はじめての朝ご飯
「~」
眠ってた
「―」
爆睡したの、何年ぶりだろう
「っぁ、よだれ出てた」
目が覚める、目を開ける。小鳥の声と蝉の声が聞こえる。朝日がまぶしい。袖でよだれを拭う。アレ、何、こんな柄の持って―
「ぅえっ」
覚醒した、わたし。視界にものすごく美しい彫り物、施される天井が映し出される
「~すごい」
独り言言って、ここはどこだろうと考える
「~、えっと」
部屋に入って、落っこちて
「夢とかじゃなかった」
そうだ、わたしは来たのだ、別の時代へ。少~しずつ、意識が覚醒を始める。思い出す、昨日のこと。鞄を放り投げて、部屋に入って落っこちて。トノサマの上に、降ったこと
「本当、なんだ」
立ち上がる。足で感じる、寝ていたふとんの、肌触り
「~ふかふかだ♪」
少しの間、足の感触を楽しむ。朝、ヒマなのが嬉しいから、何となく、部屋を歩く。障子戸に近寄って、開ける
「硝子張り、なんだ。きれ~い」
別にガラスの感想を言ったわけじゃない。美しい自然に囲まれた風景。広大な田畑。反対側の町並みはとても綺麗だ。四方を小高い丘に囲まれた盆地。中心にこのお城があるのだろうか。広がる青空。とても綺麗。この世界で生きてゆけると思うと、なんだか気持ちが高揚する
「携帯、圏外だ―」
いまだ実感は湧かないが、わたしは来たんだ、別の時代へ。本当に『未来』にやってきたのだ
「~顔洗いたいな」
実感が湧かないくせに、本当の事だと知ったら、逆に落ち着いた。どうなるかなんて解らないけど、取り敢えず出来ることをしよう。なんだソレ。とにかく、今までやってたことをするしかない。だからまず、顔が洗いたい
「~、みつけた」
板戸を挟んで、部屋の端、床張りの場所。洗面所がもうけられている。水盤がある。蛇口がある
「あ、水が出る」
どうやら、水道も整っているらしい
「歯ブラシもある」
昨日のうちに、そこまで整えてくれたらしい
「~、トイレ行きたい」
歯磨きと洗顔を終えた時、生理現象。別の扉の先に、目的の場所はあった。お手洗いは、洋式のウォシュレット。これがありがたかった。快適快適、下水も整備されてるみたい
「着替えまで、ある」
一通り、身体の手入れを済ませて、今度は着替えに向かう。朝起きて、歯を磨いて、制服に着替える。化け物の家でも、牢獄でやってた習慣。身体が覚えてることを、取り敢えずやろうと、用意してくれた美しい着物を手に取る。袖を通そうと、浴衣を脱ごうとして
「しまった。着方がわかんない」
つぶやく。脱ぐの止め、仕方ない、寝間着の浴衣のままでいいと思い立つ。助けを求めるため、隣の殿の部屋を訪れる。とびらの前、見やるとインターフォンが着いている。そうか、昨日あの広い部屋で、外の声がよくきこえたのはこれがあったからか。しかし降ってきたばかりで頼ろうなんて、やっぱり図太いな、わたし
「殿~居ますか~。アカネで~す」
『どうぞじゃの~』
殿の声、やっぱり美声。今わたしが頼れるのは、昨日出会った、オトノサマだけ。だからしかたないよね、などと考える。やや間があったあと、扉が開く。半自動ドア。純和風のお城の中で。なんだかコメディーじみている。入ってゆくわたし
「部屋の造りは、一緒だ」
板の間があって、洗面所、お手洗い。板戸を挟んで、畳の真。巻物に目を通している殿に近づいてゆく。まだ何も無いわたしの部屋と違って、タンスや机、本棚とかがある。その部屋で、静かに書物に目を通す、殿。昨日は薄暗くて、よくは見えなかったけど
「~っ」
明るいところで見ると、凄まじいまでの美形だった。優しげな目元、二重まぶた、昨日は気付かなかったけど、瞳が空色。鼻筋も通ってる。艶っ々の黒髪は、どうしたらこんな髪になるんだろうってくらい。後ろ髪は、ポニーテールに結っている。白の着流しを身に纏い。恐ろしいほどに格好いい。話しかけることをためらってしまう
「よく眠ることはできたようじゃの。今は九つと半の時じゃ、アカネ」
「えっと、お殿様、おはようございます」
どきりとする。殿から話しかけてもらい、少し慌てる。九時半の事だろうと、勝手に納得。そんなに寝ていたのか。別の時代に来て、爆睡する。自分でどうかと思う
「して、如何したかの」
「あ、すみません。着替え、用意して貰ったけど。着方が分からなくって」
「そうか。う~むどうするかの。ああ、そうじゃ」
言って、立ち上がる殿。すごく背が高い。彼のおなかくらいまでしか身長がない、わたしの横を通り過ぎて。部屋の奥、棚を探る殿
「甚平、これは着方が簡単じゃが、着られるかの。ワシのお下がりですまんのぅ。季節も夏じゃ、寒くはないじゃろう」
「ありがとうございます」
持って来てくれるジンベエを頂く。受け取って、その場で着替えようとする
「これこれ、アカネ、ワシの前で着替えるのは、止めようの。オナゴがはしたないのぅ。童の歳でもないじゃろう」
苦笑いの殿。しまった
「ご、ごめんなさい。着替えてきます」
手が止まる。慌てて、頭を下げる。もらった甚平を両手に抱え、自分の部屋へと駆け出す。さっき寝ていた布団の上で、浴衣をぬぐ
「あ、制服も取ってある」
昨日脱いだ制服、丁寧に畳まれている。この先着るかは分からないけど、心の中でお礼を言う。殿にもらった、ボタン付きのシャツを着てから、ジンベエに袖を通す
「ジンベエ、って言ってたっけ。着るの初めて、だけど良いな」
着心地の良さを、気に入るわたし。自分の部屋で、勝手に満足
「自分の部屋」
今思った、自室。自分の部屋。昨日あてがわれたばかりなのに。なぜかしっくりとくる。『自分の部屋』という単語。適応力がありすぎるな、わたし。でもまぁ、引き取られた『化け物の家』より、格段に居心地が良いのは確かだった。現時点で
「アカネ。着替えは済んだかの~」
着替えが済んだ頃、今度は殿が訪ねて来てくれる。返事をする代わり、駆けだして、殿の前に出る。素足で踏む木の床が、とても心地いい
「ありがとう、殿様」
「うむうむ、寸法も大丈夫じゃの」
首を縦に二度振って、微笑むトノサマ。するとわたしの様付けに
「ワシを呼ぶとき、様など要らんの、殿でよいのぅ」
気軽に呼ぶことを告げてくれる
「いいの、殿」
「家族じゃからの、気楽にいこうの」
殿に近付くわたし。そして殿、忘れていた、ある現象を思い出させてくれる
「してアカネ、腹は減っておらんかの~」
殿。言われて気付く空腹。そういえばここ数年、お腹が空く感覚がなかった。急速に騒ぎ出した腹の虫が、わたしの代わりに答えの音を出した。恥ずかしさで、頬が熱くなる
「はっは、正直で良いの。朝食にしながら話そうかの。城の中はゆるりと覚えるとよい、の。では、食堂へ参ろうかのぅ」
連れられて、広いお城を歩く。板張りの床は丁寧に磨かれている。いくつかの角を折れ、階段を下る。そこで鉢合わせた人物
「あれ、殿さん。見慣れねえの連れてっすね」
同級生の男子くらいの身長、やや小柄。吊った細めの眉、右眉に切り傷がある。髪はわたしの時代だと、マッシュくらいの長さ。やや垂れ目だけど、鋭い目つきの男の子
「おお颯馬そちが昨晩さがった後にの、到着したワシの客人なのじゃ」
「こいつがっすかぁ」
訝しげにわたしを、頭からつま先まで観る。声からすると、昨日わたしを『ぶった斬る』と言った人だ。恐ろしさに、殿にしがみつく
「颯馬、アカネは『越後の雄』の遣いじゃ。ぞんざいに扱うは、ワシに背く者と知れ」
「っす。わかりました。すまねえ、お嬢」
言って頭をさげるソウマさん。殿の『鋭い』声を初めて聞く。彼の元を離れるまで、わたしは殿の腰辺りにしがみついたままだった
「殿、あの人は誰。なんかちょっと恐い」
腰にしがみついたまま、殿を見上げて聞いてみる。殿、眉を下げ、少し困った顔をして
「あれは颯馬。ワシの警護をしておる、岡っ引きの見習いじゃ。悪いやつではないがの。未熟な面もあるゆえ、許してやっての」
わたしの頭を二度ぽんぽん。胸を撫で下ろす、わたし
「ん、わかった。悪い人じゃないんだね。あと『エチゴノYOU』ってナニ」
「越後廣田という国を治めておる、ワシの叔父上じゃ。父上の居ないワシにとっては、義理の父上のようなお人じゃの。アカネはそこから来たと言っておけば、誰も訝しむことはな無いじゃろう」
説明してくれた。広いお城を進む。その間、幾人もの人とすれ違う。その人達全員がにこやかに殿に話しかけてくる。殿も気さくに応じる。そしてその度
「ワシの客人、アカネ殿じゃ。越後より参った」
わたしを紹介してくれた。何度目かの時、わたしは気付いたことを訪ねた
「殿、なんでみんなと話すとき、わたしを『アカネ殿』って呼ぶの」
「ああ、今の皆は、形の上ではワシの配下の者じゃ。アカネ殿と申しておれば、アカネはワシの客人として認められよう。が、二人の時や、これから向かう、友の前では名のみで呼びたい。他人行儀は嫌じゃからの」
何処の石ころかも分からない、そんな身の上のわたしを案じてくれる。この人は、なぜこんなにやさしいのだろう。率直に聞く
「殿は、なんで良くしてくれるの。見ず知らずのわたしに。なんでそんなに優しいの」
この問いに殿、少しだけ考えて
「さて、ワシが特段、優しいとは思わんがの。仮に、アカネがそう感ずるならば、情けは人のためならずというところか、の」
天井を見上げながら、殿が言う
「情けは人の―」
「自分のことを良く扱ってほしいならば、まず他の人を大切にせんとの。独りよがりの人間を、誰が丁重に扱うものか。ワシは自分と民に同じ心配りをする。それだけじゃの。もちろんアカネ、そなたにも、の」
殿の言葉。わたしの心が温かくなる。殿の右後ろついて行く。何度目か、階段を降りたとき、再び聞く
「このお城、何階建てなんですか」
「十階建てと言ったところかの。ワシらが居たのは天守閣のその上じゃ。今は一階の調理場へ向かっておる」
最後の階段を下る。しばらく廊下を進むと、聞こえてくる喧噪。漂ってくる、美味しそうなニオイ。あ、またお腹鳴った
「ははは、腹ぺこは心身に宜しくないのぅ。腹が満たされれば、気持ちも落ち着くの」
「ちょっと恥ずかしい~。ごめんなさい」
「腹が減るのは生きている証じゃの」
言って、頭を撫でてくれる、殿。あ、撫で撫でって、すっごく良い。さらに進んで、喧噪の場所、廊下の突き当たり。暖簾をくぐると広い広い調理場。忙しく働く人々。飛び交う、威勢の良い声
「お手間様じゃの~ぅ、皆々。海鳴渡~、良いかの~」
「お~ぅ、殿様、どしたぁ。メシ、食い足りなかったか。ん、かわいい嬢ちゃん連れてんな。見慣れねえけど、誰だ」
その中心で、最も大声を出す男性に話しかける殿
「海鳴渡、こちらのアカネに、何か用立ててもらえんかの。昨晩遅くに到着した、ワシの客人なのじゃ」
「あいよっ。嬢ちゃん、ちっとばかし待っててな」
わたしを紹介してくれる。調理場の小上がりに通される。働く人たちのなか、ナニもしないわたしが居る。なんだか落ち着かない
「気楽にの。この調理場で大江戸城、千人の食事を賄っておる。今は、朝食の片付けと昼食の仕込みといったところじゃの」
殿の言葉。わずかに、気持ちが落ち着く。そして、殿が告げた人数に驚く
「千人もお城で働いてるんですか」
「色々な役割があるからの」
袂に手を入れて、話しかけてくれる殿。見やる、調理場、みんな生き生き働いている。すごいな、お仕事って嫌々するものだと思ってた。サラリーマン、お父さんが生きてたとき、そんなこと言ってたもの
「おまちっ。菜っ葉のおひたしと納豆、カツ節と醤油は好みでな。沢庵も置いておくから。豆腐と揚げ、ネギと里芋の味噌汁。飯は、古代米。今朝のあまりモンですまないな」
早速、ミナトさん『ご飯を用意』してくれる。ご飯が用意される、あれ、なんか久しぶりの響き
「お手間じゃの海鳴渡。アカネ、この者は海鳴渡料理長と漁師も兼ねておる、ワシの友じゃ」
「よろしく、嬢ちゃん」
殿の正面、ぺたんこ座りの私。目の前に運ばれてきた朝ご飯。並べてくれる、ミナトと呼ばれる料理長さん。浅黒い肌で、たすき掛けの腕から、鍛えられた腕が覗いてる。髪の毛は襟足くらいで整えられている。少しつり目、ツリ眉の男の人
「あ、ありがとうございます、ミナトさん」
「ゆっくり食いなよっ」
改めて料理を見やる。所々、種々色々な模様の入った、美しい容器に盛り付けられている。湯気をたてる薄桃色のご飯、具だくさんのお味噌汁。緑が鮮やかなおひたし。一粒がおおきな納豆は小鉢に。白と茶色。二色のタクアン。こんなふうにあたたかい朝ご飯、用意してもらったのはいつ以来だったろう
「~」
空腹も忘れて、見入ってしまう。賞味期限が前日のお弁当か、変えるギリギリのお金だけ。朝起きると、いつも部屋の前に置かれていた。それがここ数年の朝ご飯だった。でも、今日はちがう。わざわざ、ミナトさんが。わたしのために用意してくれた朝ご飯。あたたかな朝ご飯。あれ、視界がボケて―
「嬢ちゃん―」
「アカネ―」
ミナトさんから、静かに声があがる。殿が差し出してくれるハンカチ。泣いていた、いつのまにか
「どうしたかの、アカネ」
「ご、ごめんなさいっ。うれ、嬉しくてっ。すっごく、嬉しくて」
ハンチで顔を隠す、わたし。殿が、またわたしを撫でてくれる
「コウやアイの時に似てんな」
「~海鳴渡、また今度、の」
「解った」
名前だろうか、ミナトさんが言ったのは。殿の言葉に、なぜかすぐに、納得するミナトさん
「~殿様だな、やっぱり」
独り言のように呟く、海鳴渡さん。その声には、優しい気持ちが滲んでいた
「さあ、食せアカネ。腹が満ちれば、気持ちも落ち着くはずじゃの」
「い、ただきます」
促してくれる殿。反射的に言って、口を付けたお味噌汁
「~っ」
一口啜ってその美味しさに驚く。白っぽいお味噌の中に、野菜や豆腐の味が溶け出して、コレだけでご馳走。お味噌汁を呼び水に、食欲に火が付くわたし。盛大に食べ始める、もはや止まらない。お味噌汁の具、大きめのお豆腐はしっかりとした食べ応え。ねっとりした里芋も味が濃くって、美味しい
「~っはぁ」
また一口すすって、思わず顔を上げてしまう。次ぎに手を伸ばしたごはん。少し固めに炊かれ、甘みが強くって美味しい
「美味しかろう、海鳴渡の食は」
ジキと言うのは、食事の事だろうか。嫌いだった納豆も、ご飯にかけてかっ込む。美味しい。嫌なニオイが全くない。ねばねば、ふわふわの中に、お醤油味がしておいしい。初めて食べる美味しさ。口の中がいっぱいなので、目だけでにっこり返す
「うむうむ、それで良い、の。食べると良い、アカネ。美味しく食べると、人生が明るくなるのぅ。生きる気力も湧いてくるからの」
「一安心だぁ、そ~んなに旨そうに食ってくれてよ。おかわりもあるからな。できるモンなら何でも作ってやるよ、嬢ちゃん」
二人の温かな言葉に、泣き笑いで。タクアンやお味噌汁をおかずにして食べる。タクアンをのせた納豆ごはんが、またひと味変わってたまらない
「~っあ゛~」
「ははは、良いぞ良いぞ~」
「良い飲みっぷりだぁっ」
ごはんをかっこんで、お味噌汁をぐいのむ。殿がカラカラ、笑ってくれる。ミナトさん、拍手してくれる。お味噌汁と納豆ごはんの往復を始める、わたし。ごはん、あ、全然食べ足りない。ミナトさん、おかわりあるって言った
「~、じゃあおかわりぃ」
「お~、見事な食べっぷりじゃねぇかっ。良いぞぉ、嬢ちゃん」
「まこと旨そうに食べるのぅ、アカネ」
昨日まで、食べることの楽しさなんか、忘れていた。美味しさに、ごはんが足りなくなるわたし。海鳴渡さん、殿に褒められる。ごはん食べて褒められるなんて、今まで無かった。別の時代に来たなんて事は、頭のどっかにぶっ飛ばして、図々しくおかわりの茶碗を掲げる。どれだけ食べられるのか解らないけど、おなかパンパンまで、今日はおかわりしちゃおう