白鷹号にゆられて
食事の後、用意してくれた果物まで完食。お茶を飲んで、今は海鳴渡さんの陣頭指揮により、片付けが始まっている。わたし、図々しく食休み。満腹になるって、幸せな事なんだ。いま初めて知った。ああ、ステキ
「颯馬、お手間じゃが、白鷹号を門のまえに用意して欲しいの。アカネ殿に街を案内いたす故、の」
「っす。至急っ」
殿に命じられ、跳ね上がって、駆けていく颯馬さん
「殿、ハクタカゴウってなにぃ」
「ワシの愛馬じゃの。四代目の、のぅ。さて、アカネ。街のほうに参るとしようかの」
「わ~い」
立ち上がった殿。差し出されるのおおきな手。掴んだその手はごつごつ堅く、すごくおおきく、とても温かい。堅い感触なのに、優しい手だと思った。片手で軽々とわたしを立ち上がらせてくれる
「みんな、手伝いもせんで、申し訳無いのぅ。アカネ殿に街を案内いたしてくるでの」
立ち上がった殿、片付け中の皆さんに気を配る
「とんでもねえ、殿様、嬢ちゃんにも大江戸の街を見せてやってくれ。きっと気に入るハズだぁ」
先頭で陣頭指揮を執ってるミナトさん、ガッツポーズで言ってくれる
「兄様、アカネ、くれぐれも油断は召されないように」
リリ姉、精悍な笑顔で告げてくる
「配慮ありがとうの、凛々。ああ、恵、お手間じゃがの。颯馬に、褒美のまんじゅうを用意して欲しい、の」
「は~い、ご用意いたしま~す。いってらっしゃい。おにいさま、アカネちゃん」
メグさんに、言伝する、殿。笑顔で手を振る、メグ姉がかわいい。歩き出す、殿とわたし。一階の玄関、大扉は手動だった。配下の人たちが開けてくれる。と、差し出される、長い刀。時代劇で見た刀より、だいぶ大きい
「殿、やっぱり恐い人たちがいるの」
刀を持つって事は、闘わなければいけないことがある。勝手に判断して、殿に聞く
「大江戸は平和な街でのう。幸い人同士で切り結ぶ事は殆ど無いの」
「じゃあ、なんで刀を持つの」
一安心しかけ、では何故刀が必要か、気になる
「凶暴化した獣、野獣と呼ばれる獣がおっての。それから、身を守るため、この大太刀を持ちあるくんじゃ、の」
「あ、そっか。山にクマとか出るもんね」
少し苦笑いする、殿。獣は危ないよね、クマとか、イノシシとか。刀を腰に差すと、さらに殿様感がアップする、殿
「あれ、殿、トノ、刀の差し方、逆じゃない」
「ほっほ、過去の誤った資料でも参照したかの、アカネ」
時代劇の差し方と反りが逆。訊いてみたら、本当はこれが正しい差し方なのだという
「これも必要かの。街に着いたら、外して良いからの」
手にしていた、麦わら帽子を被せてくれる、殿。殿は、涼しげな笠をかぶる
「ありがとう、殿~」
「日の光が強い故、の」
微笑みかけてくれる、殿。朝から、ジンベエやわらじ、麦わらとか、色々なものを用意してくれるのがうれしい
「では、行くとするかの」
準備万端、扉の前に進む。付いていくと、御殿様、出られますの声。大扉が開けられる
「お城の外、初めてだ」
一歩扉を出て、聞こえないくらいの声で、呟く。そう、考えてみたらそうなのだ。さっきまでは『城の中の庭』であって、この世界で外へでるのは初めてだ。まぶしさに、一瞬目が眩む
「そうじゃの、アカネ。この世が気に入るとよいのぅ」
殿の声。反射的に、殿の着物を掴む、わたし。殿には、わたしの呟きが聞こえていたみたい。だんだん、目が慣れてくる。夏の空の下、蝉の大合唱が聞こえる。わたしが居た世界では、こんな大ボリュームは聞いたことがない、蝉の声
「蝉の声、大っき~い」
「蝉の音、じゃのう」
感想を言うわたし。殿の声に、何ともいい知れない感情が交じった気がする。それが何か解らない。つれられて、門の前へと進む。そこには、颯馬さんが用意した一頭の馬。真っ白な、美しい馬がいた。現われた殿に、鼻をこすりつける
「手を掛けたの、颯馬。ご褒美のまんじゅうを用意させたでの」
「っす。殿さん、アザッス」
お馬さんを、ひとしきり撫でてあげる、殿。そして、颯爽とその白馬にまたがる殿の姿。まるで一枚絵のように美しい
「さて、アカネ、上って来られるかの」
「踏み台つかえ、お嬢」
殿の手が差し出され、踏み台を使って、ハクタカゴウに引き上げてもらう。殿の前、距離が近い。殿の体温が伝わってきて、何故かドキドキする
「では、ゆっくりと案内してくる故、の」
「っす。殿さん、お気つけっす」
手綱を捌きながら、殿。ソウマさん、敬礼。頭を下げる方の敬礼
「参ろうかのアカネ」
「は、は~い」
手綱を入れる、殿。うなり声をあげ歩き出す、ハクタカゴウ。お馬さんに乗ったのは、この時がはじめて。殿の前に座らせてもらい、白馬で歩く。昨日までは、考えもしなかった状況
「そうじゃ、アカネ。街の前に、美穂の農作も見ておくかの」
「あ、見たいミタイっ。お願い、殿~」
自分を受け入れてくれる世界。不要物扱いされないこの世界。その世界を知りたかったから、わたし、図々しく申し出る。お城の門をくぐると、土と草の濃いにおいがした
「暑いかと思ったけど、そんなじゃないね、殿」
「アカネの時代よりの、今の世は、気候が良くなったから、の」
殿が言ってたように、日差しは強い。けど、あまりじめじめと、蒸し暑さがまとわりつかない。ジンベエの格好で快適だ。わたしがやって来た時代の風景とは全く違う。当たり前なんだけど、凄く新鮮。朝見たより、お城を囲む丘が高い事に気付く。そうか、大きな大江戸城の、一番上からと高さの感覚、違うんだ
「殿、この町を囲んでいる丘は、なんていう丘なの。それとも、山なのかな」
何気なく聞く
「この地はの、大地が陥没して出来た土地での。此処を囲む大地の高さが、かつての大地、本来の高さじゃの」
帰ってきた答えに驚く。衝撃の事実
「陥没したの。こんなに広く、深く」
ビックリして、殿を見上げてみる。真上に殿の顔がある
「左様だのぅ。アカネがおった時代よりは先かの。天災が発生して、の。その時、『ちかてつ』と申したかの。走っておったこの地は、大陥没を起こしたのじゃ。大地を掘削し尽くして、地下ががらんどうじゃから、必然だの」
災害を告げる殿の顔は、少し切なそう。でもまさか
「そんなことがあったなんて」
おどろくわたし
「ワシら大江戸のご先祖様は、瓦礫をどけ、土を盛って、再び草木の息吹く大地を蘇らせた」
今度は進んでいる正面を向いて、殿の話しに、耳を傾ける
「多くの人々が手を携え、働き通しで、この大江戸を築いたのじゃ。その後、何度もおおきな天災にみまわれたがの。人間はめげぬ、何度でも立ち上がる。それが生きておる者の成すことと、生かされている事への恩返しじゃの。ワシはそう、感じておる。アカネが言った、蝉の声もこのように戻ったのぅ」
わたしは、殿達の苦労の一端を知る。そっか、さっき殿が蝉の声で何か思ったのは、こんな理由があったのか
「ありがたいとも感じておる。御先祖様が耕してくださったこの大地に、他ならぬ御先祖様に、の。ワシは御先祖様の、めぐみの上に生かされておる。ワシはそのめぐみを、一代でも先へと残したい、の。それこそが、命の繋がりじゃろう。そうすることが、生き残った者の務めじゃろう」
殿の言葉。なぜだろう、涙が溢れた。命の繋がりという言葉に、心が揺さぶられた気がして。もし命が繋がっているならば、わたしが生き残った意味もあるんじゃないか
「どうしたかの、アカネ。なぜ泣くかの」
ハクタカゴウの揺れ、何だかゆりかごに乗ってるみたい。そんなこと覚えてもいないのに、わたしの心をほぐす。殿の優しい声、昨日からわたしを素直にさせてくれる
「殿。わたし、一人だけ天災から生き残っちゃった。大好きな家族は、亡くなった、みんな。わたしは、生き残っちゃったって思ってた。逝き損なったと思ってた。親族からは、厄介者扱いだった。わたしは要らない子なんだと、その時から思ってた。殿、わたしが生き残った意味はあるかな。命が繋がってるなら、わたしも、ここで生きる意味はあるのかな」
手綱を操る殿の両手。その両手を、自分の両手で掴む。すぐに言葉は返ってこない。しばらくハクタカゴウの足音が響く。殿はしっかりと考えて、答えてくれた
「その意味が何か、今のワシにはわからん。がの、アカネ。生き残った意味は必ずある。そなたが生きることに、意味が無いはずなど無いの。生きようの、アカネ。堂々と生きて良い。力強く生きて良い。美しく生きれば善い。それが召されていった御霊への感謝に他ならん、の。生ようの、アカネ」
生きて良いのだ。わたしはここで、生きていい。殿の言葉。心のタガが外れて、本格的に涙が出る。殿の腕にすがりつく
「時として、生きることは醜いのぅ。生きようとして奪い合い、生きんがために、殺め合う。がの、ワシはそれを変えたいと思うておる。生きるために支え合い、生きるために救け(たすけ)あう。そうであれば、生きることは美しい。生きることが尊くなるじゃろう」
限りなく優しい御殿様。わたしの頭を撫でてくれる
「生きようの、アカネ。ワシと共に、ワシらと共に、の」
「ありがとう、殿。生きるね、わたし。一生懸命、生きるね」
まだ涙、止まんない。鼻声で返事するわたし
「それで良い、のぅ、アカネ。共に生きていこう、の」
優しい言葉を掛けてくれる、殿。ハクタカゴウに揺られているわたし。ゆっくりと流れる美しい自然。奇跡のようなシチュエーションを、わたしと殿が進んでいく。かっぽこぱっぽこ(蹄の音)進んでいく。ハクタカゴウの揺れ、お馬さんの揺れ。さっきからわたしの心を、ほぐしててくれる。夏の風邪が、自然の香りを運んでくる
「深呼吸、してみようの」
「―ん」
殿に言われて深呼吸。夏の高い空、大自然。この空気がわたしの心を、落ち着けてくれる。しばらく揺られて、落ちつくことが出来たとき、見えてきた田畑、広大な土地。右側に田んぼ、左側には、様々な作物が植えられている
「ここが、田畑じゃ。民と共に、美穂が管理してくれておるの」
「広~い、綺麗~」
田んぼで作業をしている多くの人。雑草や害虫対策のかな。畑では収穫。こちら側も大人数。作業をしている
「あにさま~」
田んぼのなかで泥まみれ、ミホ姉がわたし達を見つけ、手を振ってくる
「お手間様じゃの~美穂、みんなもお手間様じゃの~」
ミホ姉が、みなさんが。わたしの、いや、殿の元へと駆けてくる。ハクタカ号を止める殿。ふと、背中が涼しくなる。殿が鞍から降りる
「心配無用じゃの、アカネ。白鷹はおとなしい故、そのまま乗っておってよいのぅ」
笠を外し、皆の眼を見て話す、殿。そこに、おとのさま、御殿様。寄ってくるみなさん『お手間様じゃの』と声を掛け、一人一人握手を交わす。手も着物も泥で汚れるが、気にもとめない殿。ふれあう、全てのひとが笑顔。本当に好かれている御殿様。わたしのなかで御殿様といったら、偉そうに籠に乗って『したに~したに』そんなイメージ。でも、殿はちがう。自分から、皆と同じ高さに立って交流する。だから殿は、こんなにも好かれているんだ。そう感じた
「皆々、早足ですまぬの。これから街へ行かねばならぬ故、これにて失礼、申し訳無いの。こちらのアカネ殿を案内したくての。越後より参った、凛々好と美穂の妹じゃ」
『越後の娘様~』感嘆の声。て、照れくさい。だってそれウソだもん
「そ、みほの妹~。街の案内、ないすあいであだ~兄さま~。きっとあかねちゃん気に入るよ~」
ナイスアイディア、あれ、純和風だと思ったけど、なんか聞き慣れた言葉を聞く
「殿、英語があるの」
不思議に思って、ハクタカゴウの上から訊いてみる。あ、殿と目線の高さが近くなる
「ん、ああ、米国言葉のことかの。いま、大和には、オウルという気さくな米国大使がよく参っての。その影響じゃ」
「たのしい人だよ、あかねちゃ~ん」
手を、わき水で洗って立ち去ろうとする殿。ハクタカゴウに乗ろうとして
「そうじゃ、このまま乗ると、アカネも汚れてしまうの。さて、困ったのう」
そんな風に、わたしを気遣ってくれる殿の心配り。なんだか心が『きゅ~』ってする。でも
「だいじょうぶ、殿。みんなが一生懸命、耕した泥だもん。汚れるなんて思わないよ」
昨日までのわたしなら、絶対に思わなかったはずだ、こんなこと。でも今、この美しい田畑を見て、汗水して働くみんなを見て。汚いなんて思ったら天罰が下る
「これはアカネ、見上げた心がけじゃ。ならば、このままゆこうかの。では皆の者、豊作じゃと聞いておる。秋には収穫の祭りをしようの。また会おうの~う」
ハクタカゴウにまたがり力強く叫ぶ、殿。皆が喝采をあげる。わたしにまで、お嬢様と声をかけてくれる。歓声はしばらく止むことはかった