第二十三話『口火を切るのは』
「耳を塞ぎたくなるくらいに汚い声色ね。出来れば信じたくないけど、アレがそうなの?」
「……残念ながら。アレが俺の元上司、クラウスだよ」
怒鳴り散らかしながら受付カウンターに乱暴に手を叩き付けるその様子を見つめながら、リリスは露骨に不快そうな表情を浮かべている。その反対に立つツバキも、小さくため息をついていた。
どうにかこうにか主張を噛み砕くと、どうもクラウスの受けようとしていた仕事が他の誰かに先を越されていたらしい。『それをクリアできるのは双頭の獅子だけ』なんて評価を受けていたようだし、どうせ取られることはないだろうと後回しにでもしていたのだろうか。
本来クエストなんて早い者勝ちでしかないし、クラウスの主張はお門違いもいいところだ。だが、自分の思い通りにいかなければ何をしてでも相手を糾弾しようとするのがクラウスの悲しい性質だった。
俺を『詐欺師だ』なんて言って追放したのも、その子供のような気質によるものだろうからな。どこまで行っても、アイツは自分に非があることを認めようとしないのだ。
「……お互い、良い上司に恵まれなかったんだね。その苦労はお察しするよ」
「無理やり同行させられたってところまで一緒だからな……。追放された時はどうなる事かと思ったけど、そうしてくれただけ俺の方がまだマシだったのかもしれねえや」
少なくとも、今外から眺めるクラウスの姿は最悪そのものだ。あの自信はどこから生産されているんだと問いかけたくなるくらいに、あいつは自らの主張の正当性を信じて疑っていない。……俺、あんなひどい奴に人生のそう短くない期間を預けてたのか……。
「……なんつーか、人生無駄遣いしてんなあ」
「今そう思えてるだけマシでしょ。問題なのは、それにまだ気づけてない人たちがいることよ」
思わず頭を掻いてしまう俺に、リリスは小さく首を振りながらそう答える。その青い瞳には、クラウスの横暴を見つめながらも何もしないギルドの面々が映し出されていた。
クラウスに目を付けられれば、この街でまっとうに冒険者としてやっていくことは難しい。それが一般冒険者の中での共通認識であり、それを打破できた者は一人もいないのだ。誰もが認めたくないと思いながらも、『双頭の獅子』は王都随一のパーティなんだから。
「おい、何とか言ってみろよ。一番稼げる仕事を俺たちに回さなかった正当な理由、是非ベテランのアンタの口から聞かせてほしいなあ⁉」
「……そ、それは」
その剣幕はすさまじく、レインですらその威圧感に呑まれかけているのが遠目からでも分かる。クラウスがこれまでやってきたことをレインが知らないわけもないだろうから、おびえてしまうのも無理はない話だった。それでもなおカウンターから逃げることをしないその姿にむしろ拍手を送りたいくらいだ。
「……本当に、醜悪」
「ボクたちの主人もだいぶ屑ではあったけど、アレはまた別種のそれだね。一応、あの人はルールを堂々と踏み倒すようなことはしてこなかったからさ」
二人が見つめる視線の先で、クラウスはカウンターに大きく身を乗り出している。さすがに武力行使に出ることはないだろうが、だからと言って全く怖がらないでいられるほどレインの肝も太くはないだろう。
「さあ、早く言ってみろよ! 正当な理由がないなら、俺たちもハイそうですかとは引き下がれねえぞ⁉」
これが最後通牒だと言わんばかりに、クラウスは唾を飛ばして怒鳴り散らす。その張り詰めた空気を、ギルドに居合わせた面々は固唾を飲みながら見守る事しかできなかった。
「……マルク、もう我慢ならないわ。多少暴力的になってでも、私が――」
だが、俺の隣に立つ仲間たちは違う。今までにないくらいに鋭い視線をクラウスに突き刺しながら、リリスはつかつかとカウンターに歩いて行こうとしていた。
その姿は仲間として誇らしいし、出来るならこのままでいてほしいと思う。あれだけひどい環境にありながらも変わることのなかったその姿勢は、それだけで稀有なものなのだろう。……だが、俺は歩き出そうとするリリスを片腕を伸ばして制止した。
「……ちょっとマルク、何してるの?」
「ボクからもその真意を問いたいところだね。アレが横暴を振るっているのは、君にとって許しがたい光景だろう?」
その制止は全く以て予想外だったのか、リリスは信じられないといった感じでこちらを見つめてくる。ツバキからも凍り付きそうな視線が飛んできたが、俺はその両方に対して大きな頷き一つで応えた。
「ああ、アイツだけはぎゃふんと言わせてやらなきゃ気が済まねえ。今起こってることだって、絶対にまかり通っちゃいけねえ主張だよ」
「じゃあ、どうして――」
「――だから、アイツを止める先陣は俺が切る。これは俺が始めたことなんだからな」
いくら二人が頼れる仲間であろうと、こんな時にまで頼ってばかりではいられない。クラウスを糾弾するなら、その口火を切るのは俺でなければならないのだ。二人には悪いが、それだけは絶対に譲りたくなかった。
その思いがエゴでしかないことは分かってるし、俺が向かうことで起こるかもしれない最悪の展開だってある。……だが、それから逃げてちゃ俺たちの目的が果たせるわけもないだろう。その判断がどれだけ理にかなっていなかろうが、ここは俺が踏み込まなければいけない場面だった。
「……分かったわ。貴方が困ったら、私達もすぐに助太刀するからね」
「ボクも同意見だよ。……疑ってしまって、申し訳なかった」
その俺の想いに納得してくれたのか、二人はすっと一歩後ろに下がる。湧き上がる激情を抑えて背中を押すようなその姿を見て、俺の目頭が少し熱くなった。こんなに良い仲間と出会えた俺は、きっとこの王都でも有数の幸せ者だ。
「……二人とも、ありがとうな。お前たちが後ろにいてくれるなら、何も怖くなんてねえよ」
その思いに精一杯の敬意と感謝を示して、俺はカラミティタイガーの素材が入った麻袋を抱え直す。かなりずっしりと重いそれを両手でしっかりと支えて、俺はクラウスの姿を見やった。
「……なあ、早く教えてくれよ。寛大な俺もそろそろ我慢ならねえぞ? ご存じの通り、詐欺師のこともあって俺は今虫の居所が悪いんだ」
その視線の先で、クラウスはさらにレインへと詰め寄っている。自分のことを寛大なんてよく言ってくれたものだが、あいつの中ではそれが真実なんだからまあ仕方ないだろう。虫の居所に関してはこれからもっと悪くなるかもしれないが、それは自分の行いがもたらしたことだと思って許してほしい。
「だから、それはですね……」
クエストを誰が受けたのかという情報は、ギルドにとって保護するべき重要機密だ。だからこそレインは具体的な答えを返せずに、クラウスの剣幕にただのけぞる事しかできずにいる。
それでもレインがギルド職員の誇りにかけて機密を保持し続ける以上、クラウスの望む答えがレインから返ってくることはない。そうなれば、もう誰もクラウスの質問に答えることなんてできないのだ。
「――悪いな、お前が受けようとしてた依頼は俺たちがもうとっくにクリアしてきたんだ。悪い詐欺師に出し抜かれたと思って、ここは一つ手打ちにしてやれないか?」
――クラウスが受けようとしていたであろうクエストを先に受注していた、俺たち以外は。
「マルクさん……⁉」
突然カウンターに歩み寄って麻袋を叩き付ける俺の姿に、レインさんは驚きの表情を浮かべる。その声につられるようにして、クラウスの視線がぐるりとこちらへと回って来て――
「一日ぶりだな、クラウス。ちょっと見ないうちに老けたか?」
――怒りのせいかひどく充血しているその瞳が、『詐欺師』の姿を映し出した。
ということで、次回直接対決です! 果たしてマルクはクラウスに対して何を語るのか、そしてそれがギルドに、王都に何をもたらすのか! ご期待いただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




