第百十八話『逆鱗の撫で合い』
疑念はあった。意識を取り戻しているとはいえ、俺の体は魔力切れを経験したせいでガタガタもいいところだ。六すっぽ走ることもできないだろうし、なんなら立ち上がることだって難しい。今は虚勢を張っちゃいるが、俺が虫の息なのは誰の目から見ても疑いようのない事実だった。
そんな俺に考えるだけの時間をくれたことそのものが、こいつらに精神的な強さがない事の証拠だ。状況証拠ばかりのこじつけにも等しい論理だったが、俺の中ではもはや事実としてその推論は処理されていた。
引き抜かれたナイフの刃は根元まで赤々とした血で染められており、改めて深々と突き刺されていたことが分かる。これが心臓に直撃していたらどうなっていたかは……想像しない方が身のためだな。
だが、そのナイフもこうして手に入れられてしまえばこっちのものだ。体が震えるのをどうにか抑え込みながら、俺はその刃先を二人に向かって突きつけた。
「……ほら、とどめを刺してみろよ。そのためには、このナイフを奪い返さなきゃいけないんだろうけどさ」
「……黙って聞いてれば、調子に乗りやがって……‼」
俺の挑発に男は体を震わせるが、しかしその体が俺に向かって動くことはない。その行動自体が、もう一つの俺の推論を結論付けてくれているかのようだった。
「お前たちはあくまで不意打ち専門だから、こうやって意識のある人間を殺ることに対して慣れてない。……だから、凶器もこのナイフ一本しかないんだろ?」
というか、普通は魔力切れになった奴がこんなタイミングで目覚めることなんてないんだろうな。奇襲にかかるまでの動きはそれなりに洗練されていたし、今起こっている事態がイレギュラーなのだ。……それが起きた理由は、まあ心当たりがないでもなかった。
魔力切れになった人間が目覚めるには、ある程度魔力が回復することが必要不可欠だ。そしてその程度と言うのは、その個人が有する魔力量の多寡が一番大きく関わっている。
極端な話をするなら、魔力切れを起こしたのがリリスだったら間違いなくこの時間に目覚めることはできなかっただろう。同じ勢いで水を注いでも、器のサイズが違ったら溜まるまでのスピードが違うのが自明の理なのと原理は同じ事だ。
そして、俺の有せる魔力量は人並みかそれよりちょっと少ないくらい。『修復術以外の魔術を使おうと思うもんじゃない』とまで師匠に言わしめたその魔力量は、今まで俺の足を引っ張るものでしかなかった。
だが、今この状況を打開するための物だったのならばそれも甘んじて受け入れてやろう。……俺が今すんでのところで生きていられるのは、間違いなくその弱さのおかげなんだから。
「……この村に来る奴はさ、きっとみんな実力者だったんだろうな。だからお前たちの戦術はいつだって決まって来た。実力者であればあるほど、魔力切れの代償は大きいから。……だけど、俺を殺そうと思ったのが運の尽きだ」
どういうきっかけでターゲットが決められたかは分からないが、狙われたのが俺で助かった。ツバキやリリスが見定められていたら、俺にそれを止めるすべはなかっただろうからな。まあ、同時多発的にどちらの拠点にも襲撃が行われている可能性もないではないから、あまり悠長にはしていられないのだが――
「……さあ、お前たちはどうするんだ? 今ここで撤退するなら、俺も深追いはしないでおいてやるぞ」
主導権を握り続けられるように意識しつつ、俺は話を交渉の方へと進めていく。本来なら聞く耳も持たれずに蹂躙する立場が俺なのだが、襲撃に失敗した、あるいは内心を見透かされたという不測の事態が俺をテーブルまでたどり着かせてくれた。この部屋唯一の武器も、今や俺が持ってるわけだしな。
「……それに乗って、俺たちに何の得がある……‼」
「だから深追いしねえって言ってんだろ。お前たちが誰に差し向けられたかは知らねえけど、この話をアゼルに持ち込んだらそれなりに話はデカくなるだろ。ノアは間違いなくぶちぎれるだろうし、俺の仲間たちも黙ってねえ。……今お前たちが大人しく撤退すれば、村が壊滅するところをお前たち二人のポカだけにできるんだよ」
明らかに冷静さを失っている二人を煽るようにして、俺は言葉を重ねていく。事実ここで見逃すというのはあまりに大きな譲歩なのだが、それに気づいている様子が全くないのが二人のレベルを示しているかのようだった。
「交渉ってのはお互いの得になるようにするもんだ。俺は命が助かってハッピー、お前たちはひそかに村の危機を救えてハッピー。……ちなみにだけど、俺の仲間たちが本気を出したらこの村なんてあっけなく全滅すると思うぞ?」
リリスによる破壊に飲み込まれるか、それともツバキの影に精神を蝕まれて終わるか。いずれにせよ、ここでツバキたちの逆鱗に触れればこの村は壊滅以外の道はないだろう。……そして、二人にとっての逆鱗は俺――というか、『夜明けの灯』の仲間が傷つけられることなのだ。
「お前たちが何を信仰しているのは知らねえけど、その真相を調べに来た奴にこんな襲撃をするのはどう考えても普通じゃねえ。……お前たちには悪いが、この交渉は受けてもらうぞ」
そうでなければこの村自体が消えてなくなるのだ。虫の息の俺一人殺せない二人にそんな大きな決断が出来るわけもないだろうというのが、ここまで二人を観察して得た俺なりの答えだった。
――だったの、だが。
「……舐めるな」
「……愚弄したな、我らの主を」
突然男たちの顔から表情が消え、今まで呆然としていた目がはっきりと俺に焦点を合わせる。……二人がリリスたちの逆鱗に触れようとしていたのと同じように、今俺も二人の逆鱗に触れてしまったのだとなんとなく肌で分かった。
その目付きは最初俺たちを連行した時のものとよく似ていて、改めてその二面性には違和感を禁じ得ない。……まるで、二人の中に知らない誰かが住み着いてしまっているかのようだ。
「……交渉は受けない。お前の望みは叶えない」
「しかして俺たちは敗北しない。我らの主に失墜は無い」
「……そうかよ。そこまで言われたんなら、俺も全力で抵抗するしかねえな」
握りしめられた二人の拳からは血がこぼれ、その眼は爛々と殺意に濡れている。無表情の中に殺意だけが塗り固められているのは、正直狂っているとしか言いようがなかった。
震える手に力を込めながら、俺もナイフを構えて応戦の構えを見せる。正直なところ勝ち目があるはずもないが、それでも無抵抗で終わってしまうのだけは御免だった。
「……そうか。まだ、恩寵を疑うか」
「ならば、その命を以て愚かさの代償を支払え」
そんな俺の姿に何を思ったのか、二人は一糸乱れぬ足取りで俺の方に踏み込んでくる。特別な武器もなくただ殴りかかって来るだけの様だったが、今の俺にはそれさえも致命傷になるのが恐ろしいところだ。
回避しようにも足元には力が入らないし、上体をのけぞらせたところで回避できるのは片割れ分がせいぜいだ。……だから、初っ端から博打を打つことにしよう。
「……氷よ、我に付き従え‼」
「「……ッ⁉」」
突然放たれた俺の振り絞るような詠唱に、俺に迫っていた二人の足が止まる。あと一秒でも遅ければ俺の顔面に拳が突き刺さっていたのだが、すんでのところで間に合ってくれたようだ。
だが、当然の如くその詠唱がこの世界に変化をもたらすことはない。誰かさんの罠のおかげで魔力は枯渇寸前なうえに、俺に氷魔術の素養なんてあるはずがないんだから。作れたとして小さな氷の粒が出来るのがせいぜい、それもあっという間に溶けてしまうくらいだろうな。
だが、この村の面々はその事実を知らない。俺たちがどのように戦闘を行うのかを知らず、何の魔術を扱うのかを知らない。……だから、初回限定でこのハッタリは通るのだ。
もっとも、それで生まれるのは一秒か二秒そこらの間隙だけ。すぐに二人は俺の詠唱がハッタリだということに気づくだろうし、そうなってしまえばもうこのハッタリに意味はなくなる。一度きりの切り札にしては、得られるリターンは途轍もなく小さなものだ。
だが、今だけはその一瞬が愛おしい。魔術にビビって足を止めた二人のうちの一人に向かって、俺はあらん限りの力を込めてナイフを振り下ろした。
「が、ご……」
「騙して悪いな。……だけど、正当防衛ってやつだ」
座り込んだ状態の俺の一撃は、片割れの太ももに深々と突き刺さる。表情を殺していてもさすがにそれは効くのか、男の口から呻き声が漏れた。
片割れが崩れたことによって、壁際からの脱出ルートが解放される。痛みに呻く男の足元をめがけ、俺は手で弾みを付けながら転がろうとして――
「……舐めるなと、言っただろう」
――その鳩尾に、無慈悲なつま先蹴りが突き刺さった。
体の中から強引に空気が押し出されて、それと一緒に口から血がこぼれだしてくる。脱出に向けて勢いがついていたのも災いして、俺の背中は拠点の壁に強かに打ち付けられていた。
それを放ったのは、ナイフを刺されたのとは別の男だ。二人であることの利点が、ここに来て俺の事を完全に殺しにかかっている。
「……正当防衛だって、言ってんだろうが……」
「ならば、我らの行動も正当防衛だ。何人たりとも、この村の寵愛を穢させはしない」
呻くような俺の主張に、冷徹な男の声が返って来る。心臓めがけたナイフが外れたことに驚いていた男の面影はどこにもなく、ただ遠慮なく外敵を排除しようとする殺し屋がそこにはいた。……本当に、その変容にはどんなからくりがあるというのか。それを知る事こそが、俺たちがここに来たことの意味だったのかもしれなかった。
……ここまでどうにか綱渡りをこなしてきたわけだが、それもここで終わってしまいそうだ。先の蹴りのせいでもう全身が言うことを聞かないし、視界も時折ぼやけつつある。……抵抗しようにも、もう手札切れだ。
「……クソ、が……」
「どの口が言う。我らを脅かそうとした屑は、他ならぬお前たちであろうに」
最後の負け惜しみも通じず、俺は内心呆れるしかない。ゴミを見るかのような目で俺の事を見下ろしながら、男は俺の意識を刈り取るべく大きく足を振りかぶって――
「……正当防衛。確かに、これほど便利な言葉もないかもね」
元気のいい声とともに、拠点の中に烈風が吹き荒れる。それによって軸足を崩された男は転倒し、宙に浮いた体は風によって俺とは反対方向の壁に叩きつけられていた。
「……遅くなっちゃってごめん。立てる?」
それを一通り確認してから、それをやってのけた少女は俺の方に視線を向ける。そこにあったのは、キラキラと妖しく輝く緑色の瞳で――
「……ノ、ア……?」
「そうだよ。君たちの味方ノア・リグラン、ここに参上だ!」
――願ってもみなかった救世主が、俺に向かってその存在を堂々と宣言して見せた。
ということで、次回ようやくノアについていろいろ分かることが増えていくかと思います! 今までずっと一人ですべてをこなしてきた研究者、果たしてその実力はいかに!
――では、また次回お会いしましょう!




