第二百二十八話『不器用な心配り』
「……心、折れちゃったかしらね」
凶弾が飛来してきた三階の廊下に向かって跳躍しながら、リリスはポツリとこぼす。その手を取ってともに跳んでいたツバキが、その呟きに気づいてクスリと笑みを浮かべた。
「……ずいぶん気にかけてるんだね?」
「気にするでしょ、あそこまで露骨な反応されたら。理想が高いのはいいことだけど、それが美化されていればいるほど現実との落差ってのは厳しいものなの。……それは、ツバキも知っていることでしょう?」
「……ああ。それは、間違いなくそうなんだろうね」
気づきを促すリリスの言葉を受け、ツバキは少し表情を曇らせて答える。……ツバキの脳内にこびりついていたのは、願いを拒まれた瞬間のメリアの表情だった。
実に十年ぶりの再会を最悪な形にしてしまったのは、ツバキとしても申し訳ない事だと思っている。ツバキだって望んでこういう形にしたわけではないし、穏やかな再会を喜び合えるならそれでよかった。……だけど、そうならなかったからその出来事はツバキの脳裏にこびりつき続けているのだ。
「でしょう? だから、最低限のケアだけはしてあげようって思ったのよ。……たとえ理想と現実が違ったって、理想に近づくためにもがき続けることはできるってね」
「……なら、最初からそう伝えてあげればよかったのに」
近づいてきた柵に手を伸ばしながら凛とした表情で告げたリリスに、ツバキは苦笑しながら言葉を返す。直接そう伝えてあげればバルエリスもあれだけ萎れることはなかっただろうに、つくづく誰かを教えるときのリリスはスパルタだと思わざるを得ない。
まあ、もっとも――
「……そんな簡単なことにも自分で気が付けないなら、あの子の理想は一生叶わないわよ。もしそんな結果になったなら、私たちの見る目がなかったというしかないでしょうね」
――それがリリスなりの優しさの証なのだから、ツバキはそれ以上何も言わないのだが。
十年隣にいたからこそわかることだが、リリスは本当に不器用だ。嫌悪を伝えるのはとてつもなくうまいくせに、信頼や好意を向けようとなるとそうもいかない。だからこそ、リリスには突き放すかべったりくっつくかという二択しか存在していないのだ。
マルクとの交流を経て、それも少しずつ改善されてきたと思っていたのだが――まあ、そんな簡単に人は変わらない、という事なのだろうか。
「……本当に、君は相変わらず口下手だね」
「別に改善する気もないわよ。……私の真意なんて、ツバキとマルクに伝わっていれば十分だわ」
称賛を込めたツバキの言葉をどう受け取ったのか、リリスは少しそっけない口調でそう言い張る。それもやっぱりリリスなりの不器用な愛情表現だと知っているから、ツバキは笑みをこぼした。
それを最後に二人のやり取りは一段落して、それと同時にリリスの手が落下防止の柵の上部をつかむ。一見すれば二人して宙ぶらりんの危険な状況だが、影魔術によって強化されたリリスの身体能力があればここから柵の向こう側にたどり着くことも訳なかった。
「……しょっ、と……。それで、ここからどこに向かうの?」
「そりゃもちろん、あの狙撃手が逃げた方向よ。もう一回隠密術式を起動したみたいだけど、その時に発された魔力の気配は消しきれなかったみたいでね」
ツバキの問いにリリスはある一点を指さし、口元に獰猛な笑みを浮かべる。味方であるツバキから見ればその笑みはとても頼もしいが、その標的にされた人間からすればただの恐怖の対象でしかないだろう。……リリスといい形で出会えたことを、ツバキは心から幸運に思っている。
「なるほど、そりゃ詰めが甘いってやつだ。……でも、なんで人がいないこのときから隠密なんてしてるんだろうね?」
「さあ、それに関しては分からないわね。……だから、それをやった当人から聞くことにしましょうか」
リリスの疑問に首をひねり、その直後にリリスはふかふかのカーペットを蹴り飛ばす。それによって音もなくリリスの身体が加速し、手をつないでいたツバキの身体も一気に最高速度まで到達した。風魔術を使っているわけでもないのに、結構な強さの風が二人の頬を撫ぜていく。
ほどなくしてリリスが速度を緩め、二人の体は一枚の扉の前に落ち着く。何事もなかったかのようにあれだけの速度を殺しきったのもつかの間、リリスはツバキの手を離しながら左足を鋭く一歩前に踏み込んで――
「……ここかしら、ね‼」
そのまま繰り出された鋭い後ろ回し蹴りが古城の扉を直撃し、たくさんの装飾を施されたそれが部屋の奥に向かって吹き飛ばされていく。……その二秒ほどの後、「ぐえ」というカエルがつぶれたような声が部屋から聞こえてきた。
「はい、ビンゴ。……この感じだと、作戦会議の直前ってところかしら?」
そんな衝撃的な登場をかまして見せたリリスだが、それを少しも感じさせない優雅な様子で部屋の中へと踏み入っていく。それにワンテンポ遅れてついて行けば、そこには驚愕に満ちた視線をリリスに向ける四人の男たちがいた。
と言っても、全員目深のフードをかぶっているから性別は定かではないのだが。だがしかし、体格やざわめきの声質を考えればほとんど男だと見ていいだろう。……まあ、性別がどちらであれ関係はないのだが。敵対した存在が男であるか女であるかで対応を変えないあたり、リリスもツバキも平等主義者と言っていいんじゃないだろうか。
「……ひっ、怯むなあ‼」
衝撃の登場からいち早く立ち直ったとみられる男が、声を裏返しながらも残る三人に勇ましい指示を飛ばす。その手の中には、先の弾丸を放ったと思われる魔道具のようなものが握られていた。
魔道具によって出力できる攻撃の威力などたかが知れているが、リリスの氷の盾にひびを入れられるほどの威力があると分かっている以上油断はできない。……いくら二人とはいえど、それをもろに食らって無傷でいられるほど理外の存在ではないのだ。
そんな危険な武器を、指示を受けたとはいえ残る三人の男もリリスたちに向かって構えてくる。……その様子を見てしまえば、もうフォローする気はみじんも残っていなかった。
「……リリス」
「分かってるわ。背中は任せたわよ、ツバキ」
小さく相棒の名を呼ぶと、すぐさま頼もしい返答が耳を打つ。その心地よさに目を細めながら、ツバキは両手に影を纏わせた。
メリアと才能を分かち合ったこの体には、影で誰かを傷つけるような能力はなんら備わっていない。特筆してできるのは認識への干渉と、他者の身体能力を強化することぐらいのものだ。まあつまり、ツバキ自身が誰かと直接戦うという事にはあまりに向いていない才能しか残されていないというわけなのだが――
「――それでも、これくらいはできないとね!」
両腕を同時に振り抜き、あらかじめ纏わせた影を男二人の手に向かって差し向ける。どうにか戦闘態勢を整えたところの男たちにそれを回避できる術があるわけもなく、影はあっさりと男たちの手を包み込んだ。
その直後、からんという音を立てて男たちの手から魔道具が取り落とされる。当然だ、あの影は男たちの手の感覚を一時的に機能不全にしたのだから。……そして、凶器を取り落とした状態で狙撃手がまともな戦闘をできるわけもなく。
「悪いね、こんな目に合わせてしまって。……運が悪かったと思って、諦めてくれ!」
腰の入った掌底が一人の男のみぞおちを打ち抜き、そこから滑らかに派生した反転蹴りが状況を飲み込めていない二人目を大きく弾き飛ばす。幸いなことに二発とも急所に命中したのか、崩れ落ちたまま起き上がってくる様子はなさそうだ。
その光景を見て、ツバキはふと自分が一人で戦っていたころのことを思い出す。といっても、その期間は本当に少しの間しか存在していなかったのだが――
「……ああいや、君たちはまだ運がいい方だったかな?」
――なんせ、リリスにやられずに済むんだからさ。
背後から聞こえてきた男たちの叫び声を聞きながら、ツバキは苦笑しながらそう付け加える。……こんなにも鮮烈な強さを持った少女と出会ってしまったら、自分が主役になる理由なんてもうないに等しかった。
互いが互いのことを理解しているからこそ、二人のやり取りは少し独特な距離感になるんですよね……。彼女らがどんな姿を見せてくれるのか、ぜひご期待いただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




