第百九十三話『例外たちの行進』
――正直なところ、俺たちの調子は決して本調子とは言えない。もちろん狼との戦闘で蓄積した負担はある程度解消されてはいるが、三人とも万全の状況というには少しばかり不安が残る状態だ。リリスとツバキには修復術を施しているから魔術を使えなくなる心配はないと思うが、それでも魔力切れの不安は決してぬぐえなかった。
だがしかし、悠長にみんなの体調が回復するのを待っていられないというのもまた事実。村人たちが俺たちに干渉してきたことによって、作戦会議でツバキが発したその推測はより現実味を帯びたものへとなっていたのだが――
「……拍子抜けもいいところね。多勢に無勢とか、本気で信じてる類の人たちかしら?」
「ま、基本的な原理としては間違ってないからね。……ただ、何事にも例外ってやつはあるってだけでさ」
――皮肉交じりに投げかけながらリリスは手刀を振り抜き、目の前に接近していた村人を昏倒させる。そのまま踊るような足踏みで氷の棘を地面に走らせ、少し離れて続く村人の機動力を完全に奪い去った。流れるような動きで放たれる制圧劇に、村人の無粋な行動が入る間隙など一瞬たりとも存在していなかった。
一瞬にして格の違いを見せつけるリリスと背中合わせになるような形で、両手に影を纏わせたツバキも村人を次々と呑み込んでいく。その影は一切の外傷を与えないが、まるで死んだかのような浮遊感を取り込まれたものへと等しく与える仮死領域だ。強い思想のもとに統制された狂気でさえも、死の錯覚がもたらす苦痛を前に意識を保つことなど不可能だった。
「ご生憎、ボクたちは揃って例外側だ。……すべてが片付くまで、そこで仲良く夢でも見ててくれ」
影が引いた後に残る村人たちにそう声をかけて、ツバキは振り向きざまに影を振り抜く。意識だけを確実に刈り取るその領域が、氷の棘に絡めとられた村人たちをまた呑み込んだ。
普段は二人で一人という銭湯スタイルをとっているツバキとリリスだが、背中を預けあって戦う姿も見事なものだ、一切の危なげがなく、そして意思疎通も一瞬にして完了している。軽口をたたきあうくらいに余裕のあるその戦場は、宣言通り準備運動家のような軽やかさで制圧が進んでいた。
「……二人とも、すっごく強い……。これが護衛として培った戦い方なんだね」
「ああ、ほんとびっくりするぐらいに強いよな。仮にも俺たちが少数側なのに、とてもそんな風には思えねえよ」
少し離れたところでその戦いっぷりを見つめる俺たちは、ただその強さに感服することしかできない。パーティとして一緒に過ごした時間もそこそこ長くはなってきたが、二人の強さはまだまだ底が見えない――というか、ただただ引き出しが多い。近接戦闘でも遠距離戦闘でも、突破戦でも撤退戦でも、彼女たちの手にかかればすべてが手慣れた戦場だ。その万能性は、冒険者として生きているだけではなかなか身につかないものだと言っていいだろう。
「……貴様らにも、信仰の報いが――」
「うるさいわよ、さっきからガヤガヤワーワーと。……分かり合えるとか、本気で思ってるの?」
倒れ往く仲間たちにも臆することなく突っ込んでくる信者たちに対して、リリスは容赦なく蹴りを叩きこむ。もはや言葉を村人たちに言葉を交わす価値もなく、とにかく数の多い障害でしかない。……それも、さすがに終わりが見えつつあったが。
「二人とも、ここいらのは殲滅したわ。ここを抜ければ、程なくしてダンジョンにつくはずよ」
村人全員が倒れ伏したのを確認して、リリスは少し離れた位置に立つ俺たちに声をかける。その途中でうめき声をあげていた村人には氷の弾丸で追撃を入れているあたり、確認に一切の抜かりはなさそうだ。
あんまり距離を取っているとそれはそれで村人の狙いの的になるのではないかと最初の方は心配していたのだが、俺たち二人を狙った村人たちは何よりも優先的に殲滅されたから何の問題もなかった。さすがにまずいことになると理解したのか、俺たちを狙おうとする動きは途中からなくなる始末だったしな。
「ありがとうな、二人とも。……消耗は、大丈夫か?」
「大丈夫だよ、ボクが直接戦闘をできるのなんてこの機会ぐらいだしね。リリスも、あの程度だったら朝飯前だろう?」
「当然よ。肩慣らしにしては数が多すぎたけど、なまった体に気合を入れなおすには十分だったわ」
一応病み上がりだしね、とリリスは肩を軽く回しながら付け加える。その全身にはしっかり力がこもっていて、魔力切れの影響はもうない事をしっかりアピールしていた。
リリスの魔力量だから回復には相当時間がかかる物だと思っていたが、そこはやっぱりエルフとしての特性もあるんだろうな……。『妖精族には一歩遅れる』なんてことを作戦会議でリリスはこぼしていたが、今のところそう感じる材料はゼロに等しかった。
「……さて、それじゃあここからが本当にの勝負所ね。村の連中は全員寝かせたはずだし、ダンジョンの仕組みは今更脅威にならないし」
「ああ、力押しで解決できることはもはや証明済みだしね。……実質、残っているのはあの狼にまつわる問題だけってわけだ」
早足でダンジョンへと向かいながら、ツバキとリリスは現在の状況を整理する。確かにその認識はおおむね間違っていないが、まだ一つだけ不確定要素は残されていた。
「……多分、アゼルもあの狼のところにいるだろうな。わざわざダンジョンに向かう俺たちの足止めを命じたってことは、そうしなくちゃいけないだけの何かがあるってことだ」
「……うん、それは間違いないね。あの時とは状況が違いすぎるし、今度は直接的に妨害してくる可能性もあるかも」
前を歩く二人に俺がそう伝えると、続いてノアもそう口にする。一発だけとは言えツバキの影を無効化して見せたアゼルの存在は、正直無視していい存在とはとても言えなかった。
「確かに、アゼルと狼を同時に相手取るとなると少しだけ面倒なことになるな。ボクたちは総力を挙げて狼を足止めする算段だし、立ちふさがるなら先に身動きを縛っておく必要があるか」
「ええ、そうなるでしょうね。……あのふざけたにやけ面も一発殴っておきたかったし、ちょうどいい機会だわ」
少し唸り声を上げるツバキとは対照的に、リリスは強気な笑みを交えてそう答える。研究者への嫌悪感とアゼルそのものへの悪印象が相乗効果を起こし、リリスの中でアゼルの存在は最底辺すら突き抜けているようだった。
「まあ、ボクの影が効かない以上リリスが相手するのが一番丸いだろうね。……まあ、まともな戦闘に付き合ってくれるかどうかだけが懸念事項ではあるけど」
「痺れ薬を用意してまで、マルクの動きを止めようとしてきた人だもんね……。緊急事態に備え立札を常備してるって言われても不思議じゃないかも」
それぞれがあのうさん臭い老体を思い出して、悩まし気に唸り声を上げる。どう考えてもアゼルは正面衝突を好むタイプではないし、テクニカルな戦場に引きずり込まれると負けはせずとも時間を稼がれるというのは容易に想像できる。呪印が俺たちの命に制限時間をつける以上、時間稼ぎをされるのはそれだけでかなり面倒なことだ。
つまり、アゼルの得意とする土俵の上で戦うのはそれだけで愚策足りうるということだ。それを封殺したうえで相手の冷静な思考力を奪う手段が、今俺たちに必要とされるものということになる。
だが、アゼルの態度はいつだってつかみどころのないものだった。俺たちからの嫌悪感もものともせず、ただ信仰の尊さを語る。……それさえ確かならば、後の全ては些事だと言わんばかりに――
「……あ」
この村で過ごした時間を思い出しつつ思考を回転させている最中、俺はとある原始的な可能性にたどり着く。ヒントになったのは、アゼルの信者たちが何度も見せてきた光景。それを仕組んだのがアゼルだとするならば、この作戦はともすれば通用するかもしれない。
あのときの俺たちは、アゼルが何を理想としているのかを知らなかった。だから、アゼルは信じていたのだ。不老不死の素晴らしさを知れば俺たちもアゼルの側につくはずだと、そう確信していた。
だが、その信仰をもっと具体的に拒絶してやればどうなる。アゼルが目指してきたものの全貌を把握したうえで、その実在ごと真っ向から否定してやれば、どうなる――
「……マルク、何か思いついたのかい?」
俺が上げた小さな声を聞き逃すことなく、ツバキは俺の目をまっすぐに見つめてくる。何かを期待するかのようにきらきらと輝くその視線を正面から受け止めて、俺は首を縦に振った。
「ああ、簡単な話だよ。……煽って煽って煽り倒して、殺意とかいう直線的な感情で脳内を支配してやればいい」
何かを思いついたマルク、その考えの行く先は次回明かされることになるかと思います! それぞれが異なるベクトルで例外にいる四人の進撃、ぜひお楽しみください!
――では、また次回お会いしましょう!




