第百二十四話『石造りの大口』
――俺たちが想像していたよりも、『魔喰の回廊』の入口は殺風景だった。
信仰の象徴なのだからもう少し捧げものか何かでもされているものだと思っていたが、むしろ人の手が入っている様子は見受けられなかった。雑草も伸び散らかしているし、入り口をかたどっている岩の門も苔むし始めている。……あくまで自然のままのダンジョンが、俺たちに大口を開けていた。
「今までの話を聞いてる限り、ありがたがって拝みに来てる奴の一人でもいていいと思うんだけどな」
「ああ、そこはアゼルが直々に禁止してるらしいよ。『主の領域に軽々に踏み込んではならない、領域を我らの手で改変しようだなどとはもってのほかだ』――って、これはウチがアゼルに直接言われた言葉なんだけどさ」
あの時は怖かったなあ、とノアは肩を竦めながら付け加える。それだけの警告をされてもなおこのダンジョンに挑むのをやめなかったあたり、ノアの好奇心も大したものだった。
あの時男に向かって発した言葉がどこまで本心かは分からないが、『超越しているからこそ挑みたくなる』というあの姿にははっきりとした重みがあった。今までの事からも言えることだが、ノアを動かしているのはやはり底なしの好奇心からだ。……断じて、国への忠誠とかそう言うのじゃないと思う。
だからこそ、未知の塊であるこのダンジョンに対してノアが本気で挑んでいる事には疑いようもないだろう。……そのうえで、ノアはこのダンジョンに跳ね返されているのだ。
「魔物も特に危険度高いのはいなくて、トラップとかの類も大方はない。少なくとも二層までの存在は確認されてるけど、一層一層はそれほど広いものでもない――ここまで聞くとただ凡庸なダンジョンでしかないのだけど、本当に信仰されているの? アイツらが性格悪いのはさっきの襲撃で分かってるし、ダミーのダンジョンに誘導されてるってことはないのかしら」
「あー、それに関してはここに来てすぐウチも一回考えたなあ……。だけど、しばらくしないうちにその可能性はないって断言できたよ。……このダンジョンは、今の技術でやれることの限界を遥かにとび越えてるってわかったから」
真剣な表情で繰り出したリリスの推測を、ノアはどこか懐かしむようにやんわりと否定する。その可能性は俺も思いつかないではなかったが、やはり現実的ではないようだった。
ダンジョンが研究者にとって未知の塊であるのは、それがどのように建築されたのかが全く以て分からないところにある。ダンジョンの再現が不可能だという話は、冒険者ですらもその大半が知っている有名な話だ。
もしそれを模倣できる技術がこの村にあるのだとしたら、俺たちは今すぐにその証拠をつかんで最速で逃げに回るべきだろう。現代世界の技術を越えるものを持っている集団を相手にして、俺たち全員が欠けずに勝利できるとは悔しいが思えなかった。
「間違いなくここは村にとって大切な場所で、彼らが崇めてる『主』とやらの手掛かりもここにある――っていうのが、ここまで調査してきて得られた結論かな。それを確かめるすべがないから、ウチは助力を求めたわけなんだけどさ」
「つまり、このダンジョンを踏破することとこの村の秘密を暴くことはほぼ同義とみていいのかな? 探偵の真似事はあまり経験がないし、そうであるなら凄く助かるんだけど」
今までの話をまとめ、ツバキが改めてノアにそう問いかける。後ろに付け加えられた言葉はツバキからしたら謙遜とかのつもりなのかもしれないが、ツバキの観察力は決して侮ってはいけないものだというのが今までツバキと過ごしてきた俺の結論だ。
プナークを仕留められたのだって、最終的にはツバキが機転を利かせたおかげだからな……リリスの手が届かない部分はカバーすると豪語するだけあって、搦め手や補助に関してはツバキの右に出る魔術師を俺は見たことがない。……というか、「あまり」ってことは少しは探偵の真似事をしたことがあるのか……?
あっさり事件の本質を見抜いてしまうツバキの姿がやけにはっきりと想像できてしまったが、それはそれとして。そんなことを考えている間に、ノアは首を縦に振っていた。
「うん、今のところはそう考えて問題ないと思う。少なくとも、この村の人たちにダンジョンが大きく影響を与えてるのは間違いないからさ」
「繋がってる先のダンジョンが怪しい事さえ分かれば、国が踏み込んでいくのも時間の問題だものね。そう聞くと、少しだけ問題が簡単になった気がするわ」
要はいつも通りやればいいだけよ、とリリスは自信ありげに胸を張る。それが慢心ならば俺が止めなければいけないところだったが、今までの事を考えると結構強気でいてもいいような気がした。
あの二人の動きは常人より鋭いものだったが、だからと言ってリリスに勝てるとは思えない。アイツらと関わるうえで真に警戒するべきなのは不意打ちなわけで、警戒されている時点で不意打ちなんて失敗しているも同然なのだ。
ま、リリスは少しくらい強気な方が活きるしな。トップスピードで突っ走るリリスの視野を補うのは、アイツの後ろに立つ俺たちの役目だ。
「それじゃ、そろそろ中に踏み込むとするか。ここでうだうだしてるより俺たちの目で色々と確認したほうがいいだろ?」
「うん、そうだね。このダンジョンのことは実際に見てもらった方が分かりやすいかも。 ……ちゃんと、厄介だから」
氷の杖を強く地面に着いた俺に、ノアがどこか含みを持たせたような言葉で同意する。やはりあのダンジョンには何かがあるらしいが、それを言うつもりはまだないらしかった。
「一応、警戒だけは怠らないでね。心の準備ができてないと、些細な事でも動揺したりしちゃうでしょ?」
「ええ、その辺りは抜かりないわよ。……最短最速でこのダンジョンを踏破するためにも、しょうもないミスなんてしてられないもの」
歩き出す直前に、ノアは再度俺たちの方を振り向いてそう忠告する。それにリリスが真剣な表情で頷いたのを見届けて、赤髪の少女はやっと安心したかのように正面を向き直った。
「……それじゃ、行こうか。このダンジョンの、そしてこの村の謎を解き明かしに」
「うん。……必死に覆い隠してるそのベール、ボク達で剥がしてやろうじゃないか」
その号令を皮切りにして、ノアは大きな足取りでダンジョンの入口の方へと向かっていく。俺を挟みこむような陣形を保ったまま、俺たちもその背中を追いかける。
伸び散らかした雑草を踏みつけて、一歩一歩ダンジョンの入口へと接近していく。改めて近くで見てみると、縦長の空間は俺たちに向かって何者かが大口を開けているかのようだった。もしかしたら、『魔喰の回廊』なんて物騒な名前はこの入り口の形状から来てるのかもしれないな。
どこか引いた視点でそんなことを思いながら、俺たちは入口の前に小さくつけられた階段を上る。そして、ついに石造りの顎の中に足を踏み入れて――
「……いっ、づ」
「……何よ、これ……?」
そのつま先がダンジョンの敷居をまたいだ瞬間、俺の手首に刺すような痛みが走る。とっさに周囲を警戒してみても、そこには目を丸くして左の手首を抑えているリリスの姿があるだけだった。
姿ない誰かからの襲撃、しかし追撃が飛んでくる様子はない。姿を見せていないという圧倒的なアドバンテージがありながら、その程度の攻撃で済ませているのが不気味だ。俺だけじゃなくリリスにまで痛みを与えられたなら、そのまま俺たちを全滅することだって不可能ではないはずなのに。
「なんだ、何が狙いだ……?」
「……? 二人とも、どうしたの……っ、あ」
にわかに混乱する俺たちを不思議そうに見つめていたツバキも、ダンジョンに足を踏み入れると同時にその表情を苦痛に歪める。俺たち三人が状況を飲み込めないでいるのを、ノアが少し離れたところから見つめていた。
「……ノア、これは……?」
しきりに走る痛みをこらえながら、俺は少し先に立つノアに問いを投げかける。ノアはこれを知らなかったのか。……いや、先にこのダンジョンに踏み込んでいる以上そんなはずはない。なら、なんで黙っていた。その理由が、俺には分からない。
「……やっぱり、例外はないか。ウチにだけ発動する仕組みだったならなんて、甘い考えを抱いてたんだけどなあ」
そううまい話があるわけもないね、とノアは肩を竦める。その姿を俺が見ている間にも、手首の痛みはズクズクとその存在を主張していた。
まるで生き物のように、その痛みは今も変化を続けている。最初は針で刺されたかのような痛みだったのが、今となっては体を強かに打ったかのような鈍痛が俺の手首に存在していて――
「――いや、まさか」
鈍痛の二文字が脳裏に浮かんで来たと同時、俺の中に電撃のような閃きが走る。しかし、それは決して的中していてほしくない仮説だ。だって、それが正しいなら俺たちはもう追い詰められているのかもしれないのだから。
混乱する頭を必死に整理しながら、俺は左手の袖をまくる。いつも通りの体であってほしいと願いながら向けた視線は、しかしすぐにその異変を映し出していた。
「……これは、ヤバいかもしれねえな」
青い光の線が、俺の手首に何重にも刻まれている。規則性があるのかないのかも分からないそれは、さっきその存在を知ったばかりの魔術だ。ついでに言えば、俺の命を奪う原因にもなりかけた魔術なわけで。
「……うん、正直ヤバいよ。それがあるってのが、ウチがこのダンジョンを踏破できなかった理由の一つだし」
俺の呟きを、ノアが神妙な面持ちで肯定する。そして、俺たちに見えるようにおもむろに左手を掲げると――
「……この術式は、ダンジョンに踏み込むあらゆる生命に刻み込まれる時限式の呪印。そのカウントがゼロになった時、ウチらは無事ではいられないんだよ」
ほら、厄介な話でしょ? ……と。
俺と同じような青い光――呪印術式が刻まれた左手首を見せつけて、ノアは困ったような笑みを浮かべるのだった。
物語はついにダンジョンの中へと踏み込んでいきます!次回ノアが何を語るのか、油断ならない状況をお楽しみいただければ幸いです!
ーーでは、また次回お会いしましょう!




