舞台裏『もう一つの影』
――強くなければ何もかもを取り落とすのだと気づいたのは、少年が大切な存在を失った後の話だった。
どれだけ大切に抱え込んでいようとも、それを離さずにいられるだけの力がなければその意志は空回りに終わる。空回りに終わったから、今少年はここに――王都に降り立っている。
「……話には聞いてたけど、それ以上に騒がしいな」
あちこちから響いてくる売り込みの声、待ちゆく人々の喧騒。そのどれもが新鮮なもので、少年はあちこちに視線を向けながらゆっくりと大通りを歩く。見る人が見れば一瞬で田舎者だと分かる態度ではあったが、幸運にもそれに付け込もうと考える愚か者はいなかった。――この場合、幸運なのは少年を敵に回さないで済む愚か者の方なのだが。
「ここが王都。この国で一番、情報と人が集まる街」
短く切りそろえた黒い髪を揺らしながら、少年は目的地を目指してのんびりと歩いていく。想像していたよりも王都が広いせいで到着は遅くなりそうだが、別段問題はない。どうせアポイントメントも何も取ってはいないのだ。
――かつて少年の無力がもたらした不自由は、一か月ほど前に唐突に消滅した。なんでも魔道具の反応が途絶えたとか、作戦に失敗したとかなんとか。少年とその家族を縛り付けていた奴らの事情なんてどうでもいいが、聞き取れた情報を総合して分かったのは『調子に乗った身の程知らずたちが全滅した』という事実だ。……そして、それは少年にとってあまりにも好都合だった。
無力だと少年を笑った男たちが、自らの力量を見誤って自滅する。なんとも滑稽な話で、因果応報という言葉は本当にあるのだと思わざるを得ない。……まあ、応報がもたらされるのが遅すぎたところだけは文句をつけてやりたいところだが。
「……でも、それも天の差配ってやつなのかな?」
軽く拳を握ったり開いたりしつつ、少年はそんなことを呟く。その手足は一瞬女性と見間違えるほどに華奢なものだが、よくよく観察してみれば無駄な脂肪が一切ついていないことがわかる。余分を限界までそぎ落としたその肉付きは、人というよりは美しい肉食獣のそれを想起させた。
戦闘の心得が少しでもある人間ならば、その鍛え方が対人戦に特化したものであると分かるだろう。まかり間違っても、一年や二年の研鑽でたどり着ける境地ではない。
――力がないから、かつて少年は大切な存在を取り落とした。自分の半身と言ってもいい存在を、確かに血を分けた大切な存在を、少年は守ることができなかった。……今それを取り戻したところで、あの時の弱い自分を許すことはできそうにないけれど。
「……ここからだ。ここから、また始めるんだ」
失ってからもう十年、苦しい思いはもう十分すぎるぐらいに味わった。だから、ここからがスタートラインなのだ。失ったものを取り戻して新しい人生を始めるための二度目のスタートラインに、少年は今立とうとしている。
低い声で自らにそう言い聞かせて、少年は商店が並ぶ区域を抜ける。……そうして目指すのは、冒険者たちが拠点を多く構える区画だ。
この街には人も情報も多く集まる。だがしかし、それをつかみ取るにも力は必要だ。誰にも負けないくらいに強くならなければ、本当に大切なものを抱きしめることはできないのだと少年は知っていた。
それを理解しながら、少年は考えうる限り最短のルートを行く。この王都での旅路で聞かせてもらった、最強への最短ルートをまっすぐに進み続ける。……生まれつき、長い時間を待てるほど気の長い性分ではないのだ。
ようやく目的のために動けるときが来たのだから、今更回り道なんて必要ない。……そんなことをしなくても最短ルートを進めるだけの実力があると、少年はそうも思っていた。
「……大丈夫だ、僕は強い。……もう、何も失わない」
力がないから失った。それならば、力があれば何も失わずに済むのだ。それどころか、拾い上げることだってできるかもしれない。いつか力づくで奪われたものを、今度はこっちが奪い返せることだってあるかもしれない。……いや、奪い返してみせるのだ。そのために少年は王都までの旅路を急いだのだから。
自己暗示にも似た言葉をあれこれと呟きながら二十分ほど歩き続け、少年はとある二階建ての家の前に立つ。旅行先から王都に帰る途中なのだと名乗った気のいい男性は、少年の目的地をこれ以上ないくらい明確に示してくれた。……いつかまた王都で会えたら、その時は心からのお礼をしなくてはならないだろう。
聞いた話が正しければ、この家全体を貸し切っている存在がこの王都で最強の存在であるそうだ。『危険だからあまり関わり合いにならない方がいい』という忠告もセットで着いてきていたが、その言葉に従う気は毛頭なかった。変に刺激しないようにとの思いで細かい住所まで伝えてくれたのだろうが、生憎それが招くのは全く真逆の結果だ。……少年は今から、最強と接触する。
「昼間に失礼する! ……この宿は『双頭の獅子』の拠点であると聞いたが、相違ないだろうか!」
入り口についた大きめの扉をノックして、少年はできる限り勇ましく、道場破りをする武道家のように声を張り上げる。こんな横柄な態度をとるのには慣れていないが、だからと言って初対面から舐められるのも避けたかった。
通りのいい声は家の中にまで届いたらしく、しばらくして家の中から静かな足音が聞こえてくる。重い音を立てながら扉が開いたとき、そこにいたのは長身の女性だった。美しい銀色の瞳が、怪訝そうな雰囲気を纏って少年に向けられている。
「……何の用だ。『双頭の獅子』は突然の来客を歓迎できるほど優しい集団ではないぞ」
その瞳と同じ色をした銀色の長髪を小さく揺らしながら、女性は剣呑な声色で少年を威圧する。決して褒められたものではない対応、しかし少年にとってはそれでこそ上等だった。
馴れ合いなどいらない、ただ強さがあればいい。少年の目的を達成するだけの強さがそこにあるのならば、それ以外に求めるものなんて何もない。……だって、あの日から少年はたった一つの目標だけを見据えて生きてきたのだから――
「分かっています。僕も、そのつもりでここを訪れていますから」
大仰な言い回しをやめ、いつも通りの口調で少年は女性に向かって接する。少したりとも怯む様子が見えなかったのが興味深かったのか、女性の口元は少しほころんだ。
「……面白い。名乗ってみろ、話ぐらいは聞いてやる」
怪訝な視線が、今度は少年を値踏みするような視線へと変ずる。心の奥底まで見透かさんと言わんばかりの銀の視線が、少年の全身を這いまわっていた。
――ああ、最高だ。あの気のいい冒険者が聞かせてくれた最強という噂に偽りはなかったらしい。ただ単純に価値だけを見定めようとするその視線が、今はこの上なく心地いい。
心臓が快い鼓動を刻むのを聞きながら、少年は大きく息を吸う。そして、その黒い瞳で女性をまっすぐに見つめ返すと――
「――僕の名前はメリア・グローザ。王都最強のパーティである『双頭の獅子』に名を連ねるため、ここに来ました」
――そう、淀みない口調で断言した。
マルクたちがあの村を訪れていた時にも、別の場所で物語は進んでいました。それぞれの物語はどこで交錯するのか、そしてどんな結末へと向かっていくのか! 因縁絡み合う第四章まであと一話、ぜひお楽しみにしていただければ嬉しいです!
――では、また次回お会いしましょう!




