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第二百七話『格闘指南の思い出』

「…………はっ、はっ、はあっ……‼」


「……どうしたのマルク、もしかしてもう限界かしら?」


 背後から迫る威圧感に背筋を凍らせながら、俺は全速力で草原を駆け抜ける。追っ手と俺じゃ最高速度に違いがありすぎるはずなのだが、それでもすぐに仕留めないのは温情か、はたまたただ遊んでいるだけか。……その両方なのだろうなと、俺は速攻で結論付ける。後ろから俺を呼ぶ声が僅かに笑っているのが、その推理を裏付けるなによりの証拠だった。


 だが、その状況だっていつまでも続くわけではないだろう。ちょっとあっちが本気になるだけで、この危うい均衡はあっさりと崩れ落ちるのが確定している。つまり、そうなる前にどこかで裏をかく必要があるというわけだ。……そうだな、例えば――


「これ、なら……どうだ‼」


 全速力で逃げていた足を急に止め、俺は体をくるりと反転させる。そのまま急加速すれば、相手が俺を近づく速度とも相まって結構な威力のタックルになるだろう。自分自身が非力なら、相手の力も利用して隙を作ってやろうという寸法だ。


 急な俺の行動に戸惑ったのか、追っ手も少し驚いたような様子を見せてやる。そいつに向かって俺は笑顔を浮かべ、そして最大威力のタックルを食らわせてやろうと――


「……残念、足元がお留守よ?」


「おわっ、と⁉」


――した俺の体が、くすくすと笑う声の共に宙に投げ出される。必死に首をひねって何が起きたか探れば、俺の足元には小さな氷の出っ張りが作り出されていた。


 急加速のために前傾姿勢を取っていたこともあって、このまま転倒すれば顔から着地することになるのは避けられないだろう。こうなれば失敗覚悟で受け身を試みてみようかなんて俺が思っていたその刹那、俺の体はひんやりとした腕に受け止められた。


「発想自体は悪くないけど、まだまだ予測できる範囲ね。私の裏をかきたいなら、もっともっと奇をてらってくれなきゃ困るわ」


「……ほんと、お前って相手にすると恐ろしいぐらいに手ごわいのな……」


 俺を受け止めた追っ手――リリスの厳しい指摘に、俺は思わず苦笑いを返す。……いつか言っていた追跡のプロという言葉はあながち間違いではないのだということを、俺は結果とともにひしひしと思い知らされていた。


 俺の生存能力を上げるという目的で行われている追いかけっこ――もとい逃走訓練は、今のところ全て二分も保たずに俺が敗北している。リリスも随分手加減をしてくれているはずなのだが、それでも勝てる気配が全く見えてこないのが恐ろしかった。


「いやあ、見事な氷魔術だったね。見てる側からすると、ついにマルク側が一矢報いるんじゃないかなんてひやひやしたよ」


「実際のところ、反転攻勢は策として悪くないもの。……まあ、そればかりに意識を割いて足元がおろそかになるのはご法度だけどね?」


「返す言葉もねえよ……マジで完敗って感じだ」


 俺を下ろしながら念を押すリリスに、俺はがっくりとうなだれながら草原に腰掛ける。結構チクチクするから普段はあまり座りたくないのだが、今は脱力感の方が勝っていた。


 力勝負に持ち込ませることすらなく、終始自分の土俵の上で戦い続けられたわけだからな……。いつも後ろから見守っているからこそ分かることだが、最近のリリスは戦いの引き出しを少しずつ増やしている。リリスにとってはまだ学びたての搦め手に、俺は終始翻弄されっぱなしだった。


「ま、マルクについてくる追っ手が私ほど強いとは思えないんだけどね。明らかにやばい奴は私が足止めに行くし、最低限私相手に時間が稼げれば付け焼刃としては十分でしょ」


「うん、それぐらいの認識でいいだろうね。正直なところ、三日間でリリスに勝てっていうのはマルクじゃなくても無理な話だ。……というか、たぶんボクでも難しい」


 疲れと悔しさでがっくりとうなだれる俺をフォローするかのように、ツバキが苦笑いを浮かべながら肩を竦める。……だが、それを聞いた俺の中でふと引っかかるものがあった。


「……あれ、近接格闘術とかならツバキの方が上って話じゃなかったか? 少なくとも俺はリリスからそう聞いてたんだが」


 今でも忘れられない、『タルタロスの大獄』へと向かう道すがらでのこと。修復されたてのリリスが圧倒的な力を見せつけたその後に、リリスはツバキのことを『私よりも強い』なんて風に表現していたはずだ。正直なところ二人の強さは方向性が違いすぎてどちらが上とも言い難いのだが、近接戦闘に関してもそれは同じことのような気がしてならなかった。


『プナークの揺り籠』で大量の刺客たちを相手取った時も、ツバキの足取りはとても軽やかだったからな……。それに加えて経験も豊富だし、十回勝負したら四本か五本ぐらいは取れるんじゃないだろうか。


「ええ、私よりツバキの方が強い……というか、理論がしっかりしてるのよ。私はその基礎しか教わってないから、引き出しの多さだったら勝てないと思うわ」


 そんな俺の記憶を裏付けるように、リリスはうんうんと頷く。しかし、当のツバキはどこか恥ずかしそうにしながらワタワタと手を横に振っていた。


「いやいや、今となってはリリスに敵う道理はないよ。冒険者になってから近接戦闘は全部任せっきりだし、リリスは一つ一つの精度が段違いだからね。基礎しか教えなかったんじゃなくて、基礎さえしっかりしてれば負けないって思えるぐらいにリリスは強かったってのが本当のところだしさ」


 懐かしい話だね、とツバキは遠くを見つめながら呟く。その表情は穏やかなもので、護衛時代に交わしたリリスとの特訓の思い出が好ましいものであることがよくわかった。


「……ほんと、お前たちって最高のコンビだよな。お互いがいなければお互いが成立してないというか、二人だから今ここにいるというか」


「いきなりどうしたのよ、そんな当たり前のことを言って。……私とツバキは二人で一つ、これは昔からずっと変わらないわ。……まあ、最近は一人そこに加わったわけだけれど」


 ふと口からこぼれた俺の言葉に、リリスは柔らかい笑みを浮かべながら返す。それに続くように、ツバキもはっきりと首を縦に振った。


「……本当に、マルクの言う通りだよ。リリスがいなければボクはあの生活に耐えられなかったし、こうやって護衛時代の日々を振り返ることなんて絶対になかったはずだ。……リリスがいてくれたから、ボクはあの十年を否定せずに済んでる。……こうやって、笑いながら思い返せてる」


 自分の胸の前で手を握りながら、噛み締めるようにツバキはそう呟く。冒険者となった今でも、リリスとともに護衛として生きた日々は前向きに受け止められているようだ。……それは確かに、いくらかの救いになるような気がした。


 十年間の全てが嫌な思い出として記録されるの、想像しただけで地獄でしかないからな……。悪質な商会に護衛として雇われていたのは決していいことではないが、そこでツバキとリリスが出会ってくれたことに俺は感謝している。……だって、それが巡り巡って俺を助けることになってるんだからな。


「……っと、話がだいぶ逸れたね。とにかく、今正面から組み手をしたら負けるのは間違いなくボクだよ。格闘技術を一番育てられるのは実戦で、リリスはそれをたくさん経験してるからね」


「……ああ、それは間違いないわね。護衛って立場上あまり派手な危害は加えられないから、昔から近接格闘には頼らざるを得なかったし」


 そんなことを考えていると、ツバキが話を本筋に戻しつつ俺の問いに明確な答えを返す。付け加えられた根拠にはリリスも納得したのか、どこか力ない笑みを浮かべていた。


 ツバキは影魔術を使えば無力化も簡単だが、力押しの傾向が強いリリスにはそういう手段もないだろうからな……。そういう意味では、基本撃破すればいい魔物との戦闘は向いているのかもしれない。双子との戦いで見せた身のこなしも見事だったし、特段対人戦を苦手としてるってわけじゃなさそうだけどな。


「……さて、そろそろ帰りましょうか。五本もやったらさすがに限界でしょ?」


「ああ、間違いないな。……正直なところ、体中が悲鳴を上げてる」


 軽やかな調子で立ち上がったリリスが差し伸べてくれた手を取って、俺はゆっくりと立ち上がる。俺と同じだけの運動量をこなしていたなのに、その呼吸は少しも上がっていないようだ。……きっと、これが長年積み上げてきた経験の差ってやつなんだろうな……。


「あ、貴方の身体さえ大丈夫なら明日もやるつもりだから。一日でも早く一本取ってくれること、期待してるわよ?」


「いつまでも負けっぱなしじゃリーダーとして恥ずかしいもんな。……待ってろ、すぐにあっと言わせてやる」


 わずかに火照ったリリスの手を離しながら、俺はちょっと強気に宣言して見せる。――それに「待ってるわ」なんて返したリリスの表情は、心から楽しそうに見えた。

 大きな依頼を前にしてはいますが、比較的穏やかに日々は進んでいきます。果たして大きな動きがどこで訪れるのか、それも楽しみにしていただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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