第百八話『転機は唐突』
「もしかして貴方って、私が思っていたよりもナイーブなのかしら?」
「……なのかも、しれねえな……」
しょうがない子供を見つめるかのようなリリスの視線を受けて、俺は思わず縮こまる。場違いな欠伸がこぼれそうになって、俺はそれを必死に噛み殺した。
なんでそんな状況になっているかと言えば、眠りから覚めた俺の眼もとに案の定クマが刻み込まれていたからだ。しっかりバーレイが寝付いたのを確認してから俺も睡眠をとるつもりではあったのだが、一度張ってしまった警戒心が俺に深い眠りを許してくれなかった。
――というのは理由の半分にすぎなくて、もう半分は据わったまま寝るということに対する慣れのなさが原因だ。『双頭の獅子』に居た時に同行してたのは日帰りの仕事がほとんどだったし、追放された日もなんだかんだで宿を取って眠ることが出来ている。護衛上がりの二人からしたら座席が柔らかいだけで天国のような眠り心地だったのかもしれないが、俺からしたら眠るには厳しい環境が過ぎた。
「どんなことを言ったって言い訳にしかならねえし、寝てろっていうなら俺はまだ寝てるけど……どうする?」
「……そこは貴方に任せるわよ。貴方が理由もなく夜更かしすることなんてないってのは分かってるし、そこら辺の判断において一番頼りになるのが貴方ってことも分かってるわ」
「ボクたちが戦う以上のコミュニケーション能力を持たない中で、マルクの対話力がこのパーティを支えてくれているようなものだからね……。そこに関しては本当に頭が上がらないよ」
ふっと表情を緩めながら、リリスは俺に向かって優しい言葉をかけてくれる。そこにツバキも追随したこともあって、図らずも俺が過剰に持ち上げられるような形になってしまった。
「ふふ、お前は高く買われているのだな。うちの院長にも見習わせたいくらいだ」
「そこらへんにいる善良な人間を手本にしてりゃ十分だよ。……というか、俺もまた俺で研究院のリーダー像としては相応しくねえだろ」
それを見てニヤニヤと笑みを浮かべるバーレイに対して、俺は大げさに手を顔の前で振ることで応える。賞賛自体は嬉しいものだが、バーレイの言う通りになったところで研究院がよくなるとはお世辞にも思えなかった。
研究院がその長に求めているのは圧倒的な実績からくるカリスマ、とどのつまりクラウスのようなリーダー像だ。……まあ、見習うとしてもアレを何十倍には薄めなきゃいけないだろうけどさ。アイツが行きついたやり方は劇毒だし、俺はそれを認めるつもりはない。……まあ、成果を示すことでしか成り上がれない世界があるってところだけは決して否定できないんだけどな。
「実際かなり特異なリーダー像ではあるよね、マルクの姿は。……なんだろう、『帰って来るべき場所』とでもいうべきかな?」
「あ、その表現いいわね。やるべきことの方向性が違いすぎるだけで、マルクが楽をしているわけじゃ決してないし」
そのやり取りを聞いた二人が、それぞれの言葉で俺の立ち位置を称する。その表現は初耳で、だけど自然と理解に至るようなものだった。
戦いの中では距離を取ることになっても、アイツらは絶対に帰ってきてくれる。そうしてくれたら、その後のことを繋げるのは俺の仕事だ。……二人が死力を尽くして切り開いてくれた道を舗装して行き来しやすい道へと作り替えていくのが、『夜明けの灯』における俺の一番大きな役目なのかもしれなかった。
そうやって話してくれる二人の目からして、俺とバーレイのやり取りはどう映っているだろうか。腹の探り合いなんかない、仲のいいやり取りに見えているだろうか。……そうできているなら、俺が睡眠時間を削ったのもちゃんと意味があったというものだろう。
「改めてそうやって言われると照れくさいものがあるな……。お前たちが全力で役目を果たしてくれるのが俺の仕事の前提だし、いいとこどりをしてるような側面も否めないしさ」
そんなことも考えながら、俺はポリポリと頭を掻く。二人が俺の事を評価してくれるのは何回聞いても嬉しいが、二人と同じ位置に並ぶのもそれはそれでおこがましい気がするというのが正直な感想だった。
だが、それに対して二人は大まじめな表情で首を振る。傍から見たら……と言うか自分から見ても一言モノ申してやりたくなるようなリーダー像である俺を批判することを一番許してくれないのは、他ならぬツバキとリリスだった。
「大丈夫、ボクたちも信頼してるからね。マルクでは太刀打ちできない強大な相手を打倒することまでがボクたちの役目で、そこからはマルクがどうにかしてくれるってさ」
「だから無茶な作戦も割と躊躇なく行けるのよね……。貴方、商会に居たら名交渉人として名をはせてたかもしれないわよ?」
「それはそれでおっかないから遠慮しとくけどな……。まあ、お前たちが思い切りやれる理由になれてるんならそれが一番だよ」
二人の言葉はすんなりと俺の心にしみて、俺は自然に頷いている。俺の眼の前では、俺と同じように二人も満足そうに首を縦に振っていた。
お互いの得意分野が違うことを理解していて、だからこそその分野のことは仲間たちに一任する。ただ丸投げするんじゃなくて、各々にできる最善を尽くしたうえで背中を預ける。……ああ、いいチームの在り方じゃないか。俺が目指す理想のリーダー像は、今貫こうとしている在り方のさきにあるものだと断言できるものだ。
「……だけど、それとこうやって寝不足になることはまた別の話だからね。そこだけは勘違いしないように。そうじゃないと無理やりにでも寝かせるわよ?」
冗談めかして手刀を構えながら、リリスは俺の寝不足をそんな風に戒める。あくまで厳しいその姿に、俺の口元からふと笑みがこぼれた。
「お前のそれは容赦がなさそうだからな……。とりあえず、座った状態でも眠れるようにトレーニングはしとくよ」
「ええ、そうしておくといいわ。いつでもどこでも、どんな長さでも眠れるってのは割と役に立つものなのよ?」
「それに関してはボクも保証するよ。少なくとも護衛の仕事では必須技能だったからね」
俺のリアクションにリリスは手刀を下ろしながら誇らしげな表情を浮かべ、ツバキはそれを後押しするかのように強く頷く。そのすっかりいつも通りのやり取りを以て、俺の寝不足問題は一まず解決されたと言って良かった。
眠いかと聞かれたらそりゃ眠いけど、思考は普段と変わらずに回っているからな……。まだ薄れない警戒心がそうさせてくれているだけなのかもしれないが、どんな要因であれ頭が回せるならそれで十分だ。次に宿に戻ったときは泥のように眠ってしまうかもしれないが、それはまあ許してもらおう。
「……何度見てもいいチームだな。研究院の中でもここまで仲睦まじいチームはいないぞ?」
「ま、くぐって来た死線の数が違うからな。……まあ、それを切り抜けてくれてるのは大概この二人だけど」
ほんと自慢の仲間だよ、と俺はバーレイに向けて勝ち誇った表情で笑って見せる。寝る前のやり取りは客観的に見て負け寄りの引き分けと言った感じではあるが、周りに恵まれているという点において俺が負ける気はしなかった。
クラウス達と過ごす時間が長かったことこそあるが、二人と出会えたことでそこらへんは全部チャラどころか大量のおつりがくるくらいだ。……それくらいに、俺の人生は二人との出会いに救われてるからな。
「切り抜けた窮地の数なら貴方も大概だけどね。それも貴方一人で」
「普段は慎重な癖に勝負どころではとんでもなく大胆だからね……。その勝負どころを見極める目が正確なのが君の凄いところだけどさ」
気づいているのかい? とツバキは苦笑いを一つ。どこか呆れているようにも見えるその表情を見て、バーレイがこらえきれないといった様子で吹き出した。
「……はははっ、本当にいいチームだな。お前たちのような仲間との旅は、さぞかし思い出にあふれたものになるのだろう。……少しだけ、羨ましいぞ」
しかし、最後の言葉はどこかしんみりとした響きを伴って聞こえる。それにどんな言葉を返すのが相応しいのか、俺は正直答えが出せずにいた。
隠し事とかはあったにせよ、バーレイは基本的にウソはついてないからな……。善良そうって思ったのも事実だし、事実コイツは決して悪い人間ではないはずだ。話が出来る度合いで言ったらウェルハルトよりよっぽどできるし、アイツと比べたら常識人と言ってもいいだろう。好奇心と言う一点だけにおいては、二人の印象は合致してしまうんだけどな。
だからこそ、好奇心が関与していそうにもないその言葉に俺は戸惑わざるを得ない。……しかし、それに対して口を開いたのは意外にもリリスだった。
「そうよ、二人との冒険は思い出ばかりだわ。そりゃもちろん大変なこともあったけど、振り返りたくないなんて決して思えない。……羨ましいでしょう?」
その言葉は勝ち誇っているよう――と言うか、実際勝ち誇っているんだと思う。『お前も踏み出せばきっと見つかる』だなんて優しい言葉じゃなくまず最初に誇って見せるあたりが実にリリスらしかった。
だけど、その後にちゃんとフォローも繋げられるのが本来のリリスだ。嫌悪感を示していたウェルハルトにならともかく、親近感すら感じていたように思えるバーレイに対してなら、特に――
「……だけど、私たちみたいになろうなんて思うんじゃないわよ。どんな存在が自分にとっていい仲間なのかは、他ならぬあなた自身が決めなくちゃいけないの。……分かる?」
「……っ」
何か言おうとしたところを遮るようにしたその言葉に、バーレイが驚いたように視線を上げる。その眼が見つめる先には、綺麗な空を映したような青色があった。窓がないせいで空の見えない舟の中でも、それはきらきらと輝いていて。
「大丈夫よ。……足掻くことをやめなければ、否が応でも人生は進んでいくんだから。……どれだけそれが悪い方向にばかり進んでいたとしたって、諦めなければ意外とあっさり転機ってのは訪れるものなのよね」
それこそ私みたいに、とリリスは誇らしげに胸を張る。それに対しての頷きがツバキと重なって、俺たちは思わず笑みを浮かべた。
突発的に起こったそのシンクロを目にして、バーレイは驚いたように目を丸くする。そのままの状態で少し俺たちを見つめた後、その口の端がゆっくりと緩んで――
「……そう、だな。本当に、お前たちは凄いチームだよ」
――そう言いながら俺たちに浮かべられた満面の笑みには、隠し事もハッタリも何もない。今この瞬間、この笑顔を見ている間だけは、警戒なんて必要ないと確信できた。
リリスとツバキの護衛時代の奮闘はまたどこかで短編として書きたいですね……。完全なスピンオフですゆえ実現するかは不明ですが、本編共々楽しみにしていただければ幸いです!
ーーでは、また次回お会いしましょう!




