表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

187/607

第百八十三話『それぞれの悔いを抱えて』

――俺たちの目の前に、半透明の翼を生やしたノアが立っている。周りに黄色い光をまとわせて、俺たちを守るかのように両手を広げていた。


「……一体、何が起こってる……?」


 再びその姿を氷に覆われた狼の姿を見つめながら、俺は思わずつぶやく。最悪の状況は回避できたとみてよさそうだが、それにしたって聞かなければならないことが多すぎた。


 リリスが見せた新しい術式は、リリスに対して抱いていた『力任せ』というイメージを塗り替えるには十分だった。それが未完性に終わってしまったことは惜しいとしか言えないが、問題なのはそこからだ。……俺たちの前に立ったノアは、その術式を補完するかのように氷の檻を復元した。――あまつさえ、その術式を作り上げたリリスよりも高いクオリティで。


 ノアが術式の解析と模倣を得意とするのはあの夜の襲撃で知ってはいたが、ここまで戦闘を積極的にしたがるような様子は見せていなかった。だが、これだけの術式が使えるなら戦闘だって苦にする必要はなかったはずだ。……ここまでそれをしてこなかったことには、何か理由があるとしか思えない。


「それが、この姿なんだとしたら――」


 ノアの姿を見やりながら、俺は思わずそうこぼす。この殺風景な部屋の中で、光をまとうノアの姿だけがいやに幻想的だ。……何か別の世界が彼女の周りに広がっているんじゃないかと、そんなバカげたことを想像してしまうくらいに。


「……ごめんね。皆はウチのことを信じてくれてたのに、ここまで何も言えずにいて」


 完全に狼が氷の中に囚われたのを確認して、ノアはゆっくりとこちらを振り返る。宝石のような緑色をした目はその片方だけが黄色へと変わっており、目の前の光景にさらなる非現実性を足してきていた。


「……リリスの様子はどう? 多分大丈夫……だと、思いたいけど」


 しかし、ノアはいつもと変わらないような口調でツバキにそう問いかける。狼に怯むことなく対峙して見せたあの時からは打って変わって、柔らかな印象がそこにはあった。


 特段苦しんでいるような様子もないし、今のところはその力を使うことによる反動などはないのだろう。……このまま何の代償もなしに終わるとは、さすがに思えないが。


「うん、大丈夫だよ。意識は失ってるけど、呼吸も鼓動もしっかりしてる。……大方、魔力切れによる気絶だと思う」


「……この二日間、明らかにいつもより体を酷使してたもんな。平気な顔してやってたけど、その体内の魔力はすでに底をつきかけだったってことか」


 ノアの問いに応えて、ツバキはリリスの容態をそう推測する。……瞼を閉じて横たわるその姿を見た瞬間、ノアに対する疑問へと割かれていた思考のリソースが急速にリリスへと引き戻された。


 まるで眠っているかのように胸を上下させるその姿は落ち着いたものだが、それと同時に弱々しいものにも見えてしまう。……それがどうして起こったかといえば、根本的なところでリリスに頼ってしまう俺の弱さがそうさせたものとしか思えなくて。


「……クソっ」


 結局は帰りを待つことしかできない俺の無力さが恨めしくて、自分への悪態が口をついて飛び出してくる。……いつの間にか噛み締めていた唇からは、わずかに血の味がした。


「……マルク、自分を責めるものじゃないよ。マルクが真っ先にリリスへ駆け寄ってなかったら、そもそも再生したての一撃を防げていたかすら怪しいんだ。……君が無力さを感じる必要なんて、どこにもない」


 俺の顔を覗き込んで、ツバキが諭すように声をかける。……そんなツバキの表情にも悔しさをかみ殺しているかのような色があって、俺はそこではじめて気づいた。……この事態を悔やんでいるのは、決して俺だけじゃない。


 俺たちの誰もが、この事態を想定できなかった。……きっと、最善手を打てたと胸を張って言える出来じゃないのだ。それを悔やんでいるのはツバキもノアも――きっとリリスも、変わらない。


「一度は下手を打ったけど、ボクたちは幸いにも決着を引き延ばすことに成功した。だから、次こそは間違えない。次こそは、この村が生んだ異常な生命を終わらせる。……そのために、今はみんなでこの悔しさを受け入れよう。あの拠点に戻って、今度こそ四人で作戦会議と行こうじゃないか」


 俺の目をまっすぐに見つめて、ツバキははっきりとそう言い切る。リリスを抱き上げるその腕には力がこもっていて、そのせいかかすかに震えている。……そこに、言葉にならないツバキの激情が全て表れているような気がしてならなかった。


 ――きっと、ツバキは怒っているのだ。この村を渦巻く妙な信仰に、その元凶を作り出した過去の研究者に、そいつが残した遺産に。……リリスが倒れ伏すきっかけを作ったすべてに対して、ツバキは激怒している。……そう思うと、さっき俺にかけてくれた言葉も別の意味を持つような気がして。


「……ああ、そうだな。想定外の出来事だらけだったとはいえ、今は四人で無事に帰ることが先決だ。……ノア、お前も手伝ってくれるよな?」


 ツバキに向かって大きな頷きを返して、未だ俺たちの前に立っているノアの方へと視線を向ける。明らかに人ならざる何かをまとっている少女は、しかしいつもと変わらないような穏やかな表情で首を縦に振った。


「もちろん。……ウチも、果たさなくちゃいけない役割があるからね」


 ノアがそう答えると同時、その背後に生えた半透明の翼が羽ばたくかのように一度大きくはためく。それが終わった瞬間、俺たちの周りに風の渦が発生した。


「みんなそうだと思うけど、そろそろ呪印の制限時間も厳しくなってくるころだしね。……少しばかり手荒な移動になっちゃうけど、耐えられるよね?」


「大丈夫だよ、リリスので慣れてる。……それにしても、この術式は――」


 足元から包み込むかのように広がり始める風の渦に、ツバキは怪訝そうな表情でノアを見つめる。その視線には心当たりがあるのか、ノアはどこかバツが悪そうに頭を掻いた。


 俺もうすうす感づいていたが、今俺たちの周りを渦巻くそれはリリスが作る風の渦と酷似している。……いや、実際に模倣しているといっていいのだろう。それぐらいできてしまえるのだろうなという妙な信頼が、あの氷の檻を見た俺の中に芽生えてしまっている。


「……うん、私は魔術の構造を解析する研究者だからね。今のウチなら、それを模倣することも難しくないの」


 少し照れた様子で風の渦を操りながら、ノアはそれを球体へと変じさせる。俺たちにとってすっかり慣れてしまった移動方法だが、今はその運転手だけが見慣れない顔をしていた。


「ウチのこの姿に関して、聞きたいことはたくさんあると思う。もしかしたら、皆はウチに対して怒ってるかもしれない。……けど、今は後回しにすることを許してね。まずはこのダンジョンを脱出しないと、ウチらに先はないし」


「ああ、そうだな。……その代わり、隠し事はなしで行かせてくれよ?」


 ノアの言葉に俺がそう答えると、ノアは大きく首を縦に振る。……その柔らかい表情を見て、俺は思わず安堵した。


 きっと、帰り着いた俺たちはノアの隠していたことを聞くだろう。それはきっと、俺たちが今までノアに対して抱いてきた疑惑にもつながってくるものだ。……それをすべて聞けたとき、やっと俺は本当にノアのことを信頼できるような気がして。


「……それじゃあ、行くよ。リリスのこと、落とさないでね」


「ああ、絶対に放したりなんかしないさ。……だから、遠慮なくいってくれ」


 ノアと繋いでいない方の手でリリスを抱えたツバキが、ノアの念押しに深く頷く。その右腕には珍しく影がまとわれていて、意地でも落としたくないというツバキの意思を体現しているかのようだった。


 ノアが伸ばしてくれた手を俺も取り、俺たちは退却の準備を完了させる。それを確認して、ノアは一瞬祈るように目を瞑ると――


「……それじゃあ、行くよ。……しっかりつかまっててね‼」


――目を開けた次の瞬間には前を向き、ノアの細い足が床を蹴り飛ばす。……直後、すさまじい速度で俺たちは狼の囚われた部屋から脱出した。

 次回、第三章もそろそろ大詰めへと差し掛かるころへなっていきます! 突如現れた狼の正体、そしてノアの正体が解き明かされるとき、物語はどんな方向へと動いていくのか、どうぞ楽しみにご覧いただければ嬉しいです!

――では、また次回お会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ