三十九話『たどり着いた宿で』
「……何つーかお前、本当にご令嬢だったんだな」
「いまさら何を言っていますの……。単身でパーティに乗り込むんです、せめて泊まるところぐらい豪華なところを準備しておくのは当然の事でしょう?」
五人ぐらいは余裕で座れそうな横幅のソファーに座りながらバルエリスにそんなことを言うと、少し憮然とした様子で答えが返ってくる。その視界の隅では、スプリングの利いたベッドでリリスとツバキが楽しそうに体を弾ませていた。
幸いなことに古城からの帰り道で俺たちが災難に襲われることはなく、無事にパーティ会場のおひざ元であるバラックの街にたどり着くことができた。そこで俺たちに浮上したのが滞在中の宿をどうするかという問題だったのだが、『護衛と言う名目ならば同じ部屋に泊まるのが自然でしょう』とバルエリスが手を差し伸べてくれてこの部屋を訪れたという形だ。
……なのだが、正直言ってこの豪華さは予想をはるかに上回っていると言わざるを得ない。今俺たちが滞在しているのはこの街でも一番大きいと言われるホテル、その最上階に位置する大部屋だった。
『もともと予約していたんですのよ』とかすました顔で言っていたが、こんなところに一泊するだけで俺たちの一か月分の稼ぎぐらいは余裕で飛んで行ってしまうだろう。馬車での初遭遇から半日ほどが経って、ようやく俺はバルエリスのパーティ参加者っぽい一面を目にしていた。
「それに加えてここは普通の階段では来れませんし、呼ばなければホテルの方々も来ることはありません。……つまり、安心して秘密の会話ができるという事ですわね」
「……まあ、それは確かに安全だな。でもここ、もともと一人で取ってた部屋なんだろ? それなら秘密の会談も何もないんじゃ……」
胸を張って俺たちにそう切り出すバルエリスにふと浮かんだ問いを投げかけると、楽しげだった表情が突然硬くなる。……どうやら、秘密の会談と言うのは結果的な恩恵に過ぎないらしい。
「私たちからしたら、睡眠環境が良くなるのはありがたい限りだけどね。……でも、たった一人で泊まるためにこの部屋を使うのは少し気になるわ」
「そうだね。……もしかして、直前まで同行するはずだった人がいたとか?」
未だなお体を上下させながら、リリスとツバキも俺の質問に同調してくる。楽しそうな様子を見る限りでは相当リラックスしているはずなのだが、追及となると手を抜かないのは流石と言うべきだろうか。
しかし、その矛先を向けられたバルエリスは特に怖がるような様子は見せていない。……その代わりに、何か苦いものでも食べたのかと聞きたくなるぐらいに眉間にはしわが寄っていた。
「いませんわよ、最初から一人旅ですわ。……ですが、わたくしにはここを確保しておかなければならない理由がありますの」
「……と、いうと?」
真剣な表情で断言したバルエリスに、俺は思わず息を呑みながら続きを促す。まさかこの部屋には、バルエリスしか知らない特別な秘密でもあるのだろうか――
「分かりきったことですわ。……この街で最も格式高いホテルの最上階なんて高級部屋、ほかの参加者が取ろうものなら耳が腐るような自慢話を延々聞かされますもの……」
「あーーーー……」
心底うんざりしたようなバルエリスの説明に、ツバキは両手を投げ出しながら共感のため息を吐く。社交界とかにはなじみがないからよく分からないが、言いたいことはまあ分からないでもないような気がした。
言ってしまえば、クラウスが見せびらかすように豪華な装備をつけて歩いているのと理屈は同じなのだ。『自分はこんだけ財力と地位があるんだ』と自らを誇示するための道具として、このホテルの評判はちょうどいいという事なのだろう。……関係性もまだロクに構築できていないマダムたちからそんな話を聞かされることになると思うと、想像しただけで少しげんなりした。
「……ね、分かっていただけるでしょう? これは贅沢でも何でもなく、自分の精神と耳を守るための正当防衛というわけなのですわ」
思わぬメリットもついてきましたが、と付け加えつつ、バルエリスは大きなため息を吐く。自慢話を一個潰しに来る徹底っぷりもそうだが、バルエリスは相当社交界というものを嫌っているらしい。
「ま、確かにそれならこんなに広い部屋を選ぶのにも納得ね。……護衛時代に同業者から聞かされてきた武勇伝、どれも死ぬほど味気なかったもの」
「ああ、ボクたちをどうにか振り向かせようとして色々聞かされたっけね。……ちなみにあれ、七割ぐらいは嘘だったってのは知ってるかい?」
リリスの回顧に乗っかってきたツバキの暴露に、リリスは無言で大きく目を見開く。……その感じだと、リリスは一応真実だとして受け取ってはいたようだ。その後に続いた特大のため息が、リリスの呆れを何よりも分かりやすく表現していた。
「同じような経験をしてくださっているなら話が早いですわ。わたくしもよくこの手段を取るのですが、なかなか理解してくださらない人も結構な数いるものでして」
「自慢話の類って人によって感想変わりそうだからな……。俺はあまりされてきてないから分からないけど、クラウスのわざとらしい金持ちアピールにはうんざりしてたし」
あの魔剣にも装備にも罪がないのは分かっているにしても、それでも見せられ続けてれば嫌にもなるというものだ。俺を追放するときにも欠かさず装備していたあたり、自己顕示兼お気に入りぐらいのレベルなのかもしれないけどさ。
「……まあ、自慢除けの話はこれぐらいでいいですわ。せっかくわたくしが対策を施したのにもかかわらず、そのパーティ自体を破壊しようとする輩がいるんですもの」
「話の土台からひっくり返されちゃ、どんな対策も無駄に終わってしまうもんね。……確かに、アレはちゃんと対策しないといけなそうだ」
冗談めかしたバルエリスの表現に笑みを浮かべながらも、頷くツバキの表情は真剣なものだ。気が付けば二人ともベッドで弾むのをやめて、ベッドの縁に並んで腰かけていた。
「……正直なところ、一階撃退したぐらいで諦めてくれる気がしねえよな。そもそも罠も仕込んであったところを見るに、当人がいなくても事件を起こせるようにはしてるわけだし」
「何よりリーダー格が転移魔術の使い手だもの、撤退も再展開も普通よりよっぽど楽にできるのは間違いないわ。……さすがに全部が全部自由に転移できるとは、思いたくないけど」
「ああ、それだとボクたちがだいぶ苦しくなってしまうからね。……魔術神経的にも、転移魔術なんてかなり負担のかかる魔術だろう?」
俺の方にちらりと視線を向けながら発された問いに、俺は迷うことなく首を縦に振る。魔道具によって発生させられたものだから余計にひどかったのかもしれないが、カレンと戦った後の俺の魔術神経はかなり傷ついてたからな。はっきり言ってしまうなら、リリスとツバキを相手にした後に転移できるだけの魔力が残っている時点ですでにおかしいのだ。
「ほかの構成員はともかく、あの男――アグニだけはとても厄介ね。アイツの存在がある限り、私は絶対にマルクを一人にできないわ」
「そうだな、常にだれかの傍にいておくことにするよ。少なくとも、アイツの転移魔術のタネが割れるまでは」
まさか無制限という事があるわけもなし、何かしらの限界と制約はアグニにも存在するだろう。俺はまだ実際に遭遇したことがないが、次の目標はそこになってきそうだった。
「……本音を言うなら、このまま何も起こらないでくれるなら万々歳なんだけどな。……素直にそうなってくれるほど、俺たちのクエスト運はいいわけじゃねえし」
「うん、ボクもそう思うね。……悔しい話だけど、ボクたちはあの男を敗北させることができなかったからさ」
自虐的な俺の言葉に、ツバキはこぶしを握り締める。俺からしたら無事に帰ってきてくれただけで十分嬉しいのだが、本人からすると納得いかないのだろう。その姿を見れば、次の遭遇でも負けることはないだろうと思えた。
「とにかく、明日からもいろいろと対策を立てて動かないといけないってことだけは確からしいわね。……だけど、今はそれよりも先にしなくちゃいけないことがあるでしょう?」
少しだけ神妙になった部屋の雰囲気をリセットするかのように、リリスが軽く手を叩きながら俺たちにそう問いかける。……それに真っ先に首をかしげたのは、しばらく口をつぐんでいたバルエリスだった。
「大事なこと――対策の話をするよりも、ですの?」
「ええ、間違いないわよ。だって、ここには基本的に私たち以外立ち入れないんでしょ?」
戸惑いを隠さないバルエリスに大きな頷きを返し、リリスは大きな伸びを一つ。……そして、俺たちを一通りぐるりと見まわすと――
「――せっかくここが安全なら、今はたっぷり睡眠をとることが先決でしょう? 馬車移動から探索、それに戦闘って続くと、さすがの私も疲れてるって言わざるを得ないのよ」
あくびを隠すかのように口を手で覆いながら、リリスはストレートに提言する。……そろって目を見開いた俺たちから、その方針に異議を唱える者は一人として出てこなかった。
という事で、マルクたちのバラック滞在一日目はこれにて終了となります! 次回から二日目――と行きたいところですが、次回は少し視点が動く予定です。まだまだ加速して大きくなっていきますので、ぜひお楽しみにしていただければと思います!
――では、また次回お会いしましょう!




