第二百三十八話『残された証明』
「……何が、起きてるんですの?」
俺からワンテンポ遅れて状況を把握したバルエリスが、戸惑いを隠し切れない様子で俺にそう問いかける。今まで見たくそれに明確な答えを提示したかったのだが、こればかりは俺にも全く訳が分からなかった。
バルエリスの攻撃は強烈そのもので、実際のところ意識が戻る気配はなかったはずだ。だが、それでも二人の刺客は忽然と消えた。……それならば、誰かが干渉することでそうしたと考えるのが自然ではあるのだろう。
だがしかし、いったい誰ならそれをできるというのか。転移の魔道具を使ったことがある身だからわかるが、転移魔術と言うのは体に半端ではない負担をかけ。それをあっさりと、しかも自分ではない存在を対象にして実現してしまえる魔術師とは、いったいどれだけ強靭な魔術神経を有しているのか――
「――ずいぶん難しい顔をしてるじゃない。私たちがいない間に何かややこしいことでも起きてたのかしら?」
降って湧いた難問に俺が頭を抱えていると、頭上から冷静な声が聞こえてくる。それに反応して上を見れば、手をつないだリリスとツバキが揃ってこちらに飛び降りてきていた。
ここから三階までは七メートルほどはあるはずだが、風魔術を利用して二人は器用に着地して見せる。その落ち着いた面持ちは、本当に戦いがあったのかと疑いたくなるぐらいにいつも通りだった。
だが、普段とは明らかに違う防具の汚れ様がその中で二人の激闘を物語ってくれている。……普段めったに防具を汚すことがないツバキですらも防具に負担をかけているあたり、何か予想外の事態が起きたことだけは間違いなさそうだ。
それが分かるからこそ、平静を装って話しかけてくれる二人の思いやりが身に沁みる。それにありがたく甘えることにして、俺は小さく首を縦に振った。
「ああ、留守番の最後でとんでもない難問とぶち当たってな。……実を言えば、その前にも窮地には立たされたけどさ」
リリスの問いかけにそう答えながら、俺はカバンに詰めていた魔道具を取り出す。俺たちの手元に唯一残った証拠ともいえるそれが視界に入った瞬間、二人は眼の色を変えてこちらを見つめてきた。
「……それ、誰から手に入れたの?」
「当然、俺たちを襲ってきた輩からだよ。遠距離から狙われたときは死ぬかと思ったけど、ここぞって場面でバルエリスが活躍してくれて何とか助かった」
できる限り大事に聞こえないように話しながら、俺は空いたほうの手でバルエリスへと水を向ける。いきなり話を振られて驚いたのか、バルエリスは一瞬背筋を跳ねさせた。
「……なるほどね、ボクたちが見つけたの以外にも刺客は潜んでたってわけか。……それをバルエリスがどうにか撃退してくれたと、そういう認識でいいのかい?」
「ええ、事実としてはそうですわ。……ですが、それはわたくしだけの戦果ではありません。……マルクさんの言葉がなければ、わたくしは立ち上がることもできずに震えていることしかできなかったはずですもの」
しかし、緊張している様子ながらもツバキの問いに堂々とバルエリスは答える。襲撃される前の自信に充ち溢れた様子とはまた少し違っているように見えたが、これはこれで好印象だ。
一方のツバキはと言うと、その言葉を品定めするかのようにじっとバルエリスの方を見つめている。その黒い瞳は、言葉の奥に隠れた思い事すべてを見透かしてくるかのようだった。
初めてその視線にさらされたとき、背筋に冷たいものが走ったのを俺は鮮明に覚えている。もっともその時は、俺の言葉に嘘はないとすぐに判断してくれたわけだが――
「……うん、実際に二人ともケガはなさそうだもんね。……ありがとう、非力なボクたちのリーダーを守ってくれて」
「逃げるすべは少し叩き込んだけど、戦闘に関してはからきしだものね。……あなたが立ち上がってくれなかったらと思うと背筋が凍るわ」
真剣な表情から一転柔らかい笑みを浮かべたツバキに続いて、リリスも肩を竦めながら小さく笑みを作る。バルエリスが一つ自分の殻を破って得た成果を、二人は見誤ることなく見抜いてくれたようだ。
「ああ、心から肝が冷えたよ。あの時のお前は、どんな騎士よりも騎士らしい姿だった」
二人の称賛に乗っかって、俺もバルエリスに向けて拍手を贈る。バルエリスからは何か言いたげな視線が送られてきたが、それはあえて見ないふり。……どれだけ俺が助言を贈っていたところで、最後に一歩を踏み出したのはバルエリスでしかないからな。その成果の一かけらたりとも、俺が横取りする余地はない。
「……というか、お前たちの方は大丈夫だったのか? 下から聞いてても随分と激しい音がしたけどさ」
「大丈夫……って言い切ると、少しばかり語弊があるね。それに関しては、ここを見てくれれ場分かるだろう?」
ここをキリがいいと見て話題を変えた俺の問いかけに、ツバキは苦々しい笑みを浮かべながら答える。……その言葉とともに、ツバキはこちらに右腰を捻って見せた。
左足を前にして立っていた都合上今までよく見えなかったが、ツバキの装備の右半分は全体的に見ても際立つぐらいに汚れが激しくなっている。……そんな中でも、防具のわき腹部分に空いた穴は異質な存在感を放っていて。
「……おい、これってまさか」
「うん、そのまさかだよ。ボクたちはこの城の上階で、この襲撃を画策した組織の幹部かボスと思しき存在と接触、交戦を行った。……『我々』なんて気取った感じで言ってたところを見るに、この襲撃が組織的なものであることはほぼほぼ確定と見ていいだろうね」
ま、その過程でボクもこんな傷を負ってしまったわけさ――と。
まるでその辺で転んだことを語っているかのような気楽さで、ツバキは自分の装備に空いた穴を解説する。……だがしかし、その穴を見る感じではツバキの脇腹にも何かしらの影響を及ぼしているような気がしてならなくて。
「ツバキは軽い感じで言ってるけど、起こっているのは間違いなく異常事態よ。……はっきりと言うけど、あそこにいた幹部に勝つには私の全部を出し切らないと難しいと思うわ。――いや、そうしても引き分けに持ち込まれる可能性は決して低くないでしょうね」
そんな俺の予感を補強するかのように、リリスが鋭い眼光を宿してそう付け加える。……その言葉を真っ向から信じるなら、あの轟音はリリスが全力を出したときのもの、なのだろうか。
「……とにかく、ヤバいのがこの城にいたってのは分かった。……それで、そいつはどうなった?」
「どうなった……って聞かれると、答え方が難しいね。一応の損害は与えられたと思うけど、肝心の幹部――アグニ・クラヴィティアにはあっさり逃げられちゃったからさ」
思わず前のめりになりながら質問を続けると、ツバキは大きく肩を竦めて返す。……リリスとツバキから逃げ切ったという時点で正直驚くべきことだが、ここで問うべきはそこではなかった。
「……逃げた? ……入り口は絶対に通ってないはずなのに、どうやって?」
轟音で視線を上に向けていた時はあったが、俺たちは基本的に二人の刺客――もっと言えば、その背後にある大扉の方に視線を向けていた。つまり、俺たちに気づかれずに大扉から抜けるのは不可能と言っていいのだ。いくら相手が隠密に長けていると言っても、気づかれずに大扉を開ける技術なんてものはあるはずがない。窓が割れたような音は聞こえてこなかったわけだし、それこそ転移魔術でも使わなきゃ逃げることなんてできるはずもないはず――
「……いや待て、おいおいおい……」
そこまで考えて、俺の頭の中で不思議と今までの情報がぴたりと合致する。忽然と消えた二人の刺客、同じく消えたアグニ・クラヴィティア。この二人に共通するのは、『転移魔術でも使わなきゃ実現ができない状況』ということだ。
最初に思いついたときは『そんなことができる魔術師がいるのか』と仮説から外れかけていたが、リリスとツバキのコンビにわたりあえる存在が上にいたなら話は大きく変わってくる。……というか、それで合点がいってしまうのだ。
「……バルエリスが倒した二人の刺客なんだけどさ、お前たちの方からとんでもない音が聞こえた時に消えちまったんだ。……まるで、転移魔術でも使われたみたいにさ」
限りなく信憑性が高くなった仮説を確認するために、俺は二人に向かって問いとも報告ともつかないような言葉を発する。……すると、すぐさま二人から首肯が返ってきた。
「ああ、ならそれもアグニの仕業だろうね。……あの男、厄介なことに転移術師だからさ」
「ええ、あの部屋にいた部下たちもアグニと一緒に消えてたから間違いないわ。……ほんと、私たちはいったいどんな組織を相手してるっていうのかしら?」
ツバキが俺の推論を確信へと変え、それを受けたリリスが皮肉げな笑みを浮かべながら誰向けともつかないような問いかけを発する。――今や刺客の存在を唯一保証するものとなってしまった細長い魔道具が、俺の手の中でずっしりと嫌な重みを主張していた。
古城での戦いが一段落して、第四章はまた一つ先の段階へと進んでいきます。色々な縁や思いが交錯する第四章はまだまだ続いていきますので、ぜひこの先も楽しんでいただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




