第二百十五話『視野狭窄』
影を纏うことによる身体能力の強化は、ツバキから借り受ける形でリリスもたびたびとっている戦い方だ。鎧であり疑似的な筋肉ともなってくれるそれがあるからこそ切り抜けられた場面は数えきれないほどあるし、その恩恵の大きさを知っているからこそリリスはツバキと二人で最強を名乗るのだ。
今目の前に立つメリアが展開しているのも、種類としてはそれと同質なものだろう。……だが、それだけでは蹴りで氷の槍を切り裂いたあの芸当に説明がつかない。まあつまり、相変わらず油断なんて少しもできないという事で――
「……吹っ飛べ‼」
メリアが地面を蹴り飛ばすと同時、爆音と同時にその体が急速に接近する。先ほどマルクに対して使った超高速機動に比べればまだ視認できる範囲ではあるが、それでも人の領域を踏み越えた速度であることには間違いがない。
そのことを一瞬で悟ったリリスは反撃を先送りにし、氷の大盾を展開する。何はなくとも受けることをまず最優先にしたそれと、メリアが繰り出した右の拳が衝突した。
キイイィンという甲高い音が響き、空中に広げた氷の盾は一撃でその役目を終える。あっけなく防御が砕かれることにリリスは歯噛みしたものの、圧倒的な破壊を叩きつけて見せたメリアの表情も険しいものになっていた。
「……やることが、姑息なんだよ‼」
その苛立ちを吐き出すように、メリアは身を低くして再度加速する。一発目の勢いにさらに速度を加算したその一撃は、氷の盾でも受け止められるかは怪しいところだ。防御に対してさらなる攻勢で砕く選択を取るメリアを見て、リリスはまるで自分を見ているかのような錯覚に駆られる。
決してこれが初めてのことではなく、癪な話だがメリアとリリスは似ているのだ。戦い方のルーツも冒険者とはまた別のところにあるし、搦め手よりもただ力押しを好むところも共通している。……そして何より、絶対にツバキを譲らないという執念にも似通ったものを感じずにはいられない。
――もしも、誰かの手によってツバキが自分たちのもとから奪われたら。その時は、どんな手を使ってでもリリスはツバキを探し出すだろう。絶対に助け出してみせると、リリスは自分の持てる全てを使い尽くして彼女のもとにたどり着くだろう。……その執念は、魔術神経が壊れて奴隷に身を落とそうとも消えることがなかったぐらいに根の深いものだ。
だから、譲れない。……執念の差が勝負を分けるとかメリアが思っているのなら、それは大きな間違いだ。それを、骨の髄まで叩き込んでやらなければ。
「……分かったわ。それじゃあ、お望み通り正面からぶつかってあげる」
腹をくくり、リリスは眼前に迫ってくるメリアの姿を見やる。……そして、両手でなければ到底震えないであろう氷の大剣を手の中に生み出した。
近接格闘も苦手ではないが、やはりリリスに一番馴染むのは剣術だ。手の中に残る重みが心地よく、手のひらを通じて神経が剣の中にも伸びているのではないかという錯覚に襲われる。……ただ、それもいい兆候だ。
「壊してやる。……姉さんを縛るもの、何もかも‼」
「壊させないわよ。……ツバキが手に入れたのはね、『繋がり』って名前が付いてるんだから‼」
互いの思いが咆哮となって交錯し、その直後に剣と拳が衝突する。普段は穏やかな草原に、町までも届いてしまいそうなほどの轟音が響いた。
しかし、その衝突で決着はつかない。互いの攻撃はその中間点で静止し、完全に釣り合っているような状況だ。砕けず、しかし砕かず。……両者の思いは、軋みを上げながらぶつかり合い続けている。
「く、そ……なんで、だよッ‼」
大剣を砕くことが不可能だと判断して、メリアは瞬時に身体を後ろへとスライドさせる。大質量の一撃を受け止めていた左手は一見何の異変もないように見えていたが、その表面を覆う濃い黒色の奥には赤色がわずかに覗いている。
その異変を見逃すことなく、今度はリリスの方から踏み込む。剣戟と拳戟が交錯し続けた時、体にかかる負担が大きいのは明らかに拳の方、つまりメリアだ。そればかりは、戦い方の間に存在するどうしようもできない差だった。
一撃を重たくすることを優先し、リリスは大剣を携えた状態のままでメリアへと接近する。……あと一歩で剣戟の間合いに入ると確信したその瞬間、横からの回し蹴りがリリス目がけて鋭く放たれた。
視界の外から回りこんでくるようなその一撃は、繰り出されたタイミングも相まって想定外の攻撃となる。理性というよりは本能で身を反らして回避したリリスの首筋を、鋭く吹いた風が撫でた。
あれをもろに食らえば、治療の余地もなく死んでいたかもしれない。そんな可能性を否定できなくて、リリスの背筋に冷たいものが走る。にわかに生まれた追撃の機運は、しかしメリアの足技によって完全に潰えたと言っていいだろう。
「……ほんと、大した身体能力ね。それがツバキを救うための力ってやつなのかしら」
「ああ、そうだ。……もう、取り落としたくないんだ‼」
リリスの問いかけに応えながら、体勢を立て直したメリアが再度リリスの方に突撃する。手足に纏わせた影以外のところから魔力の反応がしないあたり、メリアが持てる全ての魔力を武装に集中することによってこの身体能力と殺傷力を手にしているのだろう。見たところ決して魔力量が多いわけではないのだろうが、それを効率のいい魔力の使い方でカバーしているといった印象だ。
影によってブーストされた筋力から放たれる踏み込みは低く鋭く、集中が切れればリリスでも見切ることは困難だろう。だからこそ、早めに決着をつける必要がある。……致命的な一手を、メリアにねじ込んでやらなければいけない。きっと今なら、それが通るから。
「……こんなやり方じゃ、あなたは納得しないんでしょうけど」
口の中だけでそう零して、リリスは大剣を構え直す。それは今まで通り、正面からメリアの攻撃に受けて立つという形だ。今のところはお互いが拮抗しているが、繰り返せばいつかそのパワーバランスも崩れるかもしれない。その可能性にかけて、メリアは一番リターンの大きい選択肢を取り続けているのだろう。
まあ、もっとも――
「……悪いわね。たとえあなたにとって大切な家族でも、譲るわけにはいかないの」
――その可能性を語れるのは、『繰り返せる』という前提のもとに話を続けているからなのだが。
改めてメリアの願いを拒絶しつつ、リリスは小さくステップを踏む。一見すると軽やかに動くための前準備にも見えるが、その本質は全く別だ。……その足さばきは、良くも悪くも直情的すぎる少年を搦め取るためにある。
「な、ああああッ……⁉」
リリスが軽く足を動かした直後、とてつもないスピードで突進していたメリアの体が急につんのめり、宙に投げ出される。――ちょうどそれは、『足元が疎かだ』と指摘された三日前のマルクと同じような姿だった。
当然、その現象は偶然起きたものではない。リリスが足踏みによって生み出した氷の段差が地面を滑るように突進していたメリアの足を引っかけ、宙に浮かせたというだけの事。現象としては普段なら笑い話レベルで済むただの躓きだが、この戦いにおいてはそれが致命的だ。
「お前……お前え……ッ‼」
「視野が狭すぎるのよ、二重の意味で」
その仕掛けに気づいて憎悪に顔を歪めるメリアに、リリスはあきれたような口調でそう返す。殺すべき対象しか見えていないことも、大切な存在が過ごしてきた十年間に一切目を向けようとしないその姿勢も、何もかもが視野狭窄だ。リリスたちに対して『殺す』以外の選択肢を見つけられない以上、この男をツバキに近づけさせるわけにはいかない。
「少し頭を冷やしてきなさい。……本当に、あなたがツバキを守りたいのなら」
――これであなたが死ななければ、だけど。
内心でそう付け加えながら、ほぼ地面と平行に飛んできたメリアのみぞおちを思い切り蹴り上げる。骨が砕ける不吉な音が聞こえたが、しかし容赦はしない。……もう一撃、確実に刈り取る。
「は……あああッ‼」
裂帛の気合とともに、手にした氷の大剣を思い切り振り抜く。蹴り上げによって縦向きにされた体にその一撃は直撃して、メリアの体は遠く遠くへ吹き飛ばされた。
これでいっときの決着はついたわけですが、果たしてここからどう動くのか!ぜひお楽しみにしていただければ嬉しいです!
ーーでは、また次回おあいしましょう!




