第百五十四話『不完全な叡智』
迷い無く断言した俺に対して、二人は少なからず驚いたような視線を俺の方に向けてくる。あのダンジョンに仕組まれている技術たちを技術不足なものだとするならば、確かに今の魔術体系なんて体系と言うのもおこがましいくらいに未発達なものだと言えてしまうだろう。……だが、未完成という意味では過去も今も俺の中では全く変わりがなかった。
「俺の仮説が正しければ、あの呪印はまだ未完成だ。術式を常時行使するために必要な魔力が多すぎるのか、あるいは人の身に刻むには呪印の量が多すぎたのか……とにかく、人間向きの改良ができてないって意味でな」
リリスが心臓を貫いた後の魔物の体では、あちこちで大きめの呪印が明滅を繰り返していた。あれこそ呪印が起動していたことの証であり、逆を言えば大柄な魔物の体の半分以上を占める呪印を全て起動しなければ生命維持は難しいということだ。あれらの呪印を全て刻もうと思った時、人間の体表にそれが出来るだけの技術があるとは思えなかった。
「……確かに、説得力のある理論ではあるね。生命を外付けの術式で維持するなんて間違いなく異常な領域に踏み込んだ魔術だし、それを全て刻めるあの魔物だからこそああやって門番として機能していたんだろうし。……ノートに書かれてた『デカブツ』なんて呼び方も、実は敬称だったりしてね」
「体が大きいということ自体が、呪印術式と相性がいいってことなのかしら。……なんというか、ますますあの魔物が気の毒に思えてくるわね」
そんな事だけで長く生かされてたのかもしれないんだもの、とリリスは肩を竦める。戦闘において体の大きさが優位を生むことも多いが、それがこんな形で生かされてしまうというのは確かに理不尽な話だった。
「……とはいえ、これもまだ証明不可能な話ではあるんだよな。あれより小さな生命維持術式が出来てた可能性は否定できないし、どっちの立場に立っても完全な答えが出るわけじゃない。……だから、より自信を持って言えるのはもう一つの可能性の方だ」
「必要な魔力量が多すぎた……だっけか。まるでそっちの方は証明するための証拠が用意できてるみたいな物言いだね?」
「勿論百パーセントってわけにはいかねえけどな。……だけど、そっちとして考えた方がいろんなことに納得がいくんだよ。リリスの体に見えた謎の靄のことについても、さ」
あくまで厳しめな立場で問いを投げかけ続けてくれるツバキに感謝しつつ、俺は話を次の段階へと繋げていく。ここまでは話の導入のようなもの、本当に注意して話さなければいけないのはここからだ。
「……二人とも、俺が最初に投げかけた質問を覚えてるか?」
少しでもスムーズに話に入っていくべく、俺はもう一度この推理の始まりを問いかける。ツバキから『君が答えろ』と言わんばかりの視線を投げかけられると、リリスは少し目線を上にやった後に口を開いた。
「『呪印術式を起動するための魔力は、いったいどこから供給されているのか』――よね。確かに、今までの話とはあまり関係がなかったような気がするわ」
「そうだな。……単刀直入に行くんだが、俺はその供給源を『呪印を刻まれた生命から強引に引っ張り上げてる』って考えてる。ドアとかの無機物に刻むときは、その呪印自体にしっかり魔力を込めておくんだろうけどさ」
俺たちを阻んだ術式を思い出しながら、俺は二人にそう告げる。今までの仮説と違って、この考えにはいくつかの根拠がしっかり存在していた。
「そうなんじゃないかって思ったのは、魔物から切り落とした左手を使って扉の呪印を解除したところだ。あの左手に鍵の役割を果たさせたとき、一回魔力を流してから当ててただろ? ……つまり、呪印を起動するためにもある程度の魔力が必要ってことだな」
「……ああ、確かにそうだね。死体に魔力を循環させるための機能が残ってるわけもないし、魔力をその呪印に直接流すことで術式を起動した。……逆を言えば、死体に刻まれた呪印は機能を失っていたってわけだね」
「その通り。リリスにぶった切られた時点であの魔物に刻まれていた呪印は機能を停止して、状に対する鍵の役割を自力では果たせなくなった。でも、あのノートを見る限りあのダンジョンに居ついてたやつらはアイツを生きたまま鍵として運用するつもりだったみたいだ。……つまり、強引に魔物を殺して左手を鍵にするやり方は正規の物じゃない」
というか、力づくにもほどがあるやり方だ。リリスでもツバキの影を借りることが無かったらある程度の苦戦を強いられていただろうし、毎回アレを撃破しなければ資料の持ち出しもできないのは流石に不便が過ぎるからな。
「……ということは、あの魔物が活きている限りはあの左手の術式は機能していたってことよね。生きたままどうにかしてあのドアに左手を当てさせていれば、扉は勝手に開いたってこと?」
「俺の仮説が当たってるならそうなるな。アイツらは魔物を従える呪印も併用して鍵にしようとしてたみたいだから、役割を果たさせた後に元の場所に返す呪印もどこかに刻まれてたんじゃないか?」
長距離の転移魔術が開発されていない今からすればそれだけで衝撃的な話ではあるが、『魔喰の回廊』に限ってはそれがあり得る話になるのだ。あの魔物を鍵として何回も再利用しようとしていたところを見るに、後始末のための術式が体のどこかに刻まれていてもおかしくなかった。
「生体のまま鍵として運用することを想定していた呪印が、魔物の死の後には機能停止に陥っていた。……確かに、魔物の体内にある魔力を供給源として呪印が起動していた可能性は大いに考えられるね」
「だろ? それにさ、呪印が生体に宿る魔力を供給源として設計されてるなら休眠状態が長時間維持できることの説明もつくんだよ」
魔物か人かに関わらず、使用した魔力が回復するのは主に睡眠状態のときであるというのが現代の定説だ。仮に呪印によってあの魔物が強引に休眠状態に入らされていたのなら、体の機能が停止してもなお魔力が魔物の体内で生まれ続けている可能性は十分にある。
「呪印術式が『継続性の高い術式』なんて言われるのは、その呪印を刻んだ対象の体を循環している魔力の一部を汲み取って機能するものだからだ。……勿論、刻まれた対象の意志なんて関係なくな」
だから対象が生きている限りは術式が途切れることはないし、術者が消費する魔力は最初に呪印を刻む時だけのものでいい。一度呪印が対象に刻まれてしまえば、後はそいつの魔力が勝手に呪印を維持してくれるんだからな。
もちろん、対象の魔力の全てを横取りするわけではないのだろう。絶えず体内を循環している魔力の中から一部だけを拝借し、呪印に刻まれた術式を維持するための動力を確保する。言ってしまえば、呪印はその体内にある魔力と接続するための媒体だと言ってもよかった。
「……さて、ここまで言えばもうわかったと思うんだけどさ。俺がダンジョンの中で見た靄が何で今になって消えてるのか、その原理はひどく論理的だった。オカルトでも何でもなく、ただ法則性に基づいていただけだったんだよ。……まあ、設計者からしたらその様子を見られることの方が予想外なんだろうけどさ」
修復術と言う存在が過去に存在したのかは分からない。ただ、魔術神経を覗かれることは想定外だったのは間違いないだろう。本来なら目視しない限り分からない呪印の存在は、魔術神経を見ることによっても判別できてしまうのだから。
「……ああ、なるほどね。私にも何となくこの先の展開が想像できたわ」
「お、それならもう前置きする必要もなさそうだな。俺が見た妙な靄の正体、ついでに呪印術式の正体は――」
変な前置きはしないと言いつつも、俺は一度そこで言葉を切ってもう一度仮説を確認する。ここまで回りくどいくらいに前置きながら来た以上、ここでしくじるわけにはいかないからな。
何も問題ないと結論付けて、俺は大きく息を吸いこむ。俺の言葉を待ってくれている二人に対して、俺は出来る限り自信に満ちた表情を浮かべてみせた。
「……制限時間付きで、俺たちの命を強制的に奪う呪印。俺がダンジョンで見た靄は、それがリリスの中で順調に準備を進めていた証だったってことだ。呪印術式は、宿主の体を間借りして機能する寄生虫みたいな陰湿な術式ってわけだな」
マルクが導き出した推論は、この先の戦いにどのような影響を与えてくるのか! もう少しマルクの見せ場は続いてくれると思いますので、主人公の活躍を楽しんでいただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




