第二百三十話『未知数の雰囲気』
その男の瞳は濁った青色をしており、どこを見つめているかも判然としない。だが、ツバキの本能が声高に危険信号を発している。……この男に対する警戒を解くことは、死にも等しいと直感的に理解していた。
「何者か……っつうのは、すっげえ難しい質問だなあ。なんせ俺たち、今はまだ何者でもない存在の寄せ集めみたいなもんだからよお」
ゆらりゆらりとこちらに歩み寄りながら、けむに巻くような言動を男は発する。まるで酒にでも寄っているかのようなおぼつかなさだが、転ぶ気配を微塵も感じさせない体幹は男の修練の積み重ねを否が応でも感じさせる。……間違いなく、さっきあしらった男たちよりも強いだろう。
「だから悪りいな、お前たちが満足できるような大層な名乗りはできねえ。そうさな、せめて名乗るんであれば――」
ゆらりゆらり、のらりくらり。そんな擬音が体中にまとわりついているのかと思いたくなるぐらいの足取りで、男は並び立つ二人に向かって歩み寄ってくる。……そんな態度の中にも明らかに感じる危険な雰囲気に、二人は揃って身を落として――
「――アグニ・クラヴィティア。……少なくとも、お前さんたちの味方ではねえな」
男――アグニが右腕を閃かせると同時、リリスも腕を振るって氷の盾を空中に精製する。その直後、さっき階下で聞いたような甲高い音が部屋の中に響き渡った。
おそらくだが、リリスの作り上げた盾が男の放った弾丸を防いだのだ。動きの緩急もあってツバキの眼では追いきれなかったそれを、リリスは完璧に見切っている。……その事実は、アグニからしても驚くべきことのようだった。
「へえ、それを捌いて見せるかね。……どうやらただの探検好きとしてここに来たってわけでもなさそうだ」
「そっちこそ、明らかに普通じゃない技術と身のこなしね。……面倒な話になってきたわ」
話がどんどんと大きくなってきていることを察知して、リリスは小さくため息を吐く。それが向くべきは子の面倒を引き起こした原因たる依頼人になのか、察知されるきっかけになったバルエリスになのか。しばらく考えて『どうでもいい』という結論に至り、リリスは一歩前に進み出た。
「ツバキ、援護をお願い。……こいつ相手に、出し惜しみをしている暇はなさそうだわ」
「ああ、そうだね。この場は君に任せる」
自身での戦闘を早々にあきらめ、ツバキは自らの魔力リソースをリリスへと回す。その様子を見つめて、アグニはさらに声を上げた。
「はあ、さらに上があんのかい……。スピード勝負はおっさんにけしかけるもんじゃないぜ?」
「悪いわね、あなたたちの希望は一つも聞かないって決めてるの。だから――」
あからさまなため息をついて見せるアグニに対して、リリスは軽蔑の視線をさらに強める。……そして、言葉を切りながら床を蹴り飛ばして――
「……一撃で、吹き飛びなさい」
一歩、ただそれだけで互いの距離をゼロにして、リリスはアグニの鳩尾に向かって目にもとまらぬ掌底を放つ。ただでさえ高い身体能力に影魔術の支援が上乗せされたそれは、どんな見切りも通り越して先手を奪いとる近接戦最強格の一手だ。……当然、それへの信頼度は高い。
――だからこそ、なのだろう。
「……ふっ、う……。おっさんに急な運動させるなっつってんだろお? ったく、最近の若いのはじゃじゃ馬が多くていけねえぜ」
「……は、あ?」
間違いなく鳩尾に入ったと思った一撃がどこからか現れた小盾によって防がれたとき、リリスの表情があっけにとられたようなものへと変じたのは。
「おっと、これで勝てると思ったか? 残念、おっさんはそこら辺の奴よりちっとばかし強いんだ。……簡単には、死んでやれねえのよ」
そのまま盾によって掌底が払いのけられ、リリスの体勢が僅かに崩れる。その一瞬を見逃さんと言わんばかりに、アグニを守った盾が銃へと変じたのをツバキは確かに見た。
「リリス、盾だ‼」
「……ッ‼」
鋭いツバキの声に応えて、リリスはとっさに氷の盾を再生成する。そのコンマ数秒もしない後、無数のヒビを伴って氷の盾が砕け散った。
もうしばらく反応が遅れていれば、弾丸はリリスの体を容赦なく貫いていただろう。自らの反応速度に拍手を贈りつつ、ツバキはアグニの手元を見やる。……そこにあるのは、間違いなく初見の魔道具だった。
「……珍妙な道具だね。それはどこに行ったら買えるんだい?」
「悪いな、それに関しては企業秘密だ。……まあ、俺たちの同朋になるってんなら横流ししてやらねえこともねえが――」
ツバキの問いにひょいと肩を竦めながら、アグニは一歩下がってリリスから距離を取る。そして、その濁った青い瞳で二人を睥睨した。
「……お前たち、そういう勧誘に興味ないタチだろ?」
「当然、よ――‼」
おどけて確認して見せるアグニの言葉に全力の肯定を返しながら、リリスは氷の剣を作り出してアグニへと突進していく。もはや古城に対する一切の遠慮はなく、ただ眼の前の強敵を殲滅することにリリスのリソースはすべて使われている。その背後から立ち上る殺気は、敵として浴びたらツバキでさえも鳥肌を禁じ得ないほどだ。
だがしかし、アグニはそれに一切動じる様子はない。右手で魔道具をもてあそび、それを小気味よくくるりと一回転させると――
「へえ、近接戦がお望みかい? それならいいぜ、おっさんもまっとうに付き合ってやれるからな」
「……また、妙な仕込みを……‼」
銃から剣へと一瞬で変形した魔道具がリリスの一撃を受け止め、アグニはにやりと笑みを浮かべる。全体重を込めて叩きつけられた一撃は、しかし正体不明の魔道具によって防ぎ切られていた。
その取り回しの良さもさることながら、特筆するべきはその耐久性だ。いかに上等な魔道具であろうとも、リリスの全力を何回も受けきれるのは流石に異常だと言わざるを得ない。『企業秘密』などとアグニは抜かしていたが、こんなものが世に流通していたら鍛冶屋は商売あがったりもいいところである。
つまり、この魔道具にもアグニ達――先ほど男が『我々』と名乗りかけていた何らかの集まりの息がかかっている可能性があるという事だ。そして、もしそれが真実ならば話は余計に大きくならざるを得ない。
だから、ツバキは一度この思考を強制的に停止させる。……細かいことを考えるのはあと、今は眼の前の戦いをしのぐことが最優先だ。
剣を交えたお互いは飛びのき、狭くはないが決して広くもない部屋の中で精一杯に距離を取る。互いに違った構えを取る二人の間には、張り詰めた緊迫感が漂っていた。
「……氷よ、私に続きなさい‼」
「へえ、今度は同時展開と来たか! いいねえ、おっさんそういう工夫は大歓迎だ!」
極限まで張り詰めた緊張の糸を断ち切って、リリスは背後に装填した氷の槍を携えて突進する。それはリリスの得意技、近接と遠隔攻撃を同時に発動するシンプルな物量押しだ。
そう聞くと愚直にしか思えないが、愚直であろうとなんであろうと高い水準で実現すればそれは決定打となりうる。……今のところ防ぐ手段が右手の魔道具しか見えていないなら、なおのこと。
だがしかし、不気味なのはそれに対してアグニが少しも焦りを見せていないことだ。それを防げると信じて少しも疑っていないその姿勢は軽薄で、しかし決してリリスの力量を軽視したが故のものではなくて。……だからこそ、ツバキはアグニと言う魔術師の姿が不気味に見えて仕方なくて――
「なんせ――創意工夫ってのは、おっさんも得意分野にしてるとこでね‼」
アグニが唐突に左手をふるった瞬間に、ツバキの背筋に冷たいものが走る。……その直後、ツバキには見えない何かを見たかのようにリリスは突然振り向いた。
その視線の先、さっきまでリリスの背後であったはずの場所では、アグニが不敵な表情を浮かべて剣を構えている。――それはどう考えても、空間転移以外の理屈で説明をつけるのが難しい現象で。
「へえ……こいつはまた、興味深い‼」
今までで一番獰猛な笑みを浮かべながら放たれた剣のひと振りを、リリスは不完全な体勢で受け止める。……まるで悲鳴のような甲高い音が響いて、氷の剣に大きなヒビが走った。
さあ、古城探索も盛り上がってまいりました! 波瀾を纏いだした状況はここから同変じていくのか、これからもお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




