第二十一話『まだ見えぬ底』
あまりに突然の出来事に、俺は口をあんぐりと開けてその光景を見つめることしかできない。影はどこまでも黒いはずなのに、囚われたカラミティタイガーたちの様子はなぜか観察することができた。
「ボクたちにとって都合がいいから外側からは見えるようにしたけど、中はしっかり真っ暗闇に仕上げてあるよ。突然の出来事で、あの魔物たちもまだその事実には気づけてないだろうけどね」
そんな不可解な領域を展開して見せた張本人は、その様子を見て得意げに笑って見せる。そのスケールの大きさと言ったら、リリスにだって何も引けを取らないくらいだ。
「……ツバキ、お前は人間なんだよな……?」
「そりゃもちろん。ただ魔術神経が人より頑丈で、魔力の大量運用にも耐えられるだけの人間だよ。その証拠に、ボクが影魔術以外の魔術を使っているのは見たことがないだろう?」
「ちなみに言うとあたしも見たことないわよ。ただツバキは影魔術に特化してて、だからこそあの商会に目を付けられたってわけ」
あまりに今更な確認に、ツバキは胸を張って堂々と答えた。かなり付き合いの長いリリスの証言もあるし、ツバキが人間なのはまあ疑いようもない話になったってわけだ。
「眼前に広がる景色を見ると、信じたくない気持ちでいっぱいだけどな……」
「これがボクの得意分野だもん、これくらいはやって見せるさ。その代わりというかなんというか、この影を使って直接誰かを傷つけることはできないんだけどね」
眼下の景色を見下ろして肩を竦める俺に、ツバキは困ったような表情を浮かべて答える。そう言われてみれば、ツバキ自身が直接攻撃を加える瞬間というのは初対面の時以外見たことがないような気がした。あれだってどっちかと言えば魔物が自滅しているようにも見えたし。
だが、だからと言ってツバキに実力がないかと言えば答えはノーだ。相手に気取られずに視界を奪い、退路も経つ術式が強力じゃないなんてことがあるはずもないからな。そのまま一方的にとどめまでいけたなら理不尽極まりないが、どうやらそこまでの物を天は与えたりしなかったらしい。
「ツバキは昔からそうだし、それでいいのよ。単純な力技なら、私が受け持った方が効率よく使えるしね」
その光景を見下ろして、リリスは準備運動と言わんばかりにぐるぐると腕を回す。……いつもそばにリリスが居るのなら、ツバキに直接攻撃の才能がない事なんて些細な誤差でしかなかった。
「これほどまでにきれいな分業も中々見ねえな……リリスが力押しを好むようになるわけだよ」
「ああ、そこに関してはボクの責任が否めないね……。もう少し一緒に作戦を考える時間を設けてもよかったかもしれないな」
気合十分といったリリスには聞こえないように、俺はツバキに耳打ちする。本人にも少なからず自覚はあったのか、俺の指摘にツバキは軽く首を横に振った。
「……あの中、魔力なんかも反射するわよね?」
「勿論。外からの魔術はすんなり受け入れるようにしてあるから、ストレスなく投げ込めると思うよ」
「……ええ、ありがとう。それが聞ければ、十分だわ」
俺たちのやり取りはつゆ知らず、リリスは背後に武装を作り上げていく。前に見た時は様々な属性の魔術をあれやこれやと展開していたが、今回は氷魔術で形成したものを風魔術で束ねているようだ。
リリスが腕を軽く持ち上げるのと同時、武装もゆっくりと頭上に掲げられていく。その指先までもがピンと伸ばされた次の瞬間に、鋭い腕の一振りとともにそれらは一斉に解き放たれた。
直撃すれば群れは間違いなく壊滅するだろうが、影が作り出した闇の中に閉じ込められた状態ではそれに気づくことすらできない。影の領域は、外から飛来した氷の槍をすんなりと受け入れて――
「……吹雪よ、吹き荒れなさい‼」
リリスの指令に従うように、くすぶっていた風が影の領域の中で爆ぜる。本来なら四方八方に拡散してどこかへ吹き去ってしまうはずの暴風が、閉じられた影の領域の中で乱反射した。
「……うわ、すげえことになってる……」
「事前に警戒できたならまだしも、いきなり飛び込んできた攻撃だからね。どれほどの身体能力があったとしても、それを躱すことなんてできやしないさ」
五十メートル四方を吹き荒れる大嵐に付き従うようにして、氷でできた無数の刃がカラミティタイガーに突き刺さる。ただでさえ凍えてしまいそうな猛吹雪の中に、時折紅い飛沫が混じりこむようになっていく。
その紅が占める割合はだんだんと増え、紅い結晶になって吹雪の中を共に舞い始める。今までは魔術たちを束ね、保持する役目でしかなかった風が、この場にあっては何よりも魔物たちの体力を奪っていた。
「……こんな光景、中々見れるもんじゃねえな」
「風は何よりも自由なんですもの。……たまには、こういう使い方もありでしょう?」
魔物の体力だけが削れていく様を、俺たちは上空から見つめている。二人がやったことと言ったら、声もなく生み出された領域にたった一つの魔術を投げ込んだだけだ。ただそれだけで、魔物にとっては地獄と呼んでもいいような惨状が生み出されている。これを規格外と言わずして、俺はどんな言葉で表現すればいいんだろうか。
「……お前たち、いろんな意味で相性抜群のコンビだな」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。お互いにお互いの欠点を補えることこそが、二人でここまで歩んできた価値にもなるんだからね」
「持ちつ持たれつ、ってやつね。この世界のどこを探しても、私以上にツバキの力を引き出せる存在なんていやしないわ」
ここまでスケールの違いを見せつけられると、俺としては賞賛を送ることくらいしかできることがない。いろんな感情が一蹴した末に出てきた俺の言葉に、二人は揃って胸を張っていた。
「一番の懸念事項だった体への負担も、マルクが面倒見てくれるものね。体調の心配もなくなったなら、間違いなくボクたちはこの世界でもトップクラスのコンビだよ」
「そうね。マルクが居てくれるから、いざとなれば全力で魔術を乱発できるもの。それがあると思うだけで気が楽だわ」
「……これでもまだ本気じゃないとか、俺としては想像すらできないんだけどな……」
おそらくだが、今のままの二人でも王都トップクラスくらいの実力はあるだろう。その片割れが無意識に掛けているストッパーが外された時、何が起こるのか――ダメだ、俺の貧相な想像力じゃ映像にならない。……ただ、今起こっていたことよりもさらに激しい現象が起こる事だけは間違いないな。
俺たちの眼下では風が少しづつ収まり始め、五十メートル四方の惨劇も終わりを告げようとしている。……その中に、生きて立っているカラミティタイガーは一匹たりともいなかった。
「さて、これで依頼は達成かな。これだけの額の依頼になるってことはそこそこ危険度の高い魔物ではあるんだろうし、出来る限りとれる素材は取っていこうか」
「そうね。まだまだ時間にも余裕はありそうだし」
その光景を見下ろしながら、二人は一切の疲れを感じさせずにそんなやり取りをかわしている。最難関と思って提示したクエストがこんなノリで片付けられていたなんて、レインが報告を聞いたら間違いなくひっくり返るだろう。
だが、二人の実力を思えばそれも妥当な結末だ。二人の底知れなさを改めて痛感しつつ、俺たちの初クエストはあっさりと幕を閉じるのだった。
二人のコンビのポテンシャルはまだまだ無限大です! 次回、成果を持ち帰った三人には何が待ち構えているのか、楽しみにしていただければと思います!
――では、また次回お会いしましょう!