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第九話『大獄の守護者』

「リリス、あれに見覚えはあったりするか? 商会から事前情報を貰ってたりとか」


「あるわけないわよ、運だけの商会がそんな周到に動くと思う?あれくらいの大きさの魔物と戦ったことはあるけど、コイツが何をしてくるかなんて分かったもんじゃないわ」


 俺の質問に、リリスは呆れ顔でそう返す。結局のところ、この魔物のことについて何も分からないまま挑むしか俺たちに選択肢はないらしい。


 聴力はあまり優れていないのか、背後で作戦会議を展開する俺たちの会話に目の前の魔物は気が付いていないようだ。そのまま俺たちのことを見逃してどこか行ってくれればそれ以上の幸運はないのだが、まあそれも難しいだろう。股下を潜り抜けるまではよくても、階段を下ろうとすればどうしたってその視界にひっかかる。


「……しっかし、商会の連中はこれをどうやってスルーしたんだ……?」


「それに関しては簡単よ。あの子、あたしとは別の方向性の魔術に優れてたから。隠密とか偽装とか、そういう小細工の類は全部あの子の領分だったわね」


「それはすげえな……。リリスがこういうスタイルになるわけだ」


 後半部分は間違っても聞こえないように、口元だけで軽く呟くにとどめる。搦め手をその友人に一任していたなら、知らず知らずのうちに脳筋になっていたってそれに気づいていない可能性は大いにあり得るからな。


 だが、その頼れる友達は生憎目の前にある階段の向こうだ。もう一度巡り合おうとするならば、強引にでもこの門番の警備を押し通るしか手段はない。


「……リリス、体に異常はないよな?」


「大丈夫よ。安心して、この程度の荒事は日常茶飯事だったから」


 俺の決断を感じ取ったのか、リリスは真剣な表情で頷く。頼りたいと思える、心強い姿だった。


「……悪いけど、俺は巻き込まれないようにギリギリまで下がっとく。もし体がヤバいと思ったら、全力で俺のところまで帰ってきてくれ」


「了解したわ。……あの子にもう一度会う前に、壊れるわけにいかないものね」


 リリスにもう一度言い含めて、俺は壁に張り付くような姿勢を取る。階段がある部屋はやはり特別広めに作られているのか、そうすればリリスの戦闘に巻き込まれることはなさそうだった。


 リリスはちらりと振り返ってそれを確認すると、ゆっくりと魔物に向かって視線を戻す。今だ俺たちに気が付いていない間抜けな門番を見上げて、リリスは鋭く声を発した。


「……悪いけど、そこをどいてくれるかしら。私たちは先を急がなきゃいけないの」


 部屋を移動する度に毎回感じて来た――いや、それ以上の魔力の気配を伴って、リリスは一歩一歩魔物へと近づいていく。遠距離から不意打ちでも仕掛けるものだと思っていたが、リリスがとる作戦はどうも違うようだ。


 その魔力の膨張には流石に魔物も気が付いたのか、俺たちの――正確にはリリスが立っている方をぎろりと振りむく。禍々しく捻じれた角を頭の両側に携えたその風貌は、迷宮に足を踏み入れた哀れな旅人を食らう悪魔のようだ。その巨体と負けず劣らず大きなハルバードによる一撃は、どれほど防御に優れた冒険者でも喰らえばひとたまりもないだろう。


「……我が魔よ、形を為せ」


 だが、それを目の当たりにしてもリリスは身じろぎ一つしない。ただ自分のペースを崩すことなく、リリスはぼそりと声を上げた。


 その瞬間、リリスの背後に膨大な量の魔術が展開される。炎の槍に氷の弾丸、岩によって形作られた剣まで。形は違えど目の前の敵を倒すために形作られた武器の数々が、吹き荒れる嵐によって統制されていた。――その光景に、俺はただ圧倒されるしかない。


「さて、あなたにはどの魔術が通用するのかしらね?」


 俺より背丈も低いはずの少女が、今はここにいる何よりも大きく見える。背中越しでも微笑んでいると明らかに分かるくらいに余裕の雰囲気を漂わせ、リリスは大きく地面を蹴った。


 俺たちの何倍も大きな魔物に向かい、リリスは数多の魔術を率いて突進する。その姿を目にして初めて、魔物側もリリスを敵だと認めたようだ。


「ガル……ラアアアアッ‼」


「遅いわね」


 ハルバードを両手で構え、突っ込んでくるリリスを撃ち落とそうと魔物はその巨体に力を籠める。……だが、その挙動が実現に移ることはなかった。


 攻撃動作を認識したリリスはその瞬間に大きく飛び退り、風の力で保持していた魔術を一斉に打ち放つ。色とりどりの破壊が魔物に向かって降り注ぎ、生み出された爆風や土煙でその姿は一時的に見えなくなった。


「……こいつは、すげえ……」


 今まで見てきたどんな魔術師でも、今のリリスの芸当を再現することはできないだろう。一つの属性の魔術を極めた魔術師は数いれど、ここまで万能を突き詰めた者なんてそうそう見られるものではなかった。この才能に人間として追従できるのなんて、王宮魔導士クラスの天才くらいしかいないんじゃないだろうか。


「……いいえ、まだよ。まだ、あの程度じゃ足りない」


 だが、当のリリスはと言えばまだ緊張を解いていない。あれだけの魔術を叩きこめば大体の魔物は死んでいそうなものだが、リリスには俺の見えない何かが見えているらしい。


「ここは『タルタロスの大獄』、この国でも屈指の難ダンジョン――その一階層目がこんなにも静かなのは、貴方のせいでしょう?」


 その確信を携えて、リリスは砂煙の向こう側へと問いかける。その質問に対する答えは、立ち上る砂煙を切り裂くようにして振るわれたハルバードの一撃だった。何の前触れもなく繰り出されたそれは、防御なんて行動を考えるのが馬鹿らしく思えるくらいに暴力的だ。


 しかし、その一撃がリリスの体を捉えることはない。その一撃が振るわれることを予期していたかのように、リリスの体は宙を舞っていた。


 砂煙の向こうから見える魔物の姿は、リリスの魔術を受けて傷だらけのものになっている。やけどから切り傷から刺し傷から、考えうる負傷の種類を全てコンプリートしているのではないだろうか。


 それだけの攻撃を受けても、リリスを見据えるその眼は鈍く輝いている。自分の背後にある階段を守らんと、魔物はその二本の足で力強く地面を踏みしめていた。リリスもリリスで規格外だが、魔物の耐久力もまた常軌を逸している。


「ここに来て初めて遭遇する魔物がこれとか、悪夢にもほどがあるってもんだな……‼」


「この階層があれだけ静かだったのも納得できるというものでしょう? 階段のあるこの場所さえ守っていてくれれば、冒険者が先に進むのは至難の業だもの」


 思わず漏れ出た本音に、リリスが苦笑しながら同意する。この迷宮を肩透かしだと思ってしまった時点で、俺たちはダンジョンの悪辣さに嵌められかけていたのかもしれない。冒険者の心に生まれたわずかな油断や慢心を狩り取るのに、この魔物はあまりにも適役すぎる。


 そんなことを考えている間にも、魔物は次の攻撃に向けて体勢を整えている。どれだけ攻撃が単調であったとしても、それが一度でも直撃すれば戦いは終わりだ。正直なところ、見ているだけでも気が気じゃなかった。


「……リリス、勝算は⁉」


 これ以上戦いが長引くようなら、一度撤退して突破口を明確にするのだって一つの手だろう。どれだけ手数で優位をとっても、たった一つの間違いがあればそれを機に俺たちを崩壊させて来るのがこの迷宮の手ごわさなのだ。


 そんな考えから飛び出した俺の質問に、リリスは軽くこちらの方を振り返る。距離はかなり離れていたが、その青い目はしっかりと俺の目を捉えていた。


「大丈夫よ、安心して見てなさい。――次で仕留めるわ」


 その言葉だけを残して魔物の方へと向き直ると、リリスは背後に大量の魔術を展開する。それらを引き連れて床へと着地すると、その小さな体を極限まで低くしてリリスは魔物への突進を敢行した。


 リリスが一歩踏み込むたび、背後に装填された魔術が次々と魔物に向かって打ち放たれていく。一つ一つが致命傷クラスの威力を誇っていそうなそれを、魔物はうっとうしそうに払いのけて対処した。完全な無視はできないあたり、魔物にとってもリリスの魔術は威力のあるもののようだ。


「やっぱり、イカれてやがる……」


 多少なり負傷はしているが、それにしたって異常な頑丈さだ。魔術に対して特別な耐性があるのか、単純に化け物じみた生命力を有しているのか。いずれにせよ、遠距離攻撃で突破口を開くことができないのだけは間違いない。


 だが、防がれているのを目の当たりにしてもなおリリスは踏み込む足を止めない。一足ごとにその速度を速めていくその体は、いつの間にか魔物の足元にまで到達していた。


「……本当に、優秀な門番ね。その目を欺かれることはあるかもしれないけれど、これだけの攻撃を受けても倒れない。そんなに忠誠を向けられる主は、一体どんな強さをしてるのかしら」


 足元に踏み込んだリリスは、そこで急にもう一つ姿勢を落とす。魔物の股下をスライディングするような形で潜り抜けると、そのままの流れでリリスは三メートル越えの大跳躍を披露して見せた。いつの間に作っていたのか、その手には氷で作られた大剣が握られている。


「だけど、魔物である以上生命であることだけは変わらない。……貴方の主には、悪いけど」


 急に背後に回られたことにより、魔物は反応することができない。そうして生まれた空白の時間は、魔物が初めて晒した隙らしい隙だ。それを見逃すことなく、リリスは空中に創り出した氷の足場を勢いよく蹴り飛ばして――


「――私たちは、この先に進むわ。だから、そこで少し寝ていて頂戴」


 両手で構えた氷の剣を魔物の胴体に突き刺し、そのまま大きな円を描くようにして魔物を切り裂く。リリスがそれを引き抜いた瞬間、魔物の体から大量の赤黒い血が噴き出した。


 リリスの体にも大量に返り血が付着しているが、それを意に介すこともなくリリスは魔物の体を蹴り飛ばして離脱する。先ほどまであれだけ力強く地面を踏みしめていたその巨体は、その面影を感じさせない様子で地面に倒れ伏していた。


「……ちんたらしていてもらちが明かないから、思い切って心臓を切り裂いたわ。いくらあの体力でも、そうされたらどうしようもないでしょう?」


「ああ。……ほんと、どこまでも俺の想像を超えてくる奴だよ」


 近距離戦に心得があるとは聞いていたが、まさかここまでとは想像できないだろう。返り血をぬぐいながらこちらに走り寄って来るリリスの姿は、あれほどの激戦を終えた後でも美しかった。


 商会は過小評価していたのかもしれないが、リリスの戦闘力は相当なものだ。計画していたところからこれほど大きな戦力が抜けていたら、何かしらのイレギュラーが起こらない方がおかしな話というものだろう。そんな過剰戦力を有している商会ならもっと名前も知れてるだろうし。


「……まだまだ気は抜けねえな。よしんば商会がこの先に行けてたんだとしても、それが揃って生存している可能性はゼロと言っていいくらいだし」


「ええ、その通りね。あの魔物がここじゃ前座だなんて、悪い冗談にもほどがあるけれど」


 倒れ伏す魔物の巨体を一瞥して、リリスは階段の方に視線を戻す。一つ山場を越えたとはいえ、本当のスタートラインはここからだ。……本当に助けたい人は、この先にしかいないんだから。


「……どうする、いったん休憩するか?」


「愚問ね。一刻も早く、あの子のもとにたどり着かないといけないでしょう? 休憩なんて悠長なことをするつもりはないわ」


 念のための確認のつもりだったのだが、リリスには不要な心配だったようだ。俺を見上げるリリスの手は、震えだしそうなくらいに強く強く握りしめられていた。


「おう、そう来なくちゃな。……それじゃあ、行くとするか!」


 その強い意志に応えて、俺は階段に向けて一歩目を踏み出す。――リリスが奴隷になってもなお望み続けた願いに手が届くまで、あともう少しだ。

二人の探索は遂に次の階層へ突入します! まだまだ続く迷宮攻略、ぜひお楽しみいただけると嬉しいです!

ーーでは、また次回お会いしましょう!

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