第二百二十話『行列の中で』
「……馬車に乗るってのも、そういえばずいぶん久しぶりのことね」
「そうだね。もっとも、あの時の劣悪な環境とこれを比較するのはもはや失礼だとも言えるけどさ」
王都の一角にできた列に並びながら、リリスとツバキは朗らかに言葉を交わす。その視線の先には、大きな馬車とそれを引くのであろう三頭のたくましい馬の姿があった。
メリアとの遭遇から一夜が明け、俺たちは今から依頼された古城に最も近い街へと移動するための馬車を待っているところだ。依頼主が手配しておいた馬車が観光用のものであるという事もあって、同じように馬車の発車時刻を待つ人たちの列はにぎやかな雰囲気に包まれていた。
そういえば、俺も馬車に乗るのは久しぶりだな……。確か『双頭の獅子』は専用の馬車を持っていたはずだが、それに乗せてもらえるほど立場がよかったことなんてないし。馬車に乗った最も新しい記憶を探るならば、初めて王都に来た時になるのだろうか。
そんな事情もあって馬車の良い悪いはほとんどわからないのだが、リリスとツバキが盛り上がっているのを見るにそこそこいいものであるのは間違いないらしい。それを意識してもう一度前後の人たちを観察すると、確かに服装が豪華なものであるような気がした。
「……二人とも、あまり気は抜きすぎるなよ? この依頼の底がまだ見えてない以上、いつどんな異変が起こったものか分かったもんじゃねえ」
そんな関心をいったん抑え込んで、俺は普段より浮足立った様子の二人に向けてそう呼びかける。それに応えてくるりと振り返ると、二人はしっかりと首を縦に振った。
「大丈夫よ、あの宿の外にいる間はずっと一定の警戒をしてるもの。……護衛たるもの、緊張を切らさないための訓練は怠ってないわ」
「ああ、いつ襲い掛かられても反応はできると思うよ。……何だったら、君が試してみるかい?」
自分の背中をトントンと指でつつきながら、どことなく楽しそうにツバキはそう問いかける。隙をついて何か悪戯でもして見せろという事なのだろうが、どんな想像をしても未然に阻止される運命しか見えなかった。
「……いいや、遠慮しとく。その答えが聞ければ、お前たちを疑う理由なんてないからな」
「ええ、安心してて頂戴。……メリアの一件もあるもの、いつ何時だって気は抜かないわよ」
肩を竦める俺に対して、リリスは真剣な口調でそう断言する。その様子を眼にして、俺の表情はふっと緩んだ。
「それなら安心だな。……いつも通り、頼りにしてるぞ」
「もちろん。たとえここにいる全員を相手にしたって、私は簡単に負けてやらないわよ」
「ボクとリリス、二人でいれば最強だもんね。ボクたちがそろって退却する羽目になったことなんて、この十年間を振り返っても片手に収まるほどしか存在しないさ」
そう言って拳に力を籠めるリリスと、自慢げに微笑を浮かべるツバキ。その二人の表情に不安はなく、ただ今まで積み重ねてきた実績に基づく誇りだけがある。……本当に、頼もしい限りだな。
「……お、そろそろ乗車時間みたいだぞ」
そんなやり取りを交わしてからもう少し待っていると、三十分ほど停滞していた列がゆっくりと前に動き出す。豪奢な装飾が施された客車に吸い込まれていく人たちの後ろについて、俺たちもゆっくりと馬車に近づいていった。
遠目から見ても随分と豪華な作りだったが、近づくにつれてその高級感はさらに増していくばかりだ。近くで見ると豪華さが薄れるものというのは少なくないが、この馬車はその例には当てはまらないらしい。
近くには管理人と護衛と思しき集団が合計で十人ぐらいたたずんでいるのだが、そいつらも全員整った服装をしている。俺たち以外の乗客も正装の類じゃないだろうかと思えるぐらいにピシっと決めていて、俺たちの知らないドレスコードか何かがあるんじゃないかと不安になるぐらいだ。
「……本当に、豪華ね……」
「ああ、ボクもそう思うよ。……少なくとも、冒険者がおいそれと使うような馬車じゃないのは確かだよね」
馬車というものに見慣れているであろうツバキやリリスも、近くから見た馬車にさらなる感嘆の声を上げている。……そんな中で、ツバキがこぼした評価が俺の中で妙に気にかかった。
――この馬車の切符は、当然のことだが謎の依頼人が代金を支払うことで俺たちに提供されている。席もしっかり三席分を連続で指定されているあたり、この馬車の予約が可能になってから割とすぐのタイミングで席を取ったという事になる。……一体それに、どれぐらいの金額がかかるというのだろうか。
『情報屋』は依頼人の情報に相当な高値を付け、その意図を推測することも恐ろしいとしていた。普段のアイツがクラウスすらも恐れないような奴である以上、冒険者ではないことは間違いないだろう。……おそらく、冒険者という枠組みを超えた大きな何かが動いている。まあ、それ以上の推測なんて実質不可能に等しいのだが――
「……マルク、どうしたの?」
そんなことを考えていると、少し離れたところからリリスの声が聞こえてくる。どうやら考え事を重ねているうちに歩みが半ば止まってしまっていたようだ。ふと後ろを振り返れば、スパンコールをふんだんにあしらったドレスを着たマダムが苛立ちの視線でこちらを見つめていた。
「いや、何でもない。少し足が気になっただけだ」
心配そうにこちらを見つめるリリスにそう返して、俺は足早に前へ向かう。実際足の調子は万全とはいえないのだが、それもきっと馬車でゆっくりしていれば収まるレベルの事だ。ほどなくして二人に追いつくと、リリスは少し呆れたような様子でこちらに手を伸ばしてきた。
「まったく、筋肉痛が残ってるなら早めに言いなさいよね。そうすればいくらでも手を貸してあげたのに」
「悪い悪い、これぐらいなら大丈夫だって思ってたんだけどな。馬車につけばもう大丈夫だと思うけど、それまでは手を借りることにするよ」
遠慮なくその手を取って、俺はリリスにいくらか体重を預ける。普段ならもう少し強がってもいいところだが、この列に俺たち以外の冒険者がいるなんてことはないだろう。というか、手を取るぐらいだったら普通にあることだからな。
「うんうん、誰かを頼るってのは大事なことだからね。リリスが素直に手を差し伸べられるようになってボクは嬉しいよ」
「自分から手を差し出さないと取り落とすものもあるかもしれないって、私もこの一か月で学んだのよ。……だから、私は私の意思で手を差し伸べるわ」
そんなに安売りする気もないけどね――と。
嬉しそうな笑みを浮かべるツバキに澄ました様子で鼻を鳴らして、リリスは優しく俺の手を引っ張る。それにつられるようにして歩いていくと、思っていたよりも早く馬車の入り口にたどり着いていた。
幸いなことにドレスコードはないようで、切符を見せると丁寧にお辞儀をして黒服の男は俺たちを馬車の中に通してくれる。そのかしこまった対応に俺たちも一礼を返して、控えめながらも美しい装飾をされた階段を上っていくと――
「う、わ……っ」
「……これは、ちょっと想像以上ね……」
「まるでパーティ会場だね。……そうなれば、ボクたちもドレスを見繕うべきだったかな?」
眼の前に広がっていたきらびやかな景色に、俺たちは三者三様の反応を漏らす。……俺たちに手配された馬車は、間違いなく最高級のものだと言ってもよさそうだった。
さて、ここからマルクたちのクエストは始まります! その始まりから不思議な部分は多いですが、果たしてマルクたちはどんな旅路をたどるのか、ぜひお楽しみいただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




