第二百十六話『最悪な共闘関係』
「……はあ、はあ……っ」
氷の大剣を消し去りながら、リリスは片膝をついてかがみこむ。メリアに打ち勝った代償だとでもいうかのように、その足はわずかに震えていた。
「リリス、大丈夫か!」
メリアが帰ってくる気配がない事を確認してから、俺は全速力でリリスのもとへと駆け寄る。脱力した様子でだらんと垂れる右手を取って修復術を発動すると、体内の魔術神経がところどころ損傷しているのが確認できた。
氷で武装するのに結構な量の魔力を使ってたっぽいし、そりゃ負担もかかるってものだよな……。二つの属性の魔術を同時に発動していたところも考えると、余裕交じりの態度に反してリリスもかなり本気でメリアと向き合っていたという事なんだろう。……そう考えてもすんなり納得がいくぐらい、はた目から見ていてもメリア・グローザは強かった。
「影と打ち合うってのも、なかなか苦しいものね。……マルクとの追いかけっこがなかったら、もう少し面倒な持久戦になってたかもしれないわ」
「そうだな。……お前にとってもいい刺激になってたなら、俺も息を切らした意味があったってもんだ」
俺の修復をおとなしく受けつつ、リリスは口元をわずかにほころばせて特訓の成果を語る。力なくも誇らしげな態度に俺も笑みを返していると、戦闘を離れたところで見守っていたツバキもリリスのもとへと駆け寄ってきた。
「……ツバキ、ごめんね。貴女の弟なのはわかってたけど、手加減してる暇も余裕もなかったわ」
「ううん、気にすることはないよ。……君たちを『下郎』と呼んだあの子を、ボクも許す気はないからね。……あの子が認識を改めない限り、ボクはメリアを弟とは認めないさ」
小さくうなだれて頭を下げるリリスに、ツバキは強気な言葉で返す。その表情には少しばかり暗さがあったが、言葉を聞く限り俺たちを侮辱されたことの方がツバキにとっては許せない事態のようだ。……矢っと姉さんと再会できたメリアからしたら、納得いかない事実なんだろうけどな。
「……あの子は、死んでしまったかな」
しかし情を完全に捨てきれないのも確かなようで、ツバキの声色は少しばかり沈んでいる。それを見たリリスは、首をゆっくりと横に振った。
「あいつ、私の剣を受ける直前に影を腹の方に集めてたのよね。だからと言って完全に防げてるわけでもないだろうけど、致命傷にもなってないんじゃないかしら。……だってあれ、ほんとは真っ二つにするつもりで振り切ったもの」
「ああ、一切の容赦がなかったもんな……。無力化って意味なら、一発目の蹴り上げだけで十分完了してただろうに」
あの一撃で骨が折れる音は俺にも聞こえてきたし、明らかにメリアの体はしちゃいけない曲がり方をしてたからな……。あのまま放置しても戦闘は決着していただろうが、追撃を行うことにリリスは少しの迷いも見せていなかった。――それがきっと、リリスの逆鱗に触れた報いという奴なのだろう。
「私たちの目標はあれの無力化じゃない。……あの子が二度と馬鹿なことを考えられないように、心の方を完璧に折る必要があったのよ。まあ、うまくいったかは五分五分ってところでしょうけど」
俺から手を離しながら、リリスは自分の思惑を口にする。修復術式の甲斐もあって、身体的な不調はすでに改善されているようだった。
しかし、元気になったリリスと入れ替わるようにツバキは表情を曇らせている。……うつむきがちなその瞳を見る限り、リリスの思惑はそんな都合よく実現していないらしい。
「メリアは昔から勇敢でまっすぐな子だからね、こうと決めたことはなかなか曲げようとしなかった。……姉としてのボクはそれを誇らしく思ってたけど、今ばかりはそれが厄介だね」
――絶対に、メリアはボクたちのことを諦めないよ。
そんな俺の推測は、ツバキの言葉によってすぐに裏付けられる。姉だからこそ知っているメリアの姿が、俺たちにとってまた一人厄介な敵が現れたことを決定的にしてしまっていた。
「信じたくはないけど、『双頭の獅子』に入ったっていう新メンバーもメリアの事だろう。……ボクが知る限り、影の里にも黒髪黒目の人間はそうはいなかったはずだからね」
「……つまり、私たちの敵と私たちの敵が同じ組織に属している、と。……あいつが事情をどこまで話しているかは分からないけど、お互いに手を組まれると半端じゃなく面倒なことになるわね」
頭の後ろで手を組みながら、リリスは俺たちを取り巻く現状に苦い顔をする。戦闘の勝者はリリスである筈なのに、不思議なことに状況は何一つ好転している様子が見えない。
「そうなってくると、明日には王都を離れられるのが逆に幸運だな……。面倒な依頼だと思ってたけど、まさかここにきて俺たちを助けてくれるとは」
「ああ、それは確かね。……まさか王都を離れてまで追いかけて来るとか、そんなことはないと信じたいわ」
明日に迫った馬車の出発を思い、俺は一度深い息をつく。こんな形で依頼が役に立つとは思わなかったが、この状況から少しでも離れられるなら解決の糸口も見えてくるかもしれない。……そんな俺たちの楽観視を否定するかのように、ツバキは小さく咳払いをした。
「……情報屋がボクたちの行き先を知っている以上、メリアにボクたちの行き先が洩れることはありえない話じゃないね。その過程でメリアとクラウスの意図が一致したら、不慣れな地で襲撃を食らう可能性も十分にあり得るよ」
「……うわ、考えられる限り最悪のシナリオね。よりにもよって実現の可能性がそこそこ高そうなのがなおさら面倒だわ」
ツバキが語った展開に、リリスは露骨に顔をしかめる。クラウスとメリアがパーティメンバーという形でつながりを持ってしまっていることが俺たちにとって最大の不運であると言ってもいいほどに、二人が手を組むのは俺たちにとって面倒なシナリオだ。
「クラウスだけでも戦闘力が高いのに、メリアまで敵対してくるんだもんな……影魔術の使い手だから隠密やら支援やらいろんなことができるだろうし、しっかり連携できちまったら本当にやばい気がするぞ」
俺の頭の中に浮かんでいるのは、ツバキの影を纏って縦横無尽に戦うリリスの姿だ。影の支援を纏わずともメリアに勝利して見せたリリスが、ツバキの支援を受けることでさらなる領域へと踏み込んでいく。それはクラウスをも打ち破った最強の姿であり、二人にしかできない強さの形と言ってもいい。
ただ、それがクラウスの手に渡ったらどうなるか。そりゃもちろんリリスほどの熟練度で影の支援を扱うことはできないだろうが、純粋な身体能力の強化だけでも影の支援は十分強力なものだ。それを相手するのは、以下にリリスとツバキだとは言え苦戦するとしか思えないのだが――
「……ああいや、その心配はないかな。メリアの体質が、ボクの知ってるメリアのままであるのなら、だけど」
「……え?」
しかし、その懸念はツバキによって打ち消される。初めて俺たちにプラスとなりうる否定を聞いて、俺はとっさにツバキの方へと視線を向けた。
「……断言できるのか? メリアもツバキも、同じ影魔術なのに?」
「ああ、断言できる。……でもそうだね、それを分かってもらうためにはもう少し詳しく説明しないといけないか。ボクの使う影魔術が、どうして攻撃に転用することができないのかを。……それなのに、どうしてメリアは攻撃のために影を使うことができたのかをさ」
王都への帰り道を視線で示しながら、ツバキはそんな風に話を切り出す。それに関してはリリスすら知らないことなのか、彼女もまた青い目を見開いてツバキの方を見つめていて――
「……ボクたちは、双子として影の里に揃って生を受けた。……それこそが、ボクたちを取り巻く奇妙な事情の始まりだったんだよ」
色々な感情のこもったその視線に応えるかのように、帰還への一歩目を踏み出しながらツバキは話を切り出す。……故郷での過去を振り返ろうとするその口調は、何故だか護衛時代を語る時よりも沈んでいるような気がした。
次回、三章でちらっと語られたツバキたちの過去が描かれることになると思います! 果たしてあの双子の間には何があったのか、そしてメリアはどんな能力を秘めているのか! まだまだ始まったばかりの第四章、たっぷりお楽しみいただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




