大江戸に振ってくる
ほの暗く見える家がある。化け物の家って、わたしは勝手に呼んでいる。そこにわたしは帰らなければならない。あ~あ、帰宅と言って良いのかどうかも、解らない。っていうか、帰るって言いたくない。だってこの扉を開ければ、わたしは化け物に飲み込まれる
「~っ」
だからと言って、行く当ても寄る術もない。結局、生活能力の無い子供など無力だ。ためらった後、わたしは玄関の扉を開けた。最悪のタイミングで、化け物と鉢合わせた。と言って、映画の巨大怪獣のように暴れたりしない。ゾンビでもモンスターでもない。人間の皮を被った、化け物というだけだ。幸いと言って良いのか、暴力沙汰とか『変』なのは受けたことはない
「―」
ため息を吐いて、捨てられた空き缶を見るのと同じ目で、わたしを見た。そのまま奥へと下がっていったので、わたしは無心で玄関に入る。完全に厄介者を見る眼。だったら引き取らなくて良かっただろうに。世間体しか気にしなかったのかな、その辺りがモンスターだと思う。かわいそうも、家においでの心も無く引き取られた。面倒くさいけど、引き取らないと周りの目が悪い。その考えだけで引き取ったこの親族を、周りは褒め称えた『天災孤児を引き取った、聖者の家族』みたいなカンジで。いや、化け物は宣伝やアピールが上手い。自分達で宣伝した効果もあるのだろう
「笑っちゃうなぁ」
そう近い親族でもなかったが、父方の一族に、善し悪しも無く引き取られた。わたしの意見など何処にも無い。一流企業(笑)などやってると大変だ。そんな世間体などまで気にしなければならないようだ。アピールは成功で、いい人的イメージで、周りは持て囃している
「ゴミみたいな扱いしてるくせに、さ」
やっぱり、帰宅とは言えない。ここは、わたしの家じゃない。わたしこと、音宮アカネ。家族は、天災で亡くなった。生き残ってしまった、わたし一人。いっそ、一緒に逝ければ良かった。修学旅行でわたし一人、別の場所に居たばかりに、逝きそびれた。大好きな家族と、一緒に逝った方が幸せだった。そんなことを考えながら、あてがわれた自分の部屋にたどり着く。厄介者を放り込んでおくための牢獄。家に帰れば、化け物と鉢合わせる。部屋に帰れば『一人っきり』の静寂に喰われる。そんな感傷に浸っても仕方ないから、ドアノブに手を掛け、開ける。鞄を放り投げ、部屋に入った
はずだった
「~~っっ」
落下した、いきなり。さすがに驚く、同時に、目の前が真っ暗になる。最後に見たのは、古びたベッド。何処に落ちる。こんな思いまでして、地獄にでも墜ちるのだろうか。だとすれば、わたしの人生は何だったのだろう
「っがっ」
「ひゃっ」
衝撃。何処かに着地する。思ったほど痛くない
「~なんじゃらほい」
「~っぷ」
今、聞こえた、声が聞こえた。声の柔らかさ、とぼけたセリフ、思わず吹き出してしまった。でも、誰の声なのか。地獄の鬼だったら、こんな綺麗な声はしていないだろう。低音で、力強い声だ。いやまて、何を落ち着いてる場合か。わたしは今、うつぶせになっている。手を使って体を起こそうとする。それは叶わなかった。相手の方が、わたしよりも先に体を起こす。一緒に起こされるわたし。距離が少し開く。薄明かり、なんだか心地いいくらいの温度
「ぅ~む、うつけ者―ではなさそうじゃのぅ。そうだったなら、ワシはもう葬られておるからの。気配も感じなかったが、何処から参ったか。珍妙な格好じゃの」
長髪、着流し姿。優しげな美男子の、膝の上にわたしはいる。状況が全くわからない。でも目の前の人の体温が、幾分わたしを安心させる
「ワシの言葉、通じておるかの」
再び話しかけられて、少しずつ、気持ちを立て直す。観る。どこから見ても純和風な広い部屋の中。点けられている行燈の薄明かり。目の前の彼の言葉。どうやら日本らしいけれど。わたしは一体、どうなったのだろう
「部屋に入ったはずなのに。落っこちて、真っ暗になって。気がついたら、えっと、あなたの上に居て」
思わず口をついて出た言葉。おかしな事を言っているのは、自分でも分かっている。しかし、ほかに説明のしようが無い
「ふぅむ、それが事の顛末かの。皆目解らん事じゃが、確かにそなたの身に起こったんじゃの」
「信じてくれるのっ」
驚く。だって、こんな、自分でも信じられないようなことを、信じてくれる。思わず前のめりで訊く
「雲を掴むような話しじゃの。しかし、確かにそなたは此処におる。相手の言うことを信じないと、前に進まぬ事態というものもあるからの」
確かにそうだけど、なんだか凄い
「一応確認しておきたいがの。そなた、ワシを葬る気は無いのかの」
「な、ない。そんなの絶対無い」
ただわたしは降ってきただけだから、ここへ。薄明かりの中、息を吐く、気配。少し笑った感じ、男の人
「信じよう。名は、御名は何と申すかの」
名前を聞かれる。わたし自身がほっとする。言葉の端から、なんとなく、優しい人となりが伝わってくる
「音宮、アカネ(おとみやあかね)」
「ワシは美郷。日向美郷じゃ」
良かった、理解力のある人で。さっきまで、家族と共に逝きたかったなどと思っていたのに、やっぱり、死ぬのは恐いらしい。目の前の彼風に言えば、葬られることはなさそうだ、ほっとする
「殿さん、どうかしたすかっ。なんかすげ~音がしたすけど。くせ者なら、俺がぶった斬って」
怒鳴り声が聞こえる『ぶった斬る』の言葉に、再び、命の危険を感じるわたし。身がコワバル、と、人差し指一本、自分の口の前。静かにしていろという、男の人。さっき『ミサト』と言っていた人。わたし、無言でうなずく
「何ともないの~ぅ、颯馬。け躓いて転んだだけじゃ。恵に薬籠を頼んで欲しいの。そうじゃ申し訳無いがの、教学について、至急伝えなければならぬ事があるの。故に、清徒を呼んでほしいのぅ。本日は城付きだったはずじゃの~ぅ」
「っす、殿さん。引き受けっす」
外の人物に伝える彼。走り去る足音
「さて、アカネと申したか。そなた、何処より参ったかの。教えて欲しいのう」
話しかけられる。どう伝えれば良いんだろう。考えあぐねていると、彼の方から伝えてくる
「ここは大和国の大江戸そなたがおるのは、その城の中じゃ」
「江戸、わたし江戸時代に来たの」
そんな馬鹿な。漫画やSFだって、もっと設定に気を遣うだろうに。なんなの、この状況。あり得ないことに目が回る
「江戸ではないの。江戸と呼ばれる時代を模倣してはおるがの。彼の時代は、今より遙か以前の事じゃの」
江戸でもない。ならば一体ここはどこなのだ。ますます持って、頭の中身が混ぜられる
「今は、~そうじゃ。西暦と呼んでおった時期もあったか。それに直せば、大体2205年というところかの」
未来。これが。この江戸時代のような部屋が未来の姿
「おにいさま、恵です。薬籠を持って参りました」
「どうぞじゃの~、恵」
また、外より来たる声。不安に体を強ばせる
「案ずること無いの。今、入って来るのは、ワシの妹、恵美じゃ」
わたしを案じてくれる。優しい人なのかな。なんとなく思う。ふと彼に目をやる。リモコンのスイッチを押す。扉が開く、スムーズに。江戸風の建物に、半自動ドア。あまりにもシュール。提灯を手にやって来る、女の人
「薬籠です。ってわわわ、おにいさま。この子は、くせ者様」
そこで、殿様の上に乗ったままだったことに気付く。慌てて降りる。殿様の隣に座り直す
「此処へ、恵。説明しよう、の」
くせ者かと、慌てる女の人。歳はわたしより、絶対上なのに。なんだろう、とても可愛い感じの女の人。ミサトと名乗った彼の元に来て、うなずきながら説明を聞いている
「この格好では、イヤでも目立つのぅ。恵のお古か、美穂の寝間着でも用意してくれんかの」
「わかりました、お待ちください」
部屋を出て行く。扉が開くと、また別の人物の影がうごく
「こんばんは、先生様。おにいさまに」
「ええ、至急と颯馬さんに呼ばれまして」
会話を交わす、女の人と男の人。先生を呼んだのは何でだろう。先生って、先生だよね。学校とかの
「入って欲しいの、清徒。颯馬、ご苦労様じゃ。ご褒美は明日にの。恵とさがってほしいの」
「っす。殿さん、あざっす」
「御殿様、失礼いたします」
入ってくる男の人。徐々に照らし出されるその姿は、眼鏡を掛け、見るからに知的だ。サラサラの髪に、優しげな瞳だと思った
「御殿様、至急の用件を伺いに参りまし、た―」
そこでわたしに気づき、眼鏡を摘まんで、怪訝な顔をする
「清徒、夜分にすまんのぅ。そちらは方便での、そなたの知恵を拝借したくての。アカネと申したか。相談事は此方についてなのじゃ」
「御殿様、そちらの方は一体」
かがんで、オトノサマと目線を合わせる。わたしがここに居る経緯、伝えている目の前のオトノサマ。わたしが、ここに降ってきたことを、真剣な眼差しで聞いている、眼鏡さん
「この者は清徒寺子屋の教頭を務めておる。知恵一番の良き男じゃの。さっそくですまぬが清徒よ、そなたなら何か導きだせんかのぅ。まずはアカネの格好から、の」
ひとしきり説明した後、今度は眼鏡さんを紹介してくれる、オトノサマ。顎に手を当て、考えるのは、セイト、と呼ばれた男の人
「私の知識が正しいとすれば、と前提を申し上げますが」
暫く考えた後、知識の奥底まで探った様子で告げてくる
「おねがいじゃの」
「平成、と呼ばれた時代。2000年代の前半から中盤と思われます。通学する女生徒は、彼女と似た様相の格好であったかと。アカネさん、とおっしゃいましたか。念のために伺いますが、ご自分の身分証明が出来るものはありますか」
当たっていた。私は確かに、その時代を生きていた。しかし身分証明。何か無いか考える。見渡す。部屋に放り投げた鞄は見当たらない。今頃は主を尻目に、部屋に鎮座しているということか、裏切り者め。まぁ、部屋にぶん投げるような主人なんて、裏切られても仕方ないか。ならばと、ポケット。探る、手に感触がある
「これ、生徒手帳、携帯。証明になりますか」
セイトさんに手渡す。生徒手帳を開いて、一度頷く、セイトさん
「平成××年度生徒手帳、旧字体ですね。この字体、知っているのはごく一部の人物だけと思います」
キュウジタイって何だろう、とか思った。あ、あった気がする『昔の漢字』わたしの生徒手帳の漢字が『昔の漢字』
「こちらの機械、携帯とおっしゃいましたね―通信器具であったかと。明日、光里大先生に伺えば確実です。この時代に存在しない物であるのは確かです」
携帯を一目観て、即座に判断する、セイトさん
「左様か、のぅ。では、アカネがワシの上に降って参ったのは、如何なる事象が考えられるかの」
真剣に考えてくれる、二人。信じられないことだと思う。だってこんな事、今でも信じられない。未来に居るなんてこと
「これも仮定の話ですが。アカネさんのおっしゃることを推察すると、以上のような事しか考えられません。時空転移です。旧字体の生徒手帳、携帯と呼ばれる機械。時を超えて来られた。信じがたい事象ですが、最も説得力がある事態は、これしか考えられません」
そんなことってあるのだろうか、なんて思ってしまう。でも他に考えられない。セイトさんが『信じがたい』って言うの解る
「そう、か。確かに信じがたい、の」
何度か頭を縦に振る、オトノサマ。とても真剣な眼差しで、少しの間、何かを考えていたみたいだけど
「じゃが、ワシらの生きるこの世界、人知の及ばぬ現象は起きるものだしの。すまんの、清徒。このことは内密じゃ。アカネのことは明日、ワシが皆に伝える。ご褒美は明日にの。すまんの、さがってほしいの」
そう言って、納得するオトノサマ
「お役に立てて何よりです、御殿様。他言はしません。それでは失礼いたします」
丁寧に頭を下げ去っててゆく、セイトさん。さっきから、もう何が何だかわからない。ただこの状況を受け入れるしかない。現実、わたしはそんな立場に置かれている。三流映画の中に入り込んでしまったようだった
「さて、アカネ、混乱するのも無理はない。ワシとてさっぱりじゃ。だが、起きてしまったことは致し方ない。まずは此処におると良い。部屋も用意しよう。ここに住めば良いの。いつの日かそなたの時代に帰ることができる日まで」
思いがけない言葉にビックリ。だって、降ってきただけのわたしに、だもん
「いいの、わたし、ここに居て」
「他に何処があるかの。ふふ、行く当てなどないじゃろう。ここまで深入りして、放り出すことなどできないの。それは無責任というものじゃの」
なぜだろう。何故この人は受け入れてくれるのだろう。赤の他人のわたしの事を。なぜ、こんなにも、優しくしてくれるのだろう。親族達に、厄介者とされたわたし。そんなわたしを、受け入れてくれた優しさに、涙が溢れ出る
「泣くでない、の。心細いのはわかるが―」
オトノサマが、優しく頭を撫でてくれる。わたしは、いよいよ心のタガが外れ出す
「ちっ、ちがうのっ。うれっしいの」
涙でもう、オトノサマの顔が見えない
「うれしい、こんな状況でかの。親兄弟ともはなれて、一人べつの世に―」
ただ、その意外そうな声色に、聞いて欲しくなって話し出す、わたし
「わたし、親も、兄妹も、もういません」
「~、天涯孤独、かの」
「し、親戚は居るけど―」
誰かに聞いてほしかった、自分のことを。オトノサマは聞いてくれた。自分の上に降ってきた、何処の誰ともしれないわたしの話を。話して、泣いて、ひとしきり泣いたころ
「アカネと、申したの。のう、アカネ、ワシには姉弟はおるがの。血の繋がった親族はもうおらん」
優しく話しかけてくる。優しい瞳を、初めて知る。子供の頃、両親からは見つめられていたのかもしれない、優しい眼差しで。とっくの昔に忘れてしまった。ここ僅か数年の、冷たい瞳のせいで。でも、目の前のオトノサマの目は、温かさに溢れている
「じゃあ、さっきの妹さんは」
妹さんと言っていたはず
「父上が違うのじゃ。父上は、ワシがそなたくらいの時逝ってしもうた。実の母上も、もうおらん。がの、ワシは大家族の主だと勝手に思っておる」
「オトノサマ」
ハンカチらしい布を、わたしに差し出してくれる
「この城の者、この国の民。皆ワシの家族と思っておる。父上が名付けてくれたこの名、美郷の名に恥じぬよう、精進しておるつもりじゃ。民の安楽を保てるよう、大江戸を良き方向に導くよう、働いておる。その民を、己の家族と思わずして、思いやりなど生まれようはずがないのぅ」
優しく笑う彼。思いやり。その単語を聞いたのはいつが最後だっただろう
「今日からアカネ、そなたも家族じゃ。元の時代にもどる事ができる日まで。そなたが、帰りたいと思うその日まで。ワシの家族になってくれるかの」
「家族。わたし、オトノサマの家族」
「堅いの、殿でよい。もちろん、アカネがイヤでなければじゃがの」
胸が温かくなった。殿が、本当に優しい人であることを知った
「おにいさま、恵です。アカネちゃんのお召し物を持って参りました」
「どうぞ~じゃの、恵」
入ってくる恵さん。寄ってきたとき
「そうじゃ、お手間じゃがの、アカネの部屋も用意してほしいのぅ。今しばらくは、ワシの部屋の隣が良いかの。では、ワシは布団をもって来るかのう」
「はい、お兄様。アカネちゃん、こっちだよ~」
手を引かれ、お部屋に案内される。わたしは、用意してくれた部屋で、着替えを済ませて。久しぶりによく眠った『アカネ、そなたも家族じゃ』って、殿の言葉を反芻しながら