第二百十四話『同じものを見ている』
――冒険者になってから相手してきた敵たちとは棲んでいる世界が違うのだと、リリスはメリアとの衝突を見てすぐに理解する。噂では『双頭の獅子』に入ったとかなんとかという話だが、この男の本質は冒険者ではない。……どちらかと言えば、リリスたち護衛、あるいは傭兵としての生き方の方がよっぽど近いような気がした。
リリスではなくまず最初にマルクを狙ったのも、自分の狙いを迅速に遂行するための合理的な判断でしかない。それをリリスが妨害してきたことで即座に覆したのも、気まぐれというわけではなくただ目的の達成に近いと思われる判断をしているというだけの話で。
(……厄介ね、思った以上に)
間合いを測りながら、リリスは内心そんなことを考える。純粋な戦闘力ならクラウスも確かに劣っていないはずなのだが、相対する襲撃者がまとうのはそれとはまた異質な危うさだ。……一瞬でもマルクへの意識を切らせば、その瞬間に足元を掬われるのではないかと思えて仕方がない。
彼我の距離は六メートル、しかしその距離はお互いにとってないに等しい。十メートルも二十メートルも高速で移動するのには労力を使っていたようだが、この距離ぐらいなら息切れすることもなく一瞬で詰めてきてしまえるだろう。そしてそれは、リリスにとっても同じことだ。
お互いの遠距離攻撃が通用しないことは、さっきのやり取りによって大体把握できた。これ以上けん制しあっても戦闘は動かないし、ただただ時間がかかるだけだ。……そして、戦闘を長引かせるのはマルクの命が狙われる時間を増やすというのと全く同義である。
どんな状況にあっても、リリスにとって最優先になるのはマルクの命だ。なんとしてでも守ると約束した以上、長々と危険にさらしてはいられない。――その判断が、たとえリリスを危うい領域へと導くことになるのだとしても――
「……風よッ‼」
足元に風を纏わせながら、ギリギリのところで保たれていた均衡をリリスは破りにかかる。暴風がリリスの足元で弾けた時、その体は弾丸のようにメリアの方へと向かっていた。
「二つ目の、属性……‼」
「そうよ。……あなたが言った通り、私は小器用だもの」
複数の属性の魔術を同時に使ってくることは流石に予想外だったのか、風を纏った突進に対してメリアは影の剣で受け止めることしかできない。それも非常に不安定なもので、速度の乗った氷の斬撃を受け切れてはいなかった。
本来ならばここから近距離射撃に持ち込むところだが、リリスはその考えを振り払ってもう一歩前へと踏み込む。あまりの衝撃によろけたところに、超高速の斬撃が再び襲い掛かった。
この男が襲撃者である以上、立ち上がる余地を残さないぐらいに一撃で沈めなければいけない。……そういう人種が勝機を見出すのは、いつだって自分が追い込まれた時なのだから。
クラウスに勝利した時の自分自身のやり口を思い返しつつ、リリスは無我夢中で斬撃を叩きこみ続ける。影の剣に受けられるのもお構いなく、ただ力任せに。……小細工をさしはさむ暇もないまま、リリスはメリアを圧倒する。
「づっ、ううう……ッ‼」
「悪いわね。貴方の狙いの一つたりとも、達成されるわけにはいかないの」
冷たい視線でメリアを見下ろしながら、リリスは氷の斬撃を叩きこみ続ける。メリアもよく食らいついてはいるが、反応するのがやっとといった様子だ。この調子なら、あと五、六回もしないうちにメリアの防御は間に合わなくなるだろう。
そうなれば勝利は目前、仕上げに最上の一発を叩きこむだけだ。リリスが勝利するまでの道筋は、もうとっくに用意されていると言っても過言ではない。――だからこそ、リリスは見据えるのだ。
「……影よッ‼」
「氷よ、道を閉ざせ‼」
――防戦一方の状況に歯噛みしているメリアの瞳に、勝機が映し出されるその瞬間を。
振り下ろそうとした剣の軌道を変え、氷の障壁を作り上げてリリスとメリアの間に割って入らせる。わずか一秒もないうちにそれを完成させた直後、斜め上から飛来した影の弾丸がその障壁を直撃した。
もしもあのまま攻撃していたら、影の刃による受けと弾丸の衝撃によって氷の剣は間違いなく砕かれていただろう。そうなれば、出来上がるのは攻守が逆転した状況だ。……一度得た主導権を、簡単に手放してやるわけにはいかなかった。
「……その執念が別のところに向けられていたなら、私も素直に称賛できたんだけどね」
氷の剣を見つめながら、リリスはため息をつきながら口にする。リリスが作り上げた青白い刀身は、その中ほどに無視できない大きさのヒビが入っていた。……いつも一定の場所を狙って、メリアはリリスの斬撃を受け止めていたのだ。
そんな芸当ができてしまう以上、まだメリアに余力があることは間違いない。そのことに気が付いてしまえば、油断なんてできるはずもなかった。
「……でも、あなたのその執念も私には通用しない。……自分の無力を悟って撤退するなら、今の内に準備しておくのがおすすめよ?」
氷の障壁によって区切られた向こう側目がけ、リリスはそんな風に呼びかける。当然撤退の構えを取られても許してやるつもりはなかったが、四肢が正常に動く間に行動を開始した方が成功率はまだ上がるというものだろう。
そんな一欠片ばかりの優しさは、氷の壁が破壊されることによって無下に打ち捨てられる。……砕かれた氷の向こうでは、メリアが一切戦意を鈍らせることのないまま立っていた。
その手に影の剣は握られておらず、その代わりに影が鎧の如くメリアを覆っている。おそらくだが、あの形態がメリアにとって一番やりやすい形態なのだろう。それなのに防御には影の剣を使うあたり、耐久性に対して思う所はあるようだが。
「……僕は無力なんかじゃない。……今度こそ姉さんを守るために、強くなったんだ……‼」
先のリリスの言葉が何らかの琴線に触れたのか、メリアの口調はより暗いものへと変化している。……それはリリスへの返答というより、自分への暗示のような気がした。
――きっと、メリアにはメリアなりの苦悩があったのだろう。実の姉を失い、その姉にいう事を聞かせるための人質となった十年余り。その間にこれほどの力を手に入れるのに一体どれくらいの量の研鑽があったのか、想像するのは決して難しくない。――ただ、リリスはそれをしないだけだ。
努力も研鑽も、リリスには知ったことではない。眼の前のメリアは――敵は、自分たちから大切な存在を奪い取ろうとしている。その事実さえあれば、叩き潰すには十分すぎた。
「へえ、強くなったの。……それじゃあ、その進化ごと私が否定してあげるわ」
傷ついた剣を消し去り、新たに少し短めの剣を手の中に作り上げる。ここから始まるのは、より熾烈な近距離戦だ。……自分だけが主導権を握り続けられるなどと言う甘えは、捨てておくに越したことはない。
メリアの小細工をさばくためのリリスの一手は、結果的に互いに仕切り直すための時間を与えてしまった。故にこそ、ここから始まるのはまた別の衝突だ。だけど、リリスが勝つことに変わりはない。勝たなければ、大切な仲間たちを守れないのだから。
「……影よ、僕に導きを‼」
メリアが獰猛に吠え、彼がまとう影がより一層濃く黒いものへと変わる。ただの筋力支援だけに留まるとはとても思えないそれをじっと見つめながら、リリスは軽く腰を落とした。
今まで戦ってきた面々とはまた違った一面を持つメリアですが、皆さんの眼にはどう映っているでしょうか。彼の物語はこの先もう少し深堀されていくと思いますので、皆さんにはご期待していただければなと思います!
――では、また次回お会いしましょう!




