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第百六十六話『書き殴られた規則性』

 さっきまでの二部屋は気持ち悪いくらいの清潔感を纏っていたが、この部屋を支配しているのは圧倒的な混沌だ。秩序も法則性もなく、ただ数々の文様だけが壁に床に所狭しと刻まれている。この部屋で誰かが発狂したのだと説明されても、俺はすんなりと信じてしまえそうだ。


「これは……一体、なんなの……?」


 俺たちから一歩遅れて部屋の中に到達したノアも、その光景を見て喉を鳴らす。ノアは俺たちよりも呪印の知識に優れているわけだが、そんな彼女にこの部屋はどう映っているのだろうか。……もしかしたら、俺たちが気づかないような手掛かりも見つけられているのかもしれない。


「この部屋だけ、どう見ても雰囲気が違いすぎるね。部屋と言うより、ただの区画と呼んだ方がしっくりくるくらいにはさ」


 視線をあちこちへと向けながら、ツバキが改めてこの部屋をそう評する。当たりか外れかで考えるなら全くの外れではないのだろうが、かといって大当たりかどうかと言われるとこれもまた怪しいところだった。


 と言うのも、この部屋は行き止まりなのだ。扉もそれを開くためのボタンもなく、そのために割くスペースすらも惜しいと言わんばかりに呪印がびっしりと書き連ねている。……それらの不気味さにさえ目をつぶれば、進行方向が一つ潰れたのは喜ばしい事だ。


「……とはいえ、無視はできそうにないんだよな……。どう考えても何か隠されてるだろ、ここ」


 まるで書きなぐられたかのような荒々しい線で描かれた呪印があるのに気づいて、俺はため息をつきながらそう呟く。確かに行き止まりではあるのだが、意味のない空間では決してない。……というか、ここを読み解くことさえできればダンジョンに隠されている謎の五割か六割は把握できたりするんじゃないだろうか。


 俺たちの腕に刻まれたものと違って、部屋中に刻まれた呪印たちは光を放っていない。それがまた不気味で、まだ何かを隠しているかのような得体の知れなさがあった。……次の瞬間何が起こってもおかしくないのではないかと言う予感が、常に俺の背筋を刺してくる。


「……呪印、重なってないんだね。こんなにもたくさんの量があって、まるで急いで刻んだみたいな線もあるのに」


 俺が緊張を張り詰めさせていく中、俺の背後でノアがぼそりと呟く。声量以上に反響したその言葉に、俺たちは揃ってノアの方を振り向いた。


「……重なってないことに、何か意味があるのかい?」


「呪印術式、どうやらまだまだ隠された情報があるらしいわね。……あなたさえ良ければ、聞かせてもらってもいいかしら?」


――もっとも、渋るなら力づくでも聞き出させてもらうが。


 そんな裏の本音が聞こえてきそうなくらいに剣呑な表情を浮かべて、リリスはノアに問いかける。それだけでリリスの周りの空気が少し冷え込んだような気がするのだから、リリスの放つ圧迫感は尋常ではなかった。


「……うん、意味ははっきりあるよ。あんまり詰め込み過ぎても身につくものじゃないし、そこはあえて端折ってたんだけど」


 しかし、ノアはそれに動じることもなく首を縦に振る。その様子を見る限り、やはり必要な情報を出し惜しむ気はなさそうだ。……それを確認したからか、リリスもこわばらせていた表情をかすかに緩めた。


「……それじゃあ、改めて解説してもらおうかしらね。……呪印同士が重ならないことに、どんな意味があるのかを」


 できれば簡潔に、と注文を付け加えながら、リリスはノアの話を聞く体制に移る。それに改めて頷きを返すと、ノアは俺たち三人を一通りぐるりと見まわした。


「……簡単に言うと、呪印と呪印が重なるとそれぞれの術式の出力が下がるんだよね。それぞれの呪印に刻まれた情報同士が混ざり合っちゃって、魔力が正しい用途で使えなくなるの。……だから、呪印を刻むときは別の呪印を形成する線と重ね合わせないってのが常識だね」


 両手の人差し指をぶつけるようなしぐさをしながら、ノアは呪印術式についてそう解説する。ノアの体の前くらいで衝突した指同士のように、呪印同士が重なっていると魔力と魔力が衝突してしまうということなのだろう。そう言われてみれば、確かに理解できる話ではあった。


「それを聞いていると、呪印と言うのも案外めんどくさい形態なんだね。こんなにびっしり書き連ねるような時でも、そのルールに縛られなくちゃいけないなんて」


「うん、そうだと思う。……だけどね、それを踏まえると一つ分かることがあるんだよ」


 ツバキの感想に同調しつつ、ノアはたとえ話に使った人差し指をそのまますっと俺たちに見せる。その一つと言うのがノアにとって大きな気づきであり、だからこそのあの呟きに繋がっていったのだろう。俺たちが無言でその言葉の続きを待っていると、ノアは意を決したように大きく一呼吸ついた。


「……これだけ乱雑な線で構築されてるこの部屋の呪印たちだけど、多分これらは全部実用を目的として作られてる。呪印が少しも重なってないってことは、万が一にでも出力が下がったら困るってことに他ならないから」


 部屋中にある呪印を無作為に指さしながら、ノアは俺たちに向けてそんな考え方を提示する。なにぶん逆説的な理論ではあったが、その仮説にはある程度の説得力があるように思えた。


「……いくら古代の研究者が尖ってたとは言え、一つの部屋を丸ごと自由帳にするのはやりすぎだもんな。……どんな意味かは考えることじゃねえとしても、何かをやろうとした結果できたのがこの部屋ってわけだ」


「あるいはもう役割を果たした後かもしれないね。……まあ、それの中身を考えようと思うと泥沼だけど」


 皮肉交じりの俺の仮定に、ツバキは肩を竦めながらそう付け加える。何が起きてこの部屋がこうなったかはともかくとしても、それが俺たちにとっていい事ではない事だけが確かだった。


「……それなら、この部屋を破壊してしまえばダンジョンの機能はある程度失われるんじゃないの? あの男の野望を阻止するなら、それでも全然効果はあると思うのだけど――」


「――いや、それは少し悪手かもしれないかな。ここまで手の込んだことをする研究者が、単純な破壊に対して脆弱なダンジョンの仕組みを作るとは到底思えないからさ」


 力づくの一手を提案するリリスの言葉を遮って、ノアははっきりとその選択肢を否定する。この部屋がダンジョンにおける心臓部なのはおそらく間違いないだろうが、見つかったからと言って易々と心臓を貫かせてくれるようなダンジョンだとは到底思えなかった。


「……ま、そうよね。それが出来れば一番早いし、確認してみただけよ」


 それに関してはリリスも何となく理解していたことなのか、安心したような微笑を浮かべてリリスはすんなりと引き下がる。もどかしさこそあるが、今のところはこの部屋に対して出来ることはなさそうだった。


「とりあえず、ここでできることはもう何もなさそうだね。別の場所で得た知識がここの真実に迫るための鍵になることもあるだろうし、一回前の部屋に戻ろうか」


「うん、そうだね。ウチとしても、この呪印が実用目的ってことだけ分かってれば十分だから」


 ちょうどいいタイミングで出されたツバキからの提案に乗り、ノアは俺たちの後ろへと戻る。決して短くない時間滞在していた気がするが、一度開いた扉が閉まる気配はない。あの時閉じた扉は呪印付きだったし、基本的には一度開いたら一定のタイミングを迎えるまでは閉まらないのかもしれないな。


「しょっぱなから奇妙なものに当たりはしたけど、結局やることは総当たりで変わらないわね。……と言っても、まだ二つ分かれ道があるのが面倒だけど」


「一つが行き止まりだったのもあるし、残りの二部屋は確実にどこかに繋がってそうだもんな……。戻るまでの時間でどれだけの情報が拾えるやら」


 暗く短い連絡通路を固まって歩きながら、俺とリリスはそんな風に言葉を交わす。総当たりしか手段がないとはいえど、スローテンポでしか探索が進まないのは中々にもどかしい。せめてセーフルームさえ見つかれば、多少探索時間を伸ばすことにもつなげられるんだけどな……。


――そんなことを考える俺は、少し先の事――ノートがあった部屋に戻り、どちらかの部屋へと続く扉を開いた後のことを考えていた。当然だ、今から俺たちが戻るのは探索を済ませた部屋なのだから。


 そんな先入観があるからこそ、俺は明らかに気を抜いていた。直前に衝撃的な光景を見ていたこともあって、これに匹敵するほどに驚くことなど中々ないと高をくくってしまっていたのもあるかもしれない。……だからこそ、連絡通路を抜けて戻って来た部屋で、俺は驚くことになったのだ。


「……は?」


「……いやいやいや、どういうことだよ……⁉」


――ノートが収められている棚がある以外には何もない、簡素な部屋。……その四辺にそれぞれ一つずつ取り付けられた扉の内、三つが開け放たれた状態であったことに。

回を進んでいく毎に不穏さが増していきますが、果たしてマルクたちを待ち受けるのは何なのか! 謎も探索も深まる第三章、どうぞまだまだお楽しみください!

――では、また次回お会いしましょう!


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