第百四十九話『壊すために知るという事』
「……影よ」
目を閉じたリリスがそう呟くと同時、窓の外から見えていた景色がツバキの魔術によって覆い隠される。村の中心近くにある事もあってノアの拠点はそこそこ目立つものだったが、ツバキの影が覆い隠せばそこはあっという間に秘密基地へと様変わりしていた。
扉にはノアの手によって刻まれた施錠の呪印もあり、よほどのことが無い限り村の人間が侵入してくることはないだろう。このような二重の防御が必要だと感じてしまうくらいには、村の連中に対する俺たちの警戒心は張り詰めたものになっていた。
「……ツバキ、体におかしいところはないか? お前もリリスに影を託したばかりなんだし、無理だけはしないでくれよ」
「分かってる、他のことに支障は出さないよ。幸いなことにそんな大きい家でもないから、負担はいつもの結界を維持するのとそう変わらないしね」
一仕事終えたツバキに声をかけると、柔らかい笑みが俺に返される。普段からあまり負の色を顔に出さないから何とも断言しづらいが、今のところ体に異常はないと見ていいだろう。……まあ、それにしたって定期的な調子のチェックは入念にしないといけないとは思うけどさ。
「……さ、準備もできたし早く始めちゃおう。この村に渦巻く思惑を一瞬でも早く打破するために、ボクたちはあまりに多くのことを知らないといけないんだからね」
視線を俺からノアへと移し、ツバキは本題に移るように促す。神妙に頷くノアの足元には、『魔喰の回廊』から回収されたノートが三冊とも広げられていた。
「うん、さっそく始めようか。……と言っても、まだ一冊目しか分析は進められてないんだけどね。ここに書いてあることを皆に共有しながら、少しずつ理解を進めていく形になると思う」
「ま、それがいいでしょうね。ノアほどじゃないけど、私たちも魔術についてはある程度熟知しているつもりだし」
「なんせボクたちは魔術に命を預ける身だからね。冒険者と言う立場だからこそ出せる考えというのも、きっとあると思うよ」
少し申し訳なさそうにするノアに対して、しかしリリスとツバキは胸を張ってそう答える。魔術師としての実力を一番間近で見てきているからこそ、その自負が俺には心強かった。
俺も修復術については熟知しているが、それ以外の魔術に関しては基本的な部分をなぞっただけだからな……。修復術式と言うのは、その希少性も相まって中々セオリーから外れたものなのだ。
だからこそ、研究内容の分析において俺が出る幕はあまりないだろう。というか、俺の知見を頼らなきゃいけないくらいの謎なんて出てきてほしくないというのが正直なところかもしれない。考えを留めないことが俺の役割ではあるにしても、専門的な分野を持ち出されてしまえば俺も降参するしかないわけだしな。
そのノートの中身が有識者たちの理解の範疇であることを願いつつ、俺はノアの次の言葉を待つ。リリス達よりもさらに華奢なノアの手が一冊目のノートにかけられ、軽い音とともにその一ページ目が紐解かれた。
「……まずは、あの部屋のセキュリティシステムについてタネ明かしを済ませちゃおうか。あれは確かに資料の持ち出しを咎めるためのシステムで、技術を盗難されることを恐れたこのノートの持ち主が仕込んだ術式だった。……ウチは、このノートの書き手がこのダンジョンを、ひいては呪印術式の基本的な仕組みを全部作り上げた人なんじゃないかって睨んでるんだけどね」
そう前置いてから、ノアの手はせわしなくノートをめくっていく。中盤から後半に差し掛かろうとしているくらいのところでようやくその手は止まり、俺たちに向けてある一節を指さして見せた。
この世界で使われている文字はかなりの昔から変わっていないということは、ダンジョンの探索や研究を通じて広く知られている謎の一つだ。その理由が解明される時は中々来ないような気もするが、その変化のなさが今だけは有難い。そのおかげで、俺たちはあのダンジョンの謎に迫れるんだからな。
『この研究を秘匿するために、志を同じくする者しか解けないロックをこの部屋に仕込んでおいた。突然のことで驚くとは思うが、どうか落ち着いて制御に当たってほしい。最大限距離を取りながら呪印に魔力を流し込むだけで、あのデカブツは君たちの意のままに動いてくれるからね』
直線だけで構成されているのかと錯覚するような角ばった文字で、ノートの一角にはそう書きつけられている。『どうか落ち着いて』の部分には律儀にアンダーラインが引かれているあたり、よほど几帳面な人物なのだろう。そのきっちりとした印象は、あらゆる反則を許そうとしないあのダンジョンの作りとどこか重なるものがあるように感じられた。
「……あのデカブツっていうのは、魔物のことを指してると思っていいのよね。……名前くらい、しっかり付けておけばいいのに」
「ノートを読んでる感じ、あの魔物は実験材料だったみたいだからね……わざわざ固有の名称を付けなくても分かるくらい、当時も目立った奴だったのかもしれないよ」
「……いや、ちょっと待ってくれ。そうなると、あの魔物はこのダンジョンが出来てからずっと生きていたということにならないかい?そうでなければ、門番としての役目なんか果たせないと思うのだけれど」
いくら魔物だと言えそれは異常が過ぎるよ、とツバキはその仮説に対して待ったをかける。確かにごもっともすぎるその意見だが、ノアは想定済みと言わんばかりに首を縦に振った。
「うん、そこもおかしいの。……だけどね、それを解決する技術ももうできてたみたいで。二人も、入り口に戻るまでの間に話してくれたでしょう?」
「入口まで……ああ、あの時ね。そこからいろんなことがありすぎて印象が薄くなってたわ」
「そう言えば、いろんな魔物なぎ倒して突き進みながら話してたよな。呪印が鼓動の代行をしてるとかなんとか」
俺も遠くから見ていてうすうす勘付いてはいたが、戦闘中にそれを見極めるリリスの観察力には初めて聞いたとき改めて舌を巻かされたものだ。それに気づきながら最後には力技で押し切ったあたり、あまりにもリリスらしいというところではあるが。
「そう、それなんだよ。あれについてもしっかり記述があってね、思わず驚かされちゃったよ。……あの呪印が刻まれていれば、魔物を休眠状態にすることが出来るっていうんだもん」
「休眠状態……か。その仕組みがあの魔物を延命させていたと、そう理解すればいいのかい?」
「そういうこと。あの呪印たちの中には魔物の生命活動を人為的に停止させる術式があって、それを用いて強引に身体機能の劣化を極限まで遅らせられるらしいの。その呪印をあの魔物に刻んだうえで、休眠中の生命維持はリリスが見たっていう鼓動の代行術式――つまり、心肺機能を呪印で補うことで何とかしてたってことになるね」
冬眠する動物を考えればわかりやすいかな?――と、ノアは説明をそんな形で締めくくる。正直なところどんな原理でそれをやっているのかはいまいち理解が及ばなかったが、たった一つだけ、確かに断言できることがあった。
「……聞けば聞くほど、無茶苦茶な話だな」
「ええ、聞いていて気分が悪くなるばかりだわ。……魔物とはいえ、命を何だと思っているの」
「ボクたちを前にして暫くまごまごしていたのも、今の話を聞けば納得できる話だね。……おそらくあの魔物は、何年もの眠りから強制的に叩き起こされてたんだからさ」
ノアの説明をそれぞれの形で飲み込みながら、その味わいの悪さに揃って顔をしかめる。研究者からしたら理解できる感情なのかもしれないが、俺個人としては受け入れがたい話だった。
命の使い方を他者に定義され、望む望まないにかかわらず強引にその命を引き延ばされる。役割を終えるか、刻まれた呪印が使い物にならなくなるまで。……そんな仕打ち、魔物であっても許されていいものなのだろうか。
「うん、皆の感性は正しいよ。こんなもの、今の世界にあっていいものじゃない。現代にまで伝えられずに、あのダンジョンの底に眠っていてくれたままでよかったと思う。……だけど、ウチらだけはこの事実を受け止めないといけない。……この技術を知られないままにしておくために、ウチらだけはあそこで起こっていた全てを知らなくちゃいけないんだよ」
――知ったうえで、壊さないと。
悲痛な面持ちをしながら、ノアは俺たちに改めてそう言葉を返す。緑の瞳はかすかに揺れていて、その術式が、魔物の扱い方がショッキングなものだったことがよく分かった。
「……そうだな。他の誰かが俺たちと同じ思いをしないためにも、俺たちが受け止めないと。……そんで、その全てを終わらせる」
「そうね。……ノア、続きを読んでもらってもいいかしら?」
だからこそ、俺は拳を握ってノアの覚悟に応える。それにリリスが柔らかな声で続くと、ツバキも静かに、しかし大きく首を縦に振った。
「皆……」
その姿を見つめて、いつもぱっちりと開かれている目が更に見開かれる。しばらく俺たちに視線を巡らせた後、ノアも俺を真似るかのように強く拳を握った。
「……ありがとう。……それじゃあ、話を続けるね」
マルクたちの目標は明確なものになりつつ、物語はさらに深いところにまで踏み込んでいきます。あのダンジョンに隠された技術に四人が何を思うのか、どうぞご注目いただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




