第百五十五話『ひとときの安全地帯』
「……寄生虫、か。この村が誇ってる技術に対してずいぶん挑戦的な表現だね?」
「それ以外に表現のしようがないしな。……というか、この村の連中も寄生虫みたいなもんだし今更だろ」
ノア曰く、この村の連中が使用する呪印術式はあのダンジョンに存在しているものの劣化コピーでしかない。アゼルの手で俺に刻まれた呪印がノアの手によって解除できているあたり、その言葉に間違いはないのだろう。『魔喰の回廊』に残っていた呪印は解除が難しいという話だったし、どっちの技術が優れているかなんて素人目からも明らかだからな。
「アイツらの目的は、かつてあのダンジョンにあった技術を今の世界に完全な形で復活させることらしいしさ。……その後呪印を使って何をするかは知らねえけど、アイツらが過去の遺産を傘に着た寄生虫な事には変わりはないと思うぞ」
「ええ、私も同感ね。……どこまでも、不快感ばかりを煽ってくる奴らだわ」
靄がかかっていた左手首を見つめながら、いつになく神妙な様子でリリスは小さく呟く。そこで光を放っていた呪印のことを思って、俺はふと目をつむった。
『魔喰の回廊』において最も恐ろしい術式がそれであることは、もはやだれも否定できない事実だろう。『奪命の呪印』とでも呼ぶべきその術式は、呪印による不死とは真逆の形で生命の摂理に反しているおぞましいものだった。
これはただの想像でしかないが、不死の研究の副産物が死を与える術式なのかもしれないな。命の保ち方を知るということは、命の壊し方を知るということに他ならないわけだし。修復術を知るにしても、どんな扱い方をしたら魔術神経は傷つくのかを知るのが第一歩だったし、治すことの裏側にはいつだって壊すことの影が潜んでいるのかもしれない。
「……とりあえず、魔術神経に異様な反応があったら何かしらの呪印が刻まれてるって思えばいいのかしら。魔術神経の様子を知れるのは貴方だけだし、私たちは頼る事しかできないわけだけど」
「ああ、そうだな。……こりゃますます、俺の修復術を知られるわけにはいかなくなった」
リリスの結論に対して、俺はゆっくりと言葉を返す。呪印術式というものに対して知識を深め推論を展開すればするほど、修復術式というものの異様さと重要性は際立ちつつあった。
実際に検証するのはかなり後の話になるだろうが、この推理を通じて俺の中に一つの可能性が浮上してきている。机上の空論でしかないそれが仮に実現可能ならば、呪印術式に対抗するのはかなり簡単になるだろう。……だが、問題なのはそれが村の連中にとって明らかに想定外の物であるということだ。
この村と同じくらい――いやそれ以上に、俺が育ったあの場所は修復術の存在を頑なに秘匿していた。だからこそ、呪印術式は修復術の存在を考慮していないのだ。……だからこそ、それを知られた時のリスクは大きく跳ねあがるものだと見て良かった。
「……今まで以上に、上手く立ち回っていかないとな……」
「マルクが奪われるだけでボクたちの継戦力は大きく落ちるわけだしね。……大丈夫、もう誰にもマルクは触れさせないよ」
アゼルとの初対面のことを悔いているのか、ツバキはぐっと拳を握りしめてそう宣言する。その隣では、リリスも静かに首を縦に振っていた。
「痺れ薬でも毒薬でも、私の仲間に手を出そうとしたことは間違いないものね。……一切の慈悲なく、この村にとって最も都合の悪い結末にたどり着いてやるわ」
「ああ、頼りにしてるぞ。……冗談じゃなく、お前たちが俺の命綱だ」
理想の未来を見据えて、リリスは獰猛な笑みを浮かべる。その戦意に一切の鈍りがない事に安堵を覚えつつ、俺は二人に向けて笑みを返した。
普段のダンジョン探索以上に、この村は何でもありだ。どこからでも死の可能性が顔を出しうるし、一度敵に回せばアゼルは容赦なく俺たちを詰ませにかかるだろう。いくら個の戦闘力でこちらに分があるとはいえど、敵地に飛び込んでいるという状況時点で俺たちが不利なのは疑いようもないしな。
だが、今この場所だけはきっと安全だ。アゼルもまだ宣戦布告はしておらず、一人や二人の過激派が昨晩のように襲撃してくるくらいなら張り巡らされた影と施錠術式がいなしてくれる。この村で一番安全な場所と言うノアの触れ込みは、ツバキの助力を得てさらに説得力を増していた。
「……く、あ……」
そのことを認識した瞬間、どこかに押し込められていた眠気が急速に襲い掛かってくる。そう言えば昨晩俺は気絶したようなものだし、そうでなくても吸魔の呪印によって俺は魔力を奪われていたんだった。……むしろ、ここまで睡魔に襲い掛かられることなくしゃんとしていられたことの方が奇跡だったのかもしれない。
「……マルク、眠たいの?」
思わず大あくびをした俺に目を向けて、リリスが心配そうにそう問いかけてくる。大丈夫だ――と答えたいところだが、無事に推論を話しきれたことに対する安堵も相まって眠気はさらに俺の中で存在感を増してきていた。
「……そうじゃないって言ったら、間違いなく嘘になるな。体力的にも魔力的にも、俺は今までかなり無理をしてたらしい」
呪印を刻まれていた時とはまた違う気だるさに背筋を丸めながら、俺は力ない声で応える。やたらとフワフワして聞こえるその声が自分の喉から発されているものなのだという事実を、俺はしばらくはっきりと認識できなかった。
「襲撃を切り抜けてすぐにダンジョン探索に向かっていたわけだし、そうなるのも仕方ない話だね。……むしろ、ここにたどり着くまで気を張り続けた君の根性に敬意を表するよ」
「ええ、今は大人しく寝ておきなさい。寝ている間に何があっても、私たちが払いのけてあげるから」
少しでも視界を鮮明にしようと目をこする俺の肩に手を置いて、二人は優しく睡眠を促してくる。二人のことをよそに寝るのはなんとなく罪悪感があったが、今の俺が起きていたところで何の役に立ちそうにもなかった。
緊張感がほどけるというのは、ここまで猛烈な睡魔を引き連れてくるものなのか。さっきまで頭をフル回転させていたのが嘘のように、体中の機能が睡眠に向けて準備を整えている。……これに抗うことは、どれほど足掻いても難しそうだ。
「……それじゃ、お言葉に甘えることにするよ。お前たちも、眠たかったら遠慮せずに寝てくれよ……?」
「ええ、そうさせてもらうわ。……ノアが出てくるまでには、まだまだ時間がかかりそうだしね」
最後の気力を振り絞って伝えた言葉に、リリスが軽く頷く。その言葉が伝わったことに安堵しながら、俺は近くにあった壁に体重を預けて――
「……おやすみ、マルク。昨日の分まで、存分に寝尽くしちゃいなさい」
「安心して眠っておくれよ? そのためにできることは、全部やっておいたつもりだからさ」
――二人の言葉に見送られて目を閉じた瞬間、魔術にでもかけられたかのように俺の意識は暗闇の中へと落ちていった。
深夜の襲撃からダンジョン探索までが一続きになり、マルクもとうとう限界が来てしまったようです。束の間だけ訪れた安息の時間に三人は何を思うのか、この先も楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




