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第百九十九話『不死の価値なんて』

「ガル、ラアアッ……‼」


「悪いけど、離れてやる気はねえぞ。……どれだけお前が暴れようと、俺は絶対お前に触れ続けてやる」


 触れられるのを嫌がるように身じろぎする狼に対して、俺は近くにあった前足に自分の片足を絡めることで対抗する。それを起点にして体全体を狼の近くへと引き寄せて、俺は修復術式の準備を開始した。


 右の手のひらから魔力を流し込み、狼の体内の状況を大まかに把握する。そうすれば、どこに魔力が集中的に流れているかもわかるはずだ。それさえ見つけられてしまえば、俺たちの勝利は確定したも同然――


「……う、ぶ」


――そんな青写真は、胃の底からせりあがってきた悪寒によって打ち砕かれた。


 吐き気がする。双子の体内の状況が可愛く見えてくるぐらいに、狼の体内はグチャグチャだ。もとの形なんてもうわからないぐらいに、体内の魔術神経は歪められ、切られ、そして無理やりつなげられている。……これを命への冒涜と言わずしてなんと表現すればいいのだろうか。


「く、そ……ッ」


 多少は覚悟していたことではあるが、狼の惨状はそれをはるかに上回っていた。食事だって控えめに済ませたはずなのに、どこから生成されたのかもわからない吐瀉物が今も喉を逆流している。吐けば少しは楽になるのだろうが、そうして手に入れる安寧は一時しのぎでしかないということは容易に想像できた。


 この狼を終わらせるには、修復術式によって狼と不死の呪印のつながりを断ち切るしかない。それをやろうと思うならば、いつかはこの吐き気に打ち勝たなければいけないのだ。……甘えて居られる余裕が、どこにある。


「……吐き気とか、知ったこっちゃねえよ……‼」


 目を瞑り、狼にしがみつく手足と脳内に映し出される体内の状況に意識を集中する。好き勝手に弄り回された魔術神経の状態はそれはもうひどいものであり、これを完全に修復しようと思うと俺が五、六回ぐらいは最低でも魔力切れに陥らなければいけないだろう。自分で言ってて泣きたくなるぐらいに貧相な魔力量だが、だからこそツバキたちは下準備をしてくれたのだ。


「……どこだ、不死の術式……‼」


 脳内に浮かび上がった狼の惨状をあらかた確認して、俺は狼の魔力の流れに意識を委ねる。……すると、その違和感はほどなくして浮かび上がってきた。


 修復術なんて存在が古代に知られているわけもなし、不死の呪印が発見されることへの対策を施すという考えはみじんもなかったのだろう。気が付くことさえできれば、それはとても不自然なものだった。


「……全身のあちこちから、一点に向かって魔力が流されてる」


 位置で言えば、心臓の少し上の方ぐらいだろうか。そこにある大きな魔術神経の塊からは無数の小さな魔術神経が延びており、頭の方からしっぽの先端にまで至るところと接続されている。ほかにも狼にはたくさんの呪印が仕込まれているようだが、これだけ多くの部分と接続されている魔術神経はこれのほかに存在しないだろう。


 それに、その魔術神経は普段から魔力が流れているとは思えないぐらいにか細いものだ。ところどころは千切れさえいるぐらいで、酷使を想定していないのがはっきりと伺える。……それはつまり、短期間で繰り返し使う可能性のある攻撃魔術の呪印などではないということだ。


「……これしか、ない……‼」


 見つけた違和感を細かく分析していくたびに、俺の中に芽生えた確信はより強いものへと変化していく。今までに積み重ねてきた修復術師としての経験が、俺の背中を強烈に押していた。


「……皆、今から修復に入る! 時間がかかるかもしれねえけど、終わるまで耐えてくれ!」


 目を瞑ったまま、俺は周りにいるのであろう三人に修復の開始を伝える。……真っ先に聞こえてきたのは、力強いリリスの声だった。


「ええ、何分だって稼いでやるわよ。……主役の責務、しっかり果たしてきなさい」


「そうだね、この戦いは君にしか終わらせられないものだ。君に託すよ、マルク」


 それに続いてツバキからも力強い言葉が返ってきて、俺の頬は少し緩む。……ノアの声が聞こえてきたのは、それから少し遅れてのことだった。


「……ウチも、限界までウチの役目を果たすから! ……マルクも、マルクの役目に集中してね!」


 俺の頭上から降ってきたその声は、戦闘開始前に比べて少しだけ震えているように思える。狼との戦闘は序盤からフルスロットルだったし、やはり体に負荷がかかっているということなのだろう。……しかし、そうなってもノアが自らの役目を手放している様子はなかった。


「……負けてらんねえな、俺も」


 そのことに気が付いて、俺は喉元まで迫っていた吐き気を強引に飲み下す。今は、今だけはその本能すら邪魔だ。押し返すべきでないものを押し返した代償として灼けるような不快感が喉から胃に向かって滑り落ちていくが、それも今はどうでもいい。


「ああ。……修復術師の名に懸けて、俺は俺の役目を果たす‼」


 三人からの激励に俺はそう返して、本格的な修復のための手順に入る。……その瞬間、狼にしがみついている俺の体が大きく揺れた。


 俺の魔力が狼の体内に侵入したことにより、経験したことのないベクトルの苦痛が狼を襲っているのだろう。それはきっと人でも魔物でも変わらないし、何となく予想がついていたことだ。……それくらいで振り落とされるほど、俺もやわなしがみつき方をしてはいない。


 全身を風が撫でていくのを感じながら、俺は心臓の上部分にある魔術神経の塊に向かって俺自身の魔力を伸ばしていく。背中付近に手を当てられたのがよかったのか、俺の魔力がそこにたどり着くのにはさほど時間を要さなかった。


「……あとは、これを狼の身体から切り離せば――‼」


 魔術神経の塊からは、無数の小さな魔術神経がつながっていく。わざわざ一本一本丁寧に通していくのも面倒だが、しかしそうする以外に不死の呪印を狼の身体から分離させる方法はない。……だから、やるしかないのだ。


「……ちょっとは、おとなしくしてなさい!」


 次の段階へと修復を進める俺の鼓膜を、リリスの勇ましい声が震わせる。その直後にドスリという重い音が聞こえて、飛び跳ねていたのであろう狼の身動きが急に止まった。


 ここからは繊細な魔力の操作が必要になることもあって、これは本当にありがたい一手だ。……これでもう、万に一つの事態も起こさせない。


「そこと、ここと、あれと……あぶねえ、ここもだった」


 一つ一つ不死の呪印とつながる魔術神経を俺の魔力で埋めながら、俺は慎重にこの先の方針を立てる。俺の魔力全部を回して修復を行う以上、一つでも取りこぼしがあったらその時点で決着は明日以降に持ち越されることになってしまう。……だから、慎重になりすぎるぐらいでちょうどいいのだ。


 魔力を流すたびに脱力感が、魔術神経の様子を確認するたびに脱力感が俺の体を蝕んでいくが、それらをすべてガン無視して俺は作業を進めていく。……仮に修復が終わった瞬間にぶっ倒れるような事態になったのだとしても、命を落としさえしなければそれでよかった。


 針の穴に糸を通すように、一つ一つの魔術神経を潰していく。そうしながら何秒、いや何分が立っただろうか。やけに短かったような気もするし、気が遠くなるぐらいに長かったような気がしないでもない。……ただ一つ確かなのは、修復のための準備は完了したということだ。


「……繋げ、繋げ、繋げ」


 その認識に間違いがないかをもう一度確認したのち、俺は最後の準備へと取り掛かる。少し前に双子の修復を行ったときのように、魔術神経の歪なつながりを修復を以て断ち切るのだ。……それが完了した時、不死の術式は狼の体内で機能不全に陥るだろう。


 そうなれば、後は殺しきるだけだ。そこまで行ってしまえば、後はリリスたちがどうとでも狼を料理してしまえるだろう。……つまり、俺たちの勝利はもう目前と言っても過言ではない――


「ガ……アアアアアーーーッ‼」


「っ、と……⁉」


 そこまで考えが至った瞬間、しばらく感じていなかった風の感覚と振動が俺の全身に伝わってくる。上から下に風が流れていくのを見る感じ、本能的に危機を察した狼が大きく跳躍したのだろう。……今力が抜けてしまえば、そのまま俺は落下してしまうはずだ。


 その本能は見事なものだし、死を回避しようと最後まで手を尽くすその姿は魔物として模範的と言ってもいい。俺の修復の都合上殺して動きを止めることもできなかっただろうし、ここで抵抗されたことを三人のせいだと責めるのもお門違いだ。……これはむしろ、死にたくないという狼の思いの強さに拍手を贈るべきなのだろう。


「……けど、悪いな。俺たちは、その気概を買ってやるわけにはいかないんだよ……‼」


 最後の力を振り絞って俺を振り落とそうとする狼に、俺も限界まで筋力を酷使して抵抗する。……俺が俺の役目を果たすまで、絶対にその力を抜くことは許されない。俺自身が、許さない。


「繋げ、繋げ、繋げ……‼」


 狼の体内に流し込まれた俺の魔力に向かって、俺は必死に指令を送る。めちゃくちゃな振動と風圧を受けながら、しかしそれに負けることはなく。……そして、すべての準備は完了した。


「……終わりだ、エセ不死狼‼」


 直感的にそのことを確信した瞬間、俺はあらん限りの声で叫びながら修復術を実行する。……それと同時、俺の手足から力が抜けた。


 そんな中でもなんとか目を開くと、少し離れたところに体をわずかに震わせる狼の姿がある。その横っ腹には氷の槍が突き刺さっていて、それが狼の抵抗をギリギリまで抑制してくれたのだろうと分かった。


 そして、狼の体を離れた俺はやはり落下しているらしい。このままいけば地面に墜落して、俺もまた無事ではいられないだろう。……しかし、それを理解していながらも不思議と恐怖心は湧いてこなくて――


「……マルク、お疲れ様。君の果たした役割、ウチらはしっかり見届けたよ」


 唐突に俺の体が抱き留められ、優しい声が俺の耳朶を打つ。……やっとの思いで首を声がした方に向けると、そこには穏やかな笑みを浮かべたノアの姿があった。瞳の黄色は徐々に元の緑色へと戻りつつあり、ノアもまた限界なのが容易に理解できる。


「ああ、やりきってきたよ。……お前も、そうだろ?」


「もちろん。……まあ、最後はリリスに任せないといけないみたいだけどね」


 俺の問いを苦笑とともに肯定しながら、ノアは上に視線を向け直す。それに倣って俺も同じ方に目をやれば、そこには影の剣を無数に携えたリリスの姿があって――


「……流石、俺の頼れるパーティーメンバーだな」


 リリスとツバキ、二人の力を合わせた連撃が狼の体を細切れにして、狼の体はみるみるうちに肉片へと変化していく。……圧倒的な力の差によってもたらされた最後の死は、やはりどこかあっけないもので。


「……不老不死なんて、ロクな物じゃねえ」


 それがたとえどんな形でも、どれだけ苦痛を伴わないやり方でも。……やはり、生命は終わりに向かっていくから強くなれるのだ。死んでもなお終わらない命なんて、ただおぞましいものでしかない。


「それを教えてくれたことだけは、感謝しとくことにするよ」


 あくまで反面教師として、俺はアゼルや過去の研究者たちに感謝を述べる。……その言葉を最後に、筋力も魔力も酷使していた俺の意識はプツリと途切れた。

 さて、ついに第三章も大きな山を越えました! ですが、物語自体はまだまだ続き、そしてまだまだ盛り上がっていきます! 第三章の終幕に、そして第四章への助走に期待していただきつつ、これからもお楽しみいただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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