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第百七十六話『光の中』

「一体、何が……‼」


 男たちの叫びを聞きながら、俺は思わずそう呟かずにはいられない。声を揃えた二人の輪郭はあまりに強すぎる光の前に溶けだし、人としての形を失い始めていた。


「マルク、そんなことはいい! 逃げるんだ、今すぐに‼」


 あまりに異様な状況に硬直した俺の体を、ツバキが強い力で引っ張ってどうにか動かそうとする。それに合わせるようにして俺も体を動かしているつもりなのだが、俺が思っている以上に俺の体は重たくなっていた。


「リリス、君も手伝ってくれ! 早く退却しないと、とんでもないことが起こりそうで――!」


「もう起こってるわよ! ……この光、間違いなく普通の魔術じゃない‼」


 ツバキの要請に対して、リリスが焦りを隠せない声色でそう返す。光のせいで表情は見えないが、きっと取り乱しているのは間違いない。……なら、なおさら早く動かないと。


 その意志だけはしっかりとあるのに、現実の俺はそれから背を向けることでさえロクにできない。体中に鉛を巻きつけられたかのように重い体は、現状からの逃走を許してくれなかった。


『刮目せよ、愚かな者どもよ。……貴様らには、幸運にもその権利がある』


 まるで悪い夢でも見ているかのような現実感のない状況で、双子の声が部屋の中に響く。それは兄のものなのか弟のものなのか、それともそんな区切りなんてすでにないのか。……今までで一番テンションが高いということ以外、その声色からは何も読み取れなかった。


「悪いけど、ボクたちもそう暇じゃないからね。……強引にも、失礼させてもらうよ‼」


 双子の言葉を拒絶して、ツバキは腕を思い切り振り抜く。まるで虚空から何かを引き出すようなその動きは、ツバキが影魔術を展開する合図でもあったが――


「……は?」


 それがこの空間に変化をもたらすことはなく、ただツバキの絶望したような声だけが響く。それは、ツバキの影魔術が不発に終わったことをあまりにも色濃く証明していた。


 徒手空拳にもある程度適性があるとはいえ、二人が得意とするのは魔術を存分に絡めた戦闘だ。それが封じられてしまった今、とうとう俺たちに逃れるための手段は残されていない。俺たちの感覚を一時的に遮断することでこの部屋の影響から脱しようとした影魔術だったのだろうが、その一手は魔術の不発という根本的な原因によってかき消された。


『貴様らはすでに観客だ。……奇跡の幕引きに弓引く権利は、与えられていないのだよ』


 逃げられない俺たちに向かって、双子は恍惚とした声で語りかける。その声はところどころ妙に共鳴していて、とてもではないが常人の発声したものだとは思えなかった。


「……ダメ、何もわからない……! これは、いったい何なのッ⁉」


 光に塗りつぶされる視界の中、ノアが甲高い声を上げる。それは、初めてノアが未知に対して明確な恐怖を示した瞬間だった。


 あらゆる理解も対策も許さない光の中で、俺たちは立ち尽くしている。頭の中ではとっくに逃げ出せているはずなのに、重くなっていく体は何一つその意志を現実に反映してくれない。それは俺だけじゃなくて、ほかの三人もそうだ。……さっきから、声が全然遠くならない。


『……言ったであろう、奇跡は成ったと。貴様らのような常人に奇跡を理解する必要などない。……ただ、甘んじて享受せよ』


 異常に塗りつぶされた空間の中、双子は高らかに言葉を紡ぐ。この空間の中でも変わらずにいられるのは何らかの加護があってのことなのか、それとも男たちが最初から異常だったからだろうか。


……いや、違うのかもしれない。この場での正常はあの二人で、それを拒もうとする俺たちがこの空間に異端として排除されているのだとしたら。……今起きている現象を理解できていないことが、俺たちの身動きが重くなっている理由だったとしたら、どうだ。


『――さあ、お前たちにも目にしてもらおう。アゼル様の研究の結実、そして古き世に消えた理想の生命。……これより世界を統べる、完全な命の在り様を』


 そんな仮説に頭がたどり着いた瞬間、双子がさらに言葉を紡ぐ。まるで舞台袖の語り手のように、吟遊詩人の真似事でもしているかのように。……現実感のないその言葉が、なぜか今はすっと耳に入る。


 この光を目の当たりにする前は、その語りを戯言だと笑い飛ばすこともできただろう。しかし、今はそれもできない。……この異常を前にしてしまえば、すべての異常が許容されるような気がしてならない。何が起こってもおかしくない空間に、俺たちはいるのだ。


 強すぎる光のせいで世界は白黒に染め上げられており、双子の輪郭はいつしかどこにも見えなくなっている。氷漬けにされた男と腰骨を砕かれた男がどこかに移動できるとも思えないが、目の前で起こっていることだけが事実だ。……それを証明するかのように、双子の声がまた響いた。


『……来たれ、不老にして不死なる究極の命――アゼル様が焦がれた、古き世界の遺産よ‼』

 

 双子の呼びかけに答えるかのように、光はさらに鋭さを増す。これ以上直視していると目がつぶれてしまいそうで、俺は両目を固く瞑った。


 瞼越しにも存在を主張してくる強い光の中で、俺はそれが収まるのを必死に待つ。待っていてやむのかはわからないけど、まだ二人の言っていた儀式は終わっていないはずだ。それを終わらせるのがさっきの言葉だったのなら、あるいは――


 そんな俺の希望的観測が通じたのか、瞼越しに伝わる光がだんだんと弱くなる。それを合図としたかのように俺の体も軽くなり、いつも通りの感覚が帰ってくる。……それはまるで、超常的な存在がこの場から去ったことを表しているかのようで。


「……体が動かせるなら何でもいい、とにかく逃げよう! リリス、風魔術は展開できるかい!?」


「……ええ、今ならできるわ! 皆、早く手をつないで――」


 体と魔術の自由が戻ってきたことを察するや否や、リリスとツバキが一瞬にして退却の準備を開始する。その声色に一切の余裕はなく、ただ焦燥の色だけがあった。……ここまで二人が焦りの色を隠さないのを、俺は初めて目にした気がした。


 護衛として培った生存本能がそうさせているのか、それとも生来の感覚なのか。そのどちらによるものなのだとしても、それに従う以外の選択肢はない。足元で吹き荒れ始めた風が、退却準備が進んでいることを俺に伝えていた。


 リリスの手を取ろうと、俺はしばらくつむったままにしていた目を開ける。すさまじい光量をずっと直視していたはずなのだが、目を開けた瞬間に飛び込んできた光景はぼやけることもなく鮮明に映った。――今この時に限っては、映ってしまったというのが正しい表現かもしれない。


「……なんだ、あれ」


 ――右目の端に、何か見慣れないものが見えている。俺の記憶が正しければそこは棚があったはずなのだが、今佇んでいるのはどう見ても四足歩行の生命体だ。……状況を鑑みても、間違いなく俺たちに友好的な存在ではないと言っていいだろう。


 くすんだ灰色の体毛は狼を連想させるが、その体躯は俺たちの三倍――いや、四倍はあるとみてもいいだろう。筋肉質なその体は獲物を狩ることに特化しているかのようで、間違っても草食だとは思えなかった。


 それは俺たちの方をまっすぐに向いて、しかし何をするでもなくただそこにいる。すぐさま襲ってこないことに関してはありがたい限りだが、それによって俺の中には一つの問題が浮上した。


 すなわち、その存在を伝えるべきか、それとも報告は後回しにして撤退を優先すべきかということだ。幸い、俺以外は完全に後ろを向けていることもあってその姿は目に入っていない。獣は音もなくそこにたたずんでいることもあって、気づかないふりをすれば知らずに撤退することも可能だろう。


 しばらく悩んで、俺は無言のままリリスの手を取ることを選択する。何よりも今優先するべきは無事に帰ることだ。皆が気づいていないならば、わざわざ不安要素を増やす必要なんてどこにもない。


 視界の端に魔物の姿を捉えたままにしつつ、俺はリリスの華奢な手を取る。その足が地面を蹴れば、俺たちは瞬く間にこの部屋を、そしてこのダンジョンを抜け出すことができるだろう。それが成功すれば、ひとまずは大成功といってもいい――


「……は?」


 ――などと、楽観的な考えをしていたのが災いしたのだろうか。立ち尽くしていた獣の背中から、異形のものとしか思えない触手が二本、灰の毛皮を突き破って飛び出してくる。背中からこぼれだした血を受けて、獣の毛皮が赤く染まった。


「……何、今の音」


「わからない。……けど、決して無視していい存在でもなさそうだね……‼」


 それに伴って響いたぐちゃりという音に、リリスたちも背後の存在を知覚する。そこからすぐに振り向いた三人の判断はとても優れたものだったが、しかしそれよりも相手の行動の方が早かった。


「ガ……オオオオオーーンッ‼」


 狼そのものの咆哮とともに、背中から伸びた二本の触手が目にもとまらぬ速度で俺たちに向かって振り抜かれる。列の最後尾にいる俺からでさえ十五メートルは距離があるはずだが、そんなことはお構いなしだ。


 風を切る音ともに、反応を許さないような速度で触手が俺に向かって襲い掛かってくる。左右から打ち込んでくるそれを同時にとらえるのは難しく、仮に捉えられたとしてリリスの剣閃もかくやというほどのその速度に反応できるはずもない。……よってこれは、回避不可能とも言っていいほどの攻撃だ。


 自分の無力さを呪いながら、俺はぐっと目を瞑る。せめて一本だけでも躱せてくれと願いながら、俺は前方に飛び込むように身を投げ出して――


「氷よ、マルクを守りなさい‼」


「影よ、今度こそ役目を果たせ‼」


 その背後から、最も頼もしい二人の声が俺の耳朶を打つ。……その直後、まるで鉄塊が壁に衝突したかのような轟音が部屋の中に響いた。

 次回、戦闘開始です! 果たしてマルクたちは無事に離脱できるのか、急変に急変を繰り返す状況をぜひお楽しみいただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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