第百四話『舟上のティータイム』
「……おかわり、貰ってもいいかしら? あなたの淹れるお茶、なんだかとってもしっくりくるの」
カップの中に残った紅茶を飲み干し、リリスはバーレイにカップを差し出す。静かながらも確かな賞賛の言葉を聞きつけて、バーレイは笑みを浮かべながらカップを受け取った。
「ああ、もちろんだ。そう言ってもらえて嬉しいよ」
手際よくポットを手に取ると、バーレイはカップの中に紅茶を注ぎ込む。この舟の安定性は大したもので、走行中にもかかわらずその振動がティータイムを妨げるようなことは一度もなかった。
「ありがとう。……悪いわね、何回も要求しちゃって」
「いいや、構わないさ。こういう機会でもないとこの技術を生かす場面も中々ないからな」
研究者たちは飲み物すら要求しない人が多いんだ――と、バーレイはどこか困ったように苦笑する。その視線の先では、おかわりを受け取ったリリスがさっそく紅茶を口に含んでいた。
外が見えないこともあって時間間隔だよりにはなってしまうが、俺たちが王都前の門を出発してから大体三時間は経っただろうか。最初の戦闘以来舟はつつがなく進んでおり、それに伴って俺たちのティータイムものんびりと進んでいた。
他者に対してまず警戒から入るリリスも、この時間を経てバーレイにそこそこの信頼を預けたようだ。身の上話をお互い交換したこともあって、打ち解ける速度は今までよりも早いような気がした。
ま、流石に奴隷になった話とかは隠してたけどな……それでも商会時代の愚痴とかはこぼしてたし、何かバーレイに通じるものを見たのかもしれない。こういうところにツバキは目ざといのだが、その観察眼を備えるにはまだ早いようだった。
「……しっかし、平和な旅だねー……。あのローナンって子に負担をかけ続けてるのは少し心苦しくはあるけどさ」
そのツバキも今はかなりリラックスしているようで、座席に思い切りもたれかかってどことなく柔らかい声を上げている。その中でもローナンのことを気にかけているのは流石ツバキと言ったところだけどな。
バーレイ曰く『研究院一の漕ぎ手』らしいあの少年は、この舟が動き出して以来ずっとコックピットにこもりっきりだ。さすがにのどの渇きとかが心配になってくるタイミングではあったが、バーレイは何でもないようにカップをソーサーの上に戻していた。
「……ああ、アイツの事なら大丈夫だ。さっき見てもらった通り人付き合いが苦手な奴だからな、逆に運転に集中させてくれる今の状況を心地よく思ってすらいると思うぞ」
「すごくおどおどしてたものね、あの子。……なんで私をお姉ちゃんと呼んだのかは、あえて聞かないことにしておくけど」
初対面のやり取りを思い出したのか、リリスは複雑な表情を浮かべながらそう呟く。……確かに、少し厳しめにも聞こえるリリスの言葉に対して出てきたのが「お姉ちゃん」呼びだもんな……。何の他意もないものだったとしても、まあ気になるのは間違いないだろう。
「ああ、アレに関しては私にも分からないな……。私のことを『お姉ちゃん』と呼んだことは一度もないのだが、一体何が違うのだろうか」
不思議がるような表情を浮かべるリリスに対して、バーレイは残念に思う感情を微塵も隠すことのない表情でため息を一つ吐く。明らかにトーンダウンしているのもあるし、バーレイもお姉ちゃん呼びされたいのだろうというのがバレバレだった。
見た目的には俺たちより一回り年上って感じだし、まだまだ「お姉ちゃん」呼びが通用する年代だとは思うんだけどな……。まあ、ローナンにはローナンなりの判断基準があるってことなんだろうが。
「……不思議なら研究してみるか?」
「いいや、その手の研究は専門外だ。……というか、研究院の誰もその分野を得意とする者はいないだろうな……」
冗談めかした俺の問いかけに、バーレイはゆっくりと首を左右に往復させる。いくら叡智を結集させたとしても、人の行動原理と言うのは解けない問題であるようだった。
ま、一口に研究者って言っても様々だもんな。研究者だから何でも解き明かせるなんてのは、魔術師ならみんな治療術が使えるって言ってるのと一緒だ。誰しもに得意不得意がある、言葉にしてしまえばたったそれだけの話だからな。
「まあとにかく、バーレイは自分から好んであの場所にこもってるものだと思ってくれ。……もしアイツがお前たちに興味を持っているなら、補給の時にでも顔を出してくれるだろうさ」
「補給……と言うと、魔力のかい?」
今まで聞いてこなかった言葉に、ツバキが小さく首をかしげる。その様子を見て、バーレイは慌てた様子で軽く手を打った。
「……ああ、そう言えばまだ説明していなかったか。この舟は一度に充填できる魔力に限りがあってな、長い距離を走る時にはこまめな魔力の再充填が必要なんだ。その必要もあるから、私はこの舟が動くたびに同乗しなくてはならないのだがな」
そこに関してはこれからの改善点だ、とバーレイは目を輝かせる。話を聞いている限りかなり不便な生活を強いられているようにも思えるが、どうやらそれも受け入れた上でのことの様だった。
「これほどの便利な乗り物もさすがに欠点なしとはいかない、ってわけね。……魔力の流れを見る限り、相当完璧な機構を組んでるんだろうってことは分かるけど」
「エルフに賞賛していただけるとは光栄だな。……ということは、改善すべきは魔力の充填に関する面と言うことか」
「改善点がはっきりしてると研究もしやすいだろうね。……ところで一つ気になったんだけど、君自身は魔力切れを起こしたりしないのかい?」
二人のやり取りに続くようにして、ツバキはバーレイに向かって質問を投げかける。そう聞いてみると、確かにツバキの抱いた疑問は避けては通れないものだった。
今まで聞いた感じ、この舟の魔力充填は全部バーレイが担当してるっぽいしな……。この舟も決して軽いわけじゃないだろうし、魔力消費も決して少なくないはずだ。それを一人の研究者が負担しているとするなら、魔術神経に負担がかかっていることだって十分考えられる話だ。
もしそうであったなら、修復術師として放置しておくわけにはいかない。あまりひけらかしたくない力だとは言え、いざとなれば使うことも辞さないくらいの心構えでいたのだが――
「……ああ、それに関しては大丈夫だ。私が充填しているのはあくまで機構を励起するための魔力で、運転に当たってはローナンも魔力を提供してくれているからな。そこそこ魔力が持っていかれる感覚はあるが、魔力切れで倒れることはないさ」
俺たちに笑顔を見せつつ、バーレイは軽く力こぶを作って見せる。研究者は体も鍛えるものなのか、服越しにしっかりと筋肉が集まっているのが見えた。
「へえ、上手くできてるのね……。さすがは王都の叡智の結晶と言ったところかしら」
「ああ、その通りだな。あまりにも高度な技術が多いから、量産できないのが一つ悔やまれるところはあるのだが――」
『――バーレイさん、魔力が切れかけです。あと少ししたら目立たないところに一回停めますから、ちょっとだけ準備しておいてください』
バーレイの言葉を遮るようにして、コックピットからの通信が一時停止をアナウンスする。あまりにタイミングの良すぎるそれに、この舟の制作者は思わず苦笑いを浮かべた。
「……戦闘も一度あったし、そろそろ補給時だろうと思っていたんだ。そう言う意味では、いいタイミングで話を切り出せたかもしれないな」
「……それ、どこまで織り込み済みだったのかしらね……?」
苦笑してみせるバーレイに対して、リリスはゆっくりと首をかしげる。その首の傾きに呼応するようにして、順調に走行していた舟は徐々にスピードを落とし始めていた。
やはり依頼されて向かう立場と言うこともあって、その旅路は割と穏やかなものです。本題前ののんびりとしたひととき、皆様もお楽しみいただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




