カエルの王子様〜カエル様を献身的にお世話してたら婚約破棄されましたが、そのカエル様の正体に気付いているのは私だけのようです〜
「ユリア・ゴルドバル!貴様との婚約を破棄する!」
学食の真ん中で声高に叫んだのは、私の婚約者であり国王陛下の甥にあたるハインリッヒ・アイゼンバンド様だった。
「貴様は貴族令嬢であるにも関わらず、ピアノにばかり現を抜かす変わり者かと思えば、最近では汚らわしいカエルを飼い始める始末! しかもそのカエルを四六時中連れ回し野放しにした挙句、食堂にまで連れ込み手ずから肉や魚を与えるなどの奇行は目に余る! その狂った行動の数々、もう限界だ! 今もカエルを肩に乗せて会話してるのを見たが、とても正気とは思えん! 貴様のような者は私の婚約者として不釣り合いだ!」
彼がビシッと指差す私の肩には、堂々としたカエル様が乗っている。私だって、好きでカエル様を肩に乗せているのではないのですけれど……
「ゲーコ」
私の耳元で、そう鳴いたカエル様。まるでハインリッヒ様に向けて「バーカ」と言っているようだった。
「……ハインリッヒ様のお言葉は、ご尤もにございますわ。私の行動が皆様を戸惑わせたのは事実ですもの。ですが、婚約は両家の利害の上に成り立つ契約のようなものです。それをこのように一方的かつ唐突に、更には大勢のいる場で破棄されるのは、如何なものかと思います」
「ゲコゲコ」
カエル様も、私の肩の上で「そうだそうだ」と頷いている。
「頭がおかしい割にはよく回る口だな。だが、この婚約には既に私の利は無くなった。貴様の存在などもう無意味なのだ。いい機会だ。皆も聞いてくれ」
そうしてハインリッヒ様は、食堂中に向けて高らかに宣言した。
「この度、王家から私に勅命が下った。立太子を目前に失踪し、現在も行方不明になっているジークフリード王子殿下の捜索は難航を極めている。そのため建国祭までに殿下が見つからない場合、王家の血を引く私が陛下の養子となり、立太子することとなった!」
ザワッと生徒達が驚き騒めく中、私は扇子で口元を覆い隠した。恐くてカエル様の方を見ることができない。
「更に!」
ハインリッヒ様は、もう一段声を高めると、隣にいらっしゃる留学中の隣国の王女、マルガリータ様の肩を抱き寄せた。
「私が立太子した暁には、ジークフリード殿下と婚約予定だったこちらのマルガリータ王女と正式に婚姻を結ぶ予定だ。ジークフリード殿下のことは無念極まりないが、代わりに私が立派な王太子となって皆を導く!だから安心してくれ!」
食堂からは、戸惑いがちに疎なお愛想程度の拍手が起きる。それはそうだろう。ジークフリード殿下が亡くなられたわけでもないのに、まるでもう王太子にでもなったかのような口ぶり。そもそも、王家からの勅命と言うのも嘘くさい。そんな簡単に世継ぎが挿げ替わって堪るものですか。
ちょっと内々に打診程度のものがあったのをいい気になって、口止めされていたのに大勢の前で自慢したくて仕方なかったんでしょうね。それを何もこんな学園の食堂で暴露して自らの愚かさを晒さなくてもいいでしょうに。婚約者として恥ずかしいわ。あ、もう婚約者ではなくなるのかしら。
と、いうか。さっきからカエル様が無言なのが妙に恐いわ。お願いだから何もしないで頂きたい。どうか堪えて下さいませ、カエル様。
「私もジークフリード殿下の事は心配で夜も眠れずにおりましたのよ。そんな時にお声掛け下さったハインリッヒ様のお優しさにはとても慰められました。ジークフリード殿下は優秀でしたが冷酷で横暴でしたもの。私はハインリッヒ様とであれば、いい夫婦になれると思いますわ。だからユリアさん、自分の奇行の数々を鑑みて、貴族令嬢としてあるまじき事を自覚なさってここは潔く身を引いて下さいませね」
ハインリッヒ様に身を委ねて、勝ち誇ったように笑ってこっちを見るマルガリータ様。そんなのが欲しいのであればいくらでも差し上げますわ。ですからどうか、今はその能天気で的外れなお口を閉じて下さいませ。
なんだか肩が熱いわ。気のせいかしら、気のせいよね。だって私の肩に乗っているのはただのカエル様で、煮えたぎる溶岩ではないもの。
「……どうかご辛抱くださいませ……」
扇子に隠し、小声で呟くと。心無しか熱が引いたような気がする。けれど、油断は禁物だわ。なにせ私の肩にお乗り遊ばしていらっしゃいますのは冷酷で横暴なカエル様なのですもの。それも魔力かなり強めの。
「そういうことだ! これで分かっただろう? 今や私には、ゴルドバル侯爵家の後ろ盾など不要なのだ! ピアノを弾くしか能のない、貴様のような変人令嬢を誰が愛するものか! 貴様にはその不細工なカエルがお似合いだ!」
終わった……と思った。扇子で隠そうとしたけれど、私の肩に乗ったカエル様はカッと目を見開くと、パカリと口を開けた。次の瞬間、カエル様の口から特大の炎が噴き出し、扇子なんて盾にすらならない勢いでハインリッヒ様とマルガリータ様の頭上ギリギリを燃やしてしまった。背の高いハインリッヒ様の頭からは煙が上がっている。
「キャー!!」
「な、……な、…………?」
チリチリと黒焦げになった頭頂付近の髪を触りながら、ハインリッヒ様が戦慄く。
「わ、わ、私の髪があああぁ!!!」
パッと見は分からないけれど、上だけ焦げたのかしら。ハゲかしら。ハゲるのかしら。ハゲるでしょうね。
「お、お前達!何をしているっ!あのカエルとあの女は次期王太子となる私を廃そうとした痴れ者だ!捕まえろ!」
ハインリッヒ様の指示が飛ぶが、ここは学園の食堂。生徒達は火炎放射するカエルに恐れ慄いて遠巻きにこっちを見るくらいで、挑みかかってくる者はいなかった。でもこの騒ぎだ。聞き付けた教師が来て、衛兵が来て、捕まった私達は罪に問われるだろう。生徒達は襲いかかってくる様子はないが、だからと言って積極的に私達の逃亡も手助けしてくれるわけでもない。
そんな中、カエル様が私に向かい声を上げる。
「ゲーコゲコゲコ!ゲロっ!」
「無理です、それだけは本当にご勘弁して下さいませ」
「ゲコッ!ゲコゲコ!」
「分かっております、ここまで来れば他に方法がない事は。しかし、やっぱり無理です!」
カエル様と言い争っていると、バタバタと騒ぎを聞き付けた教師達の足音がした。このままではマズい。それは分かっている。分かっているのだ。腹を括り、やるしかないのは。
「ゲコゲコ!」
「うぅ、……分かりました」
覚悟を決めた私はカエル様を両手で持ち上げ、衆人環視の中、自らの顔の高さまで掲げた。ひっ、と息を呑む声が周囲からするけれど、私だって本当にやりたくてやっているわけではない。
カエル様は堂々と、私の手の上で私を待ち構えていらっしゃる。本当に無理。鳥肌が止まらないわ。でも、やるしかない。このままではカエル様は殺処分、私は処刑。一瞬よ、堪えるのよ私。
「な、何をする気だ!?」
「イヤーっ! 汚らわしい! あの女、本当に頭がおかしいわっ!」
ハインリッヒ様とマルガリータ様から、悍ましいものを見るような悲鳴が上がる。
そうして、誰がどう見ても『カエルに口付けをしようとしている頭の狂った女』でしかない私は、確実にカエル様との距離を詰めた。あと10センチ、5センチ、1.5センチ……
「やっぱり無理ぃ!!!」
「ケローーッ!?」
どうしても出来なくて、私は直前でカエル様を思い切り放り投げた。憐れなカエル様は宙を舞い、ベチャッと嫌な音を立てて壁に叩き付けられていた。キャーーっと周囲から悲鳴が上がる。
「あ、そんな……嘘、嘘よ。 ……殿下っっ!」
私が慌てて駆け寄った時だった。無様に潰れたカエル様は、光に包まれ浮き上がる。
そして光の衝撃で目の前が真っ白になった次の瞬間、そこに立っていたのは紛う事なきこの国の美貌の王子、突然の失踪以来ずっと行方不明だったジークフリード殿下その人だった。
「イテテ……酷いではないか、ユリア! 君は私を殺す気か!?」
「殿下! 申し訳ございません! ですが、どうしても無理だったのです! 私は爬虫類や両生類の類が苦手だとあれほど申し上げたではないですか! 今までどれほど耐え忍んでお世話をしてきた事か!」
「だから早くキスしろと言ったではないか! 君がキスしてくれないから私はいつまでもカエルの体に閉じ込められていたんだぞ!?」
「だって無理なものは無理です! あのネチョッとヌルッとザラっとした感触、手でさえも触れるのが躊躇われるのに、唇でだなんて気を失いそうでしたわ! 見て下さい、まだ鳥肌が立っておりますのよ!」
「君はそんなに私が嫌いなのかっ!?」
「殿下が嫌いなのはではなく、カエルが苦手なのです! 殿下のことは嫌いではありませんわっ! むしろ殿下の歌声は大好きです!」
息を切らせて言い合う私達を、周囲はポカンと口を開けて見ていた。それに気付いた私は、乱れた息を整えコホンと咳払いをした。扇子は先程カエル様こと殿下に吹き飛ばされたので、代わりに手で口元を隠す。
「ジークフリード殿下。今はそんな事より、もっと重要な事がお有りではありませんか?」
「そうだった。あまりのショックに忘れるところだった。君のお陰で元に戻れたよ。本当はキスの方が良かったのだが……カエルになっていた間も誠心誠意世話をしてくれた事には感謝している。君がいなければ、私は空腹に耐え切れずハエを食していたところだった。それだけは嫌だと餓死寸前だった私に肉をくれた事、改めて礼を言おう」
私の手を取り熱心に見詰める殿下へ、私は再び咳払いをした。
「私への感謝などもどうでも良いのです。私はこの国の貴族として殿下をお助けしただけですわ。それよりも……」
私の視線の先を見た殿下は、目を細めた。
「……ああ。久しぶりだな、ハインリッヒ。マルガリータ」
ニタリと笑ったジークフリード殿下が、二人の方へ体を向けた。
「ジ、ジークフリード王子殿下……!?」
「ほ、本物なの……!? 何でここにっ!?」
尻餅をつき、目の前の光景が信じられないとでも言うかのように後ずさるハインリッヒとマルガリータ。
「そう言えば、二人で随分と楽しそうな話をしていたではないか。何だったか、私の代わりに立太子がどうのこうのと……?」
「ひっ、い、いえ! あれは、殿下がお戻りにならなかった場合のことでっ」
「わ、私達は殿下のお帰りを心待ちにしておりましたわっ!」
「そ、そうです! マルガリータの言う通り! 私など、殿下がいなくなってからというもの心配で心配で、胸が張り裂けそうな程でした!」
焦って弁明する二人のなんて滑稽なことでしょう。扇子を吹き飛ばされたのが惜しいわ。扇子があれば笑みを堪えずに済んだのに。
「他にも話していたな。あぁ、二人の婚姻の話だったか。実に喜ばしい。ハインリッヒ、お前にはカエルになった私を献身的に世話してくれるユリアのような素晴らしい婚約者がいたと言うのに、婚約者の存在などものともせず結ばれるとは。まるでお伽噺のようだ。二人の幸福を祈る……と言いたいところだが、実は妙な話を耳にしてな」
ジークフリード殿下は、笑みのままブチギレていらっしゃった。カエル様の体にはあの凄まじい怒りが収まり切らず熱々になっていたが、今のお体にも収まり切ってはいらっしゃらないのか、殿下の周囲には溢れた魔力が漂い火花を散らしている。
「私はある日突然、魔女によって呪いをかけられ醜いカエルの姿に落とし込められた。その際、魔女が言っていたのだ。恨むなら依頼主を恨めと。つまり、魔女に私を呪うよう依頼した不届き者がいると言う事だ」
蛇に睨まれたカエルの如く。二人は震えていた。
「私をカエルの姿にした魔女は、金さえ出せばなんだってする守銭奴だ。どうやら一国の王子である私を殺すには、依頼主の金が足りなかったらしい。そこで妥協案として、私の姿を眩ませる依頼に変更になったとか。だが魔女は気まぐれ。どこぞの島国に私を飛ばす予定だったが、それよりカエルに変えた方が楽だと、直前で呪いの内容を変更したらしい。幸いにも私の存在に気付いたユリアの協力のもと、私はつい先日その魔女と再会する事ができた」
二人の顔色が、見るからに青くなっていく。
「依頼主の倍額の金を払えば魔女は快く白状してくれたぞ。魔女に私を呪うよう依頼したのは、ハインリッヒ、マルガリータ。お前達だったのだな」
周囲のしらけた目が、手を取り合うハインリッヒ様とマルガリータ様に注がれた。
「お前達は以前から関係を持っていたようだな。結ばれる為に私が邪魔になり廃そうとしたのか?それとも王位を狙ってか?いずれにしろ、魔女から証拠も預かっている。お前達に待っているのは極刑だ」
「お、お助け下さい、ジークフリード殿下! 私はただマルガリータに唆されただけで」
「何ですって!? 最初に声を掛けて来たのはそっちでしょ! アンタなんかあのカエル好きの気狂い女がお似合いよ! 殿下ぁ、私が悪かったのでお許し下さいませぇ〜! 私は殿下の婚約者になる女ですのよ? 好きなのは殿下だけですわぁ」
「マルガリータ、この裏切り者め! 殿下! わ、私は殿下を救ったユリアの婚約者です! ユリアの功績に免じて私の事もお許し下さい! ユリア、今までピアノばかりで何の役にも立って来なかったのだから、たまには私を助けろ! お前も殿下に私の命乞いをして土下座しろ!」
絶賛ブチギレ中の殿下へ火に油を注いでどうするのでしょうね、この人達は。
「許さぬ。私への暴挙もさる事ながら、私を献身的に支え救ってくれたユリアに対するお前達の態度、実に腹立たしい。それにハインリッヒ、貴様はもうユリアの婚約者でも何でもないであろうが! ただでさえユリアの婚約者であるお前が憎くて妬ましかったと言うのにっ!」
殿下の怒りに合わせ、魔力が火花になって飛び散り、二人に降り注いだ。バチバチバチと爆ぜた火の粉が舞う。
「ひぃぃい!」
無様な悲鳴を上げたハインリッヒ様に、殿下は一変して笑顔を向けた。
「しかし、私もそこまで鬼ではないのだ。実の従弟であるハインリッヒと、婚約を予定していた女性であるマルガリータにそこまで酷い事はしたくない。それはそうと、カエルの体と言うのは実に奇妙でな。勝手に跳ねたくなるし、乾くと痛いし、飛んでいるハエを見ると食べたくなる。人間としての自尊心とカエルの本能がせめぎ合いなかなかに貴重な体験だったが、ユリアのように丁寧に世話してくれる者がいればそれなりに快適だろう。」
「な、何を……まさかっ」
「ちょっと、置いてかないでよ!」
嫌な予感に逃げようとしたハインリッヒ様は、置いていこうとしたマルガリータ様に腕を取られて逃亡に失敗した。足を引っ張り合う二人に近付く笑顔の殿下の目は狂気に満ちている。
「私と同じ苦しみを味わうがいい」
殿下の周囲に散っていた火花が弾け、呪いの炎となり二人に向かって襲いかかった。
「嫌だぁああ!」
「やめてぇえ!」
絶叫を最後に、炎に飲み込まれた二人の姿が消える。カエルさえも居ないその場所に、とても不快なあの虫の羽音が響く。
「どうやら怒りに手元が狂ってしまったようだ。カエルにするつもりが、ハエにしてしまったらしい。まあ、私も元に戻れたのだ。お前達もそのうち元に戻れるだろう。それまでは精々カエルに食われないよう無様に飛び回ることだ。お前達はどれほど人間としての自尊心を保てるのだろうな?はてさて、ハエの主食は何だったか」
ニンマリ笑うジークフリード殿下を見て、その場にいた誰もが思った。この男にだけは、決して逆らってはいけない……と。
「あいつらには酷い目に遭わされたが、魔女には感謝してもいいかもしれないな」
「あら、何故です?」
「カエルになったお陰で、"ピアノの君"の正体を知る事ができたからだ」
「ピアノの君?何のことですか?」
「ここまで来てもまだ惚けるのか?音階を正確に聞き取り暗号法を活用してカエルと会話する君以外の誰が、音階のみで文通しようなどと思い着く?私がずっと、歌とピアノの音階で秘密の文通を続けて来た相手は君だろう?」
「……やはりバレていましたか」
「当然だろう。と言うか、私はあの日、"ピアノの君"であればカエルとなってしまった私の言葉を理解してくれるのではないかとあそこで鳴いていたのだ。そこに現れ足を止めた君を見て確信した。私がずっと心を奪われていた"ピアノの君"は、やはりユリアであったのだと」
あれは1年ほど前のこと。
婚約者であるハインリッヒ様の馬鹿さ加減に疲れ果てて、私は愚痴を言う代わりに音楽室でピアノを弾きまくっていた。その時ふと思い付き、本で読んだ音階をアルファベットに置き換える暗号法を活用して音階でハインリッヒ様への愚痴を弾き連ねた。
すると、なんと窓の外から鼻歌で返答が返って来たのだ。同じ暗号法を活用した音階の文章で、「それは大変だな」と。
この方法は、音階を正確に理解する絶対音感がなければまず成立しない。同じ本を読んだ、それも、同じく絶対音感の持ち主がいるのだと思って、私はとても嬉しかった。
それからは、秘密の音階文通が続いた。
互いに曲を演奏したり、関係ない歌を歌ったりしているフリをして。音階を辿れば互いへの言葉が紡がれる。彼の歌は心地良く、澄んでいてとても綺麗な声だった。
彼の声に聞き覚えのあった私は、その相手がジークフリード殿下であると気付いていた。けれど、実際に会って話をしようとは思わなかった。
私は婚約者がいる身。そして殿下も婚約が内定している。私達は、ただ通りすがりに音楽を奏でているだけ。だから、それ以上は望んではいけないのだと。胸の中に生まれそうな火種は、燃える前に消してしまわなければならないのだと。
そう自分に言い聞かせては、平気なフリをしてピアノを弾いた。
同じように殿下も、私が誰であるのか尋ねてこなかった。それが全てだ。私達は、音楽の外で出逢ってはいけない。
そんな秘密の文通が続いたある日、衝撃的な事件が王国中に広がる。立太子を前にしたジークフリード殿下の失踪事件。寝室で寝ていたはずの殿下が忽然と消え、跡形もなく、どんなに捜索しても見つからないという。殿下は責務を投げ出すような人ではなく、陰謀論や誘拐論等、様々な憶測が飛び交った。
心配はしたが、私にできる事はない。そう思い、けれど居ても立っても居られず音楽室に向かおうとしたところで、私はカエルの声を聞いた。
普段は気にも留めない、苦手なカエル。けれど、その声に違和感を覚えて思わず立ち止まってしまう。
カエルの鳴き声の音階が、明らかにSOSを告げていたのだ。それも何度も、正確に同じ音階を繰り返している。
私の前に出て来た一匹のカエルが、鳴き声で音階を表現する。それを暗号に当てはめると……
『私は王子だ。助けてくれ』
「……!」
理解した私はカエル様を連れ帰り、腹が減って死にそうだと言う彼に肉を与え、汚れを拭き、水を掛け、献身的にお世話した。私のベッドで寝たいと同衾まで要求してくるカエル様に、私は文句も言わず従った。ちょっと鳥肌が立ったけど、カエルが苦手だなどとは言っていられない。殿下の命が掛かっていたのだから。
暗号法での会話で何とか殿下の事情を聞いた私は殿下に呪いをかけた魔女を探し出すことにした。
カエル様を連れ歩き、恭しくお世話する私に周囲の好奇の目が向けられるが、「このカエル様はジークフリード殿下です!」と宣言したところで余計に狂人扱いされるのは目に見えていたので、私は黙って淡々とカエル様のお世話をした。
そして魔女を見つけ、事件の黒幕と呪いの解除方法を聞き出すことに成功した。背後にいたのがハインリッヒ様だと聞いた時は、あの大馬鹿ゴミ屑野郎と心の中で大いに罵った。
「呪いを解くには……そうさね、お嬢ちゃんはユリアと言ったかい?アンタがキスするか、アンタに死ぬ程痛い目に遭わされたら、このカエルの王子様の呪いは解けるだろうよ」
魔女の言葉に、私とカエル様は絶句した。
「な、何ですかその二択は!? と言うか、何故私なのです? 他の人ではダメなのですか?」
「ダメだねぇ。アンタじゃなきゃねぇ。ねえ、王子様?」
ニタニタ笑う魔女に、カエル様は不満げに鳴いた。
「まあ、そう言う事だよ。王子が好きならキスしておやり。嫌いなら床にでも壁にでも叩き付けてやんな」
それきり魔女には会えなかったが、その日以来カエル様は事ある毎に私にキスを要求するようになり、私は流石に中身が殿下であると分かっていても、苦手なカエルにキスなんて出来ず、言い合いが続き膠着状態になってしまった。
そこで起きた、あのハインリッヒ様とマルガリータ様のお騒がせ事件。結果として元の姿に戻ったジークフリード殿下は、鮮やかな手腕で王家の血を引く令息と隣国の王女を消し去った事による諸問題をねじ伏せた。あんな馬鹿を殿下の後釜にしようと画策していた高官を粛清し、隣国との外交問題にも発展させず、むしろ自分の命を狙ったことに対する賠償金と婚約内定を打ち消しにされた違約金を隣国からぶん取って、無事に立太子した。流石は優秀で冷酷で横暴な王子様である。
「それで、馬鹿な婚約者から解放された気分はどうだ?」
「もちろん、最高ですわ」
ピアノを弾く私の傍らでハミングをしていた殿下は、私の笑顔を見ると背筋を正し、跪いた。
「殿下?」
「ユリア。いい加減に気付いているだろう?何故、私の呪いを解くのが君だったのか。それは私が君を……心より愛しているからだ」
「……!」
真っ直ぐな殿下の瞳は、彼の魔力と同じように熱く燃えていた。
「ピアノと歌だけで会話していたあの頃は、婚約者のいる君への想いを必死に抑えていた。だが、もうその必要はない。君が望むなら、毎日好きなだけピアノを弾いても構わない。週末は一緒にオペラを観に行き、この世の様々な楽器と曲を君の為に用意する。だからどうか、私の妃になってくれないか」
私は返事の代わりに彼の手に手を重ねた。
「……結婚したら、殿下の歌声も毎日聴かせて下さいますか?」
「ああ。もちろんだ。私も君の歌声が聴きたい」
「え、それは困りますわ! 私、歌だけはどうしても下手なんです。とっても音痴なの」
「……ふ、なんだそれかわいいなっ」
弾けたように笑う彼の声を聞き、私はこの先の幸せを確信して彼の腕の中で微笑んだのだった。
カエルの王子様〜カエル様を献身的にお世話してたら婚約破棄されましたが、そのカエル様の正体に気付いているのは私だけのようです〜 完
読んで頂きありがとうございました!