悪
何が善で何が悪なのか、たぶん人によって違います。
ブクマ、評価、ありがとうございます。
マリアンヌは一週間、セントラルに滞在することになった。
一週間後の夜にヘリで移動し、例の牧場から1日かけて馬車で王宮に戻ると予定を教えてもらう。
「案内にアベルとカインをつけます。滞在中は観光を楽しんでください」
そんなことを言われて、マリアンヌはその言葉に甘えることにした。セントラルには興味がある。いろいろ見て回りたかった。
いつの間にか、スーツに着替えたカインも合流してアベルの隣にいる。
(若いイケメン2人に案内されて観光って、不倫旅行っぽい)
そんなことを思って、小さく笑った。
「まず、宿泊施設にご案内します」
アベルに連れて行かれたのはホテルではなくウィークリーマンションのような部屋だ。
「今日はもう遅いので、明日の朝、迎えに来ますね」
カインがそう言う。
「ホテルではないのね」
マリアンヌがそう口にすると、アベルがふっと笑った。
「宿泊施設は王都にしかないのですが、基本的に政府直轄です。申請すれば国内の人間も使えますが、ホテルと言うよりはアパートなので、掃除とか炊事とかは自分でしてもらう形になります」
説明する。
「掃除とか炊事なんて、すごい久しぶり」
マリアンヌは喜んだ。掃除道具とかキッチンの家電とかを確認する。
「掃除機がある。電子レンジがある」
はしゃぐマリアンヌを見て、アベルとカインは笑った。
「楽しそうですね」
カインが声をかける。
「懐かしくてテンションが上がる」
マリアンヌは頷いた。
「ここでの生活に慣れたら、今までの生活に戻れなくなるんじゃないですか?」
心配そうにカインは尋ねる。
「それはありません」
マリアンヌは即答した。
「確かに、掃除機も電子レンジもあれば便利です。でも、無くても死んだりしません。人間って不便ともそれなりに付き合っていける生物なんですよ。便利なのが善で不便なのが悪ってわけではないのです」
マリアンヌの言葉に、アベルもカインも微妙な顔をする。ちらりと互いの顔を見た。
「どうかしました?」
マリアンヌは問う。
「いいえ、別に」
アベルは否定した。だがそれが嘘なのはわかる。
「言いたいことは言って」
マリアンヌは頼んだ。
「一週間、わたしの世話をしてくださるのでしょう? 言いたいことを言わずに抱えられるのはわたしが嫌です」
互いに気持ちよく過ごしたいと主張する。
「少し、意外に思っただけです」
アベルは打ち明けた。
「何をですか?」
マリアンヌは首を傾げる。
「セントラルのやり方に、貴女は反対するかと思ったので」
アベルは答えた。
マリアンヌが監視対象になって数年が経つ。アベルとカインは最初からマリアンヌを担当していた。性格を多少は知っているつもりでいる。
「前世の記憶持ちの一部を強制的にセントラルに収容していることは気づいたでしょう?」
アベルは尋ねた。
「ええ。前世の知識や技術を捨てられない人たちでしょう?」
マリアンヌは聞き返す。
前世の知識や技術を捨て、この時代に順応して生きるなら、自由に外で暮らしていい。だが、知識や技術を活用するつもりなら、自由な暮らしは認めない。便利な生活はセントラルの中でのみ許される。
ガイヤの言葉をマリアンヌはそう理解した。それはある意味、強制である。セントラルが高い壁に覆われているのは、外からの侵略に備えているわけではない。中から人を逃さないためだ。
(そう言えば、セントラルの壁には出入り口がないと聞いたわ)
ふと、マリアンヌは思い出す。ヘリコプターだけが、外界に出られる唯一の手段のようだ。それは罪人のような扱いと言えるかもしれない。
「この時代に前世の記憶を元に一攫千金を狙う人は困るけど、それ以外の人は困らないでしょう?」
マリアンヌは聞いた。
「でもそういう人の中にも家族と離れてセントラルに収容されるのを嫌がる人はいます」
カインは気まずい顔をする。罪を犯したわけでもない人間に強制するのは辛いのだろう。
「だったら、家族を取って技術や知識は捨てればいい」
マリアンヌはびしゃりと言い切った。
「前世の知識や技術がなくても、この世界は生きるのに困らない。あれも欲しいこれも欲しいと、全てを手にすることなど出来ないのは普通のことでしょう? 選択肢は二つある。この時代に適応し、家族を取るか。家族を捨てて、便利な現代社会の生活を取るか。選べるだけ、マシだとわたしは思うわ。そして、セントラルの存在意義も理解できる。技術の進歩が人々を幸せにするだけではないことをわたしたちはすでに知っている。この時代は今、絶妙なバランスで成り立っているように見える。そのバランスを崩すことの方がわたしには悪だと思う」
真っ直ぐ、アベルとカインを見る。
「人というのは愚かな生き物なのよ。進んだ科学や技術を正しい方向にだけ使うことは出来ない。必ず誰かが悪用する。悪いのは科学や技術ではなく人間だけれど、愚かな人間にそもそもそういう力を与えることが悪なのかもしれない。だからどんな言い訳をしたって、科学や技術を進歩させようとする人は許されてはいけない。例えそれが、命を奪うことになったとしても」
感情を殺した声が響いた。
そんなマリアンヌにアベルもカインも戸惑う。
マリアンヌはふっと笑った。
「わたしは聖人君子でも聖女でもない。全ての人が救われるほど世の中が甘くないことを知っている。人の本質が善だとも思っていないわ。悪い心なんて、誰にでもあるもの。でも人間は成長の過程で、その悪い心を制御する術を覚えるの。そうやって、人間の社会は成り立っているのよ」
淡々と語る。
「なんか、いろいろ予想外です」
アベルは呟いた。
誰でもみんな救えるなんて思っていません。




