第十四話『その炎は青白く』
「……確かに、知性を感じない面構えをしてるわね。その分、あれから逃げるのも難しくはなさそうだけど」
「いいや、あれの食い意地は一級品だ。一度ボクたちを認識した以上、小賢しく撒くことは難しいだろうね。前は商会の連中をなぶっている最中に気配を殺して逃げ出せたけど、今回ばかりは誰を囮にするわけにもいかないだろう?」
リリスの提案をやんわりと否定しながら、ツバキはすっと腰を落とす。その姿を見て、リリスも戦闘態勢に切り替える覚悟を決めたようだった。
「私たち二人が揃ったなら勝てないものなんてない。――そうでしょ、ツバキ?」
「ああ、当り前だよ。奇跡がつなげてくれたボクたちの絆を、こんな野蛮な獣如きが引き裂けるものか」
どちらからともなく二人は手を触れ合わせ、まるで誓いの言葉であるかのようにお互い頷きあう。極限まで集中を高めている二人の世界に、俺の言葉が介入する余地なんてない。何か声をかけようとすること自体が、二人への冒涜なような気がした。
その気迫を魔物も感じ取ったのか、体にまとった青白い炎がゆらりと大きく揺らめく。この場所に渦巻く死の気配も相まって、俺の目にはその炎たちが今までの冒険者の無念であるかのように映った。
ことこういう場になってしまえば、俺にできることはもう何もない。できることはただ二人を信じること、そして戦いを終えた二人をケアしてやることくらいだ。……今は、俺の出番がまためぐって来ることを祈るしかない。
「……行くわよ」
「ああ、援護は任せてくれ」
触れ合った手をふっと離し、リリスが魔物に向かって切り込んでいく。地下一階での工房でも見せたように魔術を従えて進むその後方から、黒く太い影が魔物を抑え込もうと力強く伸ばされた。まだこちらを敵として認識しきれていない魔物に向かって、二人の全力が襲い掛かっている。
「……悪いけど、先手必勝が私たちの合言葉なのよ、ね!」
「君にかける手心も同情もないんだ。……さあ、沈め‼」
影の触手が無数に絡みつき、状況を理解できていない魔物の膝が地面に突かされる。その足止めが作り出した大きな隙を、長年隣で戦ってきた相棒が見逃すはずもない。色とりどりの魔術に加えてその手に大きな剣を携え、リリスはその体ごと突っ込むようにしてすべての攻撃を叩き付けた。
炎が爆ぜ、キラキラと氷の欠片が舞い、暴風が荷台のガラスをガタガタと揺らす。視界全てが塗りつぶされそうな砂煙も巻き起こる中、赤黒い血が魔物の背中から吹き出すのがかろうじて見えた。
「……これだけのことを、たった二人だけで……」
想像をはるかに超える戦いっぷりに、俺はそう言葉にせざるを得ない。もっとしゃれた分析が出来ればよかったのだが、俺の語彙力じゃ目の前で起きた一瞬の出来事を網羅しきるだけの言葉は思いつかなかった。ただ思いついたのは、『圧倒的』という言葉だけだ。
どれほど一緒に居れば、こんな寸分の無駄もない立ち回りが可能になるのか。どれだけの場数を踏めば、こんな怪物にも怖気づかないような心構えが完成するのか。目の前で起きている事の全てが、リリスとツバキの過ごしてきた日々がどれだけ異常であったかということの証明になっている。
過ごしてきた年月の、積み重ねてきた研鑽の集大成が、今こうして形になって魔物へと突き刺さっている。その事実すべてが、俺の想像を絶していた。
「食事気分で来たところ悪いけど、貴方にかけている時間はないの。だから、これでさっさと――」
あの時もそうして見せたように、リリスが心臓に突き刺した剣をぐるりと回して引き抜こうとしている姿が砂煙の晴れた後の視界に移る。人型の魔獣にならばまず通用しないことなどない心臓部への一撃を、リリスは全力を以て完遂しようとして――
「……ダメだリリス、それを放棄して離れてくれ!」
「……っ⁉」
何かを感じ取ったツバキがそう叫んだのを聞いて、リリスはその行動を放棄する。魔獣の背中を蹴り飛ばして宙を舞ったリリスの体を、伸ばされた影の腕が優しく包み込んだ。
「ツバキ、なんであんなことを――」
「なに、単純な経験則だよ。……ボクたちの商会も、先制攻撃を叩きこむことにはしてるからさ。だから――」
ツバキの言葉を引き継ぐようにして、青白い光が薄暗い洞窟を照らす。直視すれば目がくらんでしまいそうなそれは、影に抑え込まれ、完全に主導権を奪われたはずの魔物の背中から発されていた。あのままリリスが攻撃を完遂しようとすれば、立ち上る炎にその体は焼かれていただろう。決してあり得ない話ではなかったその未来に、背筋が凍る。
「……まあ、言ってしまえばここからが本番だ。ここからは、ボクたちを脅威だと認識したアレと戦うことになる」
「……どうして最初からそうじゃないのかよくわからないけど、ロクでもない変化だって事だけは確かね。あの炎、凄く嫌な感じがするわ」
「それが認識できていれば問題はないさ。……ここからは常に、防御を展開できるだけのマージンを残しておいてくれ」
背後に影の触手を何本も伸ばしながら、ツバキは隣に立つリリスにそう厳命する。それに従ってリリスが空中に盾を作り出すのと、青白い炎を立ち上らせた魔物がその右手に携えた剣のようなものを振りかざしたのはほぼ同時だった。
『ようなもの』と言ったのは、その剣がひどく錆びているからだ。人の血を吸い過ぎたからなのか、はたまたずっと手入れを怠ってきたのか。その理由はともあれ、凶器としての殺傷力は何も変わりないのだから面倒なものだった。
「……来るぞ‼」
体全体を使っているかのように大ぶりな動きで剣が地面へと叩きつけられ、それに合わせるようにしてリリスたちは大きく飛びのく。お世辞にも機敏とは言えない動きは地下一階の怪物を思わせたが、その剣が触れた地面が青白く発光したのを見て俺の目は大きく見開かれた。
剣が叩きつけられた地点から光は広がり、青白い炎の弾丸が無数に生成される。それらの照準は、魔物を戦闘態勢へと移行させた二人へと向けられていた。
「あの図体と見た目にそぐわず、中々小賢しいじゃない……‼」
「ああ、ボクたちもそのギャップにやられた! ……だけど、二度同じ手にかかることはないよ!」
しかし、事前に用意されていた防御術式が放たれた弾丸を全ていなしきる。影で編まれた盾は攻撃そのものをなかったことにしたかのように飲みこみ、その隣ではリリスの作り上げた氷の盾が正面から無数の弾丸を受け止めていた。そのスタイルは真逆でこそあるが、二人の技能が卓越しているのは言うまでもないことだ。
これを初見で叩きつけられれば、これほど大きな馬車を有するような商会が壊滅するのも納得できる話だろう。あの姿を目にしてしまえば、どうしたって俺たちはその物理攻撃を警戒しなくてはならないのだから。どこまでも悪辣で執拗に、この大獄は俺たちの思い込みや経験則を否定しにかかって来ていた。
「……この攻撃に対応しきれなくて、ボクたちはあっけなく壊滅した。……まあ、知っていれば対応できなくもない攻撃ではあるけど――」
「――ええ、初見で対応しろってなるとあの緩急は結構面倒になってくるでしょうね。ありがとうツバキ、おかげで手間取らずに済んだわ」
「うん、どういたしまして。ボクの記憶がボクたちの勝ちにつながるなら、商会の敗北も無駄じゃなかったってものだよ」
「ええ、その通りね。……最後の一滴まで、利用しつくしてやろうじゃない」
服の袖で軽く汗をぬぐいながら、リリスは小さく息をつく。かなり大粒の汗をかいているところを見るに、リリスの実力をもってしても余裕がない相手なのは間違いなさそうだ。
「……まあ、商会の力じゃあ暴けなかったアレの戦術があるかもしれないのが怖いんだけどね。ボクでも知らない戦術の引き出しを開けられたときに、ボクたちが無事でいられる保証なんてあったもんじゃない」
「ええ、その通りね。……それじゃあ、ここからどうするの?」
ゆっくりと元の構えに戻っていく魔物から目を離さないようにしつつ、二人は突発の作戦会議を敢行する。その中でリリスに策を求められたツバキは、今までで一番強気な笑みを浮かべると――
「決まってるだろう? 引き出しがいくつあるか分からないなら、一つも開けさせないまま速攻で倒してしまえばいいだけの話さ」
「ええ、そう来なくっちゃ。私とツバキは、いつだってそうしてきたんだものね」
早期決着を宣言したツバキに、リリスはどこか嬉しそうな表情を見せる。こんな時だっていうのに、その表情はまるで何かを懐かしんでいるようだった。
「どれだけの策を練ったところで、最後に物を言うのは単純な実力だからね。――だからリリス、君に任せるよ」
そこでふっと目を瞑って、ツバキはその背中から一際大きな影を伸ばす。それはゆっくりと、隣に立つリリスの方へと進んでいって――
「ええ、任せてちょうだい。ツバキが一緒に居てくれるなら、誰にも負ける気がしないわ」
――穏やかに頷くリリスの体を、一瞬にして飲みこんだ。
次回、魔物との戦いも決着を迎えます! 果たしてラストの行動がどう生かされるのか、そして三人は誰も欠けずに脱出することができるのか! ぜひお楽しみに!
――では、また次回お会いしましょう!