3金板
ヤっちまうか。ヤっちまわないべきか。思春期の少年にとって重要な事態だ。
ひかりをおんぶして山道を下る道程、背中にふにっと柔らかさを感じる。手のひらには太ももの感触。
髪からはいい匂いがする。
ただ、体は生きていると思えない位冷たい。コンクリートや金属の扉にさわっているようで、女の子に触れている感触も相殺され、逆に気味が悪くなってくる。
死体というのはこういうものだろうか?
ひかりの体温は自分の体温と同じ、生命を維持している”気”も自分から供給されている。
”金板”が言うには、”気”の注入をし続ければ、生命としての活動は維持される。
ひとたび離れれば、魂をつなぎとめる”気力場”が断たれる。
※気力場:量子状態を確定している謎の観測場、重力場と同じくボゾン粒子を媒介とする場
心肺機能の維持は金糸による副交感神経を代替して、脈打つ。本来そのトリガーは生きる本能がそうさせる。
『生贄を捧げるなら、牛。天王どもは神と人をつなぐ儀式に牛を捧げていた。牛でなくても何でもいいが、天王どもは牛、馬や羊や豚たまに人。どれも変わらんが、成長中の特に胎児が気を集める。生贄には1年以内の獣の子が充てられていた。人間は大人ばかりで気が足りない。胎児の生贄はなかったがな。』
金板は物騒な事を言った。
「生贄なんて現代じゃ無理だ。まして子供や胎児なんて。」
『龍脈が、気の流れがあればその流れの中にあればよい。』
「そんなもんどこにあるんだ。」
『あの洞はちょうどその流れの中にあった。最近は豚の気が多かったな。』
「この近くに養豚場でもあるのか?」
『知らんが、ワシの回路を駆動するくらいはできた。さすがに移動するには及ばんが。』
「もう一枚の板もか?」
『あれは、ワシの金糸を奪おうとやって来たが、障壁を破れなかった。』
「どうやって移動してきたと言うんだよ。」
『この娘と同じだ。移動能力を持つモノを使う。おおかた動物を操ってやって来たが、気が尽きて宿主が朽ちたのであろう。』
「朽ちるだと?じゃあ加納は……」
『気がなくなると、存在を維持できなくなる。場合によっては因果ごとなくなる。有ったものが無かったとされる。』
「じゃあどうすれば……加納の命を救えるんだ。」
『完全に金糸に置き換わったなら正確には命はない。手遅れだ。置き換わった部分が致命的でなければ、取り除いたあとに再生を待てば回復する。しかし何年もかかるだろう。かろうじて脳幹には行ってない。外部からの情報が無い暗闇に意識はあるだろうが。
「まるで地獄じゃないか。無の中に放り込まれたら、気が狂う。」
『そんな時のために生き物は夢を見たり意識を最小にして維持する。』
「事故で脳が損傷したか脳卒中みたいなもんか?」
『脳と運動系を分離しているのみだから、脊髄損傷といったところだろうか。休止状態にした方が合理的だ。』
「俺は加納と……もっと話がしたい。もっと仲良くなりたい。意識を回復できないのか?」
『組織が再生する保証は無いが、回復を気長に待てば、外部刺激で覚醒するだろう。』
「どれくらいかかる?」
『さあ、数時間かもしれないし、何十年もかかるかもしれない。』
「そんなに!?そんなに待っていられない!!なんてこった!!」
『饕餮があればよいのだが……』
「そのとうてつ?は。なに?」
『ワシの手足、ワシの蔵、ワシの胎、全てを食らい全てを生む。本来の外装。ワシの出来ないことはない。そう造られた。』
「でそいつはどこにある。」
『どこにあるかも分からん。海とも山とも、そもそも現存するかも怪しい。』
「積みじゃねえか!!」
『まあ、待て、本来生物が営む機能を模した玉があれば、意識が金板に移す事ができる。体は回復せずとも意思疎通が可能になる。』
「で?そればどこにある。どうせまたどこにあるがわからないんだろう!?」
『それは問題ない。ワシ同様伝来しておる。』
「じゃあ、それはどこにある。」
『あの洞の奥に社がある。ワシは本来そこに祀られていたのだが、奴に連れ去られてのう。』
「あの穴かなり小さくてモグラでもないと入れないじゃないか?」
『心配するな。人の入り口もある。はず。』
「はずってなんだ。」
『久しく表に出たことがなくてな。』
「どれくらいだ?」
『二千年くらいか?』
「うそだろう!?」
『多分。』
「いい加減だな。」
『で、どうする?』
「もちろん行く。」
マサキがひかりをおぶったまま、社への山道を歩いた。生気のない人は何故か重く感じる。
キャンプ場の洞とは真逆の山肌に洞窟があった。こんなところに秘密の社があるとは思えないが、定期的に手入れされているらしく綺麗だった。
「簡単だな。あとは中の社を調べれば。」
マサキは洞窟を奥に進み、清流が流れている側道を進み、携帯のライトが照らす小さな社が影を作る。
『社が開いておるだろう。その奥に”玉”があろう。』
マサキが社をあさると、円柱状のガラスなのか水晶なのか、ただ濁った色の石だった。
「これでいいのか?このガラスの……」
『玻璃だな。回路と記録領域に分かれている。』
「で?これをどうすればいい。」
『強い意志を持って思うのだ。生半可な思いではダメだ。』
「大丈夫だ問題ない。ふんーーーーーーー。」
何も反応がない。
「何も起こらないぞ。どうなってる?」
『生半可ではダメだと言っている。』
「はーーーー、ああああああ、がああああああ、」
無駄に気合を入れるがウンともスンともいわない。
「なぜだ!なぜ?」
『娘の心に響かないからだろう。』
「声も届かない、感覚もないのにどう伝えれば……」
『仕方ない。人間が普段使わない感覚を金糸でつなごう。普通に暮らすには影響は無かろう。』
「そんなこと出来るんだったら初めからやれよ。」
『ただこの娘に超感覚を受け取る力があればよいが、もちろんおぬしにも超感覚がなくてはならん。』
「なんだよそりゃ?ハードモードばっかりじゃないか。」
『悲観するにはまだ早い。ワシと話せている事は超感覚の仕業と思わんか?』
「たしかに……あんまりにもナチュラルに話していたは。」
『多分その娘も疑似金とつながる能力があったのだろう。』
「!!じゃあ、出来るんだな!?すぐにやれよ。」
『娘もおぬしも金糸の脳髄浸食が危険なのは同じだがな。』
「ぐ!!」
マサキは少し考える、そして。
「やろう。俺は……ひかりが好きだ!!死ぬなら一緒に死んでやる。」
『そうか、では覚悟はよいか。』
金板はきらめく光の筋を空中に吐き出し、マサキとひかりに金糸を脳髄に潜り込ませた。
「うっ!!」
マサキは思わず声をあげる。
ひかりの中に金糸が新たに回路を作る。
マサキの目はうつろになり、虹色のトンネルを通るような感覚を感じた。
「暗い……寒い……眠い……」
ひかりは闇の中膝を抱え丸くなって薄い意識を保っていた。
彼女は体の自由、感覚の自由を奪われ、もう少しで精神も食われるところだった。
半ばあきらめていた彼女の方に光が差し、黒一色だった世界に彩りが差した。
「だれ?」
ひかりが目を開き光の差す方向を向く。
マサキが光のトンネルをこちら側に向かって来た。
「東條君?」
「ひかりーーーーーーー!!」
マサキがひかりを見つけると思わず名前を呼んだ。
「東條君?どうして?これは夢?」
マサキは、暗闇にうかぶひかりに手を伸ばし抱きしめた。
「いや、夢じゃない。助けに来た。」
「夢じゃないの。こんな暗闇。それに浮かんでるみたいな、現実じゃない。」
ひかりの置かれる状況は、確かに真っ当ではない。
「ここから出よう。早く。」
マサキはひかりの腰を抱いて光の道に戻ろうとした。
「待って。ここはどこなの、一体どこに行くの?」
「ここは、ひかりの心だが、このままじゃここに閉じ込められる。外の世界に出るんだ。」
「心の世界?なの。外の世界に出るの。じゃあ私はどうなるの?」
ひかりは、不安に尋ねる。
「今は外に避難して、安全になったら戻るんだ。」
マサキは説得を始めた。
「でもここは私の心の世界なんでしょ?私の心はどうなるの?」
「?」
マサキはそこまで考えてなかった。
「金板!!どうなんだ?ひかりの心はどうなる?」
『意識は、玉に留め置かれる。しかし玉を離せば息は止まる。』
金板は残酷な現実を答えた。
「じゃあ、私の体はどうなってるの?私は死んだの?」
ひかりにも金板の声が聞こえた。
『今のままでも屍同然、魂が気を練る事が出来ない以上、玉で気を練らなければ、肉体は崩壊する。玉がおぬしの魂の居場所。』
「やっぱり私は死んでいるの?そして人間じゃなくなるの?」
『仕方あるまい。回復の努力はしよう。そこの男が果たすだろう。』
「ああ、必ずもとに戻してやる。」
マサキは改めて決意した。
「でも、私、だめ。わからない。」
ひかりは頭に手をあて、大きく横に振る。
「俺は、必ず蘇らせる。だから俺を信じてくれ。」
マサキが胸に手をあて真っ直ぐひかりを見つめた。
「でも……私には無理……」
『もう一つ、決断がある。新たな命の細胞が必要だ。その命は初期の細胞の形を保ちながら、気を生み出すのみに存在する。』
「そればどういう事だ?」
マサキが金板に尋ねる。
『その胎に生れ落ちない子を宿すのだ。』
「子供を作れってことか?」
マサキがひかりを見つめる。
「え?私の子供?東條君と?」
『人の子でなくともよい。神性があるとなお良いが。』
「そんなこと聞いてないぞ。」
『人一人分の魂が足らないと言っただろう。遠い昔、神代は自らの複製を使ったがな。』
「そんな残酷な……自分の子供を……それに私……経験ないし……」
「子供を作る経験があってたまるか!」
「東條君はある?」
ひかりが上目づかいでマサキを見る。
「ああ……まあな……」
嘘だな。
「あの……私……初めてなの……」
「ちょっとまてよ。なんでそうなる。」
マサキの目が泳ぐが、期待に胸が躍る。
『錬丹術は直接の接触以外にも神式がある。ちょうど心同士が繋がっておる。ここで交わればよい。』
「え?」「ほ?」
マサキとひかりが向き合い目を会わす。感情は異なるが。
「私、やります。」
ひかりが覚悟を決める。
「え?ちょっとまてよ。」
マサキが戸惑っている。
「大丈夫、私に任せて。」
男女逆のセリフだろう。
「いや、その……よろしくお願いします。」
「私に勇気をちょうだい。人間でなくなる、その前に人としての思い出が欲しいの。東條君の勇気をちょうだい。」
ひかりはマサキに抱きつき、キスをした。
光が二人を優しく包む。
マサキが意識を取り戻したとき、ひかりは寝息を立て、体温が戻っていた。
マサキの手には玉が握られていた。その玉をひかりの胸に押し当てる。
ひかりが目を覚まし、周りを見る。
「ここどこ?」
「洞窟の社だ。」
「うん。私はやっぱり……」
『うむ。体の自由は利くか。意識を保てる時間は半日程度になるだろう、意識が無いときはワシが安全を確保する。しばらく我慢せい。』
「ええ。でもその間はどうなるの?」
『なるべく行動パターンをトレースする。』
「すごい不安……」
「まずい、もう夕方だ、時間が無い。」
マサキが時計を確認した。集合時間が過ぎている。
「とにかく戻りましょう。」
ひかりはよろめく体を起こし、決意を新たに歩みだした。