第十八話『小さな勘違い』
「……こんな広々とした宿、泊るのは久しぶりだな。最近は馬車で寝てばかりだったから、それと比べれば超が着くくらいの高待遇だよ」
「そうね……最後にベッドで寝たの、いつのことだったかしら」
部屋の隅っこに置かれたベッドに飛び込み、ツバキは体を上下にゆする。リリスもその感覚が気に入ったのか、ツバキと同じベッドにもぐりこんで体を弾ませていた。
俺はと言えば、そこから少ししたところにおいてあるクッションにもたれかかって二人のじゃれ合いを見つめている。一部屋しか取れなかったのは俺の交渉術不足だし、ベッドじゃなくても眠れるのは俺のちょっとした自慢だ。
「……というか、このクッションもかなりいい奴みたいだしな。ほんと、金かかってる宿は違うわ」
「……その口ぶりだと、キミもこういう宿には慣れてないのかい?」
ツバキの問いかけに、俺は肩を竦めることで返答する。どこでも寝られるのは良いことだが、それができるようになった経緯に関してはあまり思い出したくないというのが本音だった。
今俺たちがいるのは、この王都でもそこそこお高めのちゃんとした宿だ。ここならあまり隣の部屋に音が漏れることもないし、誰が泊ったかという情報がむやみやたらに開示されることもない。その分少し値は張るものの、ちゃんと体を休められなくなるよりはよっぽどマシだろう。あんな大冒険を終えた後だし、休息にはちゃんと気を使わないとな。
「もう少ししたら飯も運ばれてくるはずだから、二人はゆっくり休んでてくれ。俺も適当にくつろいどくからさ」
「ああ、ありがとうね。まさかあの迷宮を抜け出した先がこんないい宿に繋がっていたなんて、いくらボクでも予想できなかったよ」
「小さなころからどこでも寝られるようにって教育を受けてばっかりだったものね。……それでも、こういう場所で休めるのが最適なことに変わりはないけれど」
ベッドに寝ころんだまま、二人はどことなく柔らかい声でそう返す。ここに来て初めて、二人も一息つくことができたってことなんだろうか。それくらい気を許してくれているのは、俺としては正直嬉しい事だった。
「思う存分体を休めてくれよ。まだまだ寝るには早いとはいえ、明日からが俺たちにとっての戦いの始まりなんだからな」
「そうなんだとしても、今日のマルク以上に濃い一日がそうそう訪れるとも思えないけどね……。それを乗り越えられている以上、もうキミに怖いものなんてないんじゃないかい?」
苦笑とともに返されたツバキのリアクションに、俺は思わず返答に詰まってしまう。そういえば忘れかけていたが、追放からここまでまだ一日の話なのか。……なんというか、三日かそこらくらいは時間を使っていたような気分だ。
「……確かに、こんなに濃い一日はあまり経験したくねえな。追放されてリリスを買って、この国の中でも相当ヤバいダンジョンに潜ってって、冷静に振り返っても作り話みたいに思えるし」
「酒に酔って話しても誰も信じてくれない類の話ね。……まあ、私たちだけはそれを信じざるを得ないわけだけど」
俺の回想に、リリスがふっと笑みを浮かべながら身を起こす。俺を見つめるその青い瞳は、あの奴隷市場で見た時よりも綺麗に輝いているような気がした。
「……改めて、ありがとうね。私をもう一度立ち上がらせてくれて。……ツバキを、救い出してくれて」
「何言ってんだ、救い出したのはお前の努力の結果だよ。俺はお前にそのための手段を与えただけで、あのダンジョンではただのお荷物だったって」
いきなり真剣な雰囲気でお礼を告げてくるリリスに、俺は顔の前で手を振りながらそう返す。俺は橋渡しをしただけで、そのチャンスをつかんで見せたのはリリスでしかないのだ。……本心から、俺の役割なんてそう大きなものじゃなかったって思ってるからな。
「俺はあくまで治すだけ、お前たちが憂いなく戦えるように後ろで待ってることしかできねえんだ。もちろんそれだけじゃパーティの一員としてダメだとは思うし、何かできるようにならないといけねえとは思ってるけど――」
「……マルク、その認識については改めさせてくれ。ボクが言うべきことではないのかもしれないけど、自分の価値の高さを見誤るのは決して褒められた話ではないからね」
頬を掻きながら言葉を重ねる俺を、寝ころんだままのツバキが遮る。どことなく脱力感のある声質はそのままだったが、そこには真剣な響きが混じっていた。
「……俺からしたら、お前たち二人の方がよっぽどすごいと思うけどな。一人一人でも強くて、力を合わせればもっと強くて。俺がもっと強くならなきゃ、一緒にいることが申し訳なく思えてくるくらいだ」
『双頭の獅子』にいる時はこんなこと微塵も思わなかったのに、今は嫌ってくらいに力不足を痛感させられるから不思議なものだ。二人が圧倒的な動きを見せているのを間近で見たからなのか、それとももっと別の理由なのかは、今の俺には分からない事だった。
「ああ、確かにボクは強い。リリスも強い。……だけど、だからと言ってマルクが弱いってわけじゃないと思うんだけどな。ねえリリス?」
「ええ、私も同感ね。私たちを再び引き合わせるという役目は、他の誰でもない貴方にしかできなかったことだもの」
「……迷うそぶりもなく即答してくれるんだな。……俺、リリスの魔術神経を治すことしかできてねえんだぞ? 別にそれだけだったら修復術師は他にもいたし、お前をもっとうまく治してやれる奴だっていた。自分で言うのも悔しいけど、俺は未熟な修復術師だからさ」
俺にこの魔術を叩きこんでくれた師匠があの場にいたなら、リリスにつらい思いをさせることなく修復を完了させることができたはずだ。あのダンジョンでだって、ただお荷物になるようなことはなかっただろう。俺よりすごい修復術師がいることを知ってるからこそ、二人から受けるその評価はどことなくむず痒いもので――
「……ああ、なるほどそういうことか。違和感の理由がようやく分かった」
そんな俺の様子を見つめて、ツバキはポンと軽く手を叩く。その後リリスに向かって何やら耳打ちをすると、リリスはこらえられないといった様子で小さく噴き出した。
「なるほど……確かにそう考えればこの態度にも納得できるわね」
「なんだよ、当人を差し置いて。俺が知らない俺の癖でも見つけたのか?」
「ああ、その通りだよ。癖という表現は、少しばかり違うかもしれないけどさ。リリス、ちょっと頭の固いボクたちのリーダーに教えてやってくれ」
「ええ、分かったわ。……マルク。貴方一つ勘違いをしてるのよ」
「勘違い……?」
ツバキに促されるようにして飛び出した言葉に、俺は思わず首をかしげる。いまいち話の容量がつかめない俺を見て、リリスは苦笑を浮かべると――
「……私、別に修復術師のマルクにお礼を言ったわけじゃないの。私の願いを叶えて、危険な道を共に進んでくれたマルクって人間にお礼を言ってるのよ?」
……その言葉の意味を噛み砕くのに、俺の中で少し時間がかかる。ええと、つまりさっきのお礼は修復術式に対してじゃなくて、俺個人に対する礼になるってことで……
「マルクはね、修復術師としての自分以外を小さく見過ぎなんだよ。それ以外のところでだって、君がもたらしてくれたことはたくさんあっただろうに」
ごちゃごちゃする俺の思考を手助けするように、ツバキは優しく付け加える。……そこまで言われて、ようやく俺の中ですとんと何かが腑に落ちた気がした。
「……最大限、カッコつけた甲斐はあったってことか」
「貴方の行動がかっこつけだったかどうかはともかく、修復術式を施してくれただけが貴方の功績じゃないってことよ。私を堂々と買い取って、戦闘の時も決して逃げることなく見守ってくれていて。……ここに泊まれてるのだって、貴方がいい妥協点を作ってくれたからじゃない」
「そうそう。それはボクたちにできることじゃないし、直接的な強さばかりがパーティにいる価値を作るんじゃあない。マルクが元居たパーティでは、そればっかりが取り沙汰されてたかもしれないけどさ」
ベッドに体重を預けながら、ツバキは何でもない事のようにそう言ってのける。その軽い言い方が、かえって俺の心にすっと入り込んでくるようだった。
「俺、今から見返してやろうってパーティの価値観に知らず知らず染められてたってことか……」
「そうそう、実力だけがその人物の採点基準じゃないんだからね。……今から、それをこの街に証明するんだろう?」
思わず天井に視線を向ける俺に、ツバキの優しい問いかけが突き刺さる。ここまで優しく諭してもらう経験なんてなかったから、俺の中をやけに新鮮な感慨が吹き抜けていた。
追放された時は修復の本質を知られて過労死するよりマシだとか思ってたけど、いざ尊敬できる仲間と出会ったら考えは変わるもんなんだな……。二人よりも俺の価値は下なんだって、無意識に考えているところがあったのかもしれない。あれほど嫌っていたところの考え方なのに、つくづく過ごした時間の長さってのは恐ろしいものだ。
「……だけど、そればっかりが正しいわけじゃないもんな。そうじゃないことを、俺たちがこの街に見せつけるんだもんな」
「そういうことさ。だからシャキッとカッコつけていてくれよ、ボクらのリーダー?」
リーダーという響きに、俺の背筋がピンと伸びる。こうなることを見越して話を進めていたんだとしたら、ツバキの話術は相当なものだ。……だけど、乗せられることに不思議と悪い気はしなかった。
「あら、良い響きじゃない。私たちの道を決めたのは貴方なのだし、その称号とはこれからも付き合っていってもらおうかしら?」
「……ああ、そうするよ。戦闘面じゃとんと役に立たないリーダーだけど、それでもお前たちが認めてくれるなら」
いたずらっぽく笑うリリスの提案に、俺は大きく頷く。リーダーという立場を背負うことは、きっとこれから戦っていくのに間違いなく必要になる事だろうからな。
俺はクラウスとは違う。違うやり方で、この街のトップに立つ。その覚悟を、今一度俺の中に刻み付けた。リーダーと二人が呼んでくれる限り、俺はそれを忘れずにいられるだろう。
俺が決意を新たにしていると、ドアが控えめにノックされる音が聞こえる。ドアの近くに取り付けられた通気口からは、香ばしい料理の香りが漂ってきていた。
「……それじゃあ、飯を食いながら作戦会議と行くか。明日からどうやって王都に名を挙げていくか、お前たちの知恵を貸してくれ」
「ああ、もちろん協力させてもらうよ。……せっかく壮大な計画なんだ、どうせならとことん最短距離を目指してやろうじゃないか」
「マルクの価値を見間違うリーダーが率いるパーティなんて、トップに立っていても有害なだけだもの。……折角だから、私たちで引導を渡してやりましょう?」
食事を受け取るべく立ち上がった俺の提案に、二人はノリノリで乗って来る。俺が思っていたより何倍も頼もしくて温かい仲間たちの視線を背中に受けながら、俺は部屋の外に向かって歩き出していった。
知らず知らずのうちに長居した場所の価値感が染みついている事ってありますよね……。それが無意識に生み出していた勘違いも修正され、万全の状態で明日からの逆襲へと挑んでいきます! 果たして三人はどんな形で王都に名をとどろかせるのか、次の展開にもご期待いただけると幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!