第百八十八話『そして始まる未来のために』
「……ごめんねツバキ、今度はあなたを置いてけぼりにしてしまって……」
「いいや、むしろいいものが見れてボクは嬉しいくらいだよ。……君の大事なものが増えていく瞬間を見守るのは、友人として嬉しい事だからね」
上体をわずかに起こしたリリスの謝罪に、ツバキは軽やかに笑いながらそう返す。そのまま横目で隣に座る俺の方を見やって、その笑みを少しだけ悪戯っぽいものへと変じさせた。
「……それに、ボクたちのやり取りを見守るマルクの気持ちも何となくわかったしね。あの空間に口を挟もうとするのは、いくらボクでも野暮ってものだ」
「……まあ、そうだな。俺が見てたのとお前が見てたのが同じ景色だったかはともかく」
楽しそうなツバキの笑みに、俺は複雑な表情を浮かべながら答える。ツバキたちのハグと俺たちのハグを同列に並べていいのかというのは、俺の中で決着がつきそうにない問題だった。
俺とリリス――もっと言えば俺とツバキの関係というのは、『大切な仲間』というふんわりとした表現が今のところ一番相応しいと思っている。友人とも恋愛とも同じようで少し違う、その要素のどれもを少し含んだような、言ってしまえばややこしい感情が俺の中にあるのだ。ラベリングは同じはずなのに、二人に対して抱く環状の比率が少し違うのもまた問題を複雑にしている。
それに加えて、このハグを焚きつけたのがツバキだから話はさらに複雑を極めてしまうのだ。……ああやって触れ合わなきゃ分からなかったこともあるし、今となってはツバキの申し出はありがたいものだと思えるけどな。
どれだけの時間抱きしめあっていたかははっきりしないが、あの時間は心地がいいものだった。腕の中にいるリリスはひんやりとしていながらもどこか温かくて、生きているのだということを言葉よりも雄弁に伝えてくれるような気がして。
「スキンシップは照れ臭いけど、大事な物なんだなってのは分かったよ。といっても、いきなりハグからいかせるツバキはアクセル踏みすぎな気がするけどさ」
「うん、それはボクも分かってる。……というか、前までのリリスだったらなんだかんだ言いながらやらないんじゃないかと思ってたからね。リリスが成長してくれていてボクは嬉しいよ」
チクリと付け加えた俺の言葉に苦笑しながらも、ツバキは優しい目でリリスを見つめている。ツバキがリリスに対して時折見せる母親のような視線には、普段の飄々とした雰囲気が全くなかった。
「大切な存在にはちゃんと大切だって伝えなきゃいけないこと、私も最近理解したのよ。……そうまでしなくちゃ、マルクは真っ先に自分の命を捨てに行っちゃいそうだし」
「……はは、それは否定できねえな」
小さく肩を竦めたリリスの言葉に、痛いところを突かれた俺は曖昧に返す。実際のところ優先順位は二人の方が高いし、死ぬリスクが低いなら俺が真っ先に前に出るのがきっと正解だ。
『もう危ない橋は渡らない』というのはリリスとの約束だが、それはあくまで自分から渡らないってだけの話だしな。もし大切な人が危ない橋の上にいるならば助けに行くことに迷いはないし、結果として危ない橋に立つことも承知の上だ。……まあ、死なないように全力を尽くしはするけどさ。
「お前たちに比べたらそりゃ無力だけど、俺だってパーティの一員なんだ。仲間が危ないってなったら黙って見てることはできねえよ」
少しだけ責めるようなリリスの視線から目をそらすことなく、俺ははっきりと言い切る。……そのまましばらく俺たちの視線はまっすぐにぶつかっていたが、先に折れたのはリリスの方だった。
「……ほんと、貴方が冒険者でよかったわよ。貴方は優しすぎるから、護衛なんてしていたらまず真っ先に死んでいくタイプだもの」
「ああ、それは間違いないね。護衛だからってすべてを守ろうとしていたら、あの仕事で生きてはいられない。そうやっていろいろ抱え込んでいくうちに自分の命が手の中からこぼれていくような人、結構いるんだよ」
ため息交じりのリリスに続いて、ツバキも視線を宙にさまよわせながらそう付け加える。その視線の先にあるのはここよりももっと命が軽くて、あっさりと失われていくような世界なのだろう。……それがわかってしまうからこそ、二人からの言葉は重かった。
「……俺も、もう少し自分の身を守る技術を身につけた方がいいのかもな。敵を倒せるとまではいかないけど、逃げて時間を稼ぐぐらいのことはできて損がないだろうし」
「ええ、そうしてくれるとありがたいわ。……相手が必要なら、私たちがいつでも相手になれるしね」
「もちろんボクも協力するよ。奪われた荷物を追跡することも少なくなかったから、鬼ごっこになら自信があるんだ」
その言葉を聞いてふとこぼれた俺のつぶやきに、二人は思った以上に乗り気な様子でそう口にする。協力してくれるのはもちろんありがたいが、二人を同時に相手したら俺なんて五秒……いや三秒だって怪しいだろう。二人を鬼に据えた追いかけっこがどんな結末を迎えるか、何度シミュレーションしても結果が変わることはなかった。
「だけど、それも王都に戻った後の話だな。……今は、この村のごたごたを全部片づけて帰ることが先決だ」
脳内に浮かんだ無数の負けパターンをいったん隅へと追いやって、俺は思考を本筋のダンジョンへと再び切り替える。どれだけ未来を描いても、今ここにある状況が好転するわけじゃないからな。今ここにある手札でこの村の野望をどう打ち破るかを、俺たちは何とか考え出さなくてはいけないのだ。
「うん、そこが目下の大問題だね。……あの狼、どう考えても放置していい存在じゃないし」
「あそこまでグチャグチャになっても生きてるの、どう考えてもおかしいもの。魔物とかそういう次元じゃなくて、生命としての法則を無視してるわ」
あの時の戦闘を思い返して、リリスは忌々しげにそう呟く。実際のところ、狼との戦闘は大体リリスが勝利しているのだ。一回は肉塊になるまで影の刃で叩き切ったし、復活した後の戦闘も氷の檻の中に閉じ込めるところまでは持って行った。魔力の限界という枷がなければ、何度やってもリリスが勝利するのは揺らがないだろう。だが、現実にそんな都合のいい話はない。
「……不老不死、なあ」
肉塊になっていたはずの狼が元の形を思い出していく光景を思い返して、俺は思わずそう呟く。生命としての原型すら失った状態から復活できてしまうなら、あの狼は大体の事象で死ぬことはないと言えるだろう。影の刃によって内部から食い破られる以上の無残な死に方なんて、なかなか人為的に用意できるものでもないだろうしな。今目にした情報だけを基にするなら、あの狼は不死の存在だと呼ぶしかないだろう。
その仮説が正しいのだとしたら、研究の成果を破壊するという俺たちの目的は永遠に達成されないことになる。となると、次善の策として目指すのは再び狼を何らかの手段で封印することになるのだろうが――
「マルク、そこについてちょっといいかい? ちょうどその狼について切り出してから、ボクたちの作戦会議を始めようと思ってたんだよ」
うつむいて考え込む俺の肩を軽く叩いて、ツバキは俺の思考を中断させる。……ふと顔を上げれば、そこにはいつになく自信に満ちたツバキの表情があった。
「了解、それじゃあお前に任せるよ。このまま考えてても袋小路にしかなる気がしないし」
「うん、ありがとう。……それじゃあ、改めて前置きから行かせてもらうね」
そっちの方がわかりやすいし、とツバキは一呼吸おいてそう続ける。だんだんと体の調子が戻ってきたのか、リリスも完全に上体を起こして話を聞く姿勢に移っていた。
俺たちからの視線を一身に受けて、ツバキは軽く咳ばらいを一つ。……そして、リリスの方へと視線を向けた。
「昨日マルクが寝ているときにね、『不老不死は昔から魔術研究の終着点だ』みたいなことを言ってたんだよ。だから不老のための術式だけじゃなくて、不死の術式もどこかにあるんだろうなって。……それを踏まえたうえで、少し考えてほしいんだよ」
今度は俺の方へと視線を振り、ツバキは問いかけるようにそう言葉を切る。……その黒い瞳を見て、俺のどんな答えが求められているかは何となく想像できた。
「不死ってのは、何を以て不死とするのか……。どういう状態になれば死を克服できたって言えたのかってのが、不老に比べると基準があやふやだな。不老に関しては見た目で分かるけど、本当に死なないのかって検証は難しいし」
どれだけの死の可能性を検証して『死なない』って証明したとしても、まだ検証したことのない可能性の中で死ねるものがあったらそれは不死とは言えないからな。そういう意味では、生きている限り不死の証明なんてものは終わらせられないのかもしれない。
「そう、その通り。不死ってのはすごく定義がぼんやりしてて、証明することがとてつもなく難しい。……だけど、それは裏を返すとこうも考えられないかい?」
そんな俺の考えに、ツバキはその通りだと言わんばかりに頷く。……そして、すらりと人差し指を一本立てた。
「定義が曖昧ということは、言い換えてしまえばどうとでも解釈できるってことだ。それをもとに出来上がる物は極限まで不死『っぽい』ものでしかないわけだけど、それでも不死だって言い張ることはできる。そう、例えば――」
その人差し指を心臓にとんと当てて、ツバキは言葉を切る。……そして、ゆっくりと俺たちに問いかけを投げかけた。
「……どれだけ無残な形で死んだとしても、何らかの形で元の形へと再生できるなら――『死んだ状態からでも命ある状態に戻ってこられてしまう』んだとしたら、それはもう不死と言い張っても差し支えないものであるんじゃないかな?」
あの狼をどう打破するのかというのは、間違いなく第三章のカギを握るところになります。そんな狼に対してツバキはどんな見解を出すのか、楽しみにしていただければ嬉しいです!
――では、また次回お会いしましょう!




